(9)
「じゃあな、ルー坊よ。がんばれよ」
「ありがと、ベキオスおじいちゃん」
ルォがお礼を言うと、老人の目が細まり、口元が緩んだ。少し浮かれたような足取りで、ベキオスはゆっくりと離れていく。その途中でくるりと振り返った。
「お、そうじゃ。このことは他の者には内緒じゃぞ。特に、ガンギのやつにはの」
「うん、分かった」
ベキオスからもらった焼き菓子を、ルォは頬張った。
甘い。
しばらくすると、チャラがやってきた。
「ルー坊や。元気にしとるかや?」
「うん」
「相変わらずここは風が強いの。風邪をひいては大ごとじゃ。これを飲むとええ」
差し出されたのは殻のついた木の実だった。温かい。一度焼いて少し冷ましてあるようだ。
「なにこれ?」
「カッカルの実じゃ。ほれ、上の方に穴が空いておるじゃろ?」
チャラは中が空洞になった植物の茎を、その穴に刺した。中には甘い果肉があり、熱を加えるとどろどろに溶けるのだという。
ルォはすすってみた。
甘い。
「ありがと、チャラおじいちゃん」
老人は目を細めて、おどけたように笑う。
「ひょっ。なぁに、礼には及ばんぞい。頑張ってるルー坊への、わしからのご褒美じゃ。ああ、しかしの。このことは――」
外壁の上で見張り番をしていると、運搬隊の老人たちがひっきりなしにやってきて、お菓子や果物や温かい飲み物をくれる。そして最後に、他の者には内緒だと口止めするのだ。
“星守”の人たちは、へんだった。
クロゼはルォのことをとても心配する。顔を合わせるたびに「危ないことはしちゃだめ!」と注意してくる。そういう時のクロゼは迫力があるので、逆らうことができない。
隊長のガンギは、顔は怖いが怒ったりしない。短い言葉でたくさん指示を出してくる。仕事の時の返事は「うん」ではなく「はい」だ。
運搬隊の老人たちは、お菓子や温かい飲み物を持って壁の上にやってくるし、腑分け担当の老婆たちも、帰りがけに果物などをこっそり渡してくる。おかげでいつもお腹がいっぱいだった。
“星守”の仕事もへんだった。
外壁の上から煙を見つけて、色と場所を報告するだけ。それはルォにとってとても簡単なことだった。危険もないし、甘い食べ物や飲み物ももらえる。しかもお給金まで出る。もう少しで終わりになるのが残念だった。
「おい、お前!」
低く唸るような声をかけてきたのは、ルォと同じような格好をした少年だった。どこか懐かしい感じがした。村でもこんな感じで年上の少年たちが絡んできたのだ。
「名前は?」
「ルォ」
「何歳だ?」
「十歳」
「ガキだな」
子供相手の会話は先が読めない。だが、たとえ心が怯んでも、逃げ出さないことはできる。
「オレは、タキ。“新鮮部位”の見張り番だ」
知っている。クロゼから何度も注意されていた。
「いいか、よく聞けよ」
ルォよりも大きな少年、タキは言った。
“星守”はもう終わりだ。じじいばっかりだし、人数も少ないし、荷馬車はボロい。その点“新鮮部位”は違う。ここ数年、人は増え続けているし、ずっと売り上げトップを走っている。
「俺もすぐに見張り番を卒業して、運搬隊に入る。そうしたらもっと活躍して、“星守”を取り込んでやる。吸収合併ってやつだ」
「きゅーしゅーがっぺ?」
聴き慣れない言葉だった。
「ジジイたちは全員クビだが、クロゼは雇ってやってもいい」
「クロゼお姉ちゃんを、雇うの?」
「そうだ。なんならお前も来るか? 俺に忠誠を誓うなら、“新鮮部位”の見張り番として推薦してやってもいいぜ」
よく分からなかったが、クロゼは嫌がるだろうとルォは思った。
「クロゼお姉ちゃん、タキのこと言ってた」
「え?」
一瞬、タキは真顔になった。
「嫌いだって」
タキは仰け反った。
「う、嘘をつくな!」
「ついてない」
ルォはタキにクロゼが口にした言葉を正確に伝えた。
昔は可愛かったのに生意気になった。“星守”の悪口ばかり言うから、嫌い。タキは意地悪だから近寄ってはだめ。目を合わせてもだめ。ルォ君はあんなふうにならないでね。
「お、お、お前に、クロゼの何が分かる!」
「クロゼお姉ちゃんは」
ルォは少しだけ考えた。
「母さんみたい」
すぐに心配して、いっぱい注意してくる。
「は?」
もう少し考える。
「それと、お風呂が好き」
先日のことである。
クロゼはルォの家の初めてのお客さまになった。昔、母親がそうしていたように、ルォは“一番いいお茶”を出して、おもてなしをした。するとクロゼは家の中を案内して欲しいと言ってきた。まだ色付きの石が足りず家作りは途中だったが、ルォは案内することにした。
そして“お風呂の部屋”を見たクロゼは、石のように固まってしまったのである。両手の拳をぎゅっと握り、歯を食いしばっていた。
他人の機微に疎いルォだったが、これは分かった。確かにお風呂は気持ちがいい。父親が言っていた通り、仕事の疲れも一発で吹き飛んでしまう。
『いっしょに入る?』
『ルォ君』
誘ってみると、クロゼはルォの両肩に手を置いて、かっと目を見開いた。
『ちょっとだけ、待ってて!』
ものすごい勢いで家を出て行ったクロゼは、すぐに戻ってきた。そして床の上に陶器製の容器をいくつも並べ出した。中身は花の香りがする水や、石鹸を溶かした水や、ぬるりとした油のようなものだった。なぜ分かったのかというと、クロゼがルォの身体に塗りたくったからである。お風呂は浸かるものだと思っていたのだが、クロゼに言わせるとそれだけではないらしい。結局ルォは泡だらけになり、ぬるぬるになり、花の匂いがついた。
散々な目にあったルォだったが、クロゼはとても嬉しそうだった。浴槽につかっている時には低く大きな声を出しながら息を吐き、ルォの頭を洗っている時には鼻歌を歌っていた。
だから、ルォも嬉しかった。
「な、な、な」
お風呂でのクロゼの様子を話すと、タキはなぜか動揺したようによろめいた。
「いっしょに、風呂に入った、だとぉ?」
「うん」
タキは俯くと、ぶつぶつと呟き出した。
その時、北の方角に狼煙が見えた。
煙の色は緑色。確か“小物”だ。
「お、お前、なんかに」
正確な位置を確認して、ひょいと縁壁から飛び降りる。
「お前なんかに、負けねーからなっ!」
タキの叫び声を、ルォは聞いていなかった。




