(11)
昼食時にルォの審問を行う。
その事実をクロゼが知ったのは、まさに昼食を作っている最中だった。
「ど、どういうこと?」
スープの味見をしながら、マァサが答えた。
「テレジアさまのご決定よ」
魔法使いであるルォのことを、“星守”の代表であるテレジアは疑っていた。それは国によって抹殺された宗教と“星守”とが深く関係しているがゆえのことだった。
魔法使いたちの管轄は魔法局である。そこには特殊な能力を持つ魔法使いたちの部隊、黒首隊が所属している。十年前“星守”の仲間が壊滅的な打撃を受けたのも、彼らが暗躍したからだという。
ひょっとすると魔法局がルォを使って、“星守”の動向を探ろうとしているのではないか。
「ルォ君はスパイなんかじゃない!」
「それを証明できそうなの?」
切り返されて、クロゼは渋面になった。
ルォを尾行して少年の身の潔白を証明しようと試みたクロゼだったが、分かったのは郵便屋で手紙を出したことだけ。宛先は不明である。さらには途中で尾行に気づかれてしまい、とっさについた嘘で家に招待されて、挙げ句の果てにお風呂までごちそうになってしまった。
手紙の件はもちろん、外壁の中にある不思議な家のことも報告することはできなかった。ルォが等級を偽っているのではないかと、テレジアが疑っていたからである。クロゼは魔法使いについてそれほど詳しくはなかったが、彼女が目の当たりにしたルォの力は、最下級のものとは思えなかった。
娘の態度で何かを察したのか、マァサはそれでは仕方がないという感じで言った。
「このまま契約が終ればよいというものではないわ。私たちの安全を確認するためにも、ルォさんの審問会を執り行うことになったのよ」
それはまさに、夕食の時に父親であるガンギが主張していたことだった。
「まさかお父さんが、テレジアさまに進言を?」
「結果的にはそうなるのかしら」
「どうして私に教えてくれなかったの!」
「あなたに教えたら、事前にルォさんと話をして、口裏合わせをするでしょう?」
クロゼはルォ擁護派である。つまりは審問の結果を歪めさせないようにと、懐疑派であるテレジアやガンギが策を弄したのだ。
胸の奥がかっと熱くなるのを、クロゼは感じた。
「お父さん、私のこと信じてないんだ」
「よくお考えなさい、クロゼさん」
テレジアから次期後継者として指名されている母親は、とても頭がよい。この手の議論でクロゼが勝てた試しはなかった。
「ルォさんは、とても素直で幼い子でしょう? あなたが余計なことを吹き込んだら、審問の時にあの子の言動は不自然なものになるわ。そしてきっと、テレジアさまに見抜かれる」
クロゼは言い返すことができなかった。
「だから、これでよかったのよ」
どこか釈然としない娘を安心させるように、マァサは説明した。
「審問会といっても、大げさなものではないの。こちらから簡単な質問をして、ルォさんに答えてもらうだけ。普通のお食事会となんら変わりはないわ」
「でも」
クロゼの怒りは収まらなかった。その鋭利に尖った矛先が父親に向いていることに、彼女は気づいていた。契約更新ができないならまだしも、ルォが“星守”の敵として認定された場合、どういう処置が取られるのか。
まさかとは思うが。
「絶対に、お父さんの思い通りなんかにはさせない。私が、ルォ君を守ってみせるわ!」
母親は困ったような微笑を浮かべるだけだった。
◇
大勢での食事に慣れていないのか、ルォは緊張気味の様子だった。その隣でクロゼは周囲を威嚇するように身構えていた。幼い王子を守る騎士のような心境である。
集会所の丸テーブルには全員がそろっていた。お客さまのもてなしということで、普段よりも豪華な料理が並べられている。昨日、運搬隊が“毒露沼”から持ち帰った鬼棘蜘蛛を解体し、滋養強壮の妙薬とされる肝を入手できたことも大きかったのだろう。瑞々しい野菜のサラダまで添えられていた。
ルォの左右にクロゼとガンギ。右側に腑分け担当の老婆たち、左側に運搬隊の老人たち。そして正面には、テレジア、マァサ、帳簿担当のハマジが座っている。
主賓への挨拶はマァサが行った。
「ルォさん、お疲れさまでした。あなたが見張り番を頑張ってくれたおかげで、たくさんの魔獣を売りに出すことができました。本当に助かったわ。今日はそのお礼を込めて、お食事に招待しようと考えたの。突然で、驚かせてごめんなさいね」
ルォは目を丸くしている。
「いろいろとお話ししたいことはあるのだけれど。まずはお食事にしましょうか」
せっかくのご馳走だったが、クロゼには食事を楽しむ余裕などなかった。それは自分だけではないようで、いつもは闊達な老人や老婆たちの様子もどことなくぎこちない。その微妙な雰囲気を感じ取ったのか、ルォもまた縮こまっていた。
「ルォ、遠慮せずに食べなさい」
「うん」
ガンギに言われて、ようやくパンを齧る。
「ジャムをつけるといい。そこの赤いやつだ」
クロゼははっとした。いけない。ルォの緊張を解きほぐすのは、自分の役割だったのに。
「ところでルォさん」
マァサが聞いた。
「見張り番のお仕事は、どうでしたか? 壁の上はさぞや寒かったでしょう。つらくはなかったかしら?」
ごく自然な会話の流れではある。しかしもう審問は始まっているのだと、クロゼは気持ちを引き締めた。
「大変だったよね、ルォ君」
「楽だった」
誘導失敗である。
「そう。それにしても、ルォさんはすごいわ。誰よりも早く、あんなにたくさんの狼煙を発見するだなんて。よほどよい目を持ってらっしゃるのね」
ルォはじっとマァサを見つめ返した。
「煙を見つけると、嬉しい?」
「え?」
意表を突かれる母親は珍しい。
少したどたどしい口調で、ルォは言った。自分が狼煙を見つけて報告すると、運搬隊の老人たちは喜んでくれる。クロゼも腑分け担当の老婆たちも褒めてくれる。自分はただ仕事をしただけなのに。
「もちろん嬉しいわ。“星守”のみんなが助かっているの」
「だったら」
身を乗り出すようにして、ルォは言った。
「僕も、嬉しい!」
清涼な風が吹き抜けたような気がした。老人と老婆たちの顔が緩み、慌てたように表情を取り繕う。審問の場での笑顔は厳禁だということを思い出したのだろう。
やったわルォ君と、クロゼは心の中で喝采を上げた。母親はルォの魔法について聞き出そうとしたのだろうが、これでは追求することができない。それ以前に、なんというかもう抱きしめたくなる。
テレジアが素早く指先を動かし、マァサが頷いた。
「もし答えたくなければそう言って欲しいのだけれど。少し立ち入ったことをお聞きするわね」
魔法使いの過去など追求するものではない。そのことを知ってか、マァサは気遣わしそうに質問した。
「この街に来る前、ルォさんはどこにいらしたの?」
「村」
人の出入りが極端に少ない辺境の地では、自分の村の名前を知らない子供は多い。
「馬車に乗って来たのね?」
「うん」
「ここまで来るのに、何日くらいかかったの?」
わずかに首を傾げて、半月くらいとルォは答えた。西の方から来たのだという。
「ずいぶん遠くからいらしたのね。その村では、誰と暮らしていたのかしら」
「ひとりで」
「ルォさんおひとり?」
「うん」
慎重にマァサは聞いた。
「ご両親は?」
「父さんと母さん?」
「そうです」
「父さんは、岩王鷲に食べられた」
数瞬の間を経て、食卓の空気が凍りついた。あまりにも自然に飛び出してきた言葉だったので、その意味を理解するまでに時間がかかったのだ。
「岩王鷲というのは?」
「すっごく大きな鳥。こんなに!」
ルォは両手を広げた。
それは大峡谷に棲まう魔獣で、岩蜥蜴とは比べものにならないくらい危険な存在だという。苔取り屋の間では、一度見つかったら絶対に助からないと恐れられているそうだ。
老人たちが顔を手で覆い、老婆たちが星印を切った。
「お母さまは?」
「父さんが死んだから、死んだ」
もともと身体の弱かった母親は、流行り病にかかった。薬代を稼ぐために出かけた父親が戻ってこなかったため、嘆き悲しんだ母親は急激に衰弱していった。ルォは麦粥を作って食べさせようとしたが、ひと口だけしか食べてもらえなかった。そして、母親は死んだのだという。
「それは、ルォさんが何歳の時のお話?」
「六歳」
老人たちがうめき声を上げ、老婆たちが星印を切った。
その様子を、ルォは不思議そうに見つめている。
「ご、ごめんなさいね、ルォさん」
予想外の展開に、動揺したようにマァサが謝った。
「その、辛いことを聞いてしまって」
食卓に重い沈黙が舞い降りたが、再びテレジアが指先を動かした。次なる質問を促したようだ。
思わず立ち上がったクロゼに、ガンギが注意した。
「座りなさい」
「で、でも!」
ガンギはルォに言った。
「答えたくなければ、そう言いなさい。いいな、ルォ」
「うん」
審問は続いた。
それからずっとひとりで暮らして来たのかとマァサは聞いた。ルォはそうだと答えた。最初の一年はずっとベッドの中にこもっていたという。生きる目的を決めるためだと、ルォ言った。
そして、見つけた。
「岩王鷲を倒すこと」
ルォは父親と同じ苔取り屋になった。そしてついに、大峡谷の中層で岩王鷲と出会った。ルォは巣の上で四日間待ち伏せをして、ぎりぎりのところで岩王鷲を倒すことに成功した。岩壁から飛び降り、岩石の欠片を魔鳥の口の中に放り込んだのだ。岩王鷲は大峡谷の底へと消えていった。
力を使い果たし、岩王鷲の巣の中に落ちたルォは、空腹と疲労でほとんど動けなかった。家に帰るためには、巣に残されていた岩王鷲の卵を食べて、栄養をとる必要があった。
「焼いて、食べた」
最初は美味しかったが、すぐにお腹が痛くなり、ルォはもがき苦しんだ。これはもうだめかと思ったが、朝になると嘘のように痛みが消え、ルォは大峡谷を登って家に帰ることができたのである。
それから、苔取り屋をクビになった。
「どうして?」
「元締めが決めたから」
ルォはひとり苔取り屋ギルドの荷馬車に乗って、アルシェの街に来た。
つまりは、村を追い出されたのである。
「もう、だめじゃあああっ!」
突然、運搬隊のベキオスがテーブルの上に崩れ落ちた。他の老人たちも鼻を真っ赤にしながらおいおいと泣き出した。腑分け担当の老婆たちもハンカチで顔を覆っている。クロゼもまた、ぼろぼろと涙を流していた。
あまりにも壮絶で、悲しい話だったからである。
「局長、どうかもう許してくだされ。ルー坊はよい子です。どうか、もう」
ベキオスの訴えに皆が同調した。
そんな中、テレジアは苦虫を噛み潰したかのように口元を歪めていた。片手を上げて騒ぎを沈めると、思案する。テーブル席を見渡して、何かを決断したようだ。
テレジアは指先を動かし、最後にひとりの人物を指差した。
「ガンギさん」
ひとつ息をついて、マァサは意訳した。
「あなたの判断に、すべてを委ねます」
クロゼは気づいていた。テレジアとそして父親だけが、ルォの話にも反応を示さず、ずっと沈黙していたことを。
ガンギは立ち上った。
そもそもルォのことを一番疑っていたのはガンギだ。無口で、頑固で、情に流されることがない。
だめだと、クロゼは思った。
「ルォは優秀な見張り番であり、信頼の置ける子供です」
ガンギは言った。
「彼が望むのであれば、契約を更新したいと考えます」
一瞬クロゼは、言葉の意味を理解することができなかった。それは、自分がずっと主張していたことではなかったか。
「どうだ、ルォ」
少しだけ不安そうに、父親は少年に聞いた。
「また見張り番として、“星守”で働いてくれるか?」
「うん、じゃない。はい!」
一瞬の間をおいて、わっと歓声が沸き起こった。




