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岩壁のルォ  作者: 加茂セイ
第一章 大峡谷の魔鳥
4/82

(3)

 意識が覚醒した瞬間、すさまじい突風がルォを襲った。

 ひさしのすぐ上で、岩王鷲(がんおうわし)が激しく羽ばたいていた。この魔獣をこれほど近くで見るのは初めてだった。とてつもなく大きい。圧倒的な存在感と威圧感に、ルォの身体は(すく)んだ。

 岩王鷲は耳をつんざくような鳴き声を発した。

 すると、ひさしの表面が虹色に輝いて、枝のようなものがにゅっと突き出てきた。

 その上に、岩王鷲は着地した。

 ()()()()だ。

 岩王鷲が岩壁を自在に変化させることができるという話は本当らしい。

 ルォも“石神さま”の加護で、岩肌を少し変化させることができるが、身体の一部が触れている必要があるし、変化の量にも限界があった。短時間、わずかなへこみや出っ張りを作るのがせいぜいである。

 止まり木の上で、岩王鷲は両翼を開いて威嚇(いかく)した。ぼんやりと(あか)く輝く双眸(そうぼう)で、こちらを(にら)んでいる。

 見つかったのだとルォは思った。これだけ警戒されてしまったら、岩石を落としても避けられてしまうだろう。

 作戦は失敗したのだ。

 再び魔鳥が咆吼(ほうこう)した。ひさしが虹色に輝き、今度はその表面に無数の突起が出現した。(やり)の穂先のような形状をしている。すべての突起が、ルォのいる白松に向かって発射された。ルォにはどうすることもできない。ただ白松の幹にしがみつくのみ。

 幸いなことに攻撃は外れたようだ。やや上の方から、ぎぃぎぃという耳障りな苦悶(くもん)の鳴き声が聞こえた。ルォははっとして頭上に目をやった。

 そこにいたのは、岩蜥蜴(いわとかげ)だった。体長はルォの三倍ほどもある。手足や胴体を岩の突起で射抜かれ、岩蜥蜴は身動きが取れずもがいていた。

 位置関係からして、ルォを見つけたのは岩蜥蜴の方だったようだ。ルォを捕食しようとして、逆に岩王鷲に見つかったのである。

 岩王鷲は勢いよく飛び立った。ルォがいる白松は無視して岩蜥蜴に襲いかかる。岩王鷲は鉤爪で岩蜥蜴を掴むと、再び止まり木に舞い降りた。

 やはり、こちらに気づいていない。

 鋭い(くちばし)で岩蜥蜴の肉を引き千切り、豪快に飲み込む。岩蜥蜴の体は堅い(うろこ)で覆われているはずだが、まったく問題にならないようだ。

 想像を絶する大自然の営みに、ルォは圧倒されていた。

 ここで、ルォは気づいた。

 食事で夢中になっている今ならば、岩王鷲の頭を狙えるのではないか。

 最後の力を振り絞って、ルォはずっと胸に抱えていた岩石の欠片を持ち上げた。その瞬間、これまでルォの体重を支えていた白松が限界に達した。ぼきりと幹が折れて、ルォはバランスを崩した。

 異常に気づいた岩王鷲が、こちらを見上げた。

 視線が合った。

 表情はないが、魔鳥の驚きと戸惑いの感情をルォは察することができた。

 嘴が開いて咆哮する。びりびりと空気が震えた。

 やけに景色がはっきりしていて、ゆっくりと動いていることにルォは気づいた。

 岩王鷲の下にあるひさしが虹色に輝き、無数の突起が生まれる。その様子が、手に取るように分かった。先ほど岩蜥蜴を(はりつけ)にした、あの技だ。

 踏ん張りきれない。落下する。

 このまま死ぬくらいなら、いっそのこと。

 ルォは覚悟を決めた。

 岩石の欠片を抱えたまま、白松の幹を蹴ったのだ。

 ルォの身体は岩王鷲の真上に跳躍した。翼を持たない者の、それは玉砕覚悟の特攻だった。

 岩王鷲は身を(かわ)そうとはしなかった。突起の射出にこだわったのかもしれない。

 ルォの視線は、ただ一点だけを捉えていた。

 大きく開かれた、岩王鷲のくちばしの中。

 興奮することもなく、雄叫びを上げることもなく、ルォはただ正確に、岩石の位置を調整した。父親の仇を討つという大切な目的すら頭の中から抜け落ちていた。

 嘴の中に岩石の欠片を放り込む。

 その瞬間、景色がもとの速さに戻った。

 勢い余ったルォの身体は、岩王鷲の胸のあたりにぶつかった。

 虹色に輝いていたひさしが一気に崩壊する。

 がむしゃらに羽ばたきながら、岩王鷲は大峡谷の岩壁に何度もぶつかり、闇の底へと落ちていった。

 すべての力を使い切ったルォは、ひさしの上に落下した。予想に反して柔らかい。まるで人肌のようなそれは、ルォがよく知っている感触だった。

 ルォはひさしを突き破り、その下にある硬いものにぶつかった。受け身をとる余裕も余力もなかった。べきべきと木の枝が折れるような音を聞きながら、ルォは気を失った。


     ◇


 目が覚めた時、ルォは自分が生きているのか死んでいるのか分からなかった。疲労と痛みで、ほとんど身体の感覚が麻痺していたからである。

 やけに視界が薄暗い。だが、手足はまだ動く。物音も聞こえる。どうやら生きているらしいことが分かった。

 次にルォは、気を失う前のことを思い出そうとした。

 ようやく発見した父親の仇、岩王鷲。白松の根元に生えた紫苔と父親のマーカー。数日間に渡る待ち伏せ。

 そして、岩王鷲との対決。


「岩王鷲は?」


 ルォは周囲の様子を確認した。

 そこは巨大な(うつわ)を縦に割ったような、岩の(くぼ)みの中だった。周囲には見慣れた大峡谷の景色がある。頭上にひさしはなく、夕暮れ時の空が見えた。

 ルォの周囲には枯れ枝が積み重なっていた。どうやらここは岩王鷲の巣のようだ。空の様子からして、かなりの時間が経過しているらしい。

 岩王鷲の姿はなかった。無事でいるならば谷底から舞い戻ってくるはずだ。いないということは、父親の仇を討てたということだろうか。

 達成感よりも脱力感の方が大きかった。

 ルォには立ち上がる気力もなかった。ここは大峡谷の中層。もはや地上に上がることはできないだろう。

 ここで、自分は死ぬ。

 ルォは覚悟した。

 不思議と心は安らかだった。生きる目標を達成できたことで、満足できたのかもしれない。

 そこでふと、目の前に丸い物体があることに気づいた。

 乾燥した木の枝が積み重なった中央部分。やや縦長の球状で、抱えきれないほどの大きさである。

 数はひとつ。


「……たまご?」


 呟いた瞬間、お腹がぐうと鳴った。

 死んでもかまわないと思っていたのに、身体は食べ物が欲しいと訴えかけている。生きようとしている。

 確かにこの大きさの卵を食べてゆっくり休むことができたならば、地上に戻る力を取り戻せるかもしれない。

 ルォは木の枝で卵の殻を割ろうとしたが、だめだった。卵の殻が光り輝いて、衝撃を弾き返したのである。何やら不可思議な力が卵を守っているようだった。

 ルォはポーチから火打石と火口(ほくち)を取り出した。震える手で火種を作る。弱々しい息を吹きかけて、炎を生み出すことに成功した。

 巣の中の枝は乾燥していてよく燃えた。卵の上を覆うようにして、火のついた枝を積み上げる。それから碧苔(あおごけ)を炎のそばに置いた。乾燥させて粉にすると、肉や煮込み料理に合う香辛料になる。ついでに紅草(べにくさ)も炎の中に投入した。岩蜥蜴(いわとかげ)が嫌う煙が出るので、苔取り屋たちは火打石とともに携帯することが多い。

 これで少しは安心だろう。

 ぱちぱちと枝が燃える心地よい音を聞きながら、ルォは眠ってしまった。

 次に起きた時、周囲は完全に夜になっていた。力は入らなかったが、焚き火のおかげで身体は温まっていた。

 ルォはやや長めの枝を使って、焚き火の中の卵をかき出した。卵の表面は黒色に変色している。枝の重みを利用して何度も叩きつけると、殻の表面にひびが入った。

 ようやく割ることができそうだ。全体にひびを入れて、少しずつ殻を取り除いていく。姿を現したのは、表面が真っ黒に焦げた焼き卵だった。白身と思われる部分を取り除くと、色鮮やかな黄身が顔を出した。

 これならば食べられそうだ。

 黄身はとろりとした半熟だった。絶妙な焼き加減である。ルォは乾燥させていた碧苔を手の中で擦り合わせると、その粉を卵に振りかけた。魅惑的な香りがルォの鼻をくすぐった。胃袋が大音量で抗議の声を上げた。

 もう、我慢できない。

 ルォは卵の黄身にかぶりついた。

 甘く、濃厚で、圧倒的な存在感。腹の底から身体の隅々にまで熱が染み込んでいくかのよう。顔や服が汚れるのも忘れて、ルォはがむしゃらに卵を食べ続けた。

 美味(うま)い。美味すぎる。この世にこれ以上美味な食べ物は他にないのではないか。


「――うっ」


 そう思った瞬間、腹の底に鋭い痛みが走った。まるで針でも飲み込んだかのような激痛。胃袋がひっくり返り、熱いものが込み上げてくる。

 だが、吐けない。中身が胃の中に貼りついたかのように、がんとして抵抗する。身体を抱えたまま、ルォは巣の中を転がり回った。あまりの激痛に冷や汗が流れ、全身が痙攣した。


「うああああっ!」


 ルォは気づかなかったが、周囲の岩壁のいたるところが虹色に輝いた。光は岩壁を侵食して、虫食いのような穴を開けた。金属を打ち合わせたような硬質な音が響く。光が消えた後には指の先ほどの小さな丸い石が生まれて転がり落ちた。

 それは、圧縮された岩壁の欠片だった。

 ルォにとって二度目の生死をかけた戦いは、翌日の朝まで続いた。


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