(11)
「馬車が間に合ってよかった」
長年に渡る酷使で廃車寸前だった馬車を、思い切って新調した。物資不足で製作は中断していたが、ハマジが粘り強く業者を説得した。互いに生き残るためには、解体屋が万全の状態でいる必要があるのだと。そしてつい先日、新しい馬車が納車された。
「水も食料も問題ない。最高の状態で、君たちを送り出すことができる。これでもう悔いは」
ないと言おうとしたところで、ハマジは俯いた。
「正直、悔しいよ」
ベキオス、チャラ、ボン、トトムの四人が、同僚の心情を共有していた。かつて運搬隊の一員だったハマジは、膝を壊して帳簿担当になったのだ。
「本当はこの杖を投げ捨てて、車輪にしがみついてでも、君たちについていきたいくらいさ」
「お前さんの情熱は、よく分かっておるよ」
ベキオスがハマジの肩を叩く。
「ひょ。根性だけは、わしらの中で一番あった」
チャラの軽口に、ハマジが苦笑いする。
「まあ、剣の腕はからきしだったけどね」
「その分、おぬしは真面目で、物腰が柔らかく、交渉ごとに向いておった」
ボンが力強く励ました。
「さよう」
普段はぼんやりとしていることが多いトトムだが、珍しく真面目に語る。
「“骨拾い”の“星守”が今日まで生きながらえてこれたのは、優秀な帳簿担当のおかげじゃろうて」
「みんな」
ベキオスがうむと頷いた。
「だから、もしこの試練の旅が成功したなら、それはわしら全員の手柄じゃ」
「ひょっひょ。失敗しても、おんなじじゃがの」
からかうように笑うチャラに、ボンが渋面になった。
「おぬし、この期に及んで」
「辛気くさいのは性に合わん」
「気合が足りんのじゃ!」
やれやれと、トトムがため息をつく。
「おんしら、ほんに仲がよいのぅ」
「なんじゃと? 節穴か」
「聞き捨てならんぞ!」
相変わらずの同僚の様子に、ハマジはふっと気の抜けたような顔になる。
「さてと」
おもむろに、ベキオスが腰に差していた二本の剣のうち一本を、ハマジに差し出した。
「久しぶりに、やるか」
「おうよ!」
皆が集まり、小さな円を作る。
手渡されたものを、ハマジはじっと見つめた。それはかつて自分が愛用していた剣だった。未練がましく手入れをしていたので、実戦で使うこともできる。
ベキオスが抜刀し、剣先を天井に向けた。
「我は騎士ベキオス。この剣に誓う」
他の仲間たちもそれに倣った。
「我は騎士チャラ。この剣に誓う」
「我は騎士ボン。この剣に誓う」
「我は騎士トトム。この剣に誓う」
杖が、かたりと倒れる。
自然とハマジの身体は動いていた。
「わ、我は、騎士ハマジ。この剣に誓う」
五つの剣先がひとつになる。
剣の誓い。全員がまだ若かりし頃。絶望に挫けぬようにと、勢いに任せて考えた結束の儀式。
「己を律し、心迷わず、不動の騎士であることを!」
四十年前、“邪教戦争”と呼ばれる争いが起きた時に、彼らは王都からアルシェの街に逃げてきた。邪教徒と認定されたからには、身分を隠さざるを得ない。不法滞在者として生きていくしかなかった。
「屈辱すら笑い飛ばし、前に進むことを!」
選んだ仕事は、解体屋。技術も経験もない聖職者である。最初の数年は生きていくだけで精一杯だった。腹を空かせ、泥水をすすり、住人たちの冷たい視線や心ない言葉を受けながら、必死で生きてきた。
「不屈の闘志をもって、怯弱や怠惰を薙ぎ払うことを!」
“星守”という屋号を使ったのは、生き残った仲間たちへのサインだった。アルシェの街は試練を果たすための拠点となる場所。ここにいれば、いつか必ず合流できるはず。
だが、メイル教団の仲間たちは誰ひとりやってこなかった。
「ただ静かなる心で、そこにあることを!」
誇りを踏み躙られ、涙を流し、そして途方に暮れた。時とともに身体も気力も老いさらばえた。
だが、誰ひとりとして、剣の誓いを破った者はいなかった。
自分を含めて。
口に出すのは二十年ぶりか、あるいは三十年ぶりか。記憶など探さなくても、心に刻み込まれている。
「素晴らしき仲間とともに、必ず試練を果たすことを!」
頬を伝う熱いものを感じながら、ハマジは高らかに宣言した。
◇
正直なところ、クロゼは少し戸惑っていた。
彼女にとって“星守”は家族であり、解体屋だった。しかし、暗殺されたはずの王女がこの街に来てから、“星守”は変わった。その成り立ちや本来の役目について、クロゼは教えられていたが、どこか別の世界のような気がしていた。
だが、この変化は現実だ。
四十年という気の遠くなるような苦難の時を経て、“星守”は今、本来の姿に立ち戻ろうとしている。完全に心情を共有することはできなかったが、それでもクロゼはよいことだと思った。
家族がみんな若返ったように興奮し、きらきらと輝いている。
だからクロゼは、少し居心地が悪そうに母親に身支度を手伝ってもらっている父親を、気持ちよく送り出そうと考えていた。
「ガンギさんは、周囲を警戒しながらずっと御者をするのですから、普段以上に疲れるはずです。夜は見張り番などせず、ゆっくり休んでくださいね」
「そういうわけにはいかんだろう」
「いえ。“星守”の代表として、わたくしが騎士たちにそう命じました」
「そ、そうか」
驚いたことに、母親はたったひと言で“星守”の代表になってしまった。そして、いつか口にしたルォとの約束を果たしたのである。
本気になった母親は恐ろしい。“星守”の代表となった今では、風格のようなものさえ感じられた。
「さあ、これでいいわ」
身支度が終わると、二人はクロゼの方に向き直った。
くもりひとつない鎧姿。いかめしい髭面が、実によく似合っている。
「ほら、クロゼさん」
騎士が戦場に出る時、妻や娘は身につけているものを贈る風習があるらしい。そのことをクロゼは母親から聞いていた。とても作っている時間はなかったので、自分のハンカチを用意していた。
だがこういった家族の儀式を、父親は嫌がるのではないか。
お前は“星守”の娘なのだから、父親とは呼ばないようにと、ことあるごとに父親は言い続けてきたのだから。
最近はルォや母親と一緒にお茶を飲む機会が増え、他愛のない話ができる間柄になった。だが今日は、“星守”にとって特別な日。気持ちよく送り出すことが肝要だろう。
「はい隊長、これ。汗をかいたら使ってください」
ハンカチを差し出しながら、クロゼはそう言った。
一瞬、父親は言葉に詰まった様子を見せた。隣の母親もまた困ったような顔で、何かを言おうとする。
その行為を、父親が制した。
クロゼから受け取ったハンカチを、手首に巻きつける。すでにスカーフらしきものが巻かれていた。おそらくは母親が贈ったものだろう。
「クロゼ、すまなかった」
珍しく弱気な表情を見せながら、父親が謝った。
「え、なに?」
父親は大きく息をついた。それはまるで、勇気を振り絞るような仕草に見えた。
「お前の気持ちを、オレは何も考えていなかった」
クロゼは目を見張った。
「“星守”の使命を果たすために。人を救う知識を途絶えさせないために、お前は生まれた。そうオレは思うことにした。だがそんなものは、お前にとっては大人の都合に過ぎない」
子供の頃は不思議に思っていた。どうして自分には親がいるのに、親ではないのかと。他にもいっぱい家族がいたから、寂しいと感じたことはなかったが。
「使命などという言葉を使って、オレは一番身近なところにある大切なものから逃げていた。そのことに、気づいた」
呼び方なんて関係ない。クロゼはずっと、ガンギのことを父親だと思っていた。
それでも、心の奥底には鬱屈したものが溜まっていたらしい。
「お前もマァサも、ずっと待っていてくれたのに」
一方通行だった心が、繋がろうとしている。
そのことをクロゼは肌で感じた。
「お前は、明るく、優しく、強い子だ。そ、その」
言葉に詰まりながらも、父親は言った。
「自慢の、娘だ」
視界が、ぼやける。
父親は再び大きく息をついた。
「今さらだ。もう、遅いかもしれない。だが、できれば」
遅くなんてない。
「一度だけ、機会が欲しい」
頼みごとなんて必要ない。
たまらず、クロゼは飛び出していた。
だって自分たちは。
「試練の旅から戻ってきたら」
父親はしっかりと娘を抱きしめた。
「家族として、話をしよう」
◇
夜も深まった頃、ルォが帰ってきた。
「マァサ先生、とってきた」
「お疲れさま、ルォさん」
マァサはルォから拳ほどもある大きさの、透明な青色の宝石のようなものを受け取った。その表面には奇妙な文字が彫り込まれている。
「ルォ、だいじょうぶでしたか?」
「うん、簡単だった」
こともなく言って、ルォは心配するトゥエニのところに駆け寄った。
簡単なはずはなかった。アルシェの街は大騒ぎになっている。夜になっても、明かりを手にした街警隊が街中を走り回っているのだ。そんな状況の中、ルォはひとり昇降塔の天辺に登り、この石を持ち帰ってきた。昇降塔というのは、外壁の上に登るための塔で、中が螺旋階段になっているのだという。
「アルシェの街には六つの昇降塔があり、それぞれの屋根の中に、このような石が隠されています。“結界”の法術が込められた、ルーン石です」
マァサがトゥエニに説明した。
「その効力は、魔獣の目を欺くというもの。“荒野”に隣接しているアルシェの街がこれまで大きな魔獣の被害に遭わなかったのも、ルーン石により街全体が守られていたからなのです」
そのひとつを、ルォが持ち帰った。
「今の状態は、互いの結界石を繋ぎ、広範囲に結界を張り巡らせるもの。でも、こうすれば」
マァサは呪文のようなものを呟くと、ルーン石に手をかざした。
ルーン石が光り輝き、部屋の中を照らした。
「身の回りを守る小さな球状の結界になります。この石を決して手放さないでくださいね。封印が解かれた今、魔獣たちは女神の血の匂いを、決して見逃さないでしょうから」
マァサはトゥエニが肩に下げた鞄の中にルーン石を入れた。
「それから、この街のことは心配いりません。結界は消えてしまいますが、頑丈な外壁で守られていますから」
古来より人は、効率よく試練を果たすための非情な方策を考え、実行してきた。
邪神が目覚めると、“紅き大波”が始まる。“星姫”と“星守”は結界で隠されたアルシェの街に立てこもり、“紅き大波”をやり過ごす。そして魔獣の群れが他の集落を襲っている間に、手薄になった“荒野”へと旅立つのだ。
「そのための拠点としてつくられたのが、このアルシェの街なのです」
出発の準備はすべて完了した。
壁の中の家には馬小屋があり、二頭の河馬馬が真新しい馬車に繋がれていた。その前で、クロゼと腑分け担当の老婆たちがルォを囲み、抱きしめ、別れの言葉を伝えている。
「どうしてですか?」
隣にいたマァサに、トゥエニは短く聞いた。
絶対にルォを同行させないようお願いしたのに、どうして反故にしたのかと。
「ルォさんが、望んだことだからです」
そう言われてしまっては何も言い返せない。
「“星姫”さま」
マァサはトゥエニの前で膝をつき、じっと見つめてきた。
「貴方はまだ、十歳の子供です。わがままを言って、泣いたっていいんです」
そういうわけにはいかないと思ったが、有無を言わさず、マァサに抱きしめられた。
「子供には、なんの罪も、責任もありません。この世界がどうにかなってしまうのなら。それはわたくしたち、大人のせい」
強くも弱くもない。ただ暖かいと、トゥエニは思った。
「だから貴方は、思うがままにしていいの。後のことは、何も気にせずに」
たとえ怖くなって、ルォといっしょに逃げ出したとしてもかまわない。そう言っているのだとトゥエニは察した。ひょっとすると、その手段を残すためにマァサはルォの同行を許したのかもしれない。
トゥエニはルォとともに馬車の荷台に乗り込んだ。残される者たちが、胸の前で何かをなぞるように指先を動かす。ルォが教えてくれた。あの仕草は星印といって、旅立つ者の無事と、大きな成果を願うお呪いなのだと。
「ガンギよ。今回ばかりは“後追い”を避けねばならぬ。分かっておるな?」
同じく荷台にいたベキオスが、御者を務めるガンギに注意を促した。
「承知。ルォ、入り口を開けてくれ」
「はい!」
ルォの瞳がぼんやりと紅く輝き、正面の壁にアーチ状の出入り口が形成された。
「ピィ、ミィ。いいな、そっとだ。そっと出発するぞ」
ガンギが優しい手つきで手綱を振るう。
「ピギャアアアアッ!」
二頭の河馬馬が、けたたましい鳴き声を上げた。もうもうと派手な砂煙を上げながら、月明かりだけが頼りの荒野街道を、馬車は爆走した。




