(4)
謁見の間から階段を上がって、通路を少し進んだところ。出口の少し手前で、トゥエニは待機していた。
司会者らしき女性の声に続き、勇ましい音楽が流れ出す。
「さあ王女殿下、参りましょう」
オズマに促されるままに、トゥエニは後についていく。通路の先は、王宮前広場を一望できるバルコニーだった。
陽はとっくに落ちていたが、広場のいたるところに篝火が焚かれており、真昼のように明るい。炎は様々な色に変化し、幻想的な光を放っている。
城壁の上には衛兵たちがいて、きょろきょろと落ち着かない様子で周囲を警戒している。そして眼下は人の海。高い壁に囲まれた四角い空間に、何千という人々の顔がひしめき合っていた。
いつの間にか音楽が止み、周囲にはざわめきだけが残った。
「やあ、タバシカ。ご苦労さん」
オズマはバルコニーから群衆を見下ろしている女魔法使いに声をかけた。
「首尾はどうだい?」
「“蒼き魔獣”に襲われた場所ですからね。最初はみんな怯えていましたが、今は落ち着いていますよ」
「そいつは、上々」
トゥエニとオズマ、そして五人の魔法使いがバルコニーに並んだ。少女は式典用のきらびやかなドレスを、そして魔法使いたちは革製のコートを身につけている。
『静粛にっ!』
びりびりと空気が震えた。
バルコニーのやや下方、城壁から突き出た演台のような部分に、小柄な女性が立っていた。飾り羽根のついた派手な帽子を被り、赤い首輪を身につけている。
女性はまるでカエルのように頬を膨らませると、驚くほどの声量で語り出した。
『親愛なる臣民諸君。こちらにおわす方が、トゥエニ王女殿下であらせられる!』
女性の声は王宮前広場に集まったすべての人々に届いた。比較的近い位置にいたトゥエニは驚き、萎縮した。
「第二級魔法使い“咆哮”のハチコ。戦闘力はありませんが、彼女の魔法は実に役に立つ」
笑顔で説明したのは、隣に立っているオズマである。
手元の原稿を確認しながら、“咆哮”のハチコはゆっくりと語り出した。
『今を去ること四十年前。この国に蔓延っていた邪悪なる宗教団体、メイル教団は、畏れ多くも王家に対して反旗を翻した。後の世にいう“邪教戦争”である。身のほど知らずの企みは、むろん失敗に終わった。我らが“賢王”ラモン国王陛下が御自ら剣をとり、これを打ち果たしたのだ』
ひと呼吸おいて、ハチコは続けた。
『そして十年前。メイル教団の残党が、再び姿を現した。闇に紛れて王宮内に忍び込んだ邪教徒どもは、こともあろうに、生まれたばかりの王女殿下を拐かそうとしたのだ。この場にいる諸君らの中にも、記憶している者もいよう。我々を震撼させたこの事件は、“狂教徒の乱”と呼ばれている』
トゥエニは驚いた。物心がつく前とはいえ、そんなことがあったとは知らなかったからだ。しかし他の人たちにとっては周知の事実だったようで、先を競うかのように頷き合っていた。
『幸いなことに、この企みも失敗に終わった。当時、王女殿下が暗殺されたと発表したのは、ひとえに幼き命を守るための、やむを得ない措置であった。諸君、トゥエニ王女殿下は健在であらせられる。我らが“賢王”の手厚い庇護を受け、健やかに成長なされた』
自分を守るため? 本当に?
それならばなぜ、自分は“厄災の子”と呼ばれていたのか。
少女の疑念を置き去りにして、話は続いていく。
『邪悪なるメイル教団は壊滅した。だが、彼らが信仰する邪神が滅んだわけではなかった。力をやつし、魔獣と成り果てながらも、邪神は密かに牙を研ぎつつ、復讐の機会を窺っていたのだ。そして三月前、ついに彼の存在が我々の前に現れた。“蒼き魔獣”として!』
いつの間にか広場はしんと静まり返っていた。
『“蒼き魔獣”の住処は、北の“荒野”にある“果ての祭壇”なり。すみやかにこれを討つべし。宰相ホゥの助言を受けた我らが“賢王”は、ボスキン王国騎士団長に対し、“蒼き魔獣”討伐の命を下された。だが』
声のトーンを落としつつも、はっきりとした口調でハチコは告げた。
『アルシェの街より“荒野”へ向かったところで、王国騎士団は、その消息を絶ったのである』
ざわりと、人々がざわめいた。
『その後、アルシェの街より、“荒野”から万を越す魔獣の大群が現れたという報告がもたらされた。魔獣たちの群れは南へと進み、現在、ペルゼンの街にまで迫っている。諸君、我らが“賢王”は隠しごとなどしない。あえて言おう。この国は今、未曾有の危機に晒されているのだと!』
人々が互いの顔を見遣り、ぼそぼそと話し合った。ここに留まるのか、それとも逃げ出すのか。
ざわめきが波のように広がっていく。声の波は重なり、渦巻き、一気に膨れ上がる。
見えない箍が弾ける寸前、タバシカと呼ばれた女魔法使いが、ぱちんと指を鳴らした。
「“艶火”」
広場内の篝火から一斉に、緑色の炎が吹き上がった。
幻想的な緑色の火の粉を撒き散らしながら炎が収まると、波が引くかのように群衆はおとなしくなった。
トゥエニは驚きを隠せなかった。
今の現象は、魔法なのだろうか。
ハチコが演説を再開する。
『魔獣の大群を操っているのは、邪神の化身たる“蒼き魔獣”。その力と残忍さは、諸君らの知るところであろう。だが、心配はいらない。彼の魔獣にも弱点はある。それは、ここにおわすトゥエニ王女殿下の存在である。なぜゆえにメイル教団の残党が王女殿下を拐かそうとしたのか。なぜゆえに “蒼き魔獣”が王女殿下の身柄を要求したのか。彼らは恐れたのだ。代々、王家の娘にのみに受け継がれてきた、聖なる力を。邪神をも討ち滅ぼす、偉大なる力を!』
再びタバシカが指を鳴らすと、今度は黄色の炎が吹き上がった。人々は希望の光を見出したかのように、互いに励まし合った。
『だがしかし。幼い王女おひとりで、神が与え賜うた試練を果たすことは、あまりにも厳しい。そこで我らが“賢王”は、王女殿下を“果ての神殿”へと導く勇者隊を結成することとした。“勇者”とは三つの力、すなわち正義と、国を愛する心と、魔法の力を兼ね備えた者のことである』
それは違うとトゥエニは思った。“勇者物語”の主人公であるマルテウスは、確かに“勇者”になるための条件を三つの力としているが、具体的な内容は伝わっていないはず。
『それでは紹介しよう』
ハチコがバルコニーの方に手を向けた。
『“土爪”のバッツ!』
短い髪を逆立てた男が、拳を突き上げた。
「知っているぞ。最強の魔法使いだ!」
「頼むぞ、バッツ!」
「見事、試練を果たしてくれ!」
幾人かの声の後、歓声が上がった。
「偽客です」
ぼそりとオズマが説明してくれたが、トゥエニは言葉の意味が分からなかった。
歓声が収まるのを待って、ハチコは次の紹介に移った。
『“剛力”のパウルン!』
首に大きな輪っかをかけた大男が、腰に手を当てて優雅なポーズをとった。
「おお、こいつは頼もしいぞ」
「ヤツなら魔獣なんかひと捻りだ!」
「パウルーン!」
『“飛翔”のテンク!』
痩せぎすな男の両腕が巨大な翼に変化し、ばさばさと羽ばたいた。
群衆はどよめきの声を上げた。
『“幻炎”のタバシカ!』
妖艶な笑みを浮かべた女魔法使いが片手を上げると、そこから色とりどりの火の玉が飛び出し、夜空に放たれた。
群衆は驚愕の声を上げた。
「あ、ずりぃぞ、お前ら!」
文句を口にしたのは、一番最初に紹介されたバッツである。自分より目立たれたことが悔しかったらしい。テンクとタバシカはバッツをからかうような笑みを浮かべた。
『“不動”のフウリ!』
ひとり生真面目な顔つきをした男は、憮然とした様子で佇んでいた。特別盛り上がることはなかったが、群衆の勢いは衰えない。
ひと呼吸の間をおいてから、ハチコは最後の人物を紹介した。
『そしてぇ、彼らを率いるのは。勇者隊隊長、“万食”のオズマァッ!』
ひらひらと手を振りながら、オズマが笑顔で声援に応えた。
十分に熱気が高まったところで、ハチコは最後のまとめに入った。
『先日、謁見の間にて、トゥエニ王女殿下は高らかに宣言なされた。陛下、ご安心ください。必ずや“果ての祭壇”へとたどり着き、“蒼き魔獣”を打ち倒してみせますと。臣民諸君、“聖女”トゥエニ王女殿下の勇気と献身を称えよ! 我らが王国に、栄光あれっ!』
とどめとばかりにタバシカが指を鳴らすと、篝火からひと際大きな火柱が上がり、紅色の火の粉が舞い散った。数千もの人々から、城壁が震えるほどの歓声が沸き起こった。
「うぉおおおおっ!」
「王女殿下ぁああ!」
「トゥエニさまぁ!」
「この国をお救いください!」
「“聖女”さまに、祝福あれ!」
広場にひしめき合う群衆が、バルコニーにいる少女に向かって手を伸ばしながら絶叫した。
篝火に照らし出された人々の姿は、まるで亡者のように見えた。あまりにも異様な光景を前に、トゥエニは硬直していた。
これは何だろう。いったい何が起きているのだろう。
なぜ自分はここにいて、人々の期待を一身に浴びているのだろう。
「さあ、王女殿下。皆の声にお応えください」
オズマに促されるままに、トゥエニは片手を上げた。ただそれだけの行為で、群衆の声はさらに膨れ上がった。




