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岩壁のルォ  作者: 加茂セイ
第三章 幽霊城の姫
25/82

(5)

 掃除屋の少年は夕暮れ前に再び塔へやってきた。この時間帯はレイザが調理室で食事の支度をしているので、少女としてもありがたかった。


「先ほどは、申し遅れました」


 遅ればせながら、少女は雛を助けてくれたことに礼を言った。


「助かって、よかったね」

「はい」


 少年は出窓の部分にあぐらをかいていた。仮面を被っているのに、名前もペッポコなのに、不審に思っている様子はないようだ。

 時おりこの窓から視線を感じていたと、少年は言った。


「か、隠れてしまって、ごめんなさい」


 自分の姿を見られるのが怖くて、少女はカーテンの陰に隠れていた。さぞや気分を害したことだろう。


「ううん」


 少年は首を振った。


「僕も、いっぱい逃げたから」


 その言葉を聞いて、理由は分からないが少女は少しだけ安心することができた。


「ペッポコは、ここで何してるの?」


 何も、していない。

 “厄災”と呼ばれている自分は、ただここに閉じ込められているだけだ。しかしそんなことを話しても意味はない。同情されるか気味悪がられるかのどちらかだろう。だから少女は少年のことを聞いた。


「掃除屋さんは、どうしてあんなことができるのですか?」

「あんなこと?」

梯子(はしご)もロープも使わずに、お城の高い壁に登って」

「え? あ、う〜ん」


 両腕を組んで、少年は真剣に考え込んだ。どうやればできるのか説明するのに苦慮しているらしい。


「苔取り屋、だったから」


 ここから遠く離れた村で、ルォは生まれたという。村外れには大峡谷という断崖絶壁があり、そこで碧苔(あおごけ)を集める仕事をしているのが苔取り屋だ。それぞれの家には“石神さま”という守り神がいて、苔取り屋たちに加護を与えてくれる。


「ご加護、ですか?」

「石壁がね、ぷるるんって」


 少年は出窓の枠の部分に指先を触れた。すると、まるで水面(みなも)にでも触れたかのように、石の表面がぷるりと波を打った。


「触ってみて」

「は、はい」


 恐る恐る少女も指先で触れてみる。硬い石の素材のはずなのに、指が沈み込んだ。それはひと肌のようにやや温もりのある、不思議な感触だった。


「柔らかい」

「これが“石神さま”のご加護」


 不思議な現象である。珍しく少女は興奮し、さらなる疑問について聞いてみた。

 どうして掃除屋さんは、自分の言いたいことが分かったのか。


「ここから礼拝堂の屋根までは、とても遠いです。風が強いですし。私の声が聞こえたのですか?」

「聞こえてない」


 ただ見えたのだと、少年は言った。


「口の動きで、分かった」

「口の動き?」

「うん。だから、泣きそうなペッポコを、助けたいと思った」


 少年の言葉は少し(つたな)く、それゆえに真っ直ぐに響いた。

 少女は信じられない思いだった。

 こんな自分を、助けたい? 生まれ落ちた時から忌み嫌われ、奇妙な仮面を被せられ、朽ち果てた辺境の古城に幽閉されている、こんな自分を。


「あの、掃除屋さんは――」  


 その時、少女の部屋の扉が叩かれた。


「おひいさま、お食事の準備が整いましてございます」


 レイザの声だ。

 少女は焦った。このままではいけない。自分はともかく、掃除屋さんが怒られてしまう。


「あ、あの、レイザ」 

「失礼いたします」

「だめっ」


 少女は両目をつぶった。


「いかがなされましたか?」

「え?」


 振り返ると、出窓に少年の姿はなかった。


「な、何でもありません」


 この時ばかりは、表情を隠せる仮面がありがたいと少女は思った。

 レイザ以外の人とこれだけ長く話をしたのは初めてだった。しかも同じくらいの年頃の少年である。

 ルォという少年は、不思議でいっぱいだった。

 翌日から、少女は少年の姿を探すようになった。

 こんな仮面を被ったペッポコを受け入れてくれたのだから、もう怖いものなどなかった。

 少年は相変わらず一所懸命に働いていた。でも時おりこちらを見て、手を振ってくれたりもした。落ちないように気をつけてください。ゆっくりと口を動かしながら発音すると、少年はこくりと頷いた。自分の意思が届いたことに少女は喜んだ。

 昼食前と夕食前に、少年は少女の部屋の出窓にやってきた。

 少女は少年のことを聞いた。

 少年は何も隠すことなく、すべてを教えてくれた。

 苔取り屋になった理由。大峡谷に巣食う魔鳥との対決。そして、とても美味しくて苦しかった卵のこと。自分をいっぱい助けてくれたアニキさんのこと。それから、魔法使いの登録をするためにアルシェの街へ行き、解体屋の見張り番になったこと。

 それはとても悲しく、壮絶で、胸がしめつけられそうな話だった。しかし少年に屈折した心や悲壮感はなかった。毎日頑張って仕事をしている。


「ルォは、すごいです。私は、この部屋で本を読んで、お食事をして、眠って。それだけなのに」

「本って?」


 様々な挿絵のついた図鑑、歴史、地理、物語。今の自分には、いや、将来の自分にすら必要のないもの。


「物語?」


 少女は“勇者物語”の中の、お気に入りの台詞を口ずさんだ。それは勇者マルテウスが、王宮の一室に閉じ込められていた恋人のオフィリア姫を助け出す場面だった。


「我が心は定まれり。勇気もて、その手を伸ばせ、我が君よ。さすれば、奇跡が舞い降りん」


 “勇者”とは三つの力を兼ね備えた最強の戦士のこと。数々の魔獣を打ち倒し王国に平和を取り戻した“勇者”マルテウスの物語は、庶民の間でも人気だという。


「う〜ん」

「い、いかがですか?」

「よく分かんないや」


 少女はがっかりした。


「でも、きれいだね」

「きれい?」

「声が」


 少年はお世辞を口にしたわけではなく、素直に感心しているようだ。思わぬ感想を受けて、少女は動揺してしまう。


「他にも教えてくれる?」

「は、はい。それでは」

「おひいさま、お食事の準備が整いましてございます」


 あっという間に、少年は出窓から消えてしまった。

 その後も二人は拙い話を楽しんだ。その触れ合いは、短く、そして儚いものだった。城での仕事には十日間という期限が定められている。それを過ぎると、少年はもと来た街に帰らなくてはならないのだ。

 アッカレ城は、すでに二百年前の姿を取り戻していた。レイザは興奮したように喜んでいたが、少女は浮かない顔だった。

 その日の夕方、少年はお別れを言いにきた。


「ど、どうしてですか? お仕事は、明日までとお聞きしています」


 今日はまだ九日目のはず。また明日会えると少女は思っていたのだ。


「うん。でも、早く終わっちゃったから」


 明日の朝に出発するらしい。

 この時ばかりは仕事に全力を尽くす少年のことが、少しだけ恨めしく思った。


「ペッポコ?」


 俯いてしまった少女を見て、少年は焦り出した。


「ど、どうしたの? 気分がわるいの?」


 少女は何の反応も示さない。


「元気出して。何かして欲しい?」


 少女は顔を上げたが、言葉は出てこなかった。少年には仕事があり、住むべき場所がある。自分のわがままでもう少し残って欲しいなどと言えるはずがなかった。


「ペッポコは、何がしたい?」


 引き止めるのが無理ならば、自分を連れ出して欲しかった。たとえ美しくなった城でも、ここには何もない。小鳥の雛たちはいつか巣立ちを迎えて、大空に羽ばたいていく。その姿を自分はただ見送るだけ。まるで牢屋のように閉ざされた、城壁の中で。

 でもそんなことは言えない。自分がいなくなれば、きっとレイザに迷惑をかけてしまうだろう。

 だからせめて――


「お城の外が、見たい、です」


 無茶を承知で口にすると、少年はきょろきょろと部屋の中を見渡した。


「レイザさん、ごめんなさい」


 出窓から飛び降りて、部屋の中に入ってくる。それから少年は背中を向けてしゃがみ込んだ。


「ほら、乗って」


 おんぶという行為を、少女は経験したことがなかった。だから言われるがままに少年の両肩に手をついた瞬間、一気に持ち上げられて混乱してしまった。


「よっと」


 まるで体重を感じさせない動きで、少年は出窓に飛び移った。

 それから空中に向かって、一歩踏み出した。

 落ち――ない。

 空を、飛んでいる?

 少女の予想は外れた。塔の壁面から虹色に輝く枝のようなものが伸びてきて、足場を作ったのだ。


「よっ、ほっ」


 円柱形の塔の壁面に、次々と枝のようなものが突き出てくる。まるで螺旋階段だ。その上を、少年は軽快なリズムで歩いていく。少年の背中で、少女は硬直していた。視界の半分が塔の壁、そしてもう半分が夕焼けの空。何が起きているのか理解できなかった。

 少年の肩のあたりをぎゅっとつかんだまま、少女は目を閉じてしまう。

 どれくらい登っただろうか。

 ようやく少年の動きが止まった。


「ついたよ」


 恐る恐る目を開けると、そこは少女の知らない世界だった。

 この城で一番高い塔の天辺。

 薄くたなびく雲が幾重にも重なり、黄金色の夕日に照らされて、眩しいほどに輝いている。前も後ろも右も左も、見事なまでに黄金色の空だった。絶望的なほどに高く思えた城壁でさえ、視界を遮ることはない。

 少年は少女を、小さな円形状の屋根の上に降ろした。

 風が強い。髪がたなびく。

 思わず、少女は少年にしがみついた。


「ほら、お城の入り口の向こう。ミドの村がある。まだ子供たちが遊んでる」


 少年が指し示す。


「それから川沿いに道があって。その先が、ロッカの町」


 霞みがかったような建物群が見えた。


「そこから、ずっと先」


 もう何も見えない。


「“荒野”の手前に、アルシェの街がある」

「アルシェの、街」

「僕が住んでるところ。人がいっぱいいて、賑やかで、ちょっとだけお酒くさい」


 少年の目はぼんやりと(あか)く輝いていた。夕日のせいではない。その目は少女には見えないものを捉えているかのようだった。


「あなたは、だれ?」


 あまりにも現実離れした少年の存在に、我知らず少女は問いかけていた。


「第四級魔法使い」


 少年は答えた。


「“岩壁(がんぺき)”のルォ」


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― 新着の感想 ―
[一言] 最後のシーン、できればアニメで見てみたいなー
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