(8)
自分の能力を行使することに、“幻炎”のタバシカは躊躇いがない。それどころか、ある種の快感を覚えるタイプであった。
黒首隊では尋問担当として、善人悪人を問わず多くの者の人生を惑わせ、あるいは壊してきた。人の道にもとる今回の仕事についても、ふたつ返事で引き受けてくれるはず。そう考えていたオズマだったが、当てが外れた。
仕事の内容を聞くうちに、タバシカは青ざめ、表情が強ばり、ついには首を振ったのである。
「お手伝い、できません」
オズマはふむと頷いた。
こういった場合、結論を急がず相手に話させることが肝要である。
「理由を聞いても?」
少し逡巡してから、タバシカは答えた。
「恋人が、いるんです。近衛隊に」
騎士の象徴たる近衛隊と、無頼者として蔑まされている魔法使いの組み合わせとは珍しい。
「そういえば、今回の作戦行動中、君はふらりといなくなることがあったね」
タバシカの視線が泳いだ。
国の命運がかかっている旅路だというのに、この女魔法使いは旅行気分で、恋人との逢瀬を楽しんでいたというわけだ。
意を決したように、タバシカは口を開いた。
「ですから、彼を裏切るようなことはできません」
「う〜ん、困ったなぁ。こう見えて、私が妥協できない性格であることは、知っているね?」
部隊の規律に関してはほとんど口を出さないが、作戦行動となると話は別である。
「はい」
「私が、大きな危険を冒し、道化役を演じてまでこの作戦を遂行しているのか、その理由も知っているはずだ」
再び、タバシカは肯定した。
“蒼き魔獣”が現れる前から、オズマはことあるごとに部下たちに言い聞かせてきた。
差別を受けている不幸な魔法使いたちが、この国で生きやすくするために頑張ろうと。
そんな、心にもないおためごかしを。
「気の迷い、ということはないのかい?」
「え、どういう」
「近衛隊に入る者は、おもに貴族の出だ。領地は継げないまでも、一代限りの称号を授かるし、実家との関係がなくなるわけではない。君たちの関係が認められるとは思えない」
「セロッ――」
タバシカは慌てたように言い直した。
「彼、言ってくれたんです。私のためなら称号などいらない。結婚を反対されるのであれば、実家とも縁を切ると」
物好きな男もいたものである。他人の恋路に口を挟むつもりはないが、実に困ったことになった。
「君は彼を殺したくない。しかし私は、この作戦を撤回するつもりはない。いったい君は、どうするつもりだい?」
「彼を説得します。今夜のうちに」
「仲間を裏切って、ひとりで逃げるように? 近衛隊の彼が承知するかなぁ」
「させます。必要があれば、魔法を使ってでも」
タバシカは艶火蛇という珍しい魔獣の力を手に入れて、魔法使いになった。その能力は、幻想的な炎の輝きで人の精神を操るというもの。王都でのお披露目の式典でも大いに活躍した。
「なるほどね」
オズマは納得するそぶりを見せた。
だが、罠にかけようという近衛隊の隊員に相談を持ちかけること自体が、すでに危険を孕んでいるのだ。タバシカの様子を見るに、かなりほだされている様子。こちらを裏切るという可能性も否定できない。
というよりは、そうするつもりなのだろう。
先手を打って、オズマは逃げ道を作ってやることにした。
「いっそのこと二人で逃げてしまう、というのはどうだい?」
「え?」
国の管理下にある魔法使いには、様々な制約がある。常に等級を示す首輪を身につけなくてはならないし、月に一度、魔法局に生活報告書を提出する義務がある。“はずれ”の魔法使いならばともかく、第一級魔法使いが姿をくらませたとなれば、間違いなく追っ手がかかるだろう。
「だけど、今の状況であれば話は別だ。たとえこの混乱が収まったとしても、国を立て直すにはかなりの時間がかかる。行方不明となった魔法使いひとりを探すために、余計な人員は避けないはず」
無表情を装っていた女魔法使いの口元が、わずかに震えた。
「まあ、君の炎はまやかしだし、怒り狂った魔獣の心は操れないからね。これからの旅の舞台となる“荒野”では、それほど戦力にはならない。だから」
オズマは笑顔で提案した。
「君が、ふたつの条件を飲んでくれるのなら、見逃してあげてもいいよ」
まるで己の魂をかけて悪魔と契約でもするかのように、タバシカは真剣な顔つきになった。
「どんな?」
「ひとつは、勇者隊である君の最後の務めとして、今回の作戦に協力すること。これが飲めなきゃ話にならない」
「もちろんです」
ふたつ返事でタバシカは了承した。
「もうひとつは」
オズマは悪戯っぽく笑った。
「これまで苦楽をともにしてきた他のメンバーに、書き置きを残すこと。裏切ってごめんなさいってね」
こちらの条件には意表を突かれたようだ。
「何も言わずに突然いなくなったんじゃあ、事件性を疑う輩も出てくるからね。最後に面談した私も、容疑者になってしまう」
「ああ、そういう」
紙とペンを用意して、その場で書くことになった。交渉がまとまったことで、二人の間にはやや弛緩した空気が流れた。
「ちなみに君と近衛隊の彼のことを、うちのメンバーは知っているのかい?」
「気づいていると、思います。一度、バッツに見られたことがあったので」
「なら、話は早いか」
書き終えた文面を確認するオズマに、タバシカは少し寂しげな、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ねぇ、隊長」
「なんだい?」
「隊長の、そういう緩くて実は慎重なところ、嫌いじゃないよ」
微妙な賛辞を苦笑で受けとめてから、オズマはおもむろに話を切り出した。
「さて。ひとつ目の条件である、君の務めだけど」
「はい」
「今ここで果たしてもらおうかな」
何を言われたのか分からないという顔で、タバシカは二、三度、瞬きをした。
「どのみち、君の能力は欲しいと思っていたんだ。本当は口喧しいあの侍女のぉ、代わりにぃ。しばらく王女殿下のお世話を頼もうとぅお、思ってたんだけどぉおぅ」
声が不自然に間延びし、不明瞭になる。
「まぁあ、それはそれでぇ。なばぁんとか、するさぁぅああああっ!」
中年男のしまりのない笑顔がどろりと溶け、まるで大波のように女魔法使いに襲いかかった。




