(1)
街門を閉ざしたところで意味はない。相手は石壁を変化させ、通り抜けることができる魔法使いなのだから。
昼間は外壁の上から街警隊が監視している。出発は夜だろう。あるていど整備された道とはいえ、夜道を長時間走り続けることはできない。アルシェの街から離れたところで一時的に身を隠すはず。そして朝になったら、再び走り出す。
上司であるオズマの予想は、当たった。
「ふん、いやがった」
羽ばたきもせず上空を滑空していたテンクは、もうもうと砂煙を上げながら北へ向かって走る二頭立ての馬車を発見した。仲間たちに報告するためアルシェの街に戻ろうとしたところで、異変に気づく。
馬車の進行方向に黒い無数の影があった。
その数、十体ほど。
「おいおい、まずかねぇか?」
遥か上空から地上の餌を探す魔鳥の能力なのだろう。テンクは飛行能力に加え、遠見の能力を獲得していた。
黒い影の正体は、招鬼猿という魔獣だった。大きさは人一倍くらいだが、頭がよく、群れで行動する。偵察用員として自分がいたならば、大きく迂回して避けて通るべき手強い魔獣である。
人の乗る馬車を見つけたら、すぐさま群れで取り囲むはずだったが、なぜか招鬼猿たちは街道の真ん中でたむろしていた。
馬車のスピードが遅くなり、やがて止まった。
招鬼猿たちは何かが気になるようで、街道のあたりをうろうろしている。馬車の荷台から、鎧兜を身につけた五人の騎士らしき人物が飛び出してきた。
招鬼猿たちがすぐさま反応し、襲いかかった。
「いったい、どうなってんだ?」
弓矢で射殺すならばともかく、接近戦で戦える相手ではない。だというのに、五人の騎士たちは俊敏かつ力強い動きで、招鬼猿たちを一体ずつ、確実に仕留めていった。パウルンのように、剛力の能力を身につけているのだろうか。
だが、招鬼猿のほうが数が多い。騎士たちの周囲を取り囲んでいた一体が、馬車の存在に気づき、興奮したように手を叩きながら襲いかかった。
あの馬車には、おそらくトゥエニ王女が乗っているはず。助けるついでに攫ってしまおうか。
そう考えたテンクだったが、実行に移すことはできなかった。馬車を中心に周囲の地面が盛り上がり、まるでカッカルの実のような球状の壁を作ったからだ。
その天辺に、ひとりの少年があぐらをかいて座っていた。
「ちっ、あいつもいやがるのか」
つい先日、自分たち黒首隊四人を軽くあしらった魔法使いの少年。確か“岩壁”のルォといったか。室内でなければ捕らわれることはなかったはずだが、少年にその気があれば、自分たちを絞め殺せていたはず。
これでは手を出すことができない。
五人の騎士にあの少年が加われば、黒首隊よりも戦闘力は上だろう。いっそのこと、あの連中に“蒼き魔獣”を討伐させればよいのではないかと、テンクは考えた。
隊長であるオズマは魔法使いたちの地位向上を目指しているようだが、テンクとしてはどうでもよいことだった。
それに、らしくないような気がする。
謎の団体に王女を奪われてから、オズマの顔からしまりのない笑みが消えた。執政官を使って街中に街警隊を走り回らせ、自分には必ず王女を見つけるようにと、厳格な命令を下した。
余裕をなくしたということか。
底を曝け出した人間は、何をしでかすか分からない。そのとばっちりを喰らうのはごめんである。
そんなことを考えているうちに、地上での戦いは終わっていた。すべての招鬼猿を片づけた騎士たちは、互いに労いの言葉をかけているようだ。
ぞくりと、背筋に寒気が走った。
馬車を囲む土の殻の上で、少年がこちらを見上げていた。
上空からは豆粒ほどの大きさにしか見えないほど距離があるはずなのに、テンクは本能的に危険を感じた。
叩き落とされる!
テンクは急旋回し、大急ぎでアルシェの街へと帰還した。
◇
市役所内の会議室で行われた関係者会議は、紛糾していた。
参加者は、執政官、勇者隊長、街警隊長、荒野ギルド長、そして魔法局の担当職員とその上司である。
魔法局に所属する二人が言い争っていた。
「魔法使いの等級判定は、担当者とその上司が共同で行うことになっており、組織的に承認されることで決定されます。つまり、責任のある立場の者が――」
「そうはいっても、責任職は普段魔法使いとの接点があまりありませんからな。やはり現場で活躍する担当者の判断を優先させるしかないというのが実情でありまして」
「異動したばかりの責任職であればそうですが、あなたはもう五年目。魔法使いの能力判定については、かなりの経験があるはずです」
「な、何をいうのかね、ノックス君。私は君の判断を尊重しようとしてだね」
「同じ部屋にいただけで、何も見ていなかったじゃないですか。通り名を決めるときだけ熱心で」
「き、君の方こそ! 一度認定した等級に疑義が生じた場合、上司に再判定を促す責任があるのではないかね? ほれ、あれだ。アッパレ城とかいう古城の掃除の仕事があっただろう」
「アッカレ城です」
オズマがぴくりと反応した。
「それだ。その古城で、件の少年が大活躍したはず。担当者の君であれば、間違いなく認識できたはずだ」
「あなたこそ、目を皿のようにして完了報告書を確認していたではないですか。そして、大喜びしていた。王庭管理局に貸しを作ることができた。これで苗や種を要求できると」
「き、君ぃ。今回の件と関係のない話はやめたまえ!」
第四級魔法使い“岩壁”のルォの担当職員であるノックスとその上司による不毛な責任のなすりつけ合いを、皆が呆れたように見守っている。
「もうよい」
ノランチョが片手を振って、話をやめさせた。
「そのルォとかいう魔法使いの少年には、岩石を操る能力があり、実際の実力は第一級以上というわけか。どうかね、オズマ殿。この街の水道橋を修復したのは、ルォ少年だと私は思うのだが」
「そうかもしれませんね」
抑揚のない声でオズマは答えた。
「しかし十歳の子供では、主犯格とはなり得まい。五人の黒ずくめの男たちは、いったい何者なのか」
「“星守”という解体屋でしょう」
役所の台帳に登録された魔法使いには、能力に応じた仕事が斡旋される。等級の低い魔法使いは肉体労働者として、鉱山や塩田などに送り込まれることが多いようだが、まだ十歳ということもあって、少年は求人のあった“星守”という解体屋に派遣されたのだという。
その名を、オズマは知っていた。
宰相のホゥが盲目の老婆から聞き取った情報では、かつてメイル教団には星の名を冠する三つの特別な役職があったという。“星守”はそのひとつだ。
ノランチョはふむと頷き、街警隊長に確認した。
「それで? “星守”の責任者はどこにいるのかね。関係者は全員集めるよう指示したはずだが」
「はっ。二、三日ほど仕事場に現れていないとのことで、目下捜索中であります」
「荒野ギルド長」
「は、はい」
先ほどから居心地悪そうにしていた荒野ギルド長のミップに、ノランチョは命令した。
「“星守”について、君が知る限りのことを話したまえ」
荒野ギルドは魔獣を狩り、解体し、食糧や素材として流通させている。魔獣狩りや解体屋の元締め的な存在だ。
しどろもどろになりながら、ミップが答えた。
「ほ、“星守”さんは、老舗の解体屋でして」
経験豊かで技術は確かだが、メンバーの入れ替わりがない上に全員が高齢化しており、ここ十年ほどはまったく活躍していなかった。しかし、見張り番として魔法使いの少年が加入してからは、目覚ましい成果を上げるようになったのだという。
「その、皆さん真面目なよい人で、とても王女さまを拐かすようなことは」
「弁護はよい。“星守”の構成員は?」
代表は百歳近い老婆、運搬隊と腑分け担当を合わせても十名ほどの小さな組織だという。
話を聞いて、オズマは頷いた。
「王女を誘拐するために侵入してきた黒づくめの男たちは、おそらく運搬隊でしょう。部下から聞いた特徴とも一致しております」
短い腕を組んで、ノランチョが唸った。
「しかし、動機が分からんな。解体屋ごときが王女殿下を拐かして、いったいどうするつもりか。身代金目当てとも思えんが」
“星守”の目的について、オズマは確信を得ていたが、口にすることはなかった。
内心、彼は忸怩たる思いを抱えていた。
この街にメイル教団の生き残りがいることが分かった時点で手を打つべきだった。部下の力を過信し、相手を侮った。王女の扱いをもっと慎重にすべきだった。
小さなミスが積み重なり今の状況に陥ったことを、彼は誰よりも自覚していたのである。
「それで、これからどうするね?」
いまいち危機感に乏しい執政官を、オズマは睨みつけた。
「国を救うことのできる唯一の存在である“聖女”さまを、この街で奪われたのです。執政官としての責任から逃れることはできませんよ」
「ふん、どのみち生き残れたらの話だ」
ノランチョは恐れ入らなかった。
「そもそも、王女殿下の護衛は君たちの仕事だろう。この街で私の協力を得たいのであれば、もっと建設的な落とし所はないのかね?」
オズマは口元を歪め、吐き捨てた。
「件の少年の等級判定さえ正しく行なわれてさえいれば、我々は正しく警戒することができたはずです」
「そういうことだ。魔法局の怠慢こそが、すべての原因だな」
「そ、そんな」
ノックスと彼の上司が顔を青ざめさせたその時、執務室にパウルンが入ってきた。
「隊長、テンクから連絡が入ったわ」
二頭立ての馬車一台で荒野街道を北上しているらしい。車内に王女がいるかどうかは確認できなかったが、五人の騎士が乗り込んでおり、信じられないことに五十体ほどの招鬼猿を剣のみで倒したのだという。
“星守”は小さな組織である。別に実働部隊がいるとは思えない。五人の騎士とは運搬隊であり、黒づくめの男たちのことだろう。部下の話では問題にもならない相手だったはずだが、あるいは王女の力を引き出したのか。
「魔法使いの坊やもいたそうよ」
オズマにとって王女は、獲物を油断させるための大切な餌だった。
そう簡単に諦めるわけにはいかない。
「よかったね、パウルン」
「え?」
笑わずに、オズマは言った。
「“星守”が案内役をかってくれるそうだ。我々は、彼らの後をついていくことにしようか」




