(10)
「たいちょー。煙、出た」
いつものように狼煙の色と場所を伝えると、ガンギは少し考えるような仕草をして、こう言った。
「ルォ。お前は、荷馬車に乗らなくていいぞ」
狼煙が上がったのは“毒露沼”という場所で、沼池から身体によくない空気が出ているのだという。運搬隊も河馬馬も専用のマスクをつけるのだが、ルォに合うサイズのものがない。
「だから今日は、クロゼの手伝いをしてくれ」
「うん」
「うん、ではない」
「はい!」
「それと」
珍しくガンギは言い淀んだ。
「明日で、終わりだな」
ルォが“星守”で働き出してから、間もなくひと月になる。明日で契約は終了だ。
ルォは少し落ち込んだ。“星守”の仕事が終わったら、役所のノックスと話をして、次の仕事をもらわなくてはならない。つらつらと難しい言葉を並べ立てるノックスのことが、ルォは大の苦手だった。
「そこでだ。明日は、仕事を休みにしようと考えている」
ルォはますます不安になった。まったく白紙になった一日の予定を考えるのは、ルォにとって大変な作業なのである。
「そんな顔をするな。“星守”には来てもらう」
意味をはかりかねて見上げていると、ガンギはついと目を逸らした。
「昼食だ」
お昼ご飯を食べていけという。
「そこで、少し話を聞きたい」
「話って?」
「お前の話だ」
「なんの?」
「別にたいしたことではない。こちらが簡単な質問をするから、それに答えるだけでいいんだ。正直にな」
話を打ち切るかのように、ガンギは老人たちを呼んでくるようルォに申しつけた。
いつもと違って運搬隊を見送る側になる。
「星のお導きを。そして、よい成果を」
「ピギャアアアアッ!」
ピィとミィが爆走し、あっという間に見えなくなった。
クロゼの話では“毒露沼”には希少価値の高い部位を持つ昆虫系の魔獣がいるのだという。難しい作業が発生するので、腑分け担当としては気合いを入れなくてはならない。
「でも“毒露沼”は遠いから、しばらく時間がかかると思うわ。その間に家の仕事をやっておきたいの」
最近は毎日魔獣が運ばれてくるので、掃除や洗濯などの仕事がたまっているらしい。
クロゼは表情と口調を変えて脅かした。
「今日はこき使うわよぉ。覚悟なさい」
「う、うん」
クロゼはにこりと笑った。
まずは水汲み。村でもひとりで水汲みをしていたので、ルォにとってはお手のものだった。しかし“星守”は大所帯だ。クロゼと一緒に何度も水を汲んで水甕の中に溜めていく。
それから草むしり。膝や腰が悪い年寄りが多いので、どうしても人目につかないところはなおざりになってしまうのだという。これもずっとひとりで暮らしてきたルォには慣れた作業だった。根元から草を引っこ抜き、土を払って積み上げていく。
「ルォ君、ゆっくりでいいのよ」
手を休めず、ルォは答えた。
「だいじょうぶ。平気」
こき使うと言ったわりに、クロゼはすぐに仕事を切り上げた。
「はい、これでおしまい。休憩しましょ」
「もういいの?」
「ずいぶん綺麗になったわ。手伝ってくれてありがとう」
その後、マァサたちが洗い終えた洗濯物を運んだ。今日はよい天気なので、シーツを洗うことにしたそうだ。洗濯物を干すのは、二本の杭にロープを張った場所で、陽当りがよい。ルォは背が低いので、籠を持つ係になった。脚の長い椅子に座ったクロゼが、籠の中のシーツをどんどん干していく。
突然、ロープが切れた。
洗い立てのシーツが地面に落ちてしまう。
「あ〜っ!」
この世の終わりのような声を出して嘆いたクロゼを、マァサが嗜めた。
「クロゼさん。そんな声を出すものではありません。落ちた洗濯物は、もう一度洗えば済むことでしょう」
「はい。ごめんなさい」
あれだけ迫力のあるクロゼが小さくなっている。やはり母親は子供を注意するものらしいと、ルォは納得した。スミ、ヌラ、モリンの三人がやってきて、落ちたシーツを手早く拾い集めていく。
クロゼはロープの先を確認した。
「ロープが古くなってたんだわ。倉庫にあったかしら」
椅子から飛び降りて、ルォの手を取る。
「ちょっと探してきます。ルォ君、手伝って」
「うん!」
「あ、クロゼさん」
頬に手を当てながら、大丈夫かしらという感じでマァサが見送った。
住居用のテントが立ち並ぶ場所の一番奥に、大きな黒色のテントがある。ここが“星守”の倉庫だった。しっかりとした作りで、窓もある。
「風通しをよくしてあるのよ」
倉庫の中には不思議なものがいっぱいあった。魔獣の骨や毛皮らしきもの、錆びついたノコギリや包丁、壊れた机や椅子、そして木箱の山。価値のないガラクタばかりだ。
「えっと、ロープはどこだったかしら」
ルォも周囲を見渡した。そして奇妙な違和感を覚えた。テントの大きさに比べて奥行きが足りないような気がしたのだ。奥の壁は分厚いカーテンのようなもので仕切られている。
「あ、ルォ君、そっちはだめ!」
クロゼが駆け寄ってきて、後ろからルォの目を塞いだ。
しかし手遅れだった。
カーテンの先は奇妙な空間だった。分厚い絨毯が敷かれ、左右には騎士が身につけるような鎧兜が並んでいる。壁には両手持ちの大剣が飾られていた。
「見えない」
クロゼはため息をついて、手を離した。
空間の一番奥には、壊れた石像があった。女性の像のようだが、腰から上がない。石像の隣には木箱がひとつあった。
「壊れてる」
「そうね」
こちらにも窓がひとつあるので、暗くはない。クロゼは木箱の蓋を開けた。中には上質な布で包まれた石像の破片があった。
それは、掌に傷のついた片腕だった。
「女神さまの石像よ」
「女神さま?」
「そう。今はもう、忘れられた」
昔は多くの信者がいて毎日祈りを捧げていたが、今では信仰することも、その名を口にすることも許されていないのだという。
「だからお願い。ここに女神さまがいらっしゃること、他所の人には言わないでね」
「うん。わかった」
ルォの頭を撫でたクロゼは、ふと気づいたように聞いてきた。
「ひょっとしてルォ君、直せたりする?」
ルォは土や石を自分のイメージしたものに変形、変質させる能力をもっている。一度見たものであれば、限りなく近いものを再現することが可能だった。“壁の家”にあったテーブルや椅子、そして食器類なども、ルォの実家にあったものをコピーしたのである。
しかし、この石像の大部分は失われていて、表面の色も落ちていた。
「見てないから、無理」
「そうよねぇ」
二人はロープを見つけて、倉庫を後にした。




