(5)
途切れ途切れのルォの話をまとめると“顎門”から中層まで下りて岩王鷲を発見し、待ち伏せをしてこれを倒した。それから巣の中に残された岩王鷲の卵を食べて戻ってきた、ということになる。
にわかには信じられない話だが、ルォが嘘をつかないことをサジは知っていた。
「魔獣の卵を食べて、平気だったのか?」
「おなか壊した」
「当たり前だ」
命が助かっただけでも僥倖である。
魔獣の卵には大いなる力が宿っているが、人の身体にとっては猛毒である。
大いなる力とは、その魔獣が生まれながらに持っている特殊な能力のことだ。
たとえば同じく大峡谷に棲む岩蜥蜴は、岩壁に張りつく能力を持っている。だから“石神さま”の加護が弱い苔取り屋の中には、その卵に憧れる者もいる。
それでも、探し出して食べようとする者はいない。いるとすれば、よほど追いつめられた大馬鹿者だろう。
魔獣の卵の毒は強力で、命が助かる確率は一割以下といわれている。それほどの危険を冒してまで手に入れた力は、魔獣のそれよりも遥かに劣る。岩蜥蜴の卵を食べて運よく生き残ったとしても、“石神さま”の加護よりも役に立つとは限らないのだ。そもそも“石神さま”の強い加護を持つルォには必要のない力であった。
「岩蜥蜴の卵を食べて死んだやつの話、したろ? 食うなよ」
「食べたのは、岩王鷲のたまご」
「あのな」
岩王鷲と遭遇すること自体が珍しいのに、その卵にまでたどり着く状況など想定していない。
こんなことなら岩王鷲の卵も食べるなと言っておくべきだったか。いや、長期間の待ち伏せでルォの体力は限界だったはず。卵を食べて栄養を取らなければ戻って来れなかったのだろう。
そう考えて、サジは納得することにした。
「まあいい。それで、身体はなんともないのか?」
「へん」
不思議なことに、身体の傷が消えて、疲労感や空腹感もなくなったのだという。
「いいことじゃないか」
「もっと、へん」
ルォは説明に苦慮している様子だった。
こんな時、急かしたりしないほうがよいことをサジは経験で知っていた。
「そうか、変なのか」
「うん」
論より証拠という結論にたどりついたようで、ルォはおもむろにしゃがみ込むと、地面に手をついた。すると地面の一部分が虹色に輝き、金属がぶつかり合うような硬質な音とともに、ごっそりと抉り取られた。
ルォは立ち上がった。
虹色の輝きを放つ不定形の塊が、少年の手の上で踊っている。虹色の塊は小さくなっていき、とある形を作った。
この村では馴染みのある石の人形、“石神さま”だった。
内心、サジは度肝を抜かれた。
岩王鷲は大峡谷の岩壁の形を自在に変えて、巣を作ることが知られていた。その能力をルォが取り込んだのだろう。
これは面倒なことになった。
「店の前に大穴開けるんじゃねぇよ」
「あ」
「それとお前、目の色が変わってるぞ」
ルォの瞳はぼんやりと紅く光っていた。
「よく見える」
「猛禽類ってのは目がいいからな。おまけに、岩王鷲は夜目が利くらしい。その能力も受け継いだんだろう」
しばらくすると、ルォの瞳の色は元に戻った。
こんな分かりやすい変化があっては、誤魔化すことはできない。盛大にため息をついてから、サジは頭をかいた。
「魔獣の卵を食べて生き残ったやつは、不思議な力を手に入れることができる。今、お前が使った力のことだ。そういう力を持ったやつらのことを、魔法使いって言うんだよ」
「魔法使い?」
「そうだ。これから、いろいろと大変だぞ」
魔法使いは人々から恐れられる存在だった。力を手に入れるために魔獣の巣に入り込み、致死率が九割を超える卵を食べる者など、まともな人であろうはずがない。
ルォの場合は意図したことではないが、周囲からはそういうふうに見られるということだ。
そんな危険人物を、国が放っておくはずもない。魔法使いと判明した者は、役所に個人情報を登録する義務があり、様々な制約が課せられることになる。密告も奨励されているので、人里で隠し通すのは難しい。
国の管理下に置かれた魔法使いには、それぞれの能力に相応しい仕事があてがわれるという。ちなみに、本人に拒否する権利はない。
サジはルォの様子を観察した。
自分で作り出した“石神さま”の像をひっくり返したりして、その出来ばえを確認している。
この少年が役所のカウンターで申請書類を書いている姿を、サジは想像することができなかった。頭の中が爆発して、気を失ってしまうのではないか。
「ルォ。今日は家に帰ってゆっくり休め。明日は苔取り禁止だ」
「え?」
いつもと違う日常を送ることを、ルォは好まない。何をすべきかか分からず不安になるからだ。
だからサジはルォに指示を出した。
「親父さんの仇を討ったんだろ? だったら、明日は墓参りでもして、きちんと報告しろ。あとはそうだな。五日間も家を空けたんだ。掃除をして、洗濯して、それから飯でも食って大人しく寝てろ。いいな」
「う、うん」
サジはその足で苔取り屋ギルドへと向かった。共同井戸の隣にある二階建ての建物である。一階が酒場になっていて、天気のよい昼間だというのに、数人の苔取り屋たちがたむろしていた。
「あらサジちゃん、お久しぶり」
「やあママ、元締めは二階かい?」
カウンターで接客していた中年女性が、にこりと笑った。
「今は売上げの勘定をしているから、機嫌がいいかも」
「そいつは都合がいいな」
サジは二階へ上がると、仕事机で金勘定をしていたゴルドゥに、ルォが生還したことを報告した。
「小僧が岩王鷲を倒して、魔獣の卵を食べただと?」
上機嫌だったはずのゴルドゥは、急に不機嫌になった。
疑わしそうにサジを睨みつけてきたが、ルォが持ち帰った岩王鷲の羽根や卵の欠片を見せると、神妙な顔つきになった。
「では、小僧は魔法使いになったとでもいうのか?」
「ええ、まあ。この目で確認しましたが、道具も使わず、土や石を自由に加工する能力みたいですね」
「いかん、それはまずいぞ!」
サジが見たところそれほど危険な能力ではないのだが、ゴルドゥはそう受け取らなかったようだ。
「わしに恨みを持つ者が、力を持ったということではないか」
「ルォはあんたのことなんか恨んじゃいませんよ」
「分かるものか! わしだったら、親を見殺しにしたやつを放ってはおかん」
お前といっしょにするなと、サジは心の中で毒づいた。
「これは村長に報告せねばならんな。お前も来い!」
ゴルドゥは村長宅へサジを連れていくと、ルォのことを説明させた。
どうやら話を大ごとにするつもりらしい。
村長は人のよい好々爺で、ルォの父親のことを覚えていた。
「おぉう、テオの。あのやんちゃ坊主の、息子がのう」
とはいえ、国の決まりごとに逆らうことはできない。話し合いの結果、サジが予想していた通りの結論が下された。
ルォをアルシェの街にやって、魔法使いの登録をさせる。
アルシェの街は王国でも五本の指に入る規模を誇る城塞都市だ。数多の魔獣たちが棲みつく領域“荒野”と接しており、魔獣狩りや魔法使いといった多くのならず者たちが暮らしている。彼らを相手に商売をする店も多く、活気はあるが治安はよろしくない。
もう少し猶予が欲しいと、サジは考えていた。
「国への報告は義務ですからね。登録すべきだとオレも思いますよ。ですが、ルォはまだ子供です。おまけに父親と母親の死を引きずっている。あと五年、いや三年だけ待ってもらえませんか。あいつが何もやらかさないように、オレがきちんと監督しますから」
「そうさのう」
「村長!」
村長は迷う素振りを見せたが、ゴルドゥの正論に押し潰された。
「魔法使いと判明した者をいつまでも放置しては、この村にとってよい結果にはなりませんぞ。王国への裏切りとも取られかねません。それに」
低く唸るような声で、ゴルドゥは警告した。
「誰かが密告するかもしれんぞ。誰かがな」
密告者の正体は明らかだった。
アルシェの街には苔取り屋ギルドが懇意にしている卸問屋があり、定期的に碧苔を納品している。ルォはその荷馬車に同乗することになった。
さらにゴルドゥは、ルォを苔取り屋ギルドから除名すると宣言した。
理由は、ルォが魔法使いになったから。そのような下賤な輩をおいていては、ギルドの沽券にかかわる。他の苔取り屋たちも不安に思うだろう。責任者としては、そのような状態を看過することはできないというのだ。
もっともらしく聞こえるが、ようするに臆病者のゴルドゥは、自分を恨んでいるかもしれないルォのことを、少しでも遠ざけたいのである。
苔取り屋たちの結束は強い。ルォがまともに活動していれば、他の苔取り屋たちの協力を仰いで、除名処分を撤回させることができたかもしれない。
しかし特殊な事情のあるルォは、特別扱いされていた。
ギルドとの間にサジが入って補佐していたため、知り合いがいない。同年代の若い苔取り屋たちからもやっかみを受けているようだ。そしてサジも苔取り屋を引退した身であり、そのような活動を行う資格はなかった。
反論がないことに、ゴルドゥは満足そうに頷いた。
「アルシェの街の役所までは、小僧をしっかり送り届けてやろう。途中で逃げられでもしたらかなわんからな。適性があるならば、国から仕事を紹介されるはず。子供といっても、いっぱしの苔取り屋なんだ。そう心配することもあるまい?」