(2)
宰相室の前で、秘書の女性が泣きべそをかいていた。国王から何度も呼び出しがかかっているのに、ホゥが部屋にこもって出てこないのだという。お願いですから陛下のご意向を伝えてくださいと、オズマは泣きつかれてしまった。
魔法使いに頼みごとをするとは、よほど追い詰められていたのだろう。
「さてと。ほっ、ほっ、ほっ」
その場駆け足を二十回ほどしてから、オズマは宰相室に入った。
室内には二人の人物がいた。書類の山で埋め尽くされた仕事机で一心不乱に書き物をしている老人、宰相のホゥと、壁際で座り込み、ぶつぶつと独り言を呟いている怪しげな老婆である。
わざとらしく息を乱しながら、オズマは声をかけた。
「ホゥ老師。お呼びと伺い、馳せ参じました」
老人が血走った目を向けてきた。目の下には見事なクマができている。てっきり怒鳴られるかと思いきや、ホゥは相好を崩すと、ご機嫌な様子で聞いてきた。
「おお、オズマか。待っておったぞ。それで? ペルゼンの様子はどうであった?」
王宮内に魔法使いを嫌う者は多いが、この老人は能力主義者であり、黒首隊のことを高く評価している。ただし使える者は容赦なくこき使うタイプなので、メンバーからの評判はすこぶる悪い。
オズマからペルゼンの街の報告を聞くや否や、ホゥは派手に書類を撒き散らしながら仕事机を乗り越えると、中央にあるテーブルへと駆け寄った。テーブルには王国の地図が敷かれており、その上に様々な形をした積み木が配置されていた。ホゥは積み木を一気に手前側、王都の方へと引き寄せた。おそらく魔獣たちの位置関係を表しているのだろう。王国全土の状態を、この老人は正確に把握しているようだ。
「見よ! 北の“荒野”より湧き出た魔獣の大群は、放射状に広がりつつ南へと進んでおる。このまま手をこまねいていては、半年と経たずして王国全土は蹂躙されるであろうな」
不吉な予想を漏らしつつも、口元には笑みが浮かんでいる。困ったことに状況が悪くなればなるほど、この老人は生き生きと輝き出すのだ。
「それで、ホゥ老師」
オズマは部屋の片隅に座っている老婆に目をやった。粗末な身なりをしており、杖を抱えながら独り言を呟いている。
「あちらの方は?」
「“預言者”である」
奇妙な紹介をしてから、ホゥはことの次第を語った。
三月前、ラモン王の戴冠四十年を祝う臣民参賀の場に現れた“蒼き魔獣”は、かつて王宮内で権勢を誇っていたメイル教団と何らかの関係があることが分かった。
以来ホゥは、メイル教団の関係者を探していた。
「世情が不安定になれば、この機を逃すまいと、民衆を煽動する輩が必ず現れるもの」
ホゥは王都中に密偵を放ち、“蒼き魔獣”に関する噂と、それを口にする者の情報を集めさせたのだという。
「なに、四十年前の“邪教戦争”の生き残りなのだから、対象の年齢層は絞られる。そう難しいことではない」
はたして、その人物は見つかった。
それは、とある貧民街の片隅にある公園の中、頼りない樹木の根本に座り込み、日がな一日ぶつぶつと独り言を呟いている盲目の老婆であった。
この機に乗じて現れたのではない。ずっと昔から、老婆はそこにいたのだ。
老婆が注目されるきっかけを作ったのは、貧民街の世話役だった。孤独な盲目の老婆を憐れんだ世話役は、奇特にも老婆を自宅に連れて帰り、しばらくの間世話をしたという。
その時にふと、老婆の呟きに耳を傾けた。
女神と王家が交わした古の“盟約”、聖獣たる“角獅子”、“紅き大波”に飲み込まれ、国が滅ぶ。
興味本位からこの話を書き綴っていた世話役は、今王国で起こっている、あるいは起こりつつある出来事が、老婆の話と酷似していることに気づいた。
世話役が騒いだことで、噂は瞬く間に広まった。
“蒼き魔獣”の行方はようとして知れず、王国騎士団の消息も不明のまま。“荒野”から現れたという魔獣の大群については、王家はその存在を認めたものの、いまだ効果的な対策を打ち出せていない。
ここにきて、ペルゼンの街の噂である。
不安を感じれば、人は現状を確認したがるもの。王都の人々が狂おしいほどに求めていた答えのひとつを、盲目の老婆は惜しげもなく垂れ流していたのだ。
老婆が座り込む公園には、噂を聞きつけた人々が押し寄せるようになった。その数は日を追うごとに増え続けた。いつしか老婆は“預言者”と呼ばれ、崇め奉られる存在となっていた。
密偵から報告を受けたホゥは、すぐさま動いた。
邪教信奉罪という名目で、老婆を連行してしまったのである。
「この者は、“星語”。メイル教団の、いわゆる語り部じゃな」
語り部とは神話や歴史などを語り継ぐ者のこと。記憶し語ることのみに能力が特化しているため、会話は不得手のようだ。老婆への聞き取り調査は難航したが、十年前に起きた王女暗殺事件、“狂教徒の乱”の調書と突き合わせることにより、ようやくホゥは事態の全容を把握することができたのだという。
「メイル教団の目的は、継承と救済である」
ホゥは包み隠さず、すべてを語った。
長く、重く、そして救いようのない話を、オズマはごく簡単にまとめ上げた。
「つまり“蒼き魔獣”は案内役にすぎず、暗殺されたはずの王女こそが、鍵であると」
確かに“蒼き魔獣”が語った話とも一致するし、現実の脅威とも符合している。
「どうじゃ、面白かろう?」
別に面白くはなかったが、もはや信じる信じないの問題ではないのだろうと、オズマは考えた。
行動しなければ、国が滅ぶ。
「それで、老師。我々は何をすればよいのでしょう」
今後の対応策についてホゥはすでにまとめ上げており、あとは国王の裁可をもらうだけだという。
計画書の案を、オズマは見せてもらうことにした。
「よいか。“盟約”における試練を果たすためには、三つの問題がある」
嬉々として、ホゥは説明した。
ひとつ目は、“荒野”を抜けて“蒼き魔獣”のいる“果ての祭壇”へたどり着く方法である。
大人数での行軍は魔獣の群れに見つかる可能性が高い。高速馬車を使い、少数精鋭で乗り切るべきだろう。
「王女の護衛は、近衛隊に任せる。むろん、黒首隊にも働いてもらうぞ。斥候及び遊撃隊としてな」
「……」
計画書を捲る手を止めて、オズマは目を細めた。
ふたつ目は、王女の扱いだという。
額に奇妙な痣のある王女のことを、ラモン王はひどく疎み、仮面をつけさせた上で王都から追放した。親子の信頼関係がない中で、年端もいかない王女に過酷な役割を引き受けさせなくてはならない。
そして三つ目は、世情である。
「本来であれば、かようなことが起こる時期を予測して、万全の態勢をもって試練に挑む手はずであったのだろう。四十年前の“邪教戦争”さえ起こらなければな」
この国を救済すべき使命を受けていたメイル教団を、若き日のラモン王とホゥが壊滅させてしまった。“盟約”に関する知識は失われ、王国は今、存亡の危機に立たされている。
「いやはや、無知とは罪なことよ」
老人は俯き、震え出した。くつくつと笑い声のようなものが漏れる。自分を嘲り、取り返しのつかない過去の行為を悔いているのかと思いきや、そうではなかった。
「だからこそ、人生は面白い!」
顔を上げたホゥの目は、子供のように輝いていた。
「まさかこの年になって、人生の大半をひっくり返されるとは思わなんだぞ。早々に引退しておったら、後悔してもしきれなかっただろうて!」
ああ、やはりこの老人は傑物だと、オズマは思った。
だからこそ、生かしてはおけない。
「国と都市、そしてすべての民がひとつにならねば、この試練を果たすことはできぬ。そのためには、王家の強い威光が必要となるであろう」
つまり、不都合な事実は公表しないということだ。
「ようは無事に“果ての祭壇”にたどり着けばよいのだからな。やりようはある。公の目的は、“蒼き魔獣”退治でよいとして、ふむ」
ここで、少しホゥは考え込んだ。
「問題はもうひとつあったな。メイル教団に対する陛下の不信感は、いまだに根強い。はてさて、いかにしてあの頑固者を納得させたものか」
「ああ、それならば」
ごく軽い口調で、オズマは提案した。
「いい案がありますよ、ホゥ老師?」
にこにこと微笑みながら、右手の人差し指を上に向ける。指先がぼんやりと光り輝き、まるで幼虫のように蠢いた。
「ご存知ですか、老師? 寄生魔獣の中には、宿主の心と身体を乗っ取り、自在に操ることができるものがいることを。もっとも、半日ていどが限界ですが」
戸惑ったような沈黙が舞い降り、室内には盲目の老婆の呟きだけがやけに大きく響いた。
何気ない仕草でオズマは計画書を放り投げた。反射的にホゥが受け取ったその瞬間、オズマは行動した。
素早い動きで老人の背後に回り込むと、無理やり口元を押さえ、右手の人差し指を老人の耳の中にねじ込む。
「――くがっ。がッ、ゲッ」
小柄な老人の身体が何度か激しく痙攣し、やがて大人しくなった。
「ホゥ老師?」
その耳元で、オズマは囁いた。
「ここまでお膳立てしていただければ、もう十分です。王女殿下の護衛役は、我々黒首隊にお任せください。必ずやご期待に応えてみせますから。ね?」
「……ヨカ、ロウ」
その日の夜。“賢王の賢者”こと宰相のホゥは、王への嘆願書を書き残して、自らの命を絶った。




