(2)
若き頃のラモンは“改革王”と呼ばれていた。弱冠二十歳にして王位を継ぐと、古い慣例やしきたりを次々と打ち壊していったのである。
彼が特に許せなかったのは、国政を動かし、既得権益を壟断せしめんとする、とある宗教団体だった。
名を、メイル教団という。
メイル教団の目的や活動内容は謎に包まれていた。分かっているのは、彼らがとある古の女神を信仰しており、魔法に似た不思議な力を使うこと、王国の創成期以前より存在していること、そして国の祭事と政治に関する決定権を握っていることだった。
馬鹿馬鹿しいことに、彼らは国の政策の是非を星占いの結果で決めるのである。
若く血気盛んだったラモン王は、メイル教団の解体を目論んだ。
メイル教団は歴史と伝統ある組織だったが、秘密主義ゆえに大衆からの支持を得ていなかった。
そこが狙い目だった。
ラモン王と参謀役のホゥは慎重に内偵を行い、教団の不正を探り出した。嫌疑は収賄と人買い。後に殺人が追加された。内偵を行なっていた者が教団本部内にて不審死を遂げたのである。
証拠が固まると、ラモン王はまず王国中にその罪状を知らしめて世論を煽った。メイル教団の評判は地に落ち、信徒たちは狂信者と呼ばれるようになった。
こうして環境を整えたところで、ラモン王は教団の責任者である大司教に対して、組織の解体および王都からの追放を命じたのである。
追い詰められたメイル教団は暴発した。
こともあろうに、彼らは王位継承権のあったラモン王の叔父を担ぎ上げて、内乱を起こしたのだ。由緒ある貴族の一部まで加担したことは予想外だったが、王国の最大戦力である王国騎士団を抑えていたラモン王にとっては、ある意味、願ったり適ったりの状況であった。
講和に持ち込んではならない。これを機に後顧の憂いを断つべし。ホゥの助言に従い、ラモン王は自ら王国騎士団を率いて反逆者たちを一掃した。
メイル教団は解体された。信徒たちの多くは自害し、あるいは裁判にかけられ処刑された。
若き国王の怒りは、それでも収まらなかった。
ラモン王はメイル教を邪教、彼らが信奉する女神を邪神と断じ、いっさいの信仰を禁じた。また王国内に残された神殿や女神像を破壊するとともに、メイル教に関する書物や絵画などをすべて焼き払った。
歴史や人々の記憶からも、その忌まわしい存在を消し去ろうとしたのだ。
一年間にも及ぶ“邪教戦争”が終わると、ラモン王はホゥを宰相に任命し、国政における様々な改革を断行した。
内部の組織を見直し役人の数を減らすとともに、収賄などの罰則を強化した。王国中の街道を整備し、主要な都市に馬車駅を設置した。学舎を増やし、貧富の差にかかわらず民が平等に教育を受けられるようにした。無頼者の魔法使いたちを管理し、社会に寄与させる仕組みを構築した。
時が移り変わり“改革王”ラモンは、いつしか“賢王”と称されるようになっていた。
迷信を打破し、邪教を追放し、数百年にも及ぶ長き停滞から王国を発展に導いた実利の王。
その王が、怯えていた。
王都にて国王が魔獣に襲撃されるという前代未聞の出来事の後、緊急で招集された会議においても、ラモン王は力なく項垂れたままだった。
会議はまず、事実確認から始まった。
ラモン王の戴冠四十周年を祝う臣民参賀の場に突如として現れた“蒼き魔獣”。
「私の知る限り、言葉を操る魔獣はおりませぬ。そもそも魔獣というものは、野生の獣や昆虫などに近しい姿形をしております。私は実物を見てはおりませぬが、翼と角を持つ獅子の獣となると、心当たりはございませぬな」
と、さる高名な魔獣学者が証言した。
“蒼き魔獣”はこう主張した。“盟約”の時は来たれり。試練を果たし、我に“女神の血”を捧げよと。
「王国の歴史や伝承に関する文献に、“蒼き魔獣”が口にした盟約や“女神の血”なるものの存在はございませぬ」
こちらは王族の祭事を取り仕切る侍従長が、額の汗を拭いながら報告した。
「また、彼の魔獣が指定した“果ての祭壇”なる場所も不明にございまして」
「いや、その場所には心当たりがありましてな」
発言したのは“賢王の賢者”こと、宰相のホゥだった。枯れ枝のように細く小柄な老人は、好々爺とした微笑を浮かべつつその博識を披露した。
「遥か北方に広がる“荒野”、その中を走る街道の先に“果ての祭壇”あり。かつて“盟約”が結ばれた聖地であると、古き文献に記されておりまする」
「おお、さすがはホゥ老師だ!」
王国騎士団長のボスキンが立ち上がった。筋骨たくましい禿頭の武人である。
「魔獣め、陛下をお祝い奉る臣民参賀を台無しにしおって。ただではおかぬ。魔獣狩り風情ではないが、彼奴めを狩って毛皮にしてくれようぞ!」
次々と賛同の声が上がる中、へらへらとしまらない笑みを浮かべた中年の男が挙手をした。
「あのぅ。我々黒首隊も、お手伝いいたしましょうか?」
会議の参加者たちが静まり返った。
発言したのは、黒首隊長のオズマである。魔法使いという下賤な身分でありながら、彼は国王ラモンと宰相ホゥの信任を得て、この会議への参加を許されていた。
差し出がましい意見に、ボスキンは激昂した。
「控えよ! 魔法使い風情がっ!」
困ったような苦笑を浮かべながら、オズマは手を引っ込めた。
二人は仲が悪い。というよりも一方的にボスキンがオズマを毛嫌いしている。国王の側仕えとして魔法使いなど相応しくないと考えているのだ。
無頼者などに国の大事を任せてはおけないとばかりに、ボスキンは敬愛する王に進言した。
「恐れながら、陛下。“果ての祭壇”への騎士団派遣、並びに“蒼き魔獣”討伐の許可をいただきとう存じます。今回の件では、民たちも動揺しておりまする。陛下の御意を得て、王国騎士団が積極的に行動を起こすことで、民心を安定させることができましょう」
数千もの人々が“蒼き魔獣”を目撃し、その声を聞いたのだ。恐怖に苛まれた民たちがどのように受け止め、噂を広めるのかは予想がつかない。
しばしの沈黙の後、ラモン王は疲れたような声で許可を出した。
「よかろう。だが、慎重にな」
「ははっ!」
方針が定まったことでやや楽観的な空気が広がった。
大きな被害が出たとはいえ、しょせんは魔獣一体。王国騎士団が動くのであれば問題なく処理できるはず。詳細は後日詰めることとし、会議は解散となった。
執務室に戻ったラモン王はホゥを呼んだ。老宰相はすぐにやってきた。女官長を連れているあたり、おそらく呼び出しを予想していたのだろう。
「大変な事態になりましたな、陛下」
内心、ラモン王はため息をついた。この老人は変わり者で、状況が悪くなればなるほど目を輝かせる。そしてにこやかに相手を追い詰めていくのだ。
「先ほどは大儀であったな、ホゥよ」
今後の方針の決め手となる貴重な情報をもたらした老人は、けろりと白状した。
「“果ての祭壇”とは、かつてこの国で信仰されていた邪教の教えに出てくる言葉にございます」
「なに?」
邪教とはメイル教のことだとラモン王は察した。会議の場で古き文献に記されていたと説明したのは、参加者たちの混乱を避けるためだという。
「では、“女神の血”とは?」
「彼らが信奉する邪神のことでしょう。その力を受け継ぐ者、と解釈すべきかと」
驚くとともに、どこか腑に落ちてしまう自分にラモン王は気づいていた。
会議では話題に上がらなかったことがある。
“蒼き魔獣”はラモン王に対して、“女神の血”を受け継ぐ“娘”を要求してきたのだ。
ラモンには幾人も息子がいたが、娘はいない。公式ではそうなっていた。だから会議の参加者はあえて口に出さなかったのである。
しかし実際には、十年前に側室が王女を生んでいた。
名前を、トゥエニという。
無事に生まれはしたものの、赤子の髪と瞳の色は父親と母親のものではなかった。ショックを受けたのか、あるいは不貞を疑われることを恐れたのか、側室は自ら死を選んだ。
ラモン王がこの赤子を疎んだのは、他にも理由があった。
かつてこの手で滅ぼしたはずのメイル教団の生き残りが、王族しか知らないはずの地下通路から王宮内に忍び込み、生まれたばかりの王女に怪しげな術をかけようとしたのである。衛兵たちによって首謀者は全員捕らえたものの、赤子の額には不気味な形をした痣が浮かんでいた。それは邪教の象徴ともいえる紋様に似ていた。
この事件は、ラモン王の心胆を寒からしめた。
今一度、民の憎悪をメイル教に向けるとともに、教団の望みを完全に断つべきと考えたラモン王は、王女がメイル教団の残党に暗殺されたと発表した。実際には赤子に仮面を被せ、王都から遠ざけるよう指示を出したのである。
その後の処遇については関知していない。
一方、王女暗殺の首謀者たちには、過酷な取り調べが待ち受けていた。対応したのは、当時創設されたばかりの魔法局だった。諜報活動や戦闘行為に特化した魔法使いたちが集められ、黒首隊が結成された。彼らは邪教徒たちを特殊な魔法で尋問し、その隠れ家を暴き出した。
ホゥが“果ての祭壇”などの情報を知ったのは、尋問の結果をまとめた調書からである。
四十年前に教団が解体して以来、息を潜めるように生き延びてきた邪教徒たちは、黒首隊の強襲によってすべて捕らえられた。ラモン王は全員を公開処刑するとともに、邪神や邪教の信仰だけでなく、その名を口にすることすらも禁止した。
後にこの事件は“狂教徒の乱”と呼ばれることになる。
「“厄災の子”は」
王は女官長に問いかけた。
「あれは今、どこにいる?」
代替わりしたばかりの女官長は、しどろもどろになりながら答えた。トゥエニさまは辺境の城にいるはずですと。
「誰にも知られない場所に幽閉せよとの仰せでしたので。もはや使う者のない廃城にお住まいになっていらっしゃいます。むろん最低限の生活はなされているはずです。侍女もひとり、ついておりますし」
城の名は、アッカレ城というらしい。
「連れ戻せ」
「は、はいっ!」
女官長が飛び出していくと、ラモン王は青ざめた顔を片手で覆った。
“女神の血”を受け継ぐ娘とは、額に邪悪な紋様を宿したあの赤子のことだろう。しかしだからと言って無条件に差し出すわけにはいかない。魔獣に屈したとなれば、王家の威信は地に落ちてしまう。王女を呼び戻したのは、駒を揃えるための措置だった。
魔獣討伐は王国騎士団に任せるとして、メイル教団のことを調べる必要があった。
ラモン王は舌打ちをした。
「焚書を行ったのは、失敗であったか」
「四十年前の“邪教戦争”、そして十年前の“狂教徒の乱”により、メイル教団のおもだった幹部らは処刑されております。すべてを知り得る者がいるとするならば」
ホゥは昔を懐かしむような顔をした。
「どうしたホゥよ?」
「それがしを小童呼ばわりしたのは、後にも先にも、あの女史だけでしたな」
四十年前、王国内の組織には祭事局という教団の窓口となる部署があった。その局長を勤めていた女性だけは、一貫して王国と教団を和解させようと働きかけていた。印象的な女性だったので、かすかにではあるがラモン王は覚えていた。確かに処刑した記憶はない。反乱には加担せず王都を落ちのびたのだろう。
「あの口喧しい女局長か。名を何と言ったか?」
「はてさて。何しろ四十年も前のことですからな」
当時で五十の半ばを過ぎていたはずなので、生きていたとしても百歳近くになるだろう。
王都を追放された世間知らずの聖職者が、新たに職を見つけて生きていくことは不可能に近い。どこかでのたれ死んだか、寿命を迎えているはず。
二人は現実的な話に立ち戻った。




