(4)
逆さまになった目的地を見た時は、それほど距離があるようには思えなかったが、暗闇の中の光の道は延々と続く。
いったいどれくらい歩いただろうか。
手足の感覚がなくなり意識が朦朧としてきたころ、トゥエニは再び空気の膜のようなものを通り抜ける感覚を受けた。
周囲が一気に明るくなる。
「戻ったにゃ。出迎えいっ!」
トゥエニはぼんやりと顔を上げた。
さわやかな風が頬を撫でる。
そこは、空をまるで鏡のように写した、美しい泉のほとりだった。泉の中央には浮島があり、そこに銀色の幹と透明な葉を持つ巨大な樹木がどっしりと根を下ろしている。
「あ……」
急に身体の力が抜けて、トゥエニは膝をついてしまった。なんとか立ち上がろうともがくトゥエニを、フニャピッピが労う。
「ペッポコ、よく頑張ったのにゃ。あとは任せるにゃ」
ぼこぼこと不気味な音を立てて、周囲の大地が盛り上がった。現れたのは、石でできた人形、のようなもの。
その数、十体あまり。
大きな頭に寸胴の身体、そして二本の腕。腰から下は地面と一体化しているようだ。大きさは人半倍くらい。皆同じような姿をしているが、目の位置や口の形、表面の模様などが微妙に違っている。
石人形たちはトゥエニの周囲に集まると、慌てふためいたようにくねくねと踊り出した。
その姿に、トゥエニは既視感を覚えた。
「ふしゃー、早く連れていくのにゃ!」
フニャピッピが苛立ったような鳴き声を上げると、石人形たちは飛び上がるように伸びをして、隊列を組んだ。
すっと景色が動き出す。
いや、違う。石人形とともに自分たちが動いているのだと、トゥエニは理解した。
振動も摩擦もない。地面の上を滑るように動いている。
隊列は泉に向かって直進し、急激に曲がった。フニャピッピが跳ね飛ばされたが、石人形の頭にしがみついて堪えた。
「ら、乱暴にゃ!」
移動はしばらく続き、唐突に止まった。
「ふぎゃ!」
泉を半周ほどしたようだ。景色は変わらないが、銀色の巨木の根が一本、まるで渡り橋のように、浮島から泉の縁まで伸びていた。
浮島の方から、六本の光の帯が曲線を描きながら飛んできた。光の帯はトゥエニたちの前に着地すると、人の姿を形作った。
全員が女性である。年齢は十代前半くらいから二十代半ばくらい。シンプルな白衣や豪奢なドレス、男装の者もいた。普通の人ではないようだ。全員が半透明で、うっすらと光り輝いている。
『やあ、今回はどうなることかと思ったよ』
相手の意識が、直接頭の中に響く。
『ようこそ、我らが“箱庭”へ。七番目の星姫よ、って――うん?』
白衣を着た女性が挨拶をしようとして、首を傾げた。
『精霊たちが、ずいぶん騒がしいな』
あまりにも不思議な女性たちではあったが、目的地にいるのであれば敵ではないだろう。
トゥエニはそう考え、頭を下げた。
「お願い、いたします。ルォを、助けてください」
そのまま動けなくなってしまったトゥエニを見て、他の女性たちが動揺した。
豪奢なドレス姿の女性が詰め寄ってくる。
『だ、だいじょうぶですの? しっかりなさって』
「“二番”、うるさいにゃ」
地面に転がっていたフニャピッピが、石人形の頭に飛び乗って命令した。
「魔気に当てられたにゃ。さっさと吸い取るのにゃ」
『つ、角獅子、さま? そのお姿は』
豪奢なドレス姿の女性が両手を頬に当てた。
『いったい、どういうことですのっ!』
◇
地面の上に寝かされたルォの周囲を、石人形たちが踊りながら回っている。
フニャピッピがこれまでの経緯を説明し、女性たちは騒然となったが、ひとり白衣を着た女性だけは別のことに気をとられていた。石人形たちが踊っている様子を、両腕を組みながら興味深そうに観察している。
『ふむ、彼らがこんなに積極的になるとは珍しいな。人などには無関心なはずなのに』
『ソルシエお姉さま。それどころではありません』
豪奢なドレス姿の女性が深刻そうに訴えかける。
『“紅き大波”が始まってから、どれほどの時が経ったか』
『五ヶ月くらいだね。過去最悪だった前回よりも、ふた月以上も遅い』
『なんと愚かな!』
突然、男装の女性が怒りを露わにした。
『我ら星姫の想いを無駄にして。私利私欲のため、王家と教団が争ったに決まっております! その隙を、オズマとかいう魔法使いに突かれたのでしょう』
『アロマ』
ふわりとした巻き髪の可愛らしい女性が、男装の女性の手をそっと握った。
『セト姉さま』
『今は、それどころではありません』
『そうよ』
六人の中では一番幼く見える、十代前半くらいの少女が同意した。ルォのそばに座り込んでいるトゥエニを、気遣わしげに見つめる。
『この子、わたくしよりも小さいのに。こんなに疲れきって』
豪奢なドレス姿の女性が頷いた。
『とりあえず、わたくしたちの大切な“妹”を、休ませましょう』
『賛成。では、わたくしが』
『だめよ、ミルディ』
一番幼い少女が手を上げたが、却下された。
『当代のお世話は、先代のお仕事。そう決まっているでしょう。オフィリア』
『かしこまりました、ベンジャスお姉さま』
髪を結い上げた女性がトゥエニの傍にきて、優しく諭すように伝えた。
『小さな星姫。その方は、だいじょうぶです。大地の精霊たちが頑張って毒気を抜いてくれているから。だから、あなたも少しお休みになって』
小さな子供が拒絶するように、トゥエニはぶんぶんと頭を振った。仰向けに寝ているルォの手を握ったまま動く気配を見せない。
『そう。その方は』
髪を結い上げた女性は、悲しげな微笑を浮かべた。
『あなたにとって、とても大切な人なのね』
やがて石人形たちの踊りが止まった。ルォの様子に変化はない。フニャピッピがルォの傍にきて、じっと顔を覗き込んだ。ルォはむにゃむにゃと口を動かした。
「起きるのにゃ」
前足で頬を押すと、ルォが薄目を開けた。
「んー」
上体を起こして、ぽりぽりと頬をかく。ひとつあくびをしたところで、トゥエニが抱きついた。
「ルォ!」
「やれやれにゃ」
まだ寝ぼけている様子のルォは、トゥエニの頭を撫でながらきょろきょろと周囲を見渡した。
「あー、“石神さま”だ」
ルォの回復を喜ぶかのように、石人形たちがうねうねと身体を動かす。またもや興味深そうに白衣の女性が目を光らせたが、豪奢なドレス姿の女性に促されて、ひとつ咳払いをした。
『ふたりとも無事でなによりだ。ようこそ“箱庭”へ。君たちも、我々が何者であるか気になっていることだろう。私も、君たちのことが知りたい。まずは自己紹介といきたいところだが』
「あてちにまかせるのにゃ」
共通の知り合いが出会いの場を仕切ることは、自然な流れではある。石人形の頭の上に乗りながら、フニャピッピが得意げに紹介した。
「このふたりは、ルォとペッポコ。こっちの六人は、“一番”から“六番”にゃ!」




