(10)
女神像に背を向ける形でトゥエニは立っている。その額に封印の紋様はない。さらには、髪の色が銀色に変化していた。
トゥエニの隣にはベキオスが控えている。彼は巨大な剣を水平に抱えており、その柄の部分に、トゥエニは手を添えていた。
騎士の叙任式としてはいささか奇妙な光景だが、少女の腕力では仕方のない事情である。
運搬隊のリーダーであるガンギがトゥエニの前で跪き、厳かに名乗りを上げた。
「我が名は、ガンギ。偉大なる女神の血、トゥエニティーエさまに命を捧げる者なり」
トゥエニティーエというのは、トゥエニの真名である。王族は本名を短くした略名を使う習わしがあり、特別な儀典でのみ真名を使う。マァサの話では、その風習自体が女神の力を誤作動させないための仕掛けらしい。
ベキオスが剣を動かして、ガンギの肩に置く。
ようやくトゥエニの番である。
「騎士ガンギよ。女神メイルロードとの“盟約”により、トゥエニティーエの名において、力を授けます」
少し鼓動が早まり、身体の中から形容しようのない圧力のようなものがあふれ出す。それは剣を伝わって、ガンギの身体に流れ込んでいく。そんな感覚を受けた。
運搬隊五人の叙任式が終わると、それぞれが旅支度を整えることになった。
「クロゼさんは、“星姫”さまの着替えをお願いね」
長旅のため、トゥエニのドレスはところどころほつれ、汚れていた。修繕し、洗濯をしている時間はない。
「服はどうするの?」
クロゼの問いに、マァサが当然のように答えた。
「あなたの昔の服があるでしょう」
「あ、毎年、虫干ししてるやつ?」
「こういう時のために、とっておいたのよ」
「え、うそ」
トゥエニがクロゼに連れていかれた場所は、倉庫らしき部屋だった。
「ルォ君は入っちゃだめよ」
当然のようについてきたルォを追い出すと、クロゼは大きな箱の中を漁り出した。
「うちのお母さんね、私の子供の頃の服をずっと大事にしまっていて。他に子供もいないんだから、さっさと売っちゃえばいいのにって思ってたんだけど、まさかの理由だったわ。はい、後ろを向いて」
話しながらもてきぱきと手を動かして、とっかえひっかえ服をトゥエニの身体に当てていく。
「服を汚したり穴を開けたりすると、すっごく怒られて。ものを大切にしない子は、うちの子じゃありませんって。だって、服よ? 子供よ? わざとやったわけでもないのに、そこまで怒ることないじゃない。さ、お部屋にいきましょ」
次に連れていかれたのは、クロゼの私室だった。
「ルォ君は、だーめ」
いくつかの組み合わせの中でクロゼが選んだのは、飾り気のない動きやすい服だった。生地は分厚く頑丈で、ボタンも大きい。生まれて初めてトゥエニはズボンを履くことになった。というのも、スカートがなかったからだ。
「よかった、ぴったりだわ。動きにくくない?」
「だいじょうぶです」
さらには髪を整えて、ゆるい三つ編みにする。
「とても、きれいな髪ね」
かなり時間がかかったが、廊下でルォは待っていた。クロゼはにんまり笑いながら、トゥエニをルォの正面に押しやった。
「どう、ルォ君」
「なに?」
「かわいいでしょ?」
ルォはじっとトゥエニを見つめた。
「ペッポコ」
「は、はい」
「君はいつもすてきだけど、今日の服はとてもよくにあっているよ。ひとりじめしたいくらいだ」
思わずトゥエニは瞬きをした。嬉しくはあったが、言葉遣いや発音に違和感がある。それはクロゼも同じだったようで、疑惑の眼差しで問いかけた。
「ルォ君、そんな言葉どこで覚えたの?」
「父さんが母さんに言ってた」
「あら、すてき」
それから三人はリビングへ移動した。ルォが振る舞ったのは、これまで飲んだことのない芳醇な香りのするお茶だった。
「あ、これ。私の好きなやつ」
「紫苔のお茶」
故郷の村にある大峡谷と呼ばれる断崖絶壁に生息する苔なのだという。碧苔はたくさん取れるが、紫苔はめったに見つからないらしい。
「え、そうなの?」
ごくごくお茶を飲んでいたクロゼが、驚きの声を上げた。
「碧苔って、サジさんがくれたあの高級調味料でしょ。それよりも珍しいって」
「図鑑で見たことがあります」
トゥエニが知識を披露した。解説には確か、幻の苔と言われている食材で、宝石と同じ量で取引されているとあった。どんな味と香りがするのだろうかと、想像したものだ。
「宝石と、同じ量」
話を聞いて、クロゼは舐めるようにお茶を飲むようになった。
三人で話をした。クロゼが語る“星守”の話は、マァサから聞いた壮大な神話とは違い、あたたかな家族の物語だった。特にルォが加わってからの“星守”の躍進については、心躍るものがあった。
よい思い出ができたと、トゥエニは思った。
ルォやクロゼと出会い、話せてよかった。
これでもう、思い残すことはない。
夕暮れ前に集合所で最後の打ち合わせを行う。
テーブルの上に広げた“荒野”の地図を使って、ガンギが“果ての祭壇”までの経路を説明した。とはいえ、状況によっては大きく経路が変わるので、あくまでも目安にすぎない。
「黒首隊は我々のことを、血眼になって探しているだろう。壁の中とはいえ、この場所が安全とは限らない。出発は今夜にしようかね」
テレジアが宣言すると、集会所には緊迫した空気が舞い降りた。
「試練の旅に同行する者は、ガンギ、ベキオス、チャラ、ボン、トトムの五名。以上とする。我々“星守”の四十年に渡る悲願だ。しっかりとお役目を果たしな」
「ははっ!」
感無量という感じで、五人の騎士たちが頭を下げた。
「ちょっと待ってください」
クロゼが手を上げて主張した。
女の子が命をかけた危険な旅に出ようというのだ。精神的な重圧は計り知れない。狭い馬車の中、見知らぬ大人ばかりでは、気が休まらないだろう。
「ですから、私もいきます。私だって“星守”の一員なんだから」
テレジアがトゥエニの方に視線を向けた。
トゥエニは前だけを向いていた。
それは、彼女の意思表示だった。
もともと自分の世話役がひとり同行する予定だった。マァサは自分が同行すると言ったが、トゥエニは断った。ここで不安そうな顔を見せてしまえば、テレジアがいらぬ気をきかせてしまうかもしれない。
テレジアがため息をつき、同行させない理由を口にしようとしたところで、ガンギが発言した。
「お前はだめだ」
「どうしてよ。この前もそうだったじゃない!」
頑固者で顔も怖い父親だが、意外と可愛いところもあるみたい。そのことを最近知ったと、クロゼは言っていた。
「お前は、ここに残ってくれ」
クロゼも含めて、皆が意外そうにガンギの方を見た。
沈黙の間隙を縫うように、ルォが手を上げた。
「僕も、お手伝いする!」
トゥエニの精神は緊張した。困っている人を助けたい。その思いで行動しているルォが黙っているはずがない。
テレジアが猫撫で声で懇願した。
「ルォや。これは“星守”の、大切なお仕事なんだ。今回ばかりは、あたしたちに任せちゃあくれないかい?」
「僕も“星守”だよ」
「その“星守”の代表は、あたしだ。組織に属する者ならば、上の命令には従わなくちゃならない。分かるね?」
「じゃあ“星守”やめる」
むむっと、テレジアは唸った。
クロゼの場合は同乗者を減らすことで馬車を軽くするという理屈があったが、黒首隊を退けるほどの強さを持ったルォであれば、話は別である。試練の旅を是が非でも成功させたいのであれば、ルォの協力を仰ぐのが一番だろう。
それでもトゥエニが、ルォを絶対に連れていかないで欲しいとテレジアに要望したのは、極めて個人的な理由だった。
決意が崩れてしまうと思ったからだ。
物事の善悪に関係なく、ルォは自分の望みを叶えてくれる。たとえそれが、この国を、人々を裏切るような決断だったとしても。
絶望の闇の中に、光の糸が見えてしまったら。
果たして自分は耐えられるだろうか。
それに、これ以上ルォといっしょにいたら、別れ難くなってしまう。大声で泣き喚きながら、最後までいっしょにいて欲しいと縋りついてしまうかもしれない。
「やれやれ、困った子だね」
意固地な子供の説得にテレジアは手を焼いているようだ。
仮面の表情を被り、努めて感情を抑えながら、トゥエニは口を開いた。
「ルォ。わたくしは、だいじょうぶです」
拒絶する方もされる方も、ともに傷つく。そのことを分かっていながら、トゥエニは口にした。
「わたくしには、頼りになる騎士さまが五人もついています。ルォはここで、他の皆さまを守ってください。お仕事が終わったら、きっと帰ってきますから」
「だめ」
きっぱりと、ルォは拒否した。
「父さんが言ってた。泣いてる女の子は、ひとりにしちゃだめだって。いやだって言われても、そばにいろって」
仮面に、ひびが入る。
口元が、わずかに震えた。
自分は泣いてなどいない。だが口にした瞬間、本当に涙がこぼれ落ちてしまうだろう。嬉しさと悲しさがごちゃ混ぜになって、トゥエニは何も言うことができなくなってしまう。
戸惑ったような沈黙の中、ルォはきょろきょろと周囲を見渡した。
老人も老婆も、苦しそうな顔でうなだれていた。事前にテレジアから言い含められているのだろう。彼らが信仰する女神の血を受け継ぐ“星姫”の意思なのだから、逆らえるはずがない。
「マァサ先生」
最後にルォは、先ほどから思案しているらしいマァサを見た。
「約束」
「約束?」
「お願い、きいて!」
はっとしたように、マァサはルォを凝視した。
それから彼女は、何かを決意したように、柔らかな微笑を浮かべながら頷いた。
「テレジアさま。ひとつ、確認したいことがあります」
「なんだい?」
「わたくしを“星守”の次期代表後継者とお定めになられてから、テレジアさまはことあるごとに口にされてきました。お前にその意志があるのならば、今すぐにでも代表の座を譲りたいと。その考えに、お変わりはないですか?」
「藪から棒に、いきなりなんだい?」
「大切なことです。お答えください」
テレジアは不機嫌そうに吐き捨てた。
「当たり前さね。いつまでもぐずぐずしているから、こっちは痺れを切らしていたんだよ」
「では」
マァサは一礼して、立ち上がった。
「今この場で、代表の座を引き継ぎますね」
「へ?」
誰もが呆気にとられている中、マァサはルォに命令した。
「ルォさん。試練の旅への同行を、許可します。“星姫”さまを、しっかりお守りなさい」




