(4)
三日三晩、テレジアは “奥の間”にこもって女神像に祈りを捧げた。それはテレジアだけに限ったことではなかった。運搬隊の老人や腑分け担当の老婆たちも、入れ替わり立ち替わり“奥の間”に入り、長い時間を過ごした。
おかげで“星守”は開店休業状態である。
四日目、ようやく“奥の間”から出てきたテレジアは、冬眠から目覚めたばかりの獣のように痩せ細っていたが、落ち窪んだ目には強い意志の光があった。
テレジアはマァサに命じた。
「食事を、持ってきておくれ」
「は、はい!」
嗄れてはいるが、しっかりした声だった。
その後は自室に食事を運ばせ、体力回復に努めた。麦粥のような軽いものではない。テレジアが要求したのは、串に刺して焼いた肉や脂ののった内臓のスープ、栄養価の高い木の実を混ぜて焼いたパンなど、働き盛りの男たちが好むがっつりとした食事だった。
この変化を一番喜んだのは、世話役のマァサだ。彼女にとってテレジアは母親ともいえる存在である。元々若い顔立ちをしているのだが、まるで少女のように目を輝かせ、娘のクロゼが呆れるくらいはしゃいでいた。
「ルォさん。本当にありがとう!」
「ぐぇ」
問答無用でルォを抱きしめる。
「お腹は空いていないかしら? 何か欲しいものはある? そうだわ、お茶のお代わりを入れましょう」
「マァサ、落ち着きなさい」
珍しくガンギに注意されてしまった。
昼下がりの午後である。掃除や洗濯を終えて手持ち無沙汰になったクロゼとルォは、木陰にテーブルと椅子を運んでお茶を飲んでいた。こちらも馬小屋の掃除を終えて暇になったらしいガンギを無理やりつれてきて、話をしていたのである。
「だってガンギさん。テレジアさまのお声が戻ったのよ。それだけではないわ。最近は食欲も落ちていらしたのに、お代わりまで召し上がられて。お身体も少しふっくらされたみたい。どんな名医にもできないことを、ルォさんは成し遂げたのだわ!」
「分かったから、落ち着きなさい。ルォが白目を剥いている」
クロゼが用意した椅子に腰をかけ、お茶をひと口飲んで心を落ち着けてから、改めてマァサは礼を述べた。
「ルォさん。“星守”を代表して感謝します。クロゼさんから聞きました。女神さまの像を直すのに使ってくださった材料は、ルォさんが市場で買い集めたものだと」
怪しげな露店で芸術作品として売られていたものだ。詐欺まがいのガラクタだとクロゼは考えていたが、まさかあんな使い方をするとは思わなかった。
「だから、ルォさんにお返しをしたいの。お金か、同じような材料で」
少ないお給金でプレゼントを買わせたのでは申し訳ない。そう考えての提案だったが、ルォはあっさり断った。
「いらない」
「そう。じゃあ、他に何か欲しいものはないかしら?」
ルォは少し考えて、首を振った。
「して欲しいことは?」
再び首を振る。
マァサはにこりと微笑んだ。
「では、ルォさんが何か思いついたら、遠慮なく言ってくださいね。私にできることなら、どんなことでもしますから」
「お母さん、そんな約束していいの?」
「クロゼさん、私は本気よ」
普段は穏やかな母親が本気になった時にはとても恐ろしいことを、クロゼは知っていた。やんちゃが過ぎたお転婆娘時代のことを思い出すたびに寒気がする。
「それにしても驚いたわ。この国に女神さまの像が、まだ残っていただなんて」
「お掃除したお城にあったのよね、ルォ君」
「うん」
「二百年前の廃城か」
ガンギが遠くを見るような目をした。
「それならば、四十年前の争乱から免れたことも頷けるな」
魔獣からの襲撃に備えるため、王国内では高い外壁を持つ屋敷が一般的である。王侯貴族や富豪たちの別荘ともなれば、もはや城も同然だ。そのような建造物は数え切れないほどあり、王国でも辺境の廃城までは手が回らなかったのだろう。
「どんな城だった、ルォ」
「えっとね」
クロゼは驚いた。堅物の父親が仕事以外のことを聞くとは思わなかったのである。ひょっとすると古城に興味があるのかもしれない。
「ん〜」
説明が苦手なルォは難しい顔をしたが、何かを思いついたように椅子から飛び降りると、地面に手をついた。
「こういうの!」
手を触れた部分が虹色に輝き、地面が盛り上がっていく。
ガンギ、マァサ、クロゼの親子三人は、先日の女神像に続き、またもや奇跡を目の当たりにしてしまう。
新たに再構築されたのは、外壁と城門、敷地内の建物、中庭、石畳の道まで精巧に再現された、ルォの背丈ほどのミニチュア・アッカレ城だった。
◇
「“荒野”に向かって一気呵成に出動し、同業他社に勝ち抜き、大きな成果を持ち帰る。このような勇ましい運搬隊の仕事に見張り番の若者たちは憧れるもの。幼いとはいえ、ルー坊もまた男。その心には熱き冒険心というものを秘めております。確かにスミたちの言う通り、“荒野”は危険な場所ではありましょう。しかし危険を乗り越えてこそ、また成長があるのです。なぁに、心配はいりません。我ら運搬隊一同、命を懸けてルー坊を守る所存ですので。なぁ、皆の衆」
「おうよ!」
「というわけで、ルー坊を運搬隊の所属とすることを、ここに――」
「却下だよ」
肉汁したたる鮮血牛の串焼きを嚙みちぎりながら、テレジアは言い放った。
「ルォは、あたしの直轄とする」
“星守”の集会所内、夕食兼会議の席である。
朗々たる言い回しで演説していたベキオスは、不意に頬を叩かれたような顔になった。
「きょ、局長」
最終弁論など何の意味もなかった。“星守”では、代表であるテレジアの決定が絶対なのだから。
甘味の入ったミルクを飲み干すと、テレジアはにやりと笑った。
「あの子には、とてつもない魔法の力がある。第四級魔法使いだって? ふん、馬鹿を言っちゃあいけないよ。あの子の力は第一級か、それ以上だ」
実際に奇跡を目にした者たちは誰も驚かなかった。
「あたしが見たところ、精霊人でもあるようだね」
魔法使い以外でも魔法に似た力を持つ者はいる。信仰によって女神の力を授かった聖職者もそうだし、自然界に存在する精霊に愛された者たち、精霊人もそのひとりだ。
精霊人が魔法使いほど危険視されていないのは、その力が弱く、他者に危害を加える類のものではないことと、純粋な心の持ち主を選ぶという精霊たちの嗜好にあった。
「それは、わたくしも感じました」
マァサが同意した。
「ルォさんが育った環境やルォさん自身の性質を鑑みれば、精霊を宿していること自体は、決しておかしなことではないでしょう。ですが、精霊は魔を嫌います。魔獣の力と共存することなどあり得ないはず」
「目の前にあるものが、ただひとつの真実だよ。まずは頭の中を空っぽにして、真っ直ぐに見る。知識は、そのあとに使うものさ」
テレジアは油塊豚の腸詰に手を伸ばし、かぶりついた。あふれ出た油を見て、運搬隊の老人たちは胃のあたりを押さえたり、苦いものでも飲み込んだような顔になった。
「確かに精霊は魔を嫌うが、同居人が嫌だからといって逃げ出してしまえば、宿主を守ることはできない。そう考えたのかもしれないね」
他にも条件があるのかもしれないがねと、テレジアは付け加えた。
「とにかく、あの子の魔法が並みじゃないことは確かだ。星守で囲っておけば、いずれ役に立つ」
まるで盤上遊戯の駒のような物言いに、クロゼは反抗心を覚えた。不満をぶつけるかのように、自分も腸詰に手を伸ばしてかぶりつく。
その様子を見て、テレジアはほくそ笑んだ。
それでいい。打算で接する大人などに子供は懐かないのだから。
「だがね、あの子は諸刃の剣だよ」
ルォは魔法を行使することに躊躇いがない。単純に相手が喜ぶと思っての行動だろうが、それではいずれ、ルォ自身や周囲の人間にまで危険が及ぶことになる。
ゆえに、教えなければならない。
世の中の道理を。
この世界の理を。
「見張り番の仕事は、昼までとする」
昼食は集会所で一緒にとらせて、それから勉強をさせるとテレジアは宣言した。
講師役はマァサ、お目付役はテレジアだ。
「教えることは山ほどありそうだね。まずは、基礎教育からだ」
この決定に腑分け担当の老婆たちは喜んだ。優秀な見張り番であるルォは、陽も高く登らないうちに狼煙を見つけてくる。それからは掃除や洗濯などの仕事を手伝ってもらえるし、昼食もいっしょだ。
一方の運搬隊の老人たちはがっかりした。ルォとは完全にすれ違いになってしまうからだ。こうなったら見張り番をしているルォに無理やり差し入れをするしかない。ひそひそと今後の対応を協議している老人たちに、テレジアは釘を刺した。
「言っておくけれど、子供に餌付けをするんじゃあないよ。甘やかすとろくな大人にならないからね」
「そ、そんな!」
「わしらの唯一の楽しみを」
「いくらなんでも横暴じゃ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「お、だ、ま、りっ!」
老人たちの抗議を、テレジアは一喝して黙らせた。




