(6)
“星守”の日常は、激変した。
今日も元気に、見張り番の少年が集会所の中に飛び込んでくる。身につけているのは古びたゴーグルと、やはり古びたフード付きのコートだ。
「たいちょー。煙、出た」
毎回、お決まりの台詞である。
ガンギもまた同じことを聞く。
「色は?」
「赤色」
「“大物”だな。場所は?」
迷いもなく、ためらいもせず、テーブル上に広げられた地図の一点を、少年は指差した。
「ここ」
「“黒森”の南東部か。“街道”からも近い。競争になるかもしれんな」
最初は運搬隊の誰もが半信半疑だったが、今や少年の報告を疑う者はいない。
「ルォ、先輩方を呼んできてくれ。井戸の近くで仕事道具の手入れをしているはずだ」
「うん」
「うん、ではない」
「はい!」
少年は驚くほど素直だった。奇妙なことだが、命令されることを喜んでいるようにも見えた。
ガンギは馬小屋に向うと、ピィとミィを荷車に繋いだ。このところ出ずっぱりだが、河馬馬はタフな家畜である。それに最近は、質のよい乾草や穀物などを与えられている。
作業を終えたところで、運搬隊の老人たちがやってきた。やれ腰が痛いだの、老人は労わらんかだのと文句を言い合っている。老人たちは荷台へ、ルォはガンギの隣、御者席に座る。“星守”の女たちも集まってきた。腑分け担当のクロゼと老婆たち、それにマァサもいる。
「ルォ君」
クロゼが注意を促した。
「“荒野”は危ないから、へんなことしちゃだめよ。隊長の言うことを聞いて、おとなしくしてるのよ。いいわね?」
「うん」
あの子は危なっかしいので、きちんと言い聞かせないとだめなのだという。もともと世話焼きな性格だったが、いささか過保護すぎるのではないかと、ガンギは思った。
「星のお導きを。そして、よい成果を」
女たちがそろって祝福の星印を切る。以前であれば本気で期待する者などいなかったが、今は違う。荷車の老人たちも、任せておけと言わんばかりに得意げにポーズを決めている。
不意に視線が合ったマァサにひとつ頷くと、ガンギは鞭を入れた。
「ピギャアアアアッ!」
ピィとミィは気性が荒い。大口を開け涎を撒き散らしながら、どたばたと走り出した。
“後追い”を避けるためにも、運搬隊の馬車は静かに出発するのが常なのだが、こればかりは仕方がない。それに“星守”には“後追い”を避ける資格はないと、ガンギは考えていた。
アルシェの街の北門から北に向かって伸びる荒野街道。この道は途中でいくつかの道に分岐し“荒野”の中の様々な領域へと繋がっている。今回の目的地は“黒森”とよばれる場所だった。比較的街に近く、小型から中型の魔獣が多く棲息している。気候も安定しており、魔獣狩りたちに人気のスポットだ。
それにしてもと、ガンギは思う。
“後追い”の馬車がまったく追いかけてこない。他の見張り番たちがまだ狼煙を発見していないということだ。隣に座っている少年に目をやる。若い頃にガンギも見張り番を経験していた。仕事場となる外壁の上には縄張り争いがある。人気があるのは昇降塔の近くだった。狼煙を見つけてから素早く降りられるし、その行動を他の見張り番たちに気取られずに済むからだ。しかし弱小勢力である“星守”の見張り番であり、おそらく最年少であろうルォに、よい場所が取れるとは思えない。
よほど目がいいのか、それとも魔法の力なのか。
やがて“星守”の荷馬車は“黒森”に入った。葉のない木々で覆われた異様な森である。地面の色は黒。木々の色は灰色。雑草や低木は生えていないが、ところどころに木の根が飛び出していて進みづらい。
ここまでくると、狼煙もはっきりと確認することができる。少年が報告した通りの色と場所だった。
狼煙の色には意味がある。魔獣の大きさによっては、解体するために多くの荷馬車や人員が必要となるため、その大きさを狼煙の色で知らせるのだ。
赤色の狼煙は、獲物が人七倍から人九倍くらいまでの大型の魔獣であることを意味していた。
荒野街道を外れると、全員が馬車から降りた。ここからは河馬馬を引き、荷台を押しながら狼煙の地点まで移動する。ルォはここでも見張り役だった。周囲に魔獣がいないかどうかを警戒する役割だ。もちろん、子供にすべてを委ねるわけにはいかないので、ガンギも注意を払っている。
少し開けた場所に出た。押し潰されたように倒れている木々が、戦いの激しさを物語っていた。倒木に覆い被さるような格好で、巨大な魔獣が地に伏せていた。人七倍だとガンギは目算した。成人男性の七倍くらいの大きさという意味だ。
鼻の先にある立派な一本角、ずんぐりとした体格で、四肢は太い。全身が分厚く硬い皮膚で覆われている。帷子犀という魔獣だった。
「おう、早かったな」
魔獣の近くに四人の男たちが休んでいた。魔獣を素材とした武具を身につけており、魔獣の血で顔に文様を描いている。
魔獣狩りのパーティだ。
荒野で無駄な時間を過ごすことはできない。ガンギは魔獣狩りのリーダーらしき男の元へ駆け寄った。
「見事な帷子犀ですな」
「ん? ああ、かなり手こずったぜ。薬を使って弱らせたところで、一気にとどめを刺した」
周囲にはかすかに刺激臭の残滓が残っていた。おそらく痺れ粉だろう。彼らはさまざまな武器や罠を使って魔獣を倒す。
「悪いが、少し肉を持ち帰りたい」
「お安いご用で」
解体屋が回収した魔獣の部位は、荒野ギルドで買い取られる。その収益の一部は、対象の魔獣を狩った魔獣狩りに分配される。ここで肉を分け与える行為は、厳密に言えば規則違反に当たるのだが、現場では必要な妥協だった。
“星守”の運搬隊は、魔獣の解体作業を開始した。
巨大なノコギリやノミを使って肉を切り、骨を砕く。魔獣の体内には毒腺と呼ばれる毒の筋や袋が無数にあるので、その場所は避けなくてはならない。ただし、この場では細かな作業は行わない。荷馬車で運びやすいよう適当な大きさに切り分けるだけだ。
作業中は魔獣狩りたちが周囲を警戒し、護衛をしてくれる。これは“一番乗り”だけの特権だった。解体作業が終われば魔獣狩りたちは立ち去ってしまう。遅れて現場に到着した他の運搬隊たちは、魔獣の襲撃に怯えながら手早く作業を済ませなくてはならない。残された部位も価値の低いものばかり。つまり、二番手以降はうまみが少ないのである。
年老いたとはいえ熟練の腕を持つ“星守”の運搬隊は、巨大な帷子犀を次々と解体してく。皮は硬すぎるので放置する。肉は腰の内側のものだけ。そして、上質な食用油がとれる肝臓。ルォには手伝わせない。力仕事は任せられないし、魔獣の毒に触れ、目や口に入りでもしたら大変だからだ。
ある程度解体が終わると、ガンギは一番上等な肉を魔獣狩りのリーダーに渡して、作業の完了を告げた。
その時、他の解体屋が現場に到着した。同業者の中では一番の規模を誇る“新鮮部位”の運搬隊だった。
「“星守”さん、どういう手品を使った?」
顔見知りの男、“新鮮部位”の運搬隊の隊長が、苦々しそうに問いかけてきた。一番悔しそうにしているのはタキという見張り番の少年で、地面から飛び出た木の根を蹴りつけている。
同業者の言い争いほど不毛な行為はない。
「いえ、別に何も」
ガンギは一礼して立ち去ろうとしたが、ベキオスたちは見えないところで手を振ったり舌を出したりしていた。今までさんざん馬鹿にされてきたので、その当てつけだろう。
よい部位だけを積み込んだ“星守”の荷馬車は、悠然と“黒森”を抜け出した。
◇
夕暮れ時。
馬小屋でピィとミィに飼葉を与えていると、足音が近づいてきた。
「ガンギさん」
その声に、ガンギはわずかに緊張した。いつもながらに馬鹿らしいと思う。
「マァサか」
馬小屋にやってきたのはマァサだった。年齢はガンギと同じ五十歳だが、そんな歳を感じさせないくらい若々しい。
彼女とは子を成した関係ではあったが、あくまでも例外的な事項であるとガンギは考えていた。そのつもりだった。
仕事の手を休めないまま、ガンギはマァサに報告する。
見張り番の少年、ルォの様子をだ。
“星守”の代表であるテレジアは、病的なまでに猜疑心が強い。以前はそうでもなかったはずが、十年前の事件で声を失って以来、決定的に変わってしまった。
夕食の時にはガンギや運搬隊の老人たちからルォの様子を聞き出そうとする。ルォが魔法局のスパイであることを、テレジアは疑っているのだ。しかし期待された答えを聞けないので、マァサを使って探りを入れているのだろう。
そうでなければ、マァサが自分に会いにくる理由などない。
ガンギの報告を、マァサは微笑を浮かべながら聞いていた。彼女は相槌を打つのがうまい。つい口数も多くなってしまう。
最近、ガンギには悩みごとがあった。
しかし運搬隊の隊長である自分には、気軽に話せる相手がいなかった。
同年代の仲間といえば、マァサくらいのもの。
彼女は頭がよい。見習い時代には、神童と呼ばれていたくらいだ。
そのことをガンギは思い出した。
同僚として相談するくらいなら、構わないだろうか。




