(7)
手を引かれながら夜の街を駆け抜ける。どこへ連れていかれるのかも分からないのに、不思議と怖さはなかった。
それどころか、まるで翼でも生えたかのように、心が軽い。
「ルォ。いっぱい、お話ししたいことがあります」
「うん、分かった」
いくつかの角を曲がりたどり着いた場所は、巨大な石壁の中だった。驚いたことに街を囲う外壁の中に造られた家のようだ。
「暗いから、気をつけてね」
階段を上がり、二階のリビングらしき部屋に入る。
「ただいまー」
「あ、ルォ君! 無事だったのね」
リビングにいた女性が喜びの声を上げた。十代の後半くらいだろうか。眩しいくらいに表情が豊かだ。女性はルォに駆け寄り抱きしめようとしたが、隣にいるトゥエニに気づいて動きを止めた。
「あ、えっと。“星姫”さま?」
トゥエニとしては何とも答えようがない。
リビングには他に数人の人物がいた。その中のひとり、一番年老いた小柄な老婆が進み出てきた。その他の者たちも慌てたように椅子やソファーから腰を上げ、ぞろぞろと集まってくる。
「僭越ながらご挨拶申し上げます。ようこそお越しくださいました、“星姫”さま。わたくしどもは」
その時、階段から黒マントの男たちが慌ただしく駆け上がってきた。
「ぜぃ、ぜぃ」
「ようやっと、追いついたぞい」
「ううっ、よる年並みには勝てんわ」
「誰か、水をくれんか」
それほど広くもないリビングで、十人以上もの大人たちに取り囲まれてしまった。
一番年老いた老婆が、くわっと目を見開いた。
「静かにおしっ! “星姫”さまの御前だよ!」
老婆の大声に驚き、思わずルォの腕につかまる。
先ほどの若い女性が、わたわたと両手を振った。
「あ、あー。ごめんなさいね。そんなに怖くないのよ。その、ちょっと声が大きいだけで」
「声がなんだって?」
「テ、テレジアさま。“星姫”さまの御前です」
「あらあら、可愛らしいお姫さまだわねぇ」
三人の老婆たちがにこやかに近づいてくる。
「ルォちゃんと同じくらいかしら」
「まあ、とってもお似合いですこと」
黒マントの老人たちも詰め寄ってくる。
「ルー坊、いったいどういうことじゃ。“星姫”さまと、浅からぬ仲のようじゃが」
「しかし助かった。ガンギでは埒があかんかったわい」
「面目ない」
「それよりも、黒首隊との戦いじゃ。まさかひとりで四人を圧倒するとは。いやはや、恐れ入った!」
「誰か、水をくれんかのぅ」
とりとめのない雰囲気の中、ここでは落ち着いて話せないと考えたのか、ルォが手を引いてきた。
「僕の部屋にいこっ」
全員を置き去りにして向かったのは、さらに上の階にある小さな部屋だった。
「ここに座って。いま、灯りを持ってくるから」
家具は戸棚と硬いソファーがあるだけ。と思ったら、自分が座っているソファーは、石でできたベッドだった。端の方に毛布が畳んである。こんなところで寝て、身体を痛めないのだろうか。
しばらくすると、ルォが戻ってきた。蝋燭ランプを棚に置く。
「ただいま」
ルォは棚に飾られていた奇妙な人形をつついた。すると人形が虹色の輝きを放ち、くねくねと踊り出した。
呆気にとられている自分をよそに、ルォは悪戯っぽく笑うと、ベッドの上にジャンプした。あぐらをかくような姿勢で着地する。お尻を打ってしまうと思ったが、石製のベッドが虹色に輝いて、まるで上質なクッションのように少年を受け止めた。
「きゃっ」
衝撃が波となって伝わり、こちらの身体も一度浮いて、柔らかく着地する。えへへと少年は笑った。この現象はアッカレ城でも体験していた。少年は“石神さま”の加護と呼んでいたが、魔法とは違うのだろうか。
「きょくちょーお婆ちゃんが言ったんだ。お姫さまが悪い魔法使いに騙されてるから、助けて欲しいって」
「わたしを、助けに?」
「うん」
アッカレ城でもそうだった。
巣から落ちた雛鳥を救いたいと助けを求めた自分のために、ルォはすぐに駆けつけてくれた。
「どうしてルォは、わたしを助けてくれるの?」
驚いたように目を丸くしてから、ルォは答えた。
「僕も、いっぱい助けてもらったから」
生まれ故郷の村で、ルォの父親は魔獣に襲われて命を落とした。気落ちした母親も、流行病で亡くなったのだという。その時にルォを助けてくれたのが、アニキさんや、近所に住む人たちだった。村にいる時にはお返しができなかった。だからルォは、困っている人を見つけたら助けようと考えたのだという。
ルォは、優しい。
きっと、どんなことでも受け止めてくれる。
気づけば、トゥエニは自分の生い立ちやこれまであった出来事、そして抱え込んでいた心情を吐露していた。
“厄災の子”と呼ばれ、嫌われ、とても辛かったこと。王都に来てからは“聖女”と呼ばれるようになったが、人々の期待を一身に背負い、これまで以上に辛かったこと。父親に事情を聞こうと面会を要求したが、断られて悲しかったこと。そして、試練の旅での出来事。自分の心を操ろうとした魔法使いのオズマに対し、恐怖と怒りを覚えたこと。どうしてもルォに会いたくて、アルシェの街のパレードに参加したこと。
いつの間にか感情的になり、泣いてしまった。
ルォもどう対応してよいのか分からない様子で、あたふたしていたが、必死に励ましてくれた。
「ごめんなさい。わたし、どうしていいのか分からなくて」
「ゆっくり、考えたらいいよ」
「ゆっくり?」
「うん」
両親がいなくなってから、ルォもまた、何をすればいいのか分からなくなってしまったのだという。そして、時間をかけて決めた。父親の仇であり、母親を悲しませた元凶である岩王鷲を倒すのだと。
「ずっと、ここにいていいから。ひとりがいいなら部屋を作ってあげる。ご飯も運んであげる。あ、でも。ペッポコは悪い魔法使いに追われてるんだっけ。別の街に行ったほうがいいのかなぁ」
壁にもたれかかりながら、ルォは考え込んだ。
ルォはこの街で解体屋として働いていたはず。仕事や住処を手放すことすら、何でもないかのようだった。
このままルォとふたりで逃げて、どこかで暮らす。だとすれば、自然豊かで静かなところがいい。誰も自分のことを知らない場所で、ずっと。
そこまで考えてしまってから、少女は気づいた。
今はそんな状況ではない。近くの集落は魔獣たちによって滅ぼされてしまったし、このまま逃げてしまえばきっと後悔する。それに、自分には知らなくてはならないことがあるはず。
でも、その前に。
「ごめんなさい、ルォ」
恐る恐る少年に近寄り、少女は告白した。
「わたし、ペッポコじゃないの」
出会った時にとっさに口にした嘘を、訂正する機会がなかった。ルォは自分にここまでしてくれたのに。ひどい裏切りだと少女は思った。心から謝って、許してもらうしかない。
「あの時は、慌てていて。その、レイザに言われていたんです。見知らぬ人とお話しをする時には、偽名を使うようにって。それで頭に浮かんだのが、ペッポコで。あの時ルォが、ペッポコを助けてくれたから。あ、ペッポコというのは、小鳥の雛の名前で。その、わたし、今まで言い出せなくて。わたしの本当の名前は」
しどろもどろで言い訳をしていると、ふいに、少年の身体がこちらに傾いてきた。
とっさに支える。
つい先ほどまで話していたはずなのに、少年はいつの間にか眠っていた。
時刻はすでに深夜を過ぎている。
今日はいろいろなことが起きた。いっぱい悩んで、身体を動かして、ようやく安心することができた。
どうしようか悩んでいるうちに、少女の意識もぼやけていく。
それからしばらくして。
テレジアから様子を見てくるよう命じられたクロゼがお茶を運んできた時には、少年と少女は互いに肩を寄せ合うようにして、すやすやと眠っていた。




