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岩壁のルォ  作者: 加茂セイ
第四章 魔獣襲来
27/82

(1)

 時はひと月ほど前に遡る。

 アルシェの街の遥か南に位置する王都では、国王ラモンの戴冠四十周年を祝う式典が執り行われていた。

 国の慶事(けいじ)である。街のいたるところで祝酒(いわいざけ)が振る舞われ、街中がお祭り騒ぎとなっていた。


「うぉおおお! “賢王”さま、万歳っ!」

「おい、いくらなんでも騒ぎ過ぎだぞ」


 そんな中、へべれけの酔っ払いとほろ酔い気分の酔っ払いが、互いに肩を組みながら、うらぶれた貧民街をさ迷っていた。


「うるせぇ! 我らが国王さまを祝うのが、そんなに悪いってのか」

「だったら、臣民参賀(しんみんさんが)に出ればいいじゃないか」

「あっちは上品な集まりだろ。気楽に酒が飲めねぇじゃねぇか――うっ」

「おい、こんなところでやめろよ」


 二人は貧民街の中にひっそりと佇む公園に入った。少し休もうとしたのだが、先客がいた。

 ひょろりとした樹木の下に、(めし)いた老婆が座っている。フード付きの粗末な衣を(まと)い、杖代わりの木の枝を抱えながら、ぶつぶつと不明瞭な呟きを漏らしていた。

 へべれけの男が聞いた。


「なんだ、この婆さんは?」


 この近くに住んでいるらしいほろ酔いの男が、少し迷惑そうに説明した。


「いつもここにいるんだよ。雨の日も風の日も、ぶつぶつ、ぶつぶつと。まったく気味が悪いったらありゃしない」

「宿なしか」


 老婆の前には数枚の小銭が散らばっていた。酔客たちの気まぐれな施しによって、この哀れな老婆は細々と生きながらえてきたのだろう。

 気分が大きくなったのか、へべれけの男が懐からぺたんこの財布を取り出した。


「よし、今日は祝いの日だ!」


 財布から小銭を出して老婆の前に放り投げる。それから老婆の隣に腰を下ろし、励ますように声をかけた。


「なあ、婆さん。元気出せよ。世の中つれぇことばっかりだが、たまにはいいことだってある。今日みたいにな」


 男の声にも金にも、老婆は反応しなかった。相変わらずぶつぶつと独り言を呟いている。


「うん? なに言ってんだ」


 へべれけの男が耳を近づけた。


「紅き大波? 国が滅ぶ?」

「おい、やめとけよ」


 ほろ酔い気分の男がため息をついた。


「この婆さんは、“預言者(よげんしゃ)”だ」

「預言者?」

「ああ。あまりにも哀れだってんで、近所の長屋の差配人(さはいにん)が婆さんを連れ帰って、しばらく世話をしてやったんだと。その間、この婆さんはずっと、滅びの予言を呟いていたらしい」


 差配人は面白がっていたようだが、誰もまともに取り合おうとはしなかった。世情が不安定な時代ならばともかく、今は民から敬愛を集める“賢王”が長期に渡って国を治めており、人々は(おおむ)ね平和に暮らしている。何ゆえに世の中の儚さを嘆き悲しみ、滅びなどを期待せねばならないのか。


「でもよう。作り話にしちゃ、えらく」

「ほら、いこうぜ。すっかり酔いが覚めちまった。あっちの店で飲み直そう」


 ふたりの酔っ払いが去った後も、老婆の様子に変化はなかった。

 時おり公園を訪れる人々に不快な視線を向けられ、あるいは無視されながら、盲目の老婆は誰に語るわけでもなく、とりとめのない話を呟いていた。


     ◇


 胸騒ぎがする。そうと知らずに大切な何かを見落としているような不安感。自分がなすべきことから目を背けてしまったかのような後ろめたさ。そんなはずはないと理性では否定しても、ざわりと身体の奥が(うず)くのだ。

 血が、ざわめく。

 王家の血が。


「陛下」


 その声で、ラモン王は我に返った。

 謁見(えっけん)の間の玉座である。戴冠(たいかん)四十周年の式典が終ってから、しばらく時間が空いた。その間、玉座でうたた寝をしていたらしい。気力が充実し、張り詰めていた昔の自分からは考えられない行為だった。内心、年を取ったものだと苦笑してしまう。


「時間か」

「はい。多くの民たちが、陛下をお祝いしようと王宮前広場に集まっております」


 王の前には四名の側近がいた。

 声をかけたのは、枯れ枝のように痩せ細った小柄な老人、宰相のホゥである。そのやや後方に、近衛隊長のイグニスと黒首(こくしゅ)隊長のオズマが控えていた。


「ホゥよ」


 ラモン王は信頼する老人に問いかけた。


「魔獣たちは、どこから来たと思う?」


 明らかに獣とは異なる生き物、魔獣。異能を持ち、人の姿を見れば見境なしに襲ってくる。人の天敵といってよい存在だ。“荒野”に限らず魔獣たちは王国中の至るところに棲みついており、人里にも頻繁に姿を現わす。その生態には謎が多い。


「はてさて」


 ホゥは惚けるように答えた。


「それがしは魔獣学者ではありませぬゆえ。想像でしたら語ることもできますが、長くなりますぞ。茶菓子でもご用意いたしましょうか?」


 この程度の冗談を言い合える信頼関係が、二人にはある。

 ラモン王は苦笑し、玉座から立ち上った。


「いやよい。(らち)のない話をした」


 謁見の間から王宮前広場を見下ろすバルコニーへと移動する。ラモン王が姿を現わすと、広場の石壁を震わすかのような大歓声が沸き起こった。


「あっ、お見えになられたぞ!」

「国王陛下! ご壮健であれっ」

「“賢王”さまぁああ!」


 王宮前広場には、数千人もの群衆が集まっていた。

 この光景を目にし歓声を耳にするたびに、ラモン王はこれまで自分が成し遂げてきたことが間違っていなかったのだという思いを実感する。

 そう、胸騒ぎなど気の迷い。杞憂に過ぎないのだ。

 国王としての威厳を見せつつ民に応える。

 その表情が、凍りついた。

 人々の頭上、バルコニーと同じ高さに、巨大な影が羽ばたいていた。

 それは、背中に翼、額に角を持つ獅子のような獣だった。体毛は鮮やかな(あお)、瞳の色は琥珀色。翼と尻尾を入れると、大きさは人十倍を超えるかもしれない。

 蒼い獅子の獣は空中で羽ばたきながら、ラモン王の方を見据えていた。


「陛下!」


 その視線を(さえぎ)るように、近衛隊長のイグニスが立ちはだかった。


「皆の者、その魔獣を近づけるな! 陛下をお守りするのだ!」


 やや遅れて、彼の部下である近衛隊がラモン王を取り囲んだ。

 ここにきてようやく異常を察したのか、人々の歓声が止み、広場内は不審な騒めきで満たされた。


『人の、王よ』


 それは耳に届く声ではなく、頭の中に直接響く獣の意思のようだった。冷たく抑揚のない言葉を、王宮内にいるすべての人々が()()()


『七百と九年ぶりだ、人の王よ』


 蒼い獅子の獣は()()()


『盟約の時は来たれり。試練を果たし、我に“女神の血”を捧げるのだ』


 いつの間にか王宮前広場は静まり返っていた。数千もの群衆が、誰ひとりとして声を漏らさない。現実離れした光景と不可思議な現象に、精神が硬直しているのだ。それはバルコニーにいるラモン王たちも同様だった。

 ぐるると、蒼い獅子の獣が唸った。


『この場には“女神の血”を受け継ぐ娘はおらぬようだな』


 匂いを嗅ぐような仕草をする。


『近くにもおらぬ。どこへ隠した?』


 王に向って牙を剥いた獣に対し、近衛隊長のイグニスが怒声を放った。


「何をしておる。攻撃せよ!」


 城壁の上に待機していた衛兵たちが反応した。


「引き絞れ!」


 一斉に弓に矢をつがえる。


「ってぃ!」


 蒼い獅子の獣はひと際強く羽ばたいた。周囲に突風が発生し、放たれた十数本の矢はあらぬ方向に逸れていった。

 再び、獣が唸り声を上げた。


『そういえば、かつて娘の命惜しさに抵抗した愚かな王もいたな。思い出したぞ。人が、()()()生き物だということを!』


 蒼い獅子の獣は大きく息を吸い込んだ。次の瞬間、獣の口内から白色に近い青色の光が放たれた。獣が首を巡らすと光は放射状に広がり、城壁の上にいた衛兵たちをことごとく飲み込んでいった。

 緊張の糸が切れたかのように、広場にいた群衆のひとりが金切り声を上げた。その声は他の者へと伝播し、巨大なうねりとなった。群衆は恐怖の声を撒き散らしながら、我先にと広場の出入り口に殺到した。多くの人々が倒れ込み、その上を別の人々が踏みしだいていく。

 その様子を、蒼い獅子の獣はつまらなそうに見下ろしていた。先ほどの炎を吐き出せば大惨事となっていただろうが、さらなる攻撃の意思はないようだ。琥珀色の目を細めると、バルコニーでいまだ動けずにいるラモン王を睨みつける。


『人の王よ。“果ての祭壇”にて待っているぞ。盟約に従い、大人しく“女神の血”を――娘を差し出すのだ。それこそが、お前たちに与えられた唯一の希望なのだからな』


 そう言い残して、蒼い獅子の獣は北の方角へと飛び去っていった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 700年・・・。 「おじいちゃん、100年前に食べたでしょ」 で誤魔化せませんかね。
[一言] さっき読み始めたけど、こっちの作品もめっちゃ面白い
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