(5)
その日の夜、アルシェの街の執政官であるノランチョは、王女と勇者隊のために慰労会を催した。
物資が不足している今、ひと欠けらのパンさえ無駄にすることはできないところだが、ノランチョとしては、十年前に暗殺されたはずの王女が本物であることを確認するとともに、勇者隊などというご大層な部隊名をつけた魔法使いたちから、王都の情報を聞き出す必要があったのである。
主賓であるはずのトゥエニ王女は欠席した。長旅で疲れが出たのか、食欲がないとのことで、着替えもせずに部屋に引きこもってしまった。気を遣う必要のなくなったノランチョは、ややぞんざいな態度をとった。
「それで? “蒼き魔獣”とやらを倒せばこの騒ぎが治るというのは、事実なのかね?」
オズマはにこやかに説得した。これでノランチョがごねるようであれば、強硬手段も辞さないつもりだったが、意外なことにこの太った執政官は話が早かった。
「なんともあやふやな話ではあるが。結局のところは、信じるしかないわけだな。でなければ、何も行動することはできんし、ゆるやかに滅びを待つだけか。よろしい。できる限りの協力はしよう」
「恐れ入ります」
健康な馬と頑強な馬車。食料、水の手配。さらには“荒野”の最新情報と地図の提供。そのすべてを、ノランチョはふたつ返事で引き受けた。
「しかし、驚きました」
お世辞抜きでオズマは感心してみせた。
「“荒野”から現れた魔獣の大群の脅威に最初に晒されたのが、アルシェの街だったはず。よく持ちこたえられましたね?」
魔獣の肉を頬張りながら、ノランチョは答えた。
「不思議なことに、ほとんどの魔獣たちは、この街を素通りして南方へ駆け抜けていった。昔からそうだ。“荒野”と隣接しているわりに、この街が魔獣に襲われることは少ない。先ほどの王女殿下の話ではないが、何らかの超常的な力が働いておるのかもしれんな」
「超常的な力、ですか」
「実はな。魔獣らの襲撃によって、水道橋の一部が破壊されたのだ」
東の山にある湖から水を引き込む水道橋であり、アルシェの街の生命線だという。水がなくては街の活動を維持することはできない。さすがにノランチョも滅びを覚悟した。
「ありったけの荷車と樽を用意して、職員総出で水汲みをさせようと考えたのだが、不思議なことに、たったひと晩で水道橋が復元されたのだ」
水の問題が解決すれば、あとは食料だけ。荒野ギルドの協力のもと、魔獣狩りが総出で獲物を狩り、配給制にすることで、アルシェの街は今日まで生き延びることができたのだという。
ノランチョは鼻を鳴らした。
「まあ、おそらくは魔法の力であろうよ。もっとも、魔法局に確認したところ、そのような力を持つ魔法使いは登録されていないようだがな」
少し考えてから、オズマは部下に問いかけた。
「バッツ。君ならできるかい?」
「時間をかけりゃあできるかもしれねぇが、ひと晩じゃ無理だろ」
ノランチョの話を、バッツは信じていないようだ。
地竜という魔獣の力を得たバッツは、最強の魔法使いを自認している。確かに攻撃力は強力だが、創作センスはいまいちのようで、出来の悪いかまくらを作るのがせいぜいだ。
ノランチョの愚痴は続いた。
「王国騎士団を迎え入れた時のことだ。“角獅子”さまに手を出してはならんと、わしに説教する老婆が現れた。手を出せば、この国が滅びるとな」
“角獅子”とはメイル教団における“蒼き魔獣”の呼び名である。盲目の語り部の話では、“角獅子”は女神の使いであり、聖獣だという。もしそのような言葉を使った者がいたとするならば、教団の関係者である可能性が高い。
だがオズマにとって、他者に知られては都合が悪い情報でもあった。邪魔になるようであれば、始末する必要がある。
「その老婆は、どちらに?」
ワインを飲み込み、ナプキンで口元を丁寧に拭ってから、ノランチョはお代わりを頼んだ。
「このような事態だ。情報提供を呼びかけてはみたが、名乗り出てはこなかった。この街には不法滞在者が大勢いる。そのひとりなのだろう。やつらは行政との繋がりを持ちたがらん」
ならば問題はないと、オズマは結論づけた。まったく味のしない魔獣の肉を口に運んで、にこりと笑う。
「閣下は、実に優秀な執政官でいらっしゃる」
「そう思うのであれば、王女殿下が試練を果たされたあかつきには、陛下に奏上してもらおうか」
てっきり中央への返り咲きを望んでいるのかと思いきや、違った。
「わしは、この街の雑多な雰囲気と、くせのある魔獣料理がいたく気に入っておる。終身執政官として、末長く勤めさせていただきたいとな」
◇
すでに時刻は深夜を過ぎているだろうか。
少女はひとり、ベッドの端に座っていた。
中庭が見える窓からは時おり月明かりが入ってくるが、すぐにまた暗くなってしまう。はっきりとした雲が、強い風で流されているのだろう。
身じろぎもせずに、少女はただ俯いていた。
結局、あの少年を見つけ出すことはできなかった。
オズマの話では、この街に二、三日滞在してから、いよいよ“荒野”へ向けて出発するのだという。その間はこの建物から出ることはできないだろうし、たとえ抜け出したとしても、どこを探せばよいのか分からない。
やはり、叶うはずのない望みを持つべきではないのだ。これまで自分は、そうやって生きてきたのだから。
まるで人形のように無表情のまま俯いていた少女は、奇妙な現象に気づいた。
暗闇の中に、虹色の丸い光が浮かび上がっている。
視線を向けると、窓側の壁に穴が空いて、突然、数人の男たちが部屋の中に入ってきた。
出入り口は反対側である。建物の構造的にありえない話だった。
男たちは皆、黒色のマントに身を包んでいた。ベッドの上で硬直するトゥエニの前に集まると、彼らは揃って膝をついた。
五人、いや六人だ。最後に入ってきた小さな影は、ひとりだけ距離をとり、窓際に佇んでいた。
「ご寝所を騒がせ奉り、まことに申し訳ございません。“星姫”さま」
先頭の男がそう言って顔を上げた。一番体格のよい大男である。髭面で、鋭い目つきをしていた。
怖いと、トゥエニは思った。
「我々は、“星守”。あなたさまをお護りする役割を担う者です」
ベッドの上で後退り、逃げ道を探す。
「誓って、危害を加えたりはいたしません。事情は後ほどご説明いたします。どうか、我々とお越しいただきたい」
髭面の大男は少女に向かって、ぎこちなく笑った。それは獲物を追い詰める熊のような笑みだった。
少女はますます怯えた。
大男の後ろに控えていた四人が身じろぎした。暗がりでよく見えなかったが、全員が老人のようだ。
「おい、時間がないぞ。奴らはすぐに気づく」
「ひょ。ここは強硬手段も致し方あるまいて」
「我らの覚悟をお伝えすれば、“星姫”さまは必ずお分かりになられるはずだ」
「終わりよければ、すべてよし、じゃな」
四人の老人が口々に髭面の大男を急かす。
だが、大男は動かなかった。
トゥエニもまた、ベッドの上で踏み留まっていた。叫び声を上げて部屋から逃げ出すこともできた。部屋の扉は男たちが入ってきた穴の反対側にあり、塞がれてはいない。
そうしなかったのは、顔は怖いが大男の言動が礼儀正しかったことと、その口ぶりから、自分の存在について何かを知っているのかもしれないと考えたからである。
大男の顔に焦りが見え始めた。
「ガンギ、何をやっておる」
老人の声に大男はぴくりと身体を震わせたが、何かを気遣うかのように窓際にいる小さな影に目をやった。
その時、窓から月明かりが差し込んだ。
少女の呼吸が、止まった。
透明な月明かりのもとに浮かび上がったのは、自分と同じくらいの年頃の少年だった。
この騒ぎの中、ひとりだけ我関せずという感じで、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「……ルォ?」
我知らず、少女の口からその名がこぼれ落ちた。
ずっと会いたくて、必死に探して。
それでも会えなかったはずの少年が、そこにいる。
夢なのではないかと、少女は思った。
名前を呼ばれた少年は、驚いたようにこちらを見た。ぼんやりと紅く目が光る。それは、黄金色の塔の屋上で少女が見た瞳だった。
「ルォ!」
少女は確信を持って、もう一度その名を呼んだ。ベッドから飛び降りると、男たちの脇をすり抜けて、少年のもとに駆け寄る。驚く少年の胸に飛び込み、じっと見つめた。
「えっと」
少年は目を丸くしていた。
「ひょっとして、ペッポコ?」
「そうです。ペッポコです!」
今となっては懐かしい名前に、たった数日間の、大切な思い出が溢れ出した。
「ルォ。やっと会えました!」
少年もまた再会を喜ぶ表情を見せたものの、不思議そうに首を傾げた。
「ペッポコ、どうしてここにいるの?」
侵入者としては完全におかしなセリフだったが、そのことを指摘する者は誰もいなかった。大男も四人の老人たちも、あっけに取られたように二人を見守っている。
その時、扉のノブが音を立てた。
『ちっ、鍵がかかってやがる』
『バッツ、どきなさい!』
次の瞬間、扉が破壊された。
最初に部屋に飛び込んできたのは、バッツ。続いてフウリとテンク、最後に扉を破壊したらしいパウルンが入ってきた。
四人とも瞳を紅く光らせていた。
臨戦態勢だ。
「たとえ足音を殺したとしても、振動を消すことはできん。この建物内にいる限り、侵入者を見逃すことはない」
鉄の杖で床を叩きながら、フウリが断言する。
「おいおいおい。オレたちの縄張りに入り込んでくるとは、まったくいい度胸だな」
バッツは目を釣り上げ歯を見せたが、侵入者の姿を確認すると、拍子抜けしたような顔になった。
「なんだぁ? じじいばっかじゃねぇか。それと」
「あっちの子供は、魔法使いね。壁に穴を開けたのも、あの子の力かしら?」
パウルンが笑う。
「ふん、同系統かよ」
バッツが鼻を鳴らした。
ルォとともに窓際にいたトゥエニは焦った。勇者隊を名乗る魔法使いたちの実力は、これまでの旅で嫌というほど分かっていた。凶暴な魔獣たちを、彼らはことごとく撃退してきたのだから。
自分が止めなくてはならない。
だが事態の変化は急激だった。
薄い闇の中、黒マントを身につけた髭面の大男が、懐からナイフを取り出して構えた。
「先輩方。早く“星姫”さまを」
「させっか、よ!」
バッツが片足を踏みしめた。虹色の光が走り、絨毯が大きく波打つ。髭面の男と四人の老人がバランスを崩した。絨毯を突き破って現れたのは、無数の岩石の爪、のようなもの。
場違いなくらいのんびりした声で、パウルンが注意した。
「バッツちゃん、殺しちゃだめよ」
「ひとりだけ残せばいいんだろ?」
「もうタバシカちゃんはいないの。拷問するにしても、数は多い方がいいでしょ」
「ちっ。絡めとれ、“泥蔦”!」
岩石の爪がどろりと溶け、まるで触手のように蠢き、黒マントの男たちを絡め取った。
「な、なんじゃこれは!」
「むぐぐ。こ、腰がっ」
「おのれぇ。黒首隊め!」
「こりゃあ、ダメじゃのぅ」
老人たちが顔を歪めながら苦悶の声を上げる。
その様子をルォはじっと見つめていたが、やがて少女に囁いた。
「ペッポコ、ちょっと待っててね」
まったく状況を理解していないのか、少年はトゥエニを残してバッツの方に進み出た。
「お、やるってのか?」
怒りにも似た表情を浮かべながら、バッツが嘲笑う。
「オレは、身のほどを知らねぇガキが死ぬほど嫌いなんだ。なあ、こいつはいらねぇよな?」
パウルンが肩をすくめた。フウリは無言のまま腕を組む。テンクは壁に寄りかかり、退屈そうに欠伸を噛み締めた。
それは、自分と仲間の力を確信している、圧倒的な強者の態度だった。
「教えてやるよ。魔法使い同士のケンカってのは、互いに名乗りを上げてから、おっぱじめるんだ。こうやってな!」
バッツが足のつま先を鳴らすと、二人の間にあるベッドが吹き飛んだ。
「第一級魔法使い、“土爪”のバッツ!」
「第四級魔法使い、“岩壁”のルォ」
バッツが上体を低くし、両手を床についた。
「噛み砕け、“土石竜”ぅ!」
床面が隆起して猛獣の顎のような形をとり、少年に襲いかかった。
「だめっ、傷つけないで!」
泣きながらトゥエニが叫ぶ。せめて自分が盾になろうと駆け出すが、間に合わない。
巨大な岩石の顎が少年を噛み砕く寸前、ぴたりとその動きが止まった。
「えっと」
小首を傾げるようにして、少年が呟く。
「“泥蔦”?」
固まった岩石が虹色に光り輝く。形が崩れ、触手のようなものに変化し、今度は勇者隊の四人に襲いかかった。
それは、先ほどバッツが黒マントの男たちに使った魔法と同じものだった。
「ぐぎぎっ。クソがあぁああ!」
身動きを封じ込められたバッツが、怒りを爆発させるように絶叫したが、拘束を解くことはできない。
「“金剛力”」
パウルンが巨大化する。しかし泥の触手は弾力性があり、怪力をうまく発揮することができないようだ。さらには両足を持ち上げられ、宙に浮かされてしまう。
余裕をかましていたテンクは、混乱するあまり両腕を翼に変えてばたつかせ、フウリは無念とばかりに目を閉じた。
「うん。傷つけない」
そう言って得意げに笑う少年を、トゥエニは呆然と見つめていた。目の前で起きた出来事に理解が追いつかない。
少年は少女の両手をとった。
「ね、ペッポコ」
二人だけを照らす月明かりの中、少年は聞いてきた。
「何かして欲しい?」
それは美しく生まれ変わったアッカレ城のあの部屋で、別れを悲しむ自分を見かねた少年が口にした問いかけだった。
「ペッポコは、何がしたい?」
重圧、しがらみ、後ろめたさ。幾重にも覆い重なっていた心の膜を通り抜けて、その言葉は少女の胸に響いた。
やりたいことをする。
ずっと流れに身を任せてきた少女にとって、それはとても不安で恐ろしいこと。
それでも。
絶対に信じられる人が、そばにいてくれるのなら。
「お願い、ルォ」
あの時言えなかった言葉を、トゥエニは勇気を振りしぼって口にした。
「わたしを、ここから連れ出して!」
◇
「派手に、やったねぇ」
オズマが到着した時、侵入者たちはすでに逃げ去っていた。
王女を連れて、である。
「いや、やられたのか」
侵入者が出入りしたと思しき場所をランタンの炎で照らす。部屋の壁には漆喰が塗られていたが、継ぎ目が分からないくらい見事に復元されていた。
「おいバッツ。てめぇ、早く助けろ」
いまだ岩石に絡め取られているテンクが、バッツに文句を言う。バッツもまた同じような状態だったが、俯き加減でぶつぶつと何やら呟いていた。
オズマはひとつため息をつくと、部下たちに絡みつき拘束している岩石に手をついた。
虹色の輝きが放たれ、岩石が分解される。
パウルンが不審げな視線を向けてきたが、オズマは気づかないふりをした。
「侵入者は六名で、ひとりが子供の魔法使い? 黒首隊が後れをとる相手とは、とても思えないけれど」
「クソがっ、クソがっ!」
最強の魔法使いを自認するバッツが、自らを痛めつけるように拳で床を打ちつけた。魔法使いは拳で戦うわけではないので、放っておくことにする。
「隊長、今なら間に合うわ。追跡しましょう」
パウルンの進言を、オズマは却下した。
「へたに追いかけたら、返り討ちにあうよ」
このような状況下で王女を連れ出そうとする者など、他にいない。やはりメイル教団の生き残りがこの街に潜伏していたのだ。彼らの行き先は自分たちと同じはず。慌てる必要はないと、オズマは自分に言い聞かせた。
廊下から騒がしい足音が聞こえてきた。ノランチョ執政官が駆けつけてきたようだ。
「こ、これは、いったい」
責任を追求される前に、オズマは先手を打った。
「複数名の賊が侵入し、王女殿下を拉致したようです」
「なんだと!」
「賊のひとりは、子供の魔法使いとのことです。名前も等級も分かっております。この街の管轄ですよ?」
ノランチョは顔を青ざめさせた。自分にも責任が及ぶことを察知したのだろう。一方のオズマは、すでに魔法局から所属を離れ、今は独立部隊としてここにいる。
「まずは門を開けないよう指示を。それと、魔法局の担当者をここへ。確認したいことがあります」
この時オズマは、黒首隊の四人をまとめて撃退してのけた魔法使いの正体が簡単に判明するとは思っていなかった。
誘拐犯が、現場で馬鹿正直に名乗りを上げることなど、あり得ないはずなのだから。




