(6)
サジに言われた通り、ルォは両親の墓参りをして、それから家の掃除と洗濯をした。食事も自分で作って食べた。それでも時間が余ったので、魔法を使う練習をした。
虹色に輝く地面をもぎ取り、思うように形を変化させる。土が原料の場合は虹色の塊は小さく堅くなる。石を原料にした場合は大きさも堅さもあまり変わらないようだ。
また形が定まらず虹色の輝きを放っている時には、重さを感じないことも分かった。
だからあまり大きな材料をもぎ取ってしまうと、形を定めた時に押し潰されることになる。注意が必要だった。
頭の中で鮮明に思い描けるものは、細かく正確に形作ることができるようだ。つい夢中になってしまい、ルォは“石神さま”を量産してしまった。
翌朝、困ったことになった。
戸棚の上の一体と床の上に置かれた二十体もの“石神さま”にどんな願い事をするのか、分からなくなってしまったのである。
「ひとつ、落石が当たりませんように。ふたつ、谷風にあおられませんように。みっつ――」
そこで初めて気づいた。
すでに岩王鷲を倒し、父親の仇は討っていることを。
「どうしよう?」
散々悩み抜いたものの、願いごとは思いつかなかった。どことなく憂鬱な気分で家を出ると、ルォは万屋へ向かった。
「サジさんいくら?」
サジは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ねぇよ」
「え?」
「相場は、ない」
岩王鷲の卵を食べたことで、ルォは魔法使いになった。だからアルシェという街へ行って、役所に登録しなくてはならないのだという。
「それが、国の決まりだ」
決まりであるならば仕方がない。
「うん、分かった」
「それと、お前は苔取り屋をクビになった」
苔取り屋の元締めであるゴルドゥが決めたのだという。元締めとは苔取り屋の中で一番偉い人のことだ。だから、従わなくてはならない。
「うん、分かった」
あっさり了承すると、サジは拍子抜けしたような顔になった。
父親の仇を討つ前であれば困っただろうが、今はその目標を達成した。
これで、自分は生きていける。
だから新たな目標を定める必要があるだろうと、ルォは考えていたのだ。自分で考えるのは苦手なので、ルォにとっては渡りに舟でもあった。
アルシェの街の役所で魔法使いの登録をすると、仕事を与えてくれるのだという。
「どんな?」
「そりゃあ、お前」
サジは言いよどんだ。
「魔獣狩りとか、そんなやつだろ」
「ふ〜ん」
そんなものが仕事になるのだろうか。
「正直なところ、オレにも分からん。お前の能力はいくらでも応用がききそうだからな。別の仕事をあてがわれるかもしれん」
「アルシェの街って、遠いの?」
「遠いな。馬車で半月はかかる」
だから、しっかりと準備をする必要があるらしい。
「家にある金は全部もっていけ。替えの服は、オレの子供の頃のやつがあったかな。それをやる。食料なんかもオレが用意してやる」
「うん」
「あとは、そうだな」
まるで我が子を千尋の谷に突き落とす獅子のような厳しい顔で、サジは言った。
「挨拶まわりだ」
◇
見慣れぬ場所、嗅ぎ慣れない匂い、そして見知らぬ大人たち。
途端にルォは、挙動不審になった。
苔取り屋ギルドの一階は、やや薄暗く、カウンターと幾つかのテーブルがある。そして酒臭い数人の大人たちがルォを取り囲んでいた。
「この子が、テオちゃんとカルラちゃんの。あらまあ!」
一番興奮しているのは、中年の女性だった。どういうわけか、みんなからママと呼ばれているようだ。化粧が濃く、何やら果物のような匂いがした。
「知ってる? あなたのお母さん、カルラちゃんは、昔この店で働いていたのよ。ああ、その心配そうな目、そっくりだわ!」
感激したように抱きしめられて、気を失いそうになる。
「ママ、ルォのやつが白目剥いてるぞ」
「あらあら、ごめんなさいね。歳をとると、涙もろくなっちゃって」
サジが助け舟を出してくれた。
「ルォ。こちらのおふた方が、行方不明になったお前を探すために“顎門”を降りて探してくれたんだ。ちゃんと礼を言っておけ」
髭面の老人が二人、両腕を組みながらルォを見下ろしていた。年に似合わずがっしりとした体格で、表情は厳しく、目つきは鋭い。
思い切り迷惑をかけまくった時は、謝るよりもお礼を言え。そのほうが相手も自分も気分がいい。事前にルォはサジからそう教えられていた。
「そ、その。さ、探してくれて」
つっかえつっかえ、ルォは言葉を紡ぎ出す。
「ありがと」
すると、老人たちは一気に相好を崩し、ルォの頭や身体をばんばん叩いた。
「血は争えんのう。あのテオの子供なら、これくらいの無茶はするだろうて」
「うむ。わしらも久しぶりに“顎門”を降りて、気持ちが若返ったわい。気にするな、坊主」
それから二人の老人は豪快に笑った。
感激した様子のママや他の大人たちが、ルォを玩具のように触りまくり、テオやカルラの昔話で大いに盛り上がった。二階から何ごとかという感じで元締めのゴルドゥが顔を覗かせたが、サジと目が合うとすぐに引っ込んだ。
ルォは終始緊張したまま、意識を保つだけで精一杯だった。
だが、不思議と気分は悪くなかった。
「次は、ご近所だな」
サジに連れられて、いくつかの家を訪問する。
ルォがアルシェの街へ出かけることになったことをサジが説明して、ルォがお礼を言う。たったそれだけのことなのだが、近所の人たちはルォの姿を見て、喜んでくれた。中には涙を浮かべる人さえいた。
あまりにも意外な反応にルォは驚いてしまった。
「まあ、こんなもんだろ。帰るか」
「うん」
帰りの道すがら、ルォは考え込んだ。
迷惑をかけたら礼を言う。サジの言った通り、相手も喜んでくれたし、自分も気分がよかった。こんな経験は初めてだ。
今までは自分のことだけで精一杯で、相手のことを考えたことはなかった。自分が生き延びることができたのも、父親の仇である岩王鷲を倒せたのも、たくさんの人たちが助けてくれたおかげなのに。自分は何もせず、同じ毎日を繰り返していた。
そのことに、ルォは初めて気づいたのだ。
それからもうひとつ。
一番お世話になった人に、まだお礼を言っていないということを。
前を歩く背中に、声をかけてみる。
「サジさん」
「なんだ?」
「父さんの最後を見ていてくれて、ありがと」
◇
「――っ」
振り返ったサジは、ルォの言葉に心臓が止まりそうになった。
目を見開き、凝視する。
いつも俯き加減だった少年は、かなり緊張した表情で、それでもしっかりとこちらを見上げていた。
両親が死んだ後、ベッドの中でずっと生きる目標を考えていたと、ルォは言った。
そして決まった。
父親の命を奪い母親を悲しませた岩王鷲を、倒す。
「サジさんが、見ていてくれたから、分かった。もし知らなかったら、考えることもできなかった」
岩王鷲に出会うために、ルォは苔取り屋になった。その時に助けてくれたのもサジだ。人付き合いが苦手な自分のために、直接碧苔を買い取ってくれたし、貴重な情報も教えてくれた。
「いっぱいお世話になったのに、一度も、お礼を言ってなかった。だから――」
気絶しそうなほど必死な表情で、ルォは言葉を振り絞った。
「いっぱい、ありがと!」
違ったと、サジは思った。
これまでルォを世話してきたのは、償い。取り返しのつかない過去の過ちに対する贖罪だった。
毎朝、壊れかけたルォを見るたびに思い起こす苦しみ。この罰を受け続けることこそが、償いなのだと考えていた。
だが、違った。
ルォが、この世で唯一ルォだけが、自分を許すことができる存在だったのである。
自分の心を縛りつけていた鎖のようなものが断ち切られるのを、サジは感じた。
「オレは……」
テオの死をカルラに伝えた時。あまりにも取り返しがつかなくて、サジは謝ることすらできなかった。そのことをずっと、サジは悔いていた。
「お前の父親を、テオさんを、止められなかった。岩王鷲の声が聞こえたのに。テオさんが冷静さを失っていることも、知っていたはずなのに。オレが、あの時オレが止めてさえいれば、テオさんは死なずに済んだんだ」
両膝をつき、小さな身体を抱きしめる。
「すまない。すまなかった」
ようやくサジは、自分の気持ちにひとつの区切りをつけることができた。