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岩壁のルォ  作者: 加茂セイ
第四章 魔獣襲来
29/82

(3)

 “星守”の代表を務めるテレジアは、後継者であり世話役でもあるマァサに問いかけた。

 ()()は何をしているのかと。

 集会所のテントのすぐ側にある井戸のところで、運搬隊の老人と腑分け担当の老婆たちが議論を交わしている。どことなく剣呑(けんのん)な雰囲気だった。


「みなさん、ルォさんの配属先を巡って、争ってらっしゃるんです」


 やや苦笑気味にマァサが答えた。

 クロゼが先走り、止むを得ず雇い入れることになった魔法使いの少年ルォ。半月ほど前に行われた審問会の結果、不幸な生い立ちを持つこの少年を再び“星守”に招き入れることが決まった。

 その後ルォは遠方へ別の仕事に出かけていたのだが、もうすぐ戻ってくるらしい。


「解体屋では、見張り番は運搬隊の見習いという慣習がありますから。ベキオスさんたちは、当然ルォさんも運搬隊の一員であると主張しています」


 しかし正確には、見張り番は運搬隊ではない。


「そもそもルォさんは、クロゼの発案によって雇い入れることになったのだから、()()()は腑分け担当にある、というのがスミさんたちの主張です」


 馬鹿馬鹿しいと、テレジアは吐き捨てた。

 本分を外れたところで議論することに意味などない。まったくもって嘆かわしい限りである。テレジアはひとつため息をついて首を振ると、居住用のテントに戻った。

 最近は散歩をしても気分が晴れない。それどころかどんどん気力を失い、外に出るのも億劫(おっくう)になってきている。 

 少し休むからひとりにして欲しいと伝えると、一瞬、悲しげな表情を浮かべて、マァサは頭を下げた。

 十年前、人々が“狂教徒の乱”と呼ぶ事件が起きて以来、テレジアは声を失っていた。

 王国の発表では、生まれたばかりの王女が暗殺され、狂信者たちは全員処刑されたのだという。

 そんなはずはない。暗殺など起こり得るはずがないのだと、テレジアは知っていた。だが、あの冷徹な国王と知恵の回る宰相が、火種となる王女を亡き者にした可能性は捨てきれなかった。しかも、この街で生きながらえている“星守”を除き、同胞はすべて殺されてしまった。

 絶望のあまり、テレジアは気を失った。

 そして目覚めた時には、声が出なくなっていた。まるで喉の奥が干からびてしまったかのように、ひゅうひゅうと息だけが漏れるのだ。

 それでもテレジアは(くじ)けなかった。

 自分たちの役目は変わらない。いずれ(つい)えてしまう運命であったとしても、保たなくてはならない。今まで以上に厳しく、己を、そして皆を律しなくてはならない。

 そんな悲壮な覚悟で舵取りを行なっている“星守”に、ルォはやってきた。

 最初は魔法局の差し金かと疑ったテレジアだったが、すぐに間違いだと悟った。少年の言動があまりにも幼かったからである。スパイとしてはまるで役に立たない人物であることは明白だった。

 それでもルォに対して厳しい態度をとったのは、皆の覚悟を問いただしたいと考えたからだ。欠片ほどの疑念すら排除する強い意志と用心深さがなければ、絶望を生き抜くことはできない。自分がいなくなった後、“星守”はあっという間に瓦解(がかい)してしまうだろう。

 テレジアの目論見(もくろみ)は、外れた。

 運搬隊も腑分け担当もすでに籠絡(ろうらく)されていた。頼みの綱と考えていたガンギにさえ裏切られた。彼らはともに耐え忍ぶ寒さよりも、自分たちの居場所を(さら)しかねない暖かな焚き火を選んだのだ。

 まるで心の中にぽっかりと穴が開いたようだった。

 自室のテントでひとり、テレジアは床の上に跪き、星印を切った。

 信仰する女神の名を呼び、懺悔(ざんげ)を――


「がっ、はっ」


 やはり声は出ない。漏れ出てくるのは隙間風のような情けない呼吸音だけ。

 祈りとは心の所作(しょさ)。対象となる存在を心に思い描き、心の声を捧げるもの。

 そんなことは分かっている。

 だが人は、荘厳(そうごん)偶像(ぐうぞう)を拝し、己の声に耳を傾けることで、祈りという行為を実感することができるのだ。

 ここには無残にも打ち砕かれた女神像しかなく、捧げるべき祈りの言葉も出てこない。

 底知れぬ孤独に、テレジアは打ちのめされていた。


     ◇


 魔法局アルシェ支部のカウンターで、ルォは縮こまっていた。

 正面にいる役人のノックスは、ルォが提出した完了届を確認しながら考え事をしているようだ。眉毛がぴくりと動くたびにルォは肝を冷やし、ちらりと見られた時には慌てて顔を逸らした。

 アッカレ城でのルォの仕事ぶりに問題はなかった。それどころか、侍女のレイザが(したた)めた完了届には、ルォの仕事に対する姿勢と能力の素晴らしさ、そして彼を派遣した魔法局への感謝の言葉が書き連ねられていたのである。

 それが逆にノックスの猜疑心(さいぎしん)を煽ることになったのだが、書類上の不備はなく、十歳の子供が健気(けなげ)にも仕事を頑張ったので、先方に気に入られたのだろうという結論に落ちついた。


「まあ、よいでしょう」


 あからさまにほっとしたように、ルォは息を吐いた。

 ノックスは二通の書類をカウンターの上に置いた。


「こちらが契約書になります。内容を確認して問題がないようでしたら、署名をお願いします」

「やった!」


 思わず声を上げたのは、ルォの隣に座っていたクロゼである。気が変わらないうちにとばかりにサインして、一通を受け取る。


「ありがとうございました。いこ、ルォ君」

「うん」


 役所の外に出ると、開放感を満喫するかのように、クロゼが両手を広げて大きく伸びをした。


「さあ、今日はお祝いよ。みんながご馳走を作って待っているから、“星守”のテントに行きましょう」

「お祝い? 何の?」

「もちろん、ルォ君のよ」


 ルォはきょとんとする。


「仕事、まだしてない」

「してなくてもいいの。再契約のお祝いなんだから」


 北門を出てすぐのところ、赤い大きなテントが“星守”の集会所である。中は広く、大人が十人以上が入ってもなお余裕がある。中央に設置されている円形のテーブルには花が飾られ、豪華な料理が並べられていた。

 主賓(しゅひん)であるルォと“星守”の全員が席に着くと、賑やかな食事が始まった。

 半月ほど前に開かれた審問会と同じ構図だが、雰囲気はまるで違っていた。張り詰めたような空気はどこにもなく、運搬隊の老人たちも腑分け担当の老婆たちも、にこやかな表情である。

 ルォは戸惑いを隠せなかった。

 見張り番は体力を消耗するから、もっと食べて大きくなれとガンギは言った。皿の上の料理がなくなると、クロゼがすぐに料理を取り分けてくれる。野菜の分量がやけに多いのは残念だったが、ルォは食べるだけでよいので楽だった。

 皆が楽しそうに笑い合い、食事をしている。

 だが、ルォの正面に座っているテレジアだけは料理に手をつけていなかった。隣にいるマァサも心配そうな顔をしている。

 食事も終盤に差し掛かると、帳簿担当のハマジが立ち上がった。


「実はね、ルォ君。君に“星守”のみんなからプレゼントがあるんだ」


 そう言ってテーブルの下から出してきたのは、ルォの新しいコートとゴーグルだった。


「よい仕事は、よい道具を使わないとできないからね。さあ、立って」


 これまではガンギのお古を使っていたのだが、ベルトや裾の長さを合わせただけで大きさは合っておらず、しかもあちこち傷んでいた。新しいゴーグルはぴかぴかで、コートも身体にぴったりだった。


「似合うわよ、ルォ君」


 クロゼに続いて老人と老婆たちが口々に褒め称える。

 ルォは真っ赤になった。


「あ、ありがと」


 やっとの思いでお礼を言ってから、ルォは考え込んだ。

 仕事の対価として給金をもらっているはずなのに“星守”のみんなは自分によくしてくれる。お菓子や果物をたくさん貰ったし、ゴーグルとコートまでプレゼントしてくれた。

 ルォは以前にも同じような経験をしていた。

 それは故郷の村でのこと。両親を失ってからベッドの中に引きこもってしまったルォに、近所の人たちやサジが毎日食事を届けてくれた。苔取り屋になる時にも、苔取り屋になったあとも、何かとサジが助けてくれた。そのことにルォが気づいたのは、村を発つ直前のことだった。

 だから、何もお返しができなかった。

 気づいていれば、もっと何かができたはず。


「僕も、お祝いする!」

「あ、ルォ君どこ行くの?」

「みんな、黒いテントに来て」


 そう言い残して、ルォは集会所を出ていった。


     ◇


 居住用のテントが集まる場所の一番奥に黒色の大きなテントがある。“星守”の倉庫だ。入り口側の()()はガラクタで埋まっている。しかしもう()()は“奥の間”と呼ばれ、神聖な場所とされていた。

 “星守”の面々が戸惑いがちに倉庫の入り口に集まった。しばらくして、重そうなリュックを背負ったルォがやってきた。一度“壁の家”に戻って荷物を運んできたようだ。


「ちょっと待ってて」


 ルォは分厚いカーテンで仕切られている“奥の間”へと入っていった。


「クロゼさん?」


 マァサの問いかけに、クロゼは真っ青になった。


「こ、これは、その」


 しどろもどろにクロゼは白状した。以前、洗濯物を干すロープを探していた時に、偶然ルォが見つけてしまったのだと。

 皆が困ったような顔になったが、クロゼを(とが)めたりはしなかった。これからルォは“星守”で働くのだから、いずれは教えなければならないと考えていたからだ。

 しかし、テレジアだけは違った。

 “奥の間”は、部外者が立ち入ってよい場所などでは断じてない。


「テレジアさま」


 マァサが止める間もなく、百歳近い年齢とは思えないほどの俊敏さで、テレジアは倉庫の中へ突入した。“奥の間”には分厚い絨毯が敷かれ、左右の壁には鎧兜と剣が飾られている。そして正面奥には、腰から上が無残にも破壊された石像が鎮座していた。

 石像の前で、少年はリュックから荷物を取り出していた。


「あ、きょくちょーお婆ちゃん」


 奇妙な呼び名に機先を制される。


「まだ準備中」


 もう、仕方がないなぁという顔をされて、テレジアは憤慨した。

 文句を言いたいのは、こっちだよ!

 怒鳴りつけようとしたが、声が出ない。悔しそうに歯噛みしていると、少年は荷物の中身を石像の前に並べ出した。赤、青、黄、緑、銀と、それは様々な色や形をした、おそらく観賞用の石の置物だった。最後にルォは石像の側にあった箱の中から、石像の部品を取り出した。

 (てのひら)に傷のある、腕の部分だ。

 その部品を抱えながら、少年は石像の前に胡座をかいて座った。

 この、不心得者の、クソ餓鬼(がき)めっ!

 ばたばたと左右に動き回るものの、少年は微動だにしない。テレジアは地団駄(じだんだ)を踏んだ。ついには掴みかかろうとしたところで、ぎょっと目を見開いた。

 少年の前にあるカラフルな石の置物が、虹色の輝きを放ちながらどろりと形を失ったのである。虹色の塊はまるで水の中の気泡のようにふわりと浮かび上がり、石像の腰から上を覆い尽くした。

 形が、そして色が再構築される。

 優美な曲線を描く肢体、細かな意匠と模様が施された衣、慈悲深い微笑を湛えた顔、そして銀色の髪。最後に残っていた腕の欠片がひとつになり、完成した。

 それは、女神の石像だった。

 成人の女性よりもひと回りほど小さい。両目を閉じ微笑を浮かべながら、傷ついた右手を前方に突き出している。

 薄暗がりの中、窓から差し込む光を受けて、女神の石像は荘厳かつ神秘的に輝いていた。

 遅れて“奥の間”にやってきた“星守”の面々が、驚きの声を上げる。

 両目を見開き、口を開けながら、テレジアは呆然と立ちつくしていた。

 四十年前までは毎日祈りを捧げていた。その後も常に心の中に思い浮かべていたが、十年前に声を失ってからは、なぜか(かすみ)がかかったようにその姿がぼやけてしまった。信仰を失ってしまったのかと嘆き悲しんだ。

 狂おしいほどに求め続けた女神像が、目の前にある。

 まるで、奇跡のように。


「アッカレ城にあった」


 少年は言った。

 掃除の仕事で訪れたお城の礼拝堂に、この石像があったのだと。


「手のひらに、おんなじ傷」


 だから、同じ石像だと分かった。

 色付きの石が足りなかったので、中身は空洞だという。作ることができたのは外側だけ。


「でも、おんなじ」


 少年の説明をテレジアは聞いていたが、理解することができなかった。


「かっ、はっ」


 胸の奥から、何かが込み上げてくる。

 はらりと頬を伝うものがあった。それが数十年ぶりに流した涙だと気づくまで、時間がかかった。

 身体が、震える。

 胸が、そして喉が熱い。まるで焼けるようだ。

 込み上げてくる熱いものは、乾き切ったはずの喉を包み込む。


「あっ、あっ」


 堪え、切れない。

 意識することもなく、圧倒的な何かに押し出されるかのように、テレジアは呟いていた。


「メイル、ロード、さま……」


 それは、今では口にすることさえ許されていない女神の名。

 その瞬間、テレジアは膝から崩れ落ちた。


「お、おおっ、おおおおぅ!」


 慈悲深い微笑みを浮かべる女神の前で、まるで許しを請う咎人(とがにん)のように額を床につきながら、テレジアは滂沱(ぼうだ)の涙を流し続けた。


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