(8)
翌朝、ふたりは手を繋ぎながらリビングへ降りてきた。
そこで待っていたのは、クロゼだった。
少女はスカートの裾をつまむと優雅に一礼した。
「昨夜はご挨拶もせず、不作法をいたしました。お許しくださいませ、クロゼさま」
やっぱり本物のお姫さまなのねと、クロゼは感心した。
美しく、清楚で、少し大人びた表情をしている。外へ出たことがないのか、肌の色がびっくりするくらい白い。ドレスは少し汚れているが、上質な生地を使っており、細かな刺繍が施されていた。
「初めまして。クロゼといいます」
「よしなに」
少女は手の甲を上にして、片手を差し出した。
クロゼはしっかりと握手をした。
「そ、その。ルォから聞きました。クロゼさまは、ルォにとってお母さまのようなお人なのだと」
「お母さん」
そこはせめてお姉さんと言って欲しかった。まだ十七歳のクロゼとしては複雑な心境だったものの、ルォがそこまで信頼してくれていたのかと思うと、嬉しくもある。
「うん、まあ。そんな感じかしら」
「クロゼさま。“星守”の、他の皆さまにもご挨拶と、それからお願いごとがあるのですが」
余裕のない口調と表情が、少し気になった。
この少女は“星守”にとって、信仰する女神と同じくらい重要な人物なのだという。
“星姫”と呼ばれているらしい。
それでも子供であることに変わりはないと、クロゼは考えていた。だからクロゼは、女の子をいきなり大勢の大人たちで取り囲むべきではないと主張し、“星守”の面々をリビングから追い出したのである。
「え〜と。“星姫”さまとお呼びしていいかしら?」
「え? あ、はい」
正直、王女などという雲の上の存在はぴんとこない。それに日々の生活に忙しく、両親や仲間たちほど熱心に信仰を捧げていないという内緒の事情もあり、たとえ“星姫”といえども、クロゼには畏れ入るという感覚がなかった。
クロゼは少女のことを、ルォの友だちと思うことにした。
「ご挨拶やお話の前に、まずやるべきことがあります」
「そ、それは、なんでしょうか」
「もちろん、朝ごはんを食べることよ」
クロゼはにこりと笑った。
「昨日は夜更かししたから、お腹が空いているでしょう?」
少女は目を丸くしている。
「そして朝ごはんの前には、やるべきことがあります。はい、ルォ君」
「顔を洗う!」
「正解。じゃあ、ルォ君は“星姫”さまを洗面所に案内してあげて。それからご飯を食べて、いっしょに集会所にいきましょう」
◇
ルォの家と“星守”の新たな拠点は廊下で繋がっている。
もともと集会所は赤色のテント内にあったが、円形状の空間が丸ごと再現されていた。支柱を中心に配置されている円卓には、すべての関係者が集合していた。ルォとクロゼに挟まれながら、トゥエニは凛とした佇まいで着座していた。もっとも不安も大きいようで、テーブルの下ではルォに手を握ってもらっている。
まずは正面にいたテレジアという一番年老いた老婆が口火を切った。
「我々は、古の女神を信仰する、メイル教団という組織に所属しておりました。“星姫”さまは、ご存じでしょうか?」
確かお披露目の式典の時に“咆哮”のハチコが口にしていたはず。
「詳しくは存じ上げておりません。四十年前に、王家に対して反旗を翻し、そして十年前に」
トゥエニは少し言い淀んだ。
「生まれたばかりのわたくしを、拐かそうとしたと、聞いております」
記憶にないとはいえ、平静ではいられない。トゥエニはルォの手をぎゅっと握り締めた。
テレジアは首を振り、潔白を主張した。
「拐かそうとしたのではございません。貴方さまの力を封印し、守ろうとしたのです」
聞けば聞くほど疑問が湧き出てくる。矢継ぎ早に質問したくなる衝動を堪えて、トゥエニは自分のことを語った。
「わたくしは、幼い頃から仮面を被り、各地を移り住んで参りました」
それは昨夜ルォに話した内容とほぼ同じ話だった。伝えなかったのは、自分の心情。逆につけ加えたのは、アッカレ城でのルォとの出会いの部分。努めて感情を抑えながら、トゥエニは話を終えた。
「わたくしは、自分のことを何も知りません。聖なる力があるのかどうかさえも。ただ、魔獣がたくさん現れて、いくつもの町や村が滅ぼされたことは知っています。そしてこの国の人々が、わたくしを最後の希望とみなしていることも」
それでもルォにお願いしてここに来たのは、知りたいと思ったから。
「ですから、お願い申し上げます。もし貴方がたが、わたくしについて何か知っていることがあるのであれば、教えてくださいませ」
そう言って頭を下げると、慌てたようにルォも頭を下げた。
部屋の中は、しんと静まり返っていた。
誰もが沈痛な表情で、声もなくこちらを見ていた。隣のクロゼが、泣き出しそうな顔で手を握ってくる。
「あなおいたわしや、“星姫”さま」
両手で顔を覆いながら、テレジアが震えていた。
「貴方さまがこのような境遇に陥り、また悩まれていらっしゃるのは、我々の責任でもあるのです」
「どういうことでしょうか」
「すべてを理解し、納得していただくためには、我々が受け継いできた神話と、その役割をお伝えせねばなりますまい。長い、話になります」
テレジアは息を乱していた。
◇
喉の状態に問題があるというテレジアに代わって話を引き継いだのは、マァサという女性だった。トゥエニは事前に、ルォから“星守”の人たちのことを聞いていた。クロゼの母親であり、ルォの先生でもあるのだという。
「まずは、お断りしておきますね。かつてのメイル教団には、神話を伝える語り部がいましたが、今はもうおりません。ですので、わたくしが貴方さまにお伝えできるのは、一般的に公開されていた、神話の概要になります。また王都で起きた出来事に関しては、想像でお話しすることしかできません。わたくしたちは、ずっとこの街におりましたので」
それでも何も知らないよりはましである。トゥエニは「かまいません」と答えた。
「それでは。むかしむかし」
まるで子守唄のような柔らかな響きで、マァサは神話を語り出した。
始まりは、三千年前とも四千年前とも言われるほどの、大昔の出来事だという。遥かなる天空には神々が住まうお城があり、そこから一柱の男神が追放された。
「お名前は、アモンダスといいます。男神というのは、男性の神さまですね。ちなみに神さまは、ひとり、ふたりではなく、一柱、二柱と数えます」
もはや天空の城へ戻ることはできない。追放されたことを恨むあまり、男神は堕落し、邪神となった。
邪神アモンダスが降り立った場所は、大陸の中心部。その凄まじい衝撃で巨大な大穴ができたのだという。
邪神の怨念は大穴を満たし、溢れ、獣たちを魔獣に変えていった。
これまで平和に暮らしてきた人々は、魔獣によって苦しめられることになった。困り果てた国王は、天空の神々に救いを求めた。
その声に応えたのが、女神メイルロードだった。
「こちらが、わたくしたちメイル教団が信仰する神さまですね。教団の名前の由来でもあります」
女神は自らの掌に傷をつけ、流れ落ちた血の一滴を王に分け与えた。
そしてこう宣った。
「我が血を受け継ぎし娘には聖なる力が宿るなり。その力もて、荒ぶる邪神の心を諫め、深き眠りに誘うべし。さすればひと時の安息が訪れん」
マァサは注釈をつけ加えた。
「ひと時といっても、それは神さまの感覚で、実際には数百年もの間、邪神は眠り続けます」
女神の血は王家に宿る。たとえ国が滅んでも問題はない。新たなる王が現れて国が起これば、女神の血はその王家に受け継がれるのだという。
「これは女神さまと人の王との約束事であり、“盟約”と呼ばれています」
救いの手段を授かったものの、人の身で大穴の底にいる邪神の元へたどり着くことはできない。そこで女神は、翼を持つ聖獣“角獅子”を遣わされた。
「かつて“盟約”が結ばれた場所。危険な“荒野”の奥地にある“果ての祭壇”で、“角獅子”さまは王家の娘を待ちます。どれだけの犠牲を払ったとしても、我々はたどり着かなくてはなりません」
試練を果たせば、数百年間の平和が訪れる。しかしいずれ邪神は目覚めて、再び魔獣たちが暴れ出す。
ここで問題となるのは、知識の継承だった。
「“盟約”を結んだ王さまは、国よりも長く人の世に根づくのは、宗教であろうと考えました。そこで女神メイルロードさまを主神とするメイル教団が作られたのです」
教団内部には、“盟約”の試練を果たすための特別な役割を持つ三つの役職があった。
「“星詠”、“星語”、そして“星守”。星という冠がつくことから、これらは“三星司”と呼ばれていました」
“星詠”は夜空に瞬く星の位置を観察して、邪神が目覚める時を事前に予測する。
“星語”は、女神と王家が交わした“盟約”を、神話として口伝にて語り継ぐ。
「そしてわたくしたち“星守”の役割は」
マァサはじっとトゥエニを見つめた。
「女神の血を宿す王家の娘、教団では“星姫”さまとお呼びしていますが。その方をお守りし、“果ての祭壇”へお連れすることなのです」
時は流れ国の名前が変わっても、メイル教団は王家とともにあり、数百年に一度訪れるという試練を果たしてきた。
「ですが、今から四十年前。その関係が壊れてしまったのです。“邪教戦争”と呼ばれる争いによって」
当時、絶大な権力を持っていたメイル教団を排除しようとした、若き“改革王”ラモンと参謀役のホゥ。武力を持って対抗しようとした教団側。国が変わっても女神の血は生き続ける。その事実が、教団の上層部に傲慢な行動を取らせたのだと、マァサは断じた。
「メイル教団は敗れ、壊滅しました。女神さまは邪神と呼ばれるようになり、信仰することを固く禁じられ、メイル教に関するすべての書物や絵画が焼き払われました」
「そんな」
この先に起こるであろう悲劇を予測し、トゥエニは愕然とした。そんな自分を安心させるように、マァサは頷いた。
「ですが、教団の中にも王家との戦いに反対した者がいます。一部は王都に残り、一部はここアルシェの街に逃れ、生きのびてきました。それが、わたくしたち“星守”です」
“盟約”の知識を絶やさぬために。
いずれ邪神が目覚めた時のために。
四十年間ずっと。
「そして今から十年前。“星姫”さまがお生まれになった時に、“狂教徒の乱”と呼ばれる忌まわしい事件が起こりました」
トゥエニははっとした。ようやく自分の出自にまつわる話になったからだ。
「王都に残った仲間たちとは一度も連絡がとれませんでしたので、想像するしかないのですが。おそらく仲間たちの中に、“星詠”がいたのだと思います」
“星詠”は星の位置から“盟約”の試練が訪れる日を予測する。
そして、王家に娘が生まれた。
「仲間たちは貴方さまを“星姫”だと確信し、その力を封印しようとしたのでしょう」
「わたくしの、力を」
ずっと疑問に思っていたことを、トゥエニは口にした。
「それは、どのようなものなのでしょうか?」
「ひとつは、邪神を眠らせる力」
淀みなく、マァサは答えた。
「そしてもうひとつは、貴方さまが信頼する者の能力を高める力です」
だが、女神の力は諸刃の剣ともなる。女神の血の匂いを魔獣たちは敏感に感じ取る。邪神が目覚めなくても、“星姫”が存在するだけで、魔獣たちの標的となってしまうのだ。
「ゆえに、王家に“星姫”が生まれた時には、すぐさま封印を施し、その力を抑えるのです。試練が始まるまでの時を穏やかに過ごし、健やかに成長できるように。クロゼさん、“星姫”さまにお渡しなさい」
「はい」
隣のクロゼが差し出してきたのは、古ぼけた布切れだった。そこには細かな刺繍で紋様が施されていた。
忌まわしい、鏡で見るだけでも悲しくなるそれは。
「貴方さまが額に宿されているものは、封印の法陣。メイル教団の象徴といえる印なのです」
“厄災”の証でも、聖なる紋様でもない。そのことを知って、トゥエニは愕然とした。自分はいったいどれだけの嘘に振り回されてきたのだろうか。
マァサの話は続く。
「自分たちの役割を神聖視するあまり、メイル教団の中では秘密主義がまかり通っていました。自分たちの価値を高めるために、知っていることを隠そうとする考え方です。王家の方に対しても、信者に対しても、そして仲間内でさえも」
そのことがラモン王や人々の不信感を買い、教団内の結束を弱め、滅亡へ繋がったのだろうとマァサは言った。
「ラモン王はメイル教団を滅ぼしました。少なくとも彼はそう考えていたはずです。ですが、教団には生き残りがいた。王都に潜伏していた仲間たちは、秘密の地下通路を使って王宮内に忍びこむと、生まれたばかりの貴方さまに封印の術を施しました。ラモン王は激怒したことでしょう。あるいは、我々の執念に恐れをなしたか。そして、メイル教団の象徴である印を額に刻まれた赤子に対しても、同じような感情を抱いたのかもしれません」
ゆえにラモン王は、邪教徒の残党に王女が暗殺されたと発表した上で、娘に仮面を被せ、王都から遠ざけたのではないか。
最初にマァサが断った通り、多分に推測が入った話ではある。だが“厄災の子”と蔑まれてきたトゥエニには、実感できるものがあった。
「当時、アルシェの街にいたわたくしたち“星守”は、強い衝撃を受けました。王都の仲間たちが試練の時を予測し行動したことで、“星姫”さまの命が失われたのであれば、我々は。人は、最後の希望を失ったことになります」
最悪の予想は、ついに現実のものとなった。
それは数ヶ月前のこと。王宮前広場で執り行われた臣民参賀の場に、“蒼き魔獣”が現れたのだ。ラモン王は王国騎士団長ボスキンに“蒼き魔獣”討伐を命じ、ボスキン率いる王国騎士団がアルシェの街にやってきた。
そして彼らが“荒野”に向かった後、魔獣の大群が押し寄せてきたのである。
「魔獣たちの目の光が連なり、重なり合って見えることから、我々はこの現象を“紅き大波”と呼んでいます。実際にわたくしも目にしましたが、その名にふさわしい、とても恐ろしい光景でしたよ」
話の内容のわりに、マァサの口調と表情は穏やかだった。
「ラモン王を襲ったとされる“蒼き魔獣”は、邪神の化身などではありません。女神が遣わした聖獣“角獅子”さまのことです。邪神が目覚めたことを察した“角獅子”さまが、人の王に警告したのでしょう」
“星姫”を失い、“紅き大波”が始まった。
“星守”たちは絶望した。いや、諦めたと表現した方が正しいだろう。王都を追われて四十年間、この街で生きながらえ守り通してきたことが、すべて無駄であったのだ。女神さまに懺悔し、もはや滅びの運命を受け入れるしかないと、皆で話し合ったりもした。
そこに、暗殺されたはずの王女が現れたのである。
勇者隊を従え、“蒼き魔獣”を倒すために。
「わたくしたちは女神さまに、そして運命というものに感謝しました。まだ、手遅れではなかった。“星姫”さまが生きていらして、我々“星守”も生き延びており、さらには拠点となるアルシェの街も健在なのです。これ以上の奇跡があるでしょうか」
ただ、勇者隊を称する元黒首隊の存在と“蒼き魔獣”を倒すという目的が気がかりだった。“星守”は強硬手段をとることにした。ルォの力を借りて、“星姫”を奪還しようと試みたのである。
それからの出来事は、トゥエニも共有している。
長い話が終わり、部屋の中は不思議な沈黙で満たされた。
“星守”の人たちは皆、満ち足りた顔をしていた。子供のように目を輝かせ、笑みを浮かべている者もいた。
それは長い苦難を乗り越え、ようやく報われたのだという安堵の気持ちの表れだったのかもしれない。




