(2)
招鬼猿を退けた“星守”の騎士たちは、魔獣の返り血を丁寧に拭い落としてから、馬車に乗り込んだ。
星姫を通じて授かった女神の力は、驚くべきものだった。常人離れした腕力、瞬発力、そして持久力。気力も充実している。
老人たちは雄叫びを上げたいほどの高揚感に包まれていたが、馬車の中には剣を捧げた星姫がいることもあり、泰然とした様子で畏まっていた。
「ただいまー」
一方で、気安すぎるくらいのルォであった。
当然のようにトゥエニの隣に座ると、手を握りながらじっと見つめる。
「ごめんね、いつも寂しい思いをさせて」
ルォに与えられた仕事は、トゥエニと河馬馬のミィとピィ、そして馬車を守ること。結界で視覚的に守られているとはいえ、魔獣たちは女神の血の匂いに惹かれてやってくる。それに車輪の音や砂煙が消せるわけではない。魔獣と戦う場合は騎士たちが出陣し、ルォが馬車を守る手はずとなっていた。
「でも、君のことはぜったいに守るから。うれし涙いがいで、君を泣かせたくないんだ」
心配性の母親を慰める父親の言動を、ルォは忠実に実行していた。台詞に違和感があり棒読みではあったものの、嘘偽りはない。
「ありがとう、ルォ。嬉しいです」
自分の使命を果たすため、ルォの同行を断ったトゥエニだったが、諦めがよいというのも彼女の特徴である。これまでルォに助けられてばかりだったから、自分もお返しをしたいと思った。
「その、ルォ」
「なに?」
「何かして欲しいことはないですか?」
「物語!」
ルォは即答した。
「物語?」
「うん。アッカレ城で教えてくれたやつ」
二人が出会った古城のあの部屋で、トゥエニはルォに“勇者物語”の一節を披露したのだが、反応はいまいちだったような気がする。
「ペッポコの声が聞きたい」
「わたしの?」
「うん。きれいだから」
「わ、分かりました」
ルォはさらに予想外の行動に出た。トゥエニの膝の上に頭を乗せ、ごろりと寝転がったのである。
他人と触れ合った経験がほとんどないトゥエニは驚いたが、自分が世間知らずなだけで、下々の人たちにとっては普通の行為なのだろうと思った。それに、どこか頼られてるようで、心がくすぐったい気がする。
「では、お話ししますね」
当然のことながら、馬車は二人きりの空間ではない。初々しい恋人たちの逢瀬を間近で覗き見しているような居心地の悪さを感じながら、老人たちはひそひそと話し合った。
「お、おい。このままでは、ルー坊は女たらしになってしまうのではないか」
「じゃがの、星姫さまも、まんざらではない様子」
「いかん、いかんぞ。ルー坊は運搬隊の一員。将来は騎士となるべき男じゃ。そんな軟弱なことでは」
「まあ、子供のすること。そう目くじらをたてんでもよかろうて」
「しかしだな」
記憶を呼び起こしながら、トゥエニは“勇者物語”を語って聞かせた。ルォは目を閉じて集中している様子。いつしか老人たちも、懐かしそうに話に聞き入っていた。
「こうして、村には平和が戻り、“勇者”マルテウスは村人たちの幸せを願いながら、新たなる旅に出たのでした。めでたしめでたし。……ルォ?」
ルォはすやすやと眠っていた。
“荒野”に入り最初に現れたのは、“黒森”という葉のない木で覆われた灰色の森だった。木の枝や幹は複雑に折れ曲がっており、不気味な感じがする。
馬車が止まり、御者のガンギが小声で報告した。
「焚芋虫が、街道を塞いでいます」
進行方向の先に、こんもりとした山のようなものが見える。
「おお、これはまれに見る“大物”じゃ」
「人十倍はあるかの」
「このような時でなければな」
「惜しい、のぅ」
老人たちがひそひそと話し合う。
トゥエニは魔獣図鑑で見たことがあった。焚芋虫というのは芋虫の魔獣で、肉を乾燥させると、強くて長い火を出す薪になることからその名がついた。樹木があまり育たない土地では貴重な資源となる。
「どうする、ガンギよ」
ベキオスの問いかけに、焚芋虫をじっと観察していたガンギは答えた。
「ここは街道の分岐がなく、回り道ができません。かといって、あの大きさでは」
「そうじゃな。下手に起こすと、馬車を潰されかねん」
「時間はかかりますが、森の中を通るしか」
ここまで口にして、ガンギははっと気づいたようにルォの方を見た。
「星姫さま。申し訳ありませんが、ルォを起こしていただけませんか?」
寝ぼけ眼のルォは地面の中に道を作り、馬車は苦労することなく、焚芋虫の下を潜り抜けた。
休憩中もルォの魔法は大活躍だった。
長旅で一番大切なのは、飲み水である。そのことをトゥエニは体験として知っていた。常に節約しなくてはならないし、顔や髪や身体を洗うなどもってのほか。そのはずなのに、ルォは魔法であっという間に井戸を掘ってしまう。しかも螺旋階段で底まで降りられる構造で、汲み上げる必要もない。ルォ曰く、昇降塔と同じとのこと。
さらにルォは、夜になると地下に安全な住居を作った。空気穴があるので息苦しくなく、火を使った料理もできる。それぞれの個室があり、土を固めているはずのベッドは、暖かくて柔らかい。
老人たちは感心するよりも、むしろ呆れていた。
「まいった。ルー坊の魔法はたいしたものじゃ」
「ひょっほ、これならば、夜番をせずともよかろうて」
「うむ。英気を養い、明日の旅に備えようぞ」
「やれやれ、助かったわい」
老人たちが起きている間は賑やかだが、それぞれが眠りにつくと、地下の家はしんと静まり返る。
ひとりは怖いと、トゥエニは思った。
一歩一歩、終わりに近づいていく。そのことを実感してしまうから。
たまらず、トゥエニは部屋を飛び出した。
「ルォ。少しこわいの。いっしょに寝てもいい?」
「うん、いいよ」
怯えた様子のトゥエニを、ルォは精一杯の言葉を使って励ましたが、いつの間にか眠ってしまった。規則正しい寝息を聞いているだけで、トゥエニは安心することができた。眠れないまでも身体と心を休めることはできる。
どれくらい時が経っただろうか。不意に、くぐもった嗚咽が聞こえてきた。
「ルォ?」
「母さん」
震えながら、ルォが泣いていた。
「死なないで、母さん」
どうしていいか分からず、トゥエニはルォを抱きしめた。赤子をあやすかのように、背中をとんとんと叩く。
「だいじょうぶ。わたしが、そばにいますから」
しばらくそうしていると、ルォの震えが止まった。
とてつもない魔法の力を持ちながら、ルォにはとても脆い部分がある。そのことにトゥエニは気づいた。
守られるばかりじゃない。ルォのためにできることは、すべてしてあげたい。
そんなことを考えていると、腕の中でルォが身じろぎした。
「ペッポコ? もう朝?」
「ううん。まだ夜」
この旅が終わっても、無事にアルシェの街に戻れるように。
「ルォ」
「なに?」
「女神メイルロードとの“盟約”により、トゥエニティーエの名において、あなたに力を授けます」
心を込めて祈ったが、女神の力が発揮された様子はなかった。




