(7)
魔法局の担当者の話では、“岩壁”のルォは判断力の劣る十歳の子供とのことだった。半年ほど前にアルシェの街にやってきて、解体屋の“星守”に派遣され、見張り番として働いていたという。
メイル教団とは縁もゆかりもないはずの少年が、なぜ試練の旅にまで同行しているのか。その理由はトゥエニ王女にあるのではないかとオズマは考えていた。
王都に召喚される前、王女はアッカレ城という古城に住んでいたという。その城に、ルォが派遣の仕事で訪れたことがあった。二人に面識があり浅からぬ仲であることは、王女の言動からも明らかだった。
おそらく、ルォの魔法の力を必要とした“星守”が、少年の王女に対する青臭い感情を利用して、試練の旅に連れ出したのだろう。
両者の関係はそれほど深いものではない。
だとすれば、打つ手はある。
“荒野”における“星守”の馬車の追走は、驚くほど順調だった。ゆく手を遮る魔獣たちはすべて倒され、街道は整えられ、さらには安全快適な野営地まで残してくれた。
“星守”は、こちらの存在に気づいていない。
目的地に着く直前、“星守”が地下の野営地で休んでいる間に、勇者隊の馬車は一気に追い越した。
すぐに“蒼き魔獣”を倒すべきというパウルンの進言を、オズマは却下した。
“蒼き魔獣”と正面から戦うのは、危険が大きい。まずは“星守”に戦わせて、隙を見て攻撃をしかけよう。
オズマはバッツに命じて地下に空間を作らせ、馬車ごと隠れることにした。
翌日、困難な旅路を終えて、ようやく目的地にたどり着いた“星守”の騎士たちは、古の神殿を前に言葉なく立ち尽くしていた。そんな情緒など子供には分からない。ひとり退屈そうにしていたルォを、オズマは触手を使って誘き寄せた。子供は奇妙な動きに惹かれるもの。地面から触手を出しては引っ込めて、ルォを誘導する。まんまと空気穴を覗き込んだルォに、オズマは“幻炎”の魔法を使った。
『はじめまして、ルォ君。私の名前は、オズマっていうんだ。君の一番の友達さ』
子供であれば、雇い主よりも友達のいうことを信じるもの。オズマはゆっくりとした口調で、“星守”の大人たちが、とても悪い人たちであること、君に嘘をついて、騙して、こんなところまで連れてきたことを伝えた。
『私だけが、君たちの味方なんだ。だから君は、私の頼みごとを聞かなくてはならない』
ルォは熱心に話を聞いていた。
『それから、王女さまだけど』
『おーい、ルー坊。何をしておる』
残念ながら時間切れのようだ。
最後に、オズマは念を押した。
『いいかい、ルォくん。一番の友達である私のことを、決して忘れてはいけないよ』
『ほれ、いくぞ』
『うん、わかった!』
“星守”に続いて神殿の中に入ると、“蒼き魔獣”が咆哮し、強烈な思念が伝わってきた。呆れたことに“星守”の騎士たちは、国を救った後に王女を連れて帰るつもりのようだ。
獣に人の組織の対立など分るはずもない。あたかも自分が“星守”の代表であるかのように、オズマは堂々と歩み寄った。
『やあ、ルォ君』
密かに祈りつつ、オズマは口にした。
『“星守”のみんなを、拘束してくれるかな?』
『こうそくって、なに?』
『ああ、ええと』
時間がなかったので心配していたが、“幻炎”の魔法は完全に効果を発揮していた。
『ルォ。どうして』
『むだですよ、王女殿下』
この王女だけは要注意である。ルォが一番のお友達と王女のお願いの、どちらを優先させるかは微妙なところ。脅して黙らせたほうがよい。
『目的さえ果たせたなら、彼らに用はありません。すぐに解放して差し上げましょう』
差し出した手に、震える小さな手が添えられた。
思い返せば、誤算続きの旅路だった。
宰相のホゥを処分すると同時に勇者隊になったまではよかったが、侍女と近衛隊長が結託し叛逆してきた。彼らを罠に嵌めるためタバシカに協力するよう命じたが、恋人がいるからと断られた。ゆえに、仲間に悟られないよう始末するしかなかった。アッカレ城では王女を洗脳しようとしたが、どういうわけか魔法が効かなかった。アルシェの街では敵の侵入を許し、王女を連れ去られてしまった。
だが、艱難辛苦を乗り越えて、ようやくここまでたどり着くことができた。
目の前にいるのは、美しく危険な青毛の獣。
準備は、整った。
◇
「待って!」
後ろから呼び止めたのは、パウルンだった。
「どういうこと?」
“蒼き魔獣”に対し、奇襲をかけるのではなかったのか、という問いかけだ。一応“蒼き魔獣”に気づかれないよう配慮はしているようだが、一度生まれた疑念が消えることはない。
「ルォ君。もうひとつ、お願い。あそこにいる四人の魔法使いも、拘束してくれるかな?」
「うん。わかった」
不意をつかれ抵抗することもできずに、バッツ、パウルン、テンク、フウリは岩石の縄によって動きを封じられた。
「な、なんだよ! おい!」
バッツが混乱したように叫ぶ。
「あー、くそったれ。またかよ」
前回で懲りたのか、テンクは抵抗することなく、天井を見上げて嘆息した。
「オズマ、きさま!」
フウリが杖を岩の縄に当てて魔法の力を行使したが、効果がないだけでなく、逆に杖が弾かれてしまう。
落ち着いて会話ができる状態を作り出してから、オズマはパウルンの問いに答えた。
「実は“蒼き魔獣”を倒しても、この国は救われないんだ。そもそもの原因は、“大穴”の底にいるという邪神なんだからね」
オズマは“星守”の騎士たちを見た。
「そして、“女神の血”を受け継いだ王家の娘には、邪神を眠らせる力がある。文字どおり」
ひと呼吸おいてから、オズマははっきりと告げた。
「その身を、捧げることによって」
トゥエニの様子に変化はない。この時、すべて承知の上で少女が旅に同行していたことを、皆が理解した。
「なぜ、お前が、そんなことを知っている」
声を震わせながらガンギが聞く。
「王都に“星語”が生き残っていましてね。女神と王家に関する“盟約”について、詳しく知ることができたわけです」
オズマはあえて余計なことを口にした。
「ああ、あなた方“星守”が、試練の旅の結末を知らないのは、その方が都合がよいからですよ。女神から王女殿下に与えられたもうひとつの力。自分を守る者の能力を向上させる力は、互いの信頼関係に依存しますから。悲惨な結末を知らなかったおかげで、楽しい旅ができたでしょ?」
“星守”の騎士たちは動揺した。
「おめでとうございます。あなた方は、長きに渡る苦難と大いなる試練を乗り越えて、無事にお役目を果たしたのです。本当に、ご苦労さまでした」
衝撃、戸惑い、悲しみ、後悔。騎士たちの心が揺れ動くさまを満足そうに観察してから、オズマはトゥエニの手を引いて、祭壇の方へと歩き出した。
「待ちなさい!」
再び、パウルンが呼び止めた。彼は“剛力”で抵抗することもなく、静かにオズマを睨みつけていた。
「“幻炎”の魔法は、タバシカちゃんのものだったはず。どうして隊長が使えるの?」
「……」
オズマの首だけが、ぐるりと、あり得ない動きで真後ろを向いた。
そして、肩をすくめた。
「食べたからさ」
その異様な言動に、誰もが言葉を失った。
「私の親魔獣は、粘液玉といってね。身体の形を自由に変えられるだけじゃく、なんでも“捕食”することができる。獣の骨でも、木の根でも、たとえ猛毒を持つ魔獣でも。だから“万食”っていう通り名がついてるんだけど、それだけじゃない。取り込んだ魔獣の力を、手に入れることができるんだ」
「あんた、まさか」
パウルンが真っ青になって呟く。
「そう。魔法使いの力も、ね」
「あんた!」
パウルンの身体が膨張した。怒りが力を与えたのか、弾力性のあるはずの岩の縄が弾け飛んだが、すぐさま無数の岩の縄が伸びてきて、パウルンを完全に拘束した。
オズマの首が一回転して、正面を向いた。怯えるトゥエニの手を引いて、歩を進める。当然のようにルォが二人の後をついていく。
人の争いごとに興味がないのか、六角形の祭壇の上で、青毛の獣はじっとオズマと王女を待っていた。
「ふっ。子供のころは」
唐突に、オズマは独白した。
「いつもお腹が減っていてね。ごみを漁って見境なく口に入れていたら、どういうわけか、その中に粘液玉の卵が紛れ込んでいた。猛毒で死ぬほど苦しかったけれど、いま思えば、幸せだったなぁ」
どのような表情をしているのかは分からない。だがその声は、楽しげな気配を含んでいた。
「こんな身体になってからは、なにも感じなくなった。味も匂いも分からない。感覚ですら振動の強弱でしかない。そのうち、自分の感情まで分からなくなってしまってね。考えながら表情を作っていたんだけど」
男の意図を理解できる者は誰もいなかった。不吉極まりない予感を胸に、ただ聞き入るのみ。
「だから、自分よりも他人の感情に共感する方が、はるかに刺激的だった。ご存じですか、王女殿下?」
見上げた少女が恐怖の表情を浮かべた。
「あなたのお父上、ラモン陛下の戴冠四十年を祝う臣民参賀。あの日の出来事を。四方を城壁で囲まれた王宮前広場で、数千もの人々が泣き叫び、恐怖に慄きながら逃げ回っていた。ほら、ねえ? 罠にかかった鼠を、籠ごと水の中に沈めたときみたいに。みんな、必死になって! あれは――」
男の身体が波打つように震えた。
「実に、美しかったなぁ」
ただならぬ男の気配に、青毛の獣が警戒するように上体を起こした。
『きさま』
唸り声を上げながら、牙をむく。
『なにか、おかしいぞ。止まれ』
「もう、十分です」
王女がいなければ、ここまで接近することはできなかっただろう。そして角獅子は、“女神の血”である少女を傷つけることができない。
オズマの片手が触手に変化し、少女の腰に巻きついた。悲鳴を上げる間もなく、トゥエニは空中に持ち上げられ、祭壇の前に放り投げられた。
一瞬、獣の注意が逸れた。
「“捕食”」
オズマの身体がどろりと溶けて、青毛の獣に襲いかかった。




