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“荒野”より魔獣の大群が現れてから、アルシェの街の四方にある門は、基本的に閉ざされたままだ。
“壁外”に住んでいた者たちは“壁内”に収容された。魔獣狩りや解体屋は、自給自足するための生命線ということもあり、優先的に宿泊施設があてがわれた。その他の者は、テントを公園や道路に持ち込んで暮らしている。
“星守”もまた優遇措置を受けられる立場にあったが、彼らは壁の中に引っ越しすることになった。
ルォが自分の家の隣に、それぞれの部屋や集会所、物置小屋、馬小屋などを増築したのである。壁に直接穴を開けて荷物を運べるので、引っ越しも密かに、スムーズに行えた。水道や排水溝も完備しており、お風呂もある。テント暮らしよりも快適だと“星守”の皆は喜んだ。年寄りばかりというもあって、唯一、石のベッドだけは心配していたが。
仕事の形態も、がらりと変わった。
見張り番は城壁の上に、運搬隊は北門の近くに、腑分け担当は荒野ギルドに、そして魔獣狩りは“荒野”に。
それぞれの持ち場が決められ、グループの垣根を越えた統括的な運用がなされた。
食料や物資は配給制になった。
将来の展望は見えないが、なんとか生きながらえている。
そんな状態のアルシェの街の掲示板に、執政官の名において、とある御触書が張り出された。
『万を超える魔獣の大群を扇動する“蒼き魔獣”を打ち倒し、王国の平和を取り戻すため、“聖女”トゥエニ王女殿下と勇者隊が、間もなくアルシェの街にお越しになられる。アルシェの街の臣民一同は南門前大通りに集合し、盛大に王女殿下をお迎えすること』
知らせがもたらされると、“星守”では途轍もない衝撃が走った。
全員が女神の像の前で跪き、涙を流した。
「わしらの苦難の歳月は、決して無駄ではなかった。まさか“星姫”さまが生きておられたとは」
王都を追われて四十年。運搬隊のベキオスの言葉に、誰もが言葉なく、嗚咽を漏らしていた。
だが、問題が解決したわけではなかった。“星守”の代表であるテレジアは、あえて心を鬼にして叱咤した。
「泣くのは使命を果たしてからだよ。“星姫”さまがこの街に長く留まることはないだろう。その間に、どうにかしてお目通りをし、我らのことを伝えねばならない」
「執政官に連絡をつけてはいかがでしょうか」
提案したのはマァサだった。
アルシェの街の執政官であるノランチョは、輿がなければ移動できないほどの肥満体であるが、優秀な人物である。
魔獣の大群が現れてからは、この現象についての情報提供を呼びかけていた。不法滞在者であろうと罰することはないからと。おそらくは、王国騎士団長ボスキンとノランチョのパレードを遮ったテレジアのことを指しているのだろうと、マァサは考えていた。
もしノランチョの理解が得られたならば、話は早い。
だが、状況は変わった。
王女の護衛役としてやってきた勇者隊とは、黒色の首輪をつけた魔法使いだったのである。
黒首隊。それはメイル教団にとって天敵ともいえる存在だった。十年前に起きた“狂教徒の乱”では、王都に残る教団の生き残りが全滅した。そんな輩を信用することはできない。
「となれば、我らの力でなんとかするしかないね」
テレジアが頼ったのは、ルォの力だった。
「ルー坊や。ちょいと話があるんだ。おい先短い哀れなお婆ちゃんの頼みを、どうか聞いてはくれないかい?」
ルォの魔法の力は、テレジアの予測を遥かに超えていた。
“荒野”から魔獣の大群が現れた時に破壊された水道橋を、ルォはたったひと晩で修復してしまったのである。水道橋は同じ形のアーチが連続してつながっている。材料である瓦礫はいっぱい落ちていたし、同じものを作っただけ。けろりと言ってのけた少年に、度肝を抜かれたものだ。
「きょくちょーお婆ちゃん、なんかへん」
猫撫で声でお願いしてくるテレジアに、ルォは不信感を露わにした。
「へんではないさね」
テレジアは慣れない笑顔で慎重に言葉を選びながら、純真無垢な少年を味方につけようと試みた。
この街に来たお姫さまは、悪い魔法使いたちに捕まって、閉じ込められている。自分たちは何とかして、可哀想なお姫さまを救い出したいのだと。
「お姫さまを、助けるの?」
「ああ、その通りだよ。なあに、ルー坊の魔法があれば、造作もないことさ。お姫さまの居場所は分かっている。夜になったら、ちょいと忍び込んで」
「ちょっと待ってください」
クロゼが話に割って入った。
“星守”の四十年に渡る悲願なのだから、是が非でも成し遂げたい気持ちは分かる。しかしだからと言って、ルォを危険に晒してよいわけがない。
「第一級魔法使いが五人もいたのよ。そんなところに忍び込んで、無事で済むわけがないわ。王女さまを連れ出すなら、私たちだけで」
「できると思うのかい?」
端的な指摘に、クロゼは口を噤んだ。
ルォの協力が得られなければ、成功する見込みはまずない。おそらく、侵入者は全員殺される。
自分の大切な“家族”が。
顔を青ざめさせながら心の葛藤に苦しむクロゼを、ルォは不思議そうに見つめた。
テレジアはため息をついた。
「ルォ、一生のお願いだ。どうか、あたしたちを。“星守”を助けておくれ」
ルォは考え込んだ。
この街に来たばかりの頃であれば、ふたつ返事で引き受けていただろう。だがマァサの教育もあってか、ルォは自分の心情だけでなく、相手のことも考えるようになっていた。
「うん、いいよ」
「本当かい。それじゃあ」
「その子が、いいって言ったらね」
「へ?」
しごく真っ当な条件を、ルォはつけ加えた。
王女が泊まっている施設のミニチュアをルォが作り、侵入経路を検討する。また、外壁の上から施設を偵察していたルォが、王女らしき人物がいる部屋を特定した。カーテンを開けて中庭の景色を眺めていたらしい。
侵入するのはガンギ、ベキオス、チャラ、ボン、トトムの運搬隊五名と、ルォのみ。幼い王女を安心させるため、クロゼは自分も行くべきだと主張したが、ガンギに却下された。
決行は夜。月が雲に隠れた時とする。壁を潜り抜け、外階段を作り、直接部屋に侵入する。
そして王女を説得し、同行していただく。
「ガンギさん、本当にだいじょうぶですか?」
心配するマァサに、ガンギは気合の入った髭面で答えた。
「心配しなくていい。礼を尽くせば、きっと分かってくださるはずだ」
マァサはさらに心配した。
「子供は、言葉で納得するものではありません。相手の見かけや雰囲気で判断するのです。ガンギさんは身体が大きいのですから、最初は相手が安心できる距離をとり、できる限り急な動きは避けてくださいね」
「む」
「声の大きさにも気をつけて。それと、笑顔を忘れずに」
「こうだな」
誰が見ても不合格だった。
その後、説得役のガンギに笑顔の練習をさせてから、王女救出作戦は決行された。




