(12)
「テレジアさまのことは、私に任せてください」
「すまない」
短くガンギは礼を言った。そしてマァサに手を差し出した。いかつい掌に乗っていたのは、小さな紫色の石をはめ込んだペンダントだった。魔獣の体内からごく稀に取れる石を加工したもので、幸運のお守りとされている。
意外な心持ちでマァサはペンダントを受けとった。
どういう心境の変化だろうか。
「売れば、少しは金になるだろう。それで好きなものを買うといい」
と思ったら、やはりいつものガンギだった。ひと目につかない場所とはいえ、馬小屋に呼び出すというのも風情がない。しかし“星守”が困窮した時でも手放さなかったのだから、大切にしていたものなのだろう。そう考えて、マァサはありがたく受け取ることにした。
「ルォさんは、いい子ね」
「あいつは、強い」
「ええ、とっても」
審問会の前であれば、とてもそうは思えなかっただろう。誰かに虐められたらすぐに泣き出してしまいそうな、気弱そうな少年に見えた。しかし彼の生い立ちを知った今では、ガンギの言葉にも素直に頷ける。
まるで奇跡のようだった。
今、少年がここにいて、これほど真っすぐな心を保っていることが。
「分かってらしたのね。あの子の強さを」
ガンギは首を振った。
「最初は、希望だと思った」
マァサにはガンギの意図することが分かった。
“星守”には先がない。新たな人員を補充することもせず、世代交代もできず、ただ老いていく。無力感に苛まれながらやるせない時を過ごしている。しかしルォが来てからの“星守”は、クロゼが生まれた頃の明るさを取り戻したかのようだった。運搬隊の老人たちはルォの事情聴取と称してこっそり食べ物を運んでいたようだし、腑分け担当の老婆たちもどこかそわそわしていた。
そして、今日の審問会が決定的だった。
ある意味、自分たち以上に過酷な運命を背負った少年が、その不幸をものともせずに、健気に、健やかに生きている。
それは、希望の光そのものと言えた。
「これから忙しくなりそうね」
「だが君は、もうルォのことを調べる必要はなくなるだろう?」
このところ毎日馬小屋に顔を出していたことを、ガンギはまだ勘違いしているようだ。
「別に、テレジアさまに命じられてあなたに会いにきたわけではありませんよ」
「え?」
からかうようにくすりと笑う。
ルォが来てから、どことなくガンギは嬉しそうだった。だから気になって、話をしに来ただけなのだ。
騒がしい足音に気づき、マァサは苦笑する。
予想通りの人物が現れた。
「どうしたの、クロゼさん。ルォさんといっしょに、契約更新の手続きに行くんじゃなかったの?」
「話が、終ってから、いく」
不可解な状況を許容できる娘ではない。息を整えながら、クロゼは父親の元へと歩み寄った。
「ルォ君のこと、疑ってたんじゃないの?」
「お前の望み通りになったのだから、それでいいだろう」
「だって、おかしいじゃない!」
「はい、そこまで」
ぱんと、マァサは手を打ち鳴らした。
「クロゼさん、相手に聞きたいことがあるのなら、礼節を忘れてはいけませんよ」
クロゼが押し黙る。
「ガンギさんも、家族の中で隠し事はよくないわ」
意表を突かれたように、ガンギが瞬きをした。
頑固な二人を放っておくと収拾がつかない。ここは自分がでしゃばるべきだろうとマァサは考えた。
「ガンギさんはね、最初からルォさんを“星守”に加えたいと考えていたの」
「え? だって」
少し考えれば分かることだった。ルォが身につけているコートとゴーグルは、昔ガンギが使っていたもの。それをわざわざ仕立て直したのだから。
しかしガンギに相談された時には、マァサも驚いたものだ。
“星守”は閉鎖的な組織である。しかも過去に因縁のある魔法使いを招き入れることは至難と言えた。愚直に願い出たとしても、恐らくテレジアは許さないだろう。
それで、マァサは一計を案じることにした。
「クロゼさんは、おもにルォさんの有能さをアピールしていたけれど、それだけでは組織は動かせないわ」
“星守”の決定権はテレジアにある。であるならば、まずは彼女の信頼を勝ち得ることが先決である。
ゆえに、マァサはガンギに助言した。
テレジアの方針に同調するようにと。
もちろんそれだけでは意味がない。ルォが全面的に信頼できる人物であることを、皆に認めさせる必要があった。そのためには当人であるルォに直接話しをさせる他ない。
「だから、審問会を開いたの」
結果は予想以上のものだった。
“星守”のほぼ全員がルォの擁護に回り、さすがのテレジアも自分の考えを強引に押し通すことが難しくなった。そこで、この件における一番信頼のできる者、つまりガンギに判断を委ねたのである。
この妥協を、引き出したかった。
父親と母親の企みを知ったクロゼは、あ然とした。
「もちろん、私たちの力だけじゃない。クロゼさんの頑張りがあったからこの結果が生まれたのよ。清く正しい心から生じる行動こそが、唯一、希望の星へと繋がる道なのだから」
失われつつある教義の、とある一節である。
「ほら、ガンギさんも。クロゼさんに何か言うことがあるでしょう?」
ガンギはじっとクロゼを見下ろした。何かを言いかかけて口を噤み、それからひとつ息をつく。
「隠し事をして、悪かった」
クロゼもまた、じっとガンギを見上げた。
「ルォ君のこと、信用していたの?」
「ああ」
「最初から?」
「そうだ」
「どうして?」
話を打ち切るかのように、ガンギは背を向けた。
「ともに仕事をすれば、分かることだ」
そう言って立ち去ろうとする。
しかしクロゼは許さなかった。まるで小さなお転婆娘に戻ったかのように、父親の大きな背中に飛びついたのである。
「こ、こら!」
「お父さん!」
「その呼び方はやめなさい。何度も言っているだろう」
「いーや、絶対にやめないんだから!」
頑固な父娘の攻防を、聡明な母親は苦笑まじりに見守るのであった。




