(8)
『ぐぉ、ぐぁああああっ!』
不定形の分厚い膜のようなものに包まれた青毛の獣が、不快極まる思念を発した。目に見えない力が爆発し、膜を弾き飛ばそうとするが、そのたびに膜は形を変えて、衝撃を吸収する。
『きさま、きさまぁああ!』
絶叫とともに、唯一露出していた角が発射された。誰に対する攻撃だったのか、発射された角は大柱に当たって跳ね返り、あさっての方へと転がっていく。
やがて思念が消え去り、動きが止まった。
収縮し、色と形が再構築される。
それは、人の形をした何かだった。顔は確かにオズマのもの。だが首から下は濁った半透明で、内部では無数の小さな光の粒が、まるで血のように巡っている。手を握ったり開いたり足踏みをしたりして、オズマは身体の状態を確認しているようだ。
その様子を、“星守”の騎士たちは呆然と見つめていた。
ルォの行動やトゥエニの件だけでも衝撃を受けているというのに、角獅子まで消えてしまった。
現状の認識が追いつかない。
「こうかな?」
不意に、オズマが天井を見上げた。胴体内部で光の粒が収束していく。蛙のように大口を開けると、口内から光のブレスが放たれた。かつて王宮前広場で“蒼き魔獣”が放ったものとは比べものにならないくらい、それは太く、鮮烈な光の柱だった。
轟音と衝撃に続き、熱風が吹き荒れる。
やがて、静寂が戻った。
明るい。天井が完全に消失し、空がむき出しになっている。想像を絶する破壊力に、誰もが言葉を失っていた。
「ふぅう、素晴らしい」
両手を広げながらオズマが絶叫した。
「邪神が目覚め、魔獣たちが暴れ回っている今、生き残った人々は、外壁に囲まれた街の中で息を潜めるように生きている。まるで、籠の中に隠れた鼠のように。私がこの力で、さらなる絶望を与えましょう。あの時の“蒼き魔獣”と同じ、美しい絶望を! 耳をつんざく悲鳴、恐怖に歪んだ顔、無秩序に逃げ惑う姿。それらすべてが、私の心を洗い流してくれる! 私という存在を、人たらしめる!」
オズマの目的は、この国を救うことでも魔法使いの地位向上でもなかった。誰にも理解されることのない自己の欲求を満たすために、この状況を作り上げたのだ。
「さあ、ルォ君」
オズマはルォに、最後のお願いをした。
「ひとりずつ、ゆっくりと。君が拘束したすべての人を、絞め殺してください」
「うん、わかった」
◇
オズマはこの場にいるすべての者の強い負の感情を、余すことなく味わうつもりだった。
“星守”と勇者隊のメンバーを、ひとりずつ殺す。次々と仲間を失っていく無念と、抵抗できずに死んでいく恐怖。強者であるがゆえに、その情景は鮮烈なものとなるだろう。ルォを自害させた後、残された王女の絶望は頂点に達するはず。そして最後に、王女を自分の手で殺す。
この順番は、ある意味必然でもあった。
ルォを洗脳する際に“星守”を悪人と認識させたが、時間が足りなかった。ルォにとって王女はいまだ大切な存在のまま。ルォに王女を攻撃させることはできない。
そのことを、トゥエニも理解していた。
オズマによって空中に放り投げられた彼女は、まったくの無傷だった。床が虹色に輝き、衝撃をふわりと吸収したからである。相変わらずルォは自分を助けてくれた。自分に対して敵意を持っていない。
「まずは、あそこにいる“星守”の、左の人から」
「ルォ! だめっ」
トゥエニは立ち上がり、駆け出した。
びっくりしたようにルォが振り向く。
アッカレ城でオズマが自分に“幻炎”の魔法を使った時と同じ、嫌な感じ。ルォの中でわだかまっている不自然な力を取り除きたい。その一心で、少女はルォに飛びかかった。両手でルォの頬を挟み、額と額を合わせる。なぜかそうすべきだと、少女は思った。二人の接点が光り輝き、一陣の清廉な風が吹き抜ける。
「あれ?」
ルォが瞬きをして、不思議そうに聞いてきた。
「どうしたの、ペッポコ」
トゥエニはじっとルォの顔を見つめた。悪い感じはもうしない。思いきり抱き締めてから、トゥエニはルォにお願いした。
「みんなが動けないの。助けて」
「う、うん」
岩の拘束が解かれた瞬間、テンクの両手足が猛禽類のものへと変化し、空中へと飛び上がった。パウルンとフウリも臨戦体制をとる。
「ちょっと“星守”さん? いろいろと思うところはあると思うけれど。今は、生き延びることが先決でしょ?」
パウルンの呼びかけに応えたのは、ガンギだった。
「抜刀!」
いまだ動揺している様子の老騎士たちに号令をかけて、剣を構える。
「はぁあああぁ」
がっくりと肩を落としたのは、オズマである。
「自分だけじゃなくて、他の人にかかった魔法もだめにするの? なにそれ。聞いてないんだけど。あーあ、何もかもがうまくいかなかったなぁ」
感情のこもらない、いや、おそらく感情そのものが欠落した口調と表情で、オズマはけろりと言った。
「じゃあ、やろうか」
「ふざ、けんなっ」
俯き両肩を震わせながら、バッツが吐き捨てた。
「どいつもこいつも、なんなんだよ!」
何に対する怒りなのか、本人も自覚していないようだったが、その矛先は、とりあえずオズマに向けられた。
上体を低くし、両手を床につく。
「“土石竜”ぅ!」
巨大な岩の顎が、オズマに向かって襲いかかった。
「残念だけど」
オズマの右腕が巨大化した。鱗に覆われ、鋭い鉤爪が生える。それは土竜と呼ばれる魔獣の腕だった。
こぽりと、奇妙な音がした。
「君の能力は、もうあるんだ」
魔獣の右腕が、バッツが放った岩の顎を軽く粉砕する。
その隙をついて、テンクが空中から攻撃をかけた。
「“風牙”」
交差させた翼から鋭い風の刃が発生し、オズマに襲いかかった。
「それは欲しかったけれど、もういらない」
こぽり。
オズマの背中から、巨大な青色の翼が生えた。吸収したばかりの角獅子の翼が二本の旋風を生み出し、風の刃を飲み込んだ。
フウリが床に杖をつく。一瞬の間を置いて、オズマの足元が崩れた。ぐらりと体勢を崩したオズマだったが、両足が鬼棘蜘蛛のものに変化し、自重を支える。
「それは、ちょっと欲しい」
こぽり。
背後に回り込んで攻撃を仕かけたパウルンだったが、奇襲ができないことを悟った。オズマの身体から目玉がついた触手が生えて、周囲のすべてを捕捉していたのだ。
オズマの左腕が鶏冠熊のものに変化して、パウルンの巨体を弾き飛ばす。
「連波の陣!」
隊列を整えた“星守”の騎士たちが、目にも止まらない速さで次々と襲いかかり、魔獣のものと化したオズマの両腕を斬り飛ばした。
「ぎゃあああっ!」
のけぞりながらオズマは悲鳴を上げた。通常であれば、ここで戦いは終了。そのはずだったが、何ごともなかったかのようにオズマはもとの姿勢に戻った。
「――って、いくら切り刻んでも、意味ないんだよね。痛くもないし、血も出ない」
床の上に転がった魔獣の腕がどろりと溶けて、オズマに吸収されていく。一瞬にして両腕が再生した。
一時的に手を組んだ“星守”の騎士と勇者隊のメンバーであったが、全員が手応えのなさを感じていた。
完全に、遊ばれている。
こちらには最強のルォがいるものの、物理的な攻撃が効かないのでは意味がない。
それに、オズマがあの強烈無比な閃光のブレスを放てば、一瞬で全滅してしまうだろう。
不吉な予感は、的中した。
「さて。そろそろ終わろうか」
人の姿に戻ったオズマが大口を開けた。体内に光が集約され、放たれようとしたところで、異変が生じた。
こぽり。
「うん?」
身体の内部に巨大な気泡が生まれたかのように、突然、オズマの背中が膨れ上がったのだ。
「ぐ、むぉ?」
気合を入れて身体を整えたオズマだったが、さらに腕や足が、次々と不規則に膨れ上がった。
必死に押さえ込もうとするものの、止まらない。内部で爆発を繰り返しながら、オズマの身体が膨張していく。
「ご、ごぱっ、ぐぉおらああああ!」
不快極まる絶叫を上げながら、オズマは変質していった。




