(5)
足に力が入らず立っていることすらおぼつかないトゥエニを、ルォが背負う。女性たちの案内に従い、木の根の橋を渡って浮島にたどり着いた。
近くで見る銀色の大樹は、圧巻だった。樹齢は千年か、それ以上か。大きいだけではない。幹や枝の形は複雑で風格がある。透明な葉は昆虫の羽のような繊細な作りで、日の光を虹色に変化させ、水面をきらきらと照らしていた。
幹の根本には、大きなうろがあった。まるで洞窟の入り口のよう。女性たちに続いて中に入ると、そこは円柱形のリビングだった。
大樹の幹の太さよりも、明らかに広い。
天井から釣鐘状の花弁を持つ花が垂れ下がっており、淡い光を放っている。部屋の中央には大きな丸いテーブルと椅子が配置され、床には絨毯が敷かれている。
リビングの壁にはいくつかの大きな木目があり、そこを通り抜けるようにして、奇妙なものが現れた。
外にいた石人形と似ているが、こちらのは足がある。腕が長く、指もついている。体の素材は緑色の、もこもこしたもの。
それは、苔の人形だった。
頭に花が咲いており、髪の代わりにシダ植物が垂れ下がっているので、女性のようにも見える。
「彼らは植物の精霊だよ。足は遅いが、手先が器用でね。私たちの身の回りの世話をしてくれる」
こともなげに、白衣の女性が言った。
とある変化に、トゥエニは気づいた。
先ほどまでは頭の中に響くような感じだったのに、今は耳に聞こえる。
女性の身体も透けて見えないし、輝いてもいない。他の女性たちも同様だった。
六人の女性たちが先に着座する。テーブルの上に飛び乗ったフニャピッピが、背を向けるように丸くなった。紹介がいい加減だと怒られて、へそを曲げてしまったようだ。
苔人形たちが残ったふたり分の椅子を引いた。
「ペッポコ、座れる?」
「うん、だいじょうぶ」
別の苔人形たちがティーセットを乗せたワゴンを押してきた。滑らかな動きでカップにお茶を注ぐ。別の容器から柄杓で、琥珀色の液体が注がれた。
ふわりとした巻き髪の女性が説明した。
「“大穴”の底でも限られた場所にしか生えていない、月雫という花の蜜です。疲れが癒えますし、ちょっとした傷くらいならすぐに治ってしまうんですよ」
さわやかな香りのするお茶は、疲れきったトゥエニの身体に染み入るようだった。ぽかぽかと身体が温まり、手足が軽くなった気がする。
ようやく落ち着いたところで、改めて自己紹介をする。
「まずは一番目の私から」
無表情で無機質な口調、ゆったりとした白衣を着ている女性は、ソルシエ。
二番目。豪奢なドレス姿の優雅な佇まいの女性は、ベンジャス。
三番目。ふわりとした巻き髪の優しそうな女性は、セト。
四番目。短髪で男装、きりりとした表情の女性は、アロマ。
五番目。十代前半くらいの幼い少女は、ミルディ。
そして六番目。髪を高く結い上げ、少し憂いを帯びた微笑を湛えている女性は、オフィリア。
六番目の女性のところで、トゥエニがぴくりと反応した。
続いて、トゥエニとルォが自己紹介する。
「はじめまして。トゥエニと申します」
「第四級魔法使い、“岩壁”のルォ。ともうします」
緊張しつつも何とか言い切ったルォに、今度はオフィリアが反応した。
ソルシエがひとつ頷き、説明する。
「我々は、歴代の星姫だ。最初に順番を口にしたのは、年代順。つまり私が初代ということだよ」
「歴代の、星姫」
呆然と、トゥエニは呟いた。
目的地に着いた自分は、ここで終わるはずだった。その先は何もない。国や人々が救われたかどうかも確認することはできない。
そう、考えていたのに。
「そしていま我々が話しているこの場所が、“試練の旅”の最終目的地である“箱庭”だ。天上界でも地上界でもない、双方の狭間に存する世界。互いに接点を持ち得る空間と言い換えてもよいだろう。肉体という器を失った我々は、いわば亡霊のようなもの。己の存在力を落とさなくては、地上界では君たちに認識されることすら――」
「ソルシエお姉さま」
咎めるようなミルディの声に、ソルシエは肩をすくめた。
「ああ、すまない。私の説明は小難しく、配慮というものが欠けているらしくてね。子供相手には向かないようだ。ベンジャス、悪いけれど任せてもよいかな?」
「かしこまりました、ソルシエお姉さま」
ベンジャスが進行役を引き継いだ。
「小さな星姫、トゥエニ。貴方の疑問には、わたくしたちがすべてお答えいたします。ですがその前に、少しだけ確認させてください」
ベンジャスの疑念は、今回の“試練の旅”についてだった。
「本来であれば、星姫はアルシェの街にて待機し、“紅き大波”をやり過ごしてから“果ての祭壇”に向けて出発するはず。今回は何がうまくいかなかったのでしょうか?」
マァサから説明を受けていたので、トゥエニは答えることができた。
四十年前に王家と教団の間で大きな戦いが起こり、メイル教団は、ほぼ壊滅してしまった。
「メイル教は信仰することを禁止され、神殿や女神さまの像は壊されました」
かつての星姫だったという女性たちが、ざわめいた。
さらに十年前、トゥエニが生まれた年に、教団の生き残りが王宮内に忍び込むという事件が発生した。
「わたくしの力を封じるためだと、聞いております」
封印は成功したが、彼らは全員捕らわれ、処刑されてしまったという。さらに女性たちがざわめき、トゥエニは慌ててつけ加えた。
「だいじょうぶです。“星守”の方たちが、アルシェの街で生き残っていらっしゃいましたから」
「そう、ですか」
ベンジャスは沈鬱な表情を見せた。
「王家と教団の軋轢が、そこまで」
他の時代においても、秘密主義であり既得権益を独占するメイル教団と王家の争いがあったのだという。
「いくたび国の名が変わろうとも、“盟約”の担い手であるメイル教団だけは存続していましたのに」
ソルシエが嘆息した。
「父上の願いも、ここに潰えたか。いや、よくぞこの時代までもったというべきだろうな」
初代星姫の父親ということは、女神と“盟約”を交わした古の王なのかもしれない。
「それで、貴方はご無事でしたの?」
ベンジャスが話を促した。
「はい。わたくしは仮面を被り、王国各地を転々と暮らしてきました」
「仮面? 仮面って、なんですの?」
「封印の紋章を隠すための仮面です」
リビング内がしんと静まり返った。
ベンジャスの口元が歪み、白い歯が覗いた。目が吊り上がり、優美な曲線を描く艶やかな髪が、ゆらゆらと蠢く。
「べ、ベンジャスお姉さま」
隣のセトが声をかけるが、逆隣のアロマはさらに怒っていた。怒髪天をつくという表現がぴったりだろう。短い髪がすべて逆立っている。
「あまねく人々の敬意を受けるべき存在たる星姫に対して、なんたる仕打ちか!」
「ア、アロマ」
「そんな腐りきった王家など、必要ない。たとえ“盟約”が果たされ国が救われたとしても、滅ぼして――」
「も、申しわけ、ございません!」
立ち上がって頭を下げたのは、オフィリアだった。
「同じ王家に連なるものとして、謝罪いたします」
アロマとベンジャスの怒りが霧散した。申し訳なく思うというよりも、子供たちを怖がらせないためにオフィリアは発言したのだろう。いたたまれない空気を振り払うように、トゥエニは言った。
「悪いことばかりではありませんでした」
将来の望みもなく、すべてを諦め、ただ生きているだけの生活。
それでも、あのアッカレ城で。
「ルォに出会えたのですから」
少しだけ大人びた、幸せそうな微笑みを向けられて、ルォは真っ赤になってしまう。
その後、トゥエニは王都に呼び戻された。しばらくは部屋に閉じ込められていたが、父親であるラモン王に命じられて、オズマ率いる勇者隊と一緒に旅立つことになった。
“蒼き魔獣”を倒すために。
ソルシエがふむと頷いた。
「オフィリア。君の時は、なんと呼ばれていたかな?」
「その、“青い悪魔”と」
べンジャスが冷たい視線をフニャピッピに向けた。
「角獅子さま。またお暴れになられたのですか?」
「暴れてにゃい」
フニャピッピはそっぽを向いた。
「ちょっと息を吹きかけただけにゃ」
その後、アルシェの街にたどり着いたトゥエニは、奇跡的にルォと再会し、“星守”の騎士たちとともに“果ての祭壇”を目指すことになる。
「艱難辛苦を乗り越え、よくぞここまでたどり着きましたね、トゥエニ。我らが愛する妹よ」
感激したようにベンジャスが涙ぐんだ。最初は上品でおしとやかな女性かと思ったが、怒ったり泣いたりと感情豊かな性格のようだ。
「全部、ルォのおかげです」
ルォがいなければ、どうなっていたことだろう。“星守”の騎士たちはバッツひとりに敗北しただろうし、おそらく“果ての祭壇”までたどり着くことはできなかったはず。いやその前に、自分の心が壊れていたかもしれない。
フニャピッピが立ち上がり、猫のようにのびをした。
「ルォは、マルテウスと同じなのにゃ」
そのひと言は、女性たちに大きな衝撃を与えた。
思わずソルシエが腰を浮かす。
「それはまことですか、角獅子さま」
「間違いないのにゃ。破壊力では負けるにゃけど。便利さでは、圧倒的にルォの方が上にゃ」
「彼の存在自体が、ありえない確率だったはずなのに。いやしかし、これほどの信頼があれば、あるいは」
「ねえ」
ルォが聞いた。
「マルテウスって、勇者さま?」
「知ってるのかね、彼を」
「うん。ペッポコが教えてくれた」
トゥエニが補足する。
「マルテウスという方は、“勇者物語”という童話の主人公です。王国では知らない人はいないくらい有名で。その、オフィリア姫も出ておいでですよ」
「まあ!」
オフィリアも驚いたようだ。
「もう、七百年も前のことですのに」
物語の中でマルテウスとオフィリアは恋仲だった。そして今は、オフィリアひとり。トゥエニは彼女の心情を想像した。悲しいのだろうか、辛いのだろうか。それとも懐かしいと思うだけなのだろうか。
「オフィリア」
「はい、ソルシエお姉さま」
「君たちは、似ているね」
ソルシエの言葉を、オフィリアは否定しなかった。




