(9)
「な、なんじゃ、こやつはっ!」
「どんどん、膨れていきおるぞ」
「おい、今が好機ではないか?」
「うかつに飛び込んでは、のぅ」
“星守”の老騎士に対し、ガンギは臨戦体制のまま待機の指示を出した。
一方、勇者隊の行動は、統一性に欠けていた。
相手の変化を見極めようとするパウルン、攻撃の隙を窺っているフウリ、いざという時のために逃走経路を確認しているテンク。
「わけが、わかんねぇんだよ」
そしてバッツは、怒りに震えていた。
アルシェの街でルォに敗れたことで、彼の自尊心は粉々に打ち砕かれた。彼にとって“最強”とは、過去の自分を正当化するための拠り所でもあった。ゆえに彼は虚勢を張り、手負いの獣のように怒りを撒き散らすしかなかったのだ。
「ぶっ殺してやる!」
片足を大きく上げて、強く踏み締める。
「“土針”ぃ!」
床から十本ほどの尖った岩石が飛び出して、オズマだったものを串刺しにした。だが、切り離されても死なない体質であるそれには効果がないようだ。
それは、人二十倍くらいにまで膨れ上がっていた。濁った灰色の楕円体。その表面には、オズマの顔のようなものが浮かんでいた。まるで、骨と肉のない抜け殻のよう。平面的で、いくつかの穴が空いているだけ。髪の毛が水面の草のように揺れている。元の特徴だけがひとつ残っていた。
口元だけが、薄く笑っていた。
『ふぁ』
岩の棘で串刺しにされたことで刺激を受けたのか、オズマだったものはぶるぶると震え出した。表面から、いくつもの触手が生えてくる。その先には、目玉や耳や口のような器官がついていた。
『よぉこぉせぇえ』
口の触手が言葉を発した。それはか細く、甲高く、そして何重にも響き渡る亡者のような声だった。
『すべてぉおお』
パウルンが顔をしかめた。種や性別の垣根を超えた美しさを至上としている彼にしてみれば、もっとも醜悪と思える存在が、目の前にいる。
『よぅぉこぅぉせぇええ』
言葉は輪郭を失い、ざわめきのようなものになった。
オズマだったものから無数の太い触手が突き出て、“星守”と勇者隊に襲いかかった。動きは遅いが数が多く、すべてを避けることはできない。
「ぐっ、放さんか!」
触手がチャラの剣と胴体に巻きついた。
そのまま持ち上げられるか、締めつけられると思いきや、鎧や剣が溶け出し、もうもうと白い煙を上げた。
「チャラ、動くなよ」
ベキオスが二本の剣を交差させて斬りつけた。触手を断ち切ることには成功したものの、灰色の体液を浴びたベキオスの剣はどろりと溶け落ちた。慌てたようにチャラが体液を浴びた鎧を脱ぎ捨てる。
「そいつを切ってはならん。鉄がだめになる!」
無茶な要求だった。
戦えないのであれば逃げるしかないわけだが、触手が先回りして、出入り口を塞いでいた。しかも目玉の触手が神殿内をくまなく監視している。
「ええい、これではらちがあかんぞ!」
「いよいよ、だめかのぅ」
ボンとトトムが互いに背を合わせ、向かってくる触手を剣の腹で弾き飛ばす。とても攻撃をする余裕などない。
皆が苦戦する中、ひとり活躍していたのはテンクだった。風の刃を使って触手を切り刻み、体液を浴びることなく飛行する。だが、触手が編み目のように広がり、捕まってしまった。
「お、おい。こんな死に方、冗談じゃねぇぞ!」
一番近くにいたガンギが飛び上がり、触手の根本を切断した。
「すまねぇ」
剣を失ったガンギは、最初にバッツが放った魔法、いまだ敵の本体を貫いたまま形を保っている“土針”に目をつけた。
「ルォ。大きな石の剣を、作ってくれ!」
ルォは自分とトゥエニの周囲に岩の殻を作り、しっかりと守りを固めていた。岩の殻には覗き穴があり、二人で戦況を観察している。
「大きな剣?」
運搬隊の剣は毎朝の訓練の時に見ていたので問題ないが、指示が具体的でなかった。
「どれくらいの大きさかな?」
「十倍くらいじゃないかしら」
岩の殻の中で相談し合う。
石畳の床が隆起して、巨大な剣が出現した。持ち手がひと抱えほどもある石の塊だ。女神の力で常人離れした身体能力を得たガンギは、渾身の力で持ち上げた。
柱のように太く、頑丈で、それでいて剣先は鋭い。
ガンギが体当たりするような形で、オズマだったのものに石の大剣を突き刺した。
「もう一本だ!」
「わしらにも頼む!」
次々と、石の大剣が生み出される。それらの剣は鋭利な刀身だけでなく、精緻な浮き彫りの飾りまで再現されていた。力だけではない、圧倒的な創造性と構築力を目の当たりにして、バッツはその場で立ち尽くした。
“星守”の騎士たちが、石の大剣を持ち上げてはオズマだったものの本体に突き刺していく。
「次じゃ!」
合図とともに、すかさず別の大剣が生み出される。触手をまとめて振り払うのにもこの武器は効果的だった。
「ちょっと、ルォ君だっけ? あたしにもあれ、作ってくれない?」
厚かましくもパウルンがお願いしてきた。ルォにとっては知らない大人である。とっさに決断することのできないルォは、トゥエニに相談することにした。
「どうしよう」
「悪いひとじゃないわ。作ってあげて」
この時、神殿内で小さな異変が起きていた。オズマに“捕食”される直前、青毛の獅子が飛ばした角である。神殿の隅に転がっていた角はその形を変え、卵のような球状になった。やがて表面にひびが入り、中から飛び出てきたものは――
「あいつ、弱ってると思う?」
パウルンの問いかけに、ガンギは答えなかった。馴れ合いたくないという気持ちもあったが、呼吸を整えるだけで精一杯というのが、正直な理由だった。
ルォが作り出した石の大剣を使うことで一時的に戦況は持ち直したものの、不利な状況に変わりはなかった。いくら石の大剣を突き刺しても、オズマだったものに変化はない。斬り飛ばした触手も、すぐにまた本体に吸収されてしまう。味方は疲弊し、ひとりまたひとりと触手に捕まっていく。
「む、無念」
全身から煙を立てながら、フウリが倒れ込んだ。触手に捕まり物体を振動させる魔法を使ったものの、爆発した触手から体液を浴びてしまったのだ。
テンクは触手で叩き落とされ、翼を痛めてしまった。
老騎士たちは立っているだけでやっとの状態。
このままでは全滅してしまう。
「う〜ん」
石の殻の中で、ルォが考え込んだ。
「どうしたの、ルォ」
「ペッポコを守るようにって、たいちょーに言われたけど」
「けど?」
再び、ルォは唸った。
「それだけじゃ、だめだと思う」
その時、岩の殻の覗き穴から、小さな毛玉のようなものが飛び込んできた。
「うわっ」
「きゃ!」
殻の中で何度も跳ね返り、ルォにぶつかる。混乱したものの、毛玉は柔らかく暖かい。
「早く、あいつを倒すにゃ!」
少し舌足らずな、可愛らしい声が聞こえた。
「でにゃいと、お前てちはおわりにゃ!」
尻餅をついたルォのお腹の上にのっていたのは、ふわふわの青い毛並みを持つ、子猫のような生き物だった。瞳の色は琥珀色で、額には突起、背中には申しわけ程度の小さな羽根がついている。
「あてちも、怒られるにゃ!」
「あなたは」
トゥエニは驚いていた。子猫のような生き物が発する神聖な気配は、先ほど感じたものと同じ。
「ひょっとして、角獅子さまですか?」
「そうにゃ。あいちゅに取り込まれる前に、分離したにゃ」
ずいぶんと可愛らしい姿になったものである。
小さくて可愛いものが大好きなトゥエニは、思わずふわふわの毛玉に手を伸ばしていた。
「なにするにゃ!」
「ご、ごめんなさい」
「いいから。さっさと、あいちゅを倒すにゃ。でにゃいと」
「うん、わかった」
上体を起こしてあぐらをかくと、ルォは目を閉じた。
「ふー、よし“星姫”にょ。作戦を伝えるにゃ。お前には、魔のちかりゃを無にする女神しゃまのちかりゃがあるにゃ。ぎゃーにゃ! 口でしゃべるにょわ面倒だにゃ、はぁ、はぁ。とにかく、お前がにゃ、あのぶにょぶにょに触って、あいちゅの動きを止めてからだにゃ。騎士てちに命じて、ぶにょぶにょの核を――」
小さな角獅子は異変に気づいた。
ルォの髪がゆらゆらと逆立ち、全身から虹色の光が吹き荒れる。
「お、お前。にゃに、してるにゃ」
虹色の光は岩の殻を越えて、神殿内に広がった。すべての床と柱が光り輝き、分解されていく。
それらは虹色の球となり、水の中の気泡のように上昇していった。
ルォの魔法は、石や岩、鉱物などを分解し、自分の想像するものに再構築するというもの。
その特徴を、ルォはよく理解していた。
材料となる物質を分解すると、質量のない虹色の光の球となる。光の球は自由に動かすことができるが、物質を再構築すると重さも戻るので、注意が必要だ。
神殿にあった大量の物質は、虹色の光の球となり、はるか上空で集まっていた。
経験から、ルォは知っていた。
あの時の岩王鷲と同じ。
上から岩を当てれば、魔獣は倒すことができる。
「“落石”」
とてつもない質量を持つ岩石の塊が落下し、すべてを木っ端微塵に吹き飛ばした。




