(7)
最近の“星守”の食事は贅沢になっている。味が薄く具も少なかったスープには、たっぷりと肉や内臓が入り、塩気も増している。パンはよい小麦を使った柔らかなもの。それに、バターまでついている。月に一度あればよいくらいの献立が、毎日食べられるようになったのだ。
「これも、みんなルォ君のおかげです」
夕食の席で、クロゼは力説した。
赤いテントの集会所は食堂にもなる。中央の丸いテーブルを囲み、みんなで食事をとるのだ。“星守”の全員が集まっていた。代表のテレジア、父親のガンギと母親のマァサ、運搬隊のベキオス、チャラ、ボン、トトム、腑分け担当のスミ、ヌラ、モリン、そして帳簿担当のハマジである。
「彼が望むのであれば、契約を更新すべきだと考えます」
“星守”は閉鎖的な組織だ。部外者であるルォへの風当たりは強い。特に代表を務めるテレジアは、ルォのことを魔法局が“星守”を監視するために派遣したスパイだと疑っていて、毎回少年の様子をこと細かに聞いてくる。そのたびにクロゼはルォを擁護してきたのだが、あまりにもむきになりすぎて逆に説得力を失っていることに、彼女自身気づいていなかった。
「ルォ君は、とても目がいいんです。どんなに遠くの狼煙も決して見逃さないわ。こんな優秀な見張り番を、他の解体屋が放っておくはずがありません」
契約が切れたら引き抜かれるとクロゼは暗に警告したのだが、あっさりとガンギに論破された。
「その心配はないだろう。好き好んで魔法使いを雇う者など、誰もいない」
悔しいことにその意見は的を射ていた。テレジアが指先を動かす。肯定を意味する仕草だ。
「よろしいですか?」
人の良さそうな老紳士、ハマジが手を挙げて発言した。
「帳簿担当としては、彼を手放すのは惜しいと考えます」
もとは運搬隊の一員だったが、仕事中の事故で膝を壊してからは、帳簿担当として“星守”の経理全般を取り仕切っている。
「皆さんもご存知の通り、いくつかの仕事道具がすでに寿命にきておりまして。騙し騙し使ってきましたが、そろそろ限界でしょう。また、荷車の車輪や金具も劣化しています。これもすぐに取り替えませんと。運搬中に事故でも起きたら、大ごとですから」
これは心強い援軍だった。ハマジは穏やかな老紳士で、テレジアからの信頼も厚い。
「ですが、彼には謎が多い」
ガンギがまた余計なことを口にした。
「いくら“星守”の収益が上がるからと言って、無条件で信じるわけにはいきません」
テレジアが大きく頷いた。
「いや、それなんじゃがな」
運搬隊のベキオスが、気難しそうな顔で言った。
「わしもルー……あの少年を疑っておってな。見張り番をしている時に、それとなく探りを入れてみたんじゃ」
わざわざ外壁の上に登って話をしたらしい。
「田舎の村から出てきたばかりと言っておったぞ」
おどけたようにチャラが主張した。
「ひょっ。わしも厳しく詰問してやったぞい。あやつめ、とうとう白状しおった。何でも、生まれ育った村で苔取り屋をしとったらしいの」
ボンがテーブルを叩いた。
「おう、わしも聞いた聞いた。いくらとぼけたところで、わしの目は誤魔化せん。彼奴め、この街に来たばかりで、ひとり暮らしをしているらしい。まったく、ろくに飯も食っておらんのではないか?」
両腕を組みながら、トトムが眠そうに言った。
「あー、少なくとも、嘘はついておらんだろ? なにせ、郵便屋のことも知らんかったくらいじゃ。やつの信頼を得るためにの、あえて教えてやったわ」
どうしてみんなそんなに疑い深いのかと、クロゼは歯噛みした。
ガンギはさらに冷淡だった。
「どちらにしろ、子供が勝手に言っていること。信憑性に関しては疑わしい部分があります。誰かに言わされている可能性も捨てきれません」
老人たちがそろって顔をしかめた。
先を続けるようにと、テレジアが促した。
「このまま契約期間が過ぎれば、それでよいというものでもありますまい。場合によっては、審問する必要もあると考えます」
「そんな、ひどい!」
思わずクロゼは立ち上った。頑固な父親だとは思っていたが、それでも信じていた。それなのに、あんな素直でいたいけな少年を疑うだなんて。
「いいわよ。みんながそんなふうに言うのなら」
勢いに任せて、クロゼは啖呵を切った。
「私が、ルォ君の無実を証明してみせるわ!」
◇
運搬隊の出動は、一日に一回だけ。
朝の早い時間にルォが狼煙を見つけると、お昼過ぎには運搬隊の仕事が終わってしまうこともある。ガンギはピィとミィの世話があり、老人たちは道具類の手入れをしたりするが、ルォはお役御免となり、ハマジから給金をもらうと、北門から“壁内”へと帰っていく。
「クロちゃん、クロちゃん。あの子、行ったわよ」
その様子をテントの陰から観察しながら、スミが合図した。
「ごめんなさい」
腑分け担当の仕事はまだ残っている。しかし、クロゼのことを孫娘のように可愛がっている老婆たちは、喜んで送り出してくれたのだ。
「あの子は絶対に悪い子じゃないよ」
「さ、見失わないうちにお行き」
ヌラとモリンが促す。
「ありがとう」
クロゼもまた、ルォの後を追って北門へと向った。
そして、いきなりその姿を見失った。
“壁内”に入ってすぐのところ。人気のない壁沿いの細道である。
おかしい。一本道だったはずなのに。
近くをうろうろしていると、軽やかな足音が聞こえた。
反射的に物陰に隠れる。
ルォだった。
いつの間にか少年は大きなリュックを担いでいた。どこかに隠していたのだろうか。
今度こそ見失わないように、クロゼは慎重に尾行を開始した。
とても褒められた行為ではなかったが、これもルォのためだとクロゼは自分に言い聞かせていた。ルォの無実を証明するためには、彼の行動を密かに確認して、みんなに報告するしかない。
物陰に隠れながら、クロゼはやきもきしていた。どうにもルォは街を歩き慣れていない感じがする。保護者たる大人としては、手を繋いで誘導すべきなのだろうが、あいにく今は飛び出すことができない。
ルォが向かった先は、郵便屋だった。
そういえば、夕食の時に運搬隊のトトムが言っていた。ルォは郵便屋も知らなかったから、教えてやったのだと。
ルォは手紙を出しに来たようだ。
やはり慣れていないらしく、きょろきょろしている少年に、親切な女性の職員が声をかけた。かなりの美人だ。丁寧に出し方を教えてくれている。顔を真っ赤にしながらルォがお礼を言うと、微笑みながら頭を撫でた。
「私に相談してくれたら、教えてあげるのに」
どことなく釈然としない。
それにしてもどこに手紙を出したのだろうか。まさかとは思うが“星守”の情報をどこかに知らせているとか。
郵便屋を出たルォは、中央市場へと向かった。この街で一番人が集まる場所である。食材や生活用品でも買うのかと思いきや、ルォが立ち寄ったのは、市場の端にある怪しげな露店だった。派手な服を着た店主に誘われるがまま、ルォは石を削って作ったらしい銀色の置物を購入した。素材は銀ではなく、まがい物の鉱石だろう。
完全に無駄遣いである。
「何も知らない子供に、あんなガラクタを売りつけるなんて!」
ルォを追いかけながら、クロゼは露店の店主を睨みつけた。
その後、ルォは北門の方へ戻っていく。
街の中を周回している巡回馬車を使えばもっと楽に行動できるはずだが、乗り方を知らないのかもしれない。
「え?」
外壁近くの路地裏で、再びクロゼはルォを見失った。
おかしい。一本道だったはずなのに。
見失った先を歩いてみる。
行き止まりだった。
左右は高い石垣、正面は外壁に囲まれており、朽ちかけた木材や砕けたレンガなどが放置されている。日当たりが悪く人影もない。あまり長居したい場所とはいえなかった。
「クロゼお姉ちゃん」
はっと振り向くと、石垣の上に少年が腰掛けていた。
ルォである。
大きなリュックを担ぎながらよじ登れるとは、とても思えない高さだった。
少年は無造作に飛び降りると、音も立てずに着地した。
一瞬、地面が虹色に輝いたように見えた。
またあの魔法を使ったようだ。
「何してるの?」
特に怒った様子もなく、少年は不思議そうに聞いてくる。
内心、クロゼは動揺した。
尾行していましたとは言えない。
「ル、ルォ君のお家に、遊びに来たの」
「本当?」
とっさについた嘘と無邪気に驚く少年の顔に、じわじわと罪悪感が沸き起こる。
「いらっしゃいませ」
小さな魔法使いの家は、壁の中にあった。




