(7)
“荒野”に近づくにつれて土地は荒れていく。木々どころか草花すら減り、岩と枯草だらけの詫びしい風景となる。牧草も育ちにくいこの土地に多くの人々が暮らしていけるのは、食料や資材となる魔獣のおかげだという。だがその魔獣が、人々に大きな災いをもたらすこともある。
皮肉な話だと、王国騎士団長のボスキンは思った。
禿頭に立派な髭を蓄えた、筋骨たくましい壮年の武人である。名門貴族の出自で、王家に対する忠誠心に厚い。性格はよくも悪くも生真面目で、努力もせず博打のようなもので特別な力を手に入れた魔法使いたちを、彼は心底軽蔑していた。
これまで立ち寄った町や村で、ボスキンは魔獣たちが活性化しているという噂を耳にしていた。嘘か真か、地図にすら描かれていない僻地では、魔獣の群れに襲われた集落もあるらしい。
これらの現象は、あの“蒼き魔獣”と関係があるのではないか。
噂はいずれ王都に集まってくる。民心の不安が高まり暴発すれば、敬愛する国王陛下の宸襟を騒がせ奉ることになるだろう。一刻も早く“蒼き魔獣”を退治しなくてはならない。
不退転の決意をもって進軍するボスキンと彼が率いる王国騎士団は、幸いなことに魔獣と遭遇することもなく、無事にアルシェの街へとたどり着いた。
「おお、何という堅固な外壁か」
馬上から、ボスキンは感嘆の声を漏らした。
さすがに“荒野”に隣接した城塞都市である。王都のものよりも高く分厚い外壁が街の周囲をぐるりと囲んでいた。乾燥した土地柄だが、東の山から水道橋を通して水を引いているとのことで、水と食料の豊かなこの街は、王国内でも五本の指に入るほどの発展を遂げていた。
「これはこれは、王国騎士団長のボスキンさまでいらっしゃいますな。わたくしめはこの街の執政官を務める、市長のノランチョと申します。どうかお見知りおきを」
わざわざ門の外まで出向いてきた市長の挨拶を受ける。
ひと目見て、ボスキンはこの男を嫌いになることを決めた。
顎と首の区別もつかないほどの肥満体に、シーツを巻きつけたようなだぶついた服。おまけに派手な装飾が施された輿を屈強な男たちに担がせ、その上に座っている。労働力の無駄としか思えなかった。
「事前にご指示のありました通り、水や糧食などは十分に集まってございます」
「ふむ、ご苦労であったな」
「いえいえ、滅相もございません。他に必要なものがございましたら、何なりとお申しつけください。我らアルシェの街は、臣民一体となりまして、閣下と王国騎士団に対して、お力添えさせていただく所存にございます」
役人風情らしく、市長のノランチョはボスキンに対して露骨に媚を売ってきた。
大都市の長とはいえ、ここは辺境の地だ。今回の仕事の成果を栄転の足がかりにしたい。あるいはヘマをして中央へ戻る機会を失いたくない。そんな小賢しい役人の性根が透けて見えるような下卑た態度だった。
街の出入り口である南門へ馬を進めながら、ボスキンは勝手に並走してくるノランチョに確認した。
「それで? 王都に現れた“蒼き魔獣”についての情報はどうか」
「は、はぁ」
ノランチョは額の汗を拭った。
「荒野ギルドへ指示を出したのですが、そのような魔獣の目撃情報はなく。一応、書物なども調べさせたのですが、それらしき文献はどこにもありませんでした。“果ての祭壇”なるものにつきましても同様でして」
「つまり、手がかりはなしか」
「い、いえ」
この街には昔から「悪さをする子供の家には、“青獅子”がやってきて、“荒野”の果てに攫っていく」という、親が子供に言うことを聞かせるための常套文句があるのだという。
「その、お伽噺の類ではあるのですが」
「なるほどな」
ボスキンは馬鹿になどしなかった。
王都に現れた“蒼き魔獣”。“賢者”ホゥが語った“果ての祭壇”の伝承。そして荒野街道の出発地点であるアルシェの街に伝わる“青獅子”の逸話。これだけの事象が重なれば、偶然とは考えにくい。それに、お伽噺とは歴史を物語に改変して後世に語り継がれてゆくもの。へたな歴史書などよりも真実を含んでいることもあるだろう。
門を潜ったところで、輿の上のノランチョが手をかざした。それを合図に、大通りの左右に整列していた音楽隊が派手な音楽を奏で始めた。沿道には多くの住民たちが集まっており、その中の数人が、やけに具体的に王国騎士団のことを説明し、あざといくらいに褒め称えた。
「おい、来たぞ。王国騎士団だ。なんと壮麗かつ勇ましい行進だろうか!」
「ノランチョ市長の隣にいらっしゃるお方が、ボスキン団長よ。国王陛下からの信頼も厚いと聞くわ。本当よ!」
「お触れ書きによれば、王都に現れた邪悪な魔獣を討伐するらしいぞ。王国騎士団が動いたなら間違いない。これで、我々も安心だぁ!」
「頑張れ、王国騎士団。アルシェの街は、あんたたちを心から歓迎するぜ!」
輿の上のノランチョがちらりとボスキンの顔を窺い、得意げな笑みを浮かべた。一瞬、憮然としかけたボスキンだったが、仕込みとはいえ、歓待を受けて嫌な顔をするわけにもいかない。胸を張って行進を続ける。
そんな二人の前に、沿道からふらりと杖をついた老婆が現れた。目や耳が不自由で迷い出てきたのかと思えば、そうではなかった。老婆はボスキンとノランチョの前に立ち塞がると、鋭い眼光で睨みつけてきた。
隊列が乱れ、音楽が止み、人々がざわめく。
「こ、これ。無礼であるぞ。こちらのお方をどなたと心得るか!」
顔を真っ赤にしてノランチョが金切り声を上げたが、老婆はまったく動じなかった。
「“青獅子”に、手を出してはならぬ。“青獅子”を倒さば、取り返しのつかぬことになる」
ぎょろりと目を剥き、枯れ枝のような身体からは考えられないほどの怒声を放った。
「紅き大波が押し寄せ、人の世が滅ぶぞ!」
「ひっ」
あまりの迫力に震え上がったノランチョだったが、はっと我に返ると激昂した。輿を担いでいる男たちの頭を叩いて指示を出す。
「な、何をしておる、こやつをひっ捕らえよ。せっかくの段取りをめちゃくちゃにしおって。余生を牢獄で過ごすがいい、わっ――おわぁ!」
担ぎ手が減りバランスを崩した輿から、ノランチョが転がり落ちた。
一方のボスキンは冷静だった。
ここは“蒼き魔獣”討伐の拠点となる街。軍を維持するためには、住民たちの協力が不可欠である。老婆ひとりの妄言などで余計な騒動を起こしたくはない。
馬上から沿道を見渡す。その一角に心配そうに話し合っている数人の集団を見つけた。
「この老婆の、身内の者はおらぬか!」
ボスキンは腰の剣を引き抜き、天に掲げた。
「おらぬのであれば、死んだところで悲しむ者はいまい。この場で切り捨ててくれようぞ!」
すると堰を切ったかのように、沿道からフードを被った数人の男女が飛び出してきて、老婆を取り囲んだ。
「きょ、局長。ここは辛抱くだされ!」
「テレジアさま、こちらに」
「さ、お早く!」
集団の中の一番若い娘がぺこりと一礼すると、全員が一目散に逃げ出した。彼らの勇気に免じて、ボスキンは無礼な老婆を許すことにした。
ひと悶着あったものの、王国騎士団は予定通りアルシェの街に到着することができた。強行軍で疲労した騎士たちを休ませつつ、“荒野”へ進軍する準備を整える。市長のノランチョは晩餐会や観光などを提案してきたが、ボスキンはすべて却下した。物見遊山で辺境まできたわけではない。
「これまで立ち寄った町や村で、魔獣たちが活性化しているという噂を聞いたが、まことか?」
「仰せの通りにございます」
ノランチョの説明によれば、王都に“蒼き魔獣”が現れた時期と前後して、荒野ギルドに持ちこまれる魔獣の数が増え、今では三倍ほどになっているのだという。
状況が悪化する前に行動を起こすべきだと、ボスキンは考えた。
「“荒野”の詳細な地図と案内人を用意せよ。現役の、なるべく腕の立つ魔獣狩りがよい。二日後に出発する」
「ふ、二日後でございますか。しかし」
物資の積み込みや出陣式の準備など、仕事は山積みである。何とか猶予を得ようとノランチョは粘ったが、ボスキンは取り合わなかった。役人を働かせるためには権威を振りかざすのが一番よいことを、彼は経験から知っていた。
「我らが“蒼き魔獣”を討ち果たしたあかつきには、そなたの献身ぶりを陛下に報告することになるであろう。心してかかれよ」
もしできなければ、無能者の烙印を押されるということである。
「は、ははぁ!」
冷や汗を浮かべながら、ノランチョは深々と頭を下げた。




