(5)
「私の名前はクロゼ。十七歳よ。あなたは?」
「ル、ルォ。十歳」
緊張している姿は可愛らしいが、仕事上の付き合いなのだからきちんと線引きをすべきだろうとクロゼは考えた。とはいえ、いつも老人の相手ばかりしていたので、少し浮かれてしまったのも事実だ。
「それじゃ、私たちのことを説明するわね」
“星守”は解体屋を生業としている。魔獣狩りが“荒野”で仕留めた魔獣を持ち帰り、解体して売る仕事だ。
少年は不思議そうに聞いてきた。
「魔獣を、売るの?」
「そうよ。魔獣の体には、毒腺といって、毒の入った袋や筋があるんだけど、それを取り除けば食べられるの。売り物になるのはお肉だけじゃないわ。皮はもちろんのこと、骨は木材の代わりになるし、内臓には薬になるものもある。そして脂肪は、よく燃える薪になるわ」
魔獣は人々の安全を脅かす脅威であるが、同時に生活を支える貴重な資源になっているのだ。
歩きながら“星守”の敷地内を案内する。
「さっきみんながいた大きな赤いテントが、集会所。食事をしたり、話し合いをするところよ」
集会所の近くは少し開けていて、大きな井戸があった。
「うちの井戸は深くて、いい水が出るの。その分、汲み上げるのが大変だけど」
少し離れた場所には、大きなテーブルが野ざらしになっていた。
「ここが、解体場よ」
テーブルや地面が変色しているのは、魔獣の血が染み込んでいるからだ。最近はあまり使われていない。クロゼはひとつため息をつくと、テーブルの上に落ちていた枝つきの葉っぱを投げ捨てた。
「次は、ピィとミィを紹介するわね」
粗末な馬小屋に二頭の馬が繋がれていた。荷運び専用の特殊な馬である。四肢が太くずんぐりした体型で、頭も大きい。
近づくと、二頭の馬は興奮したように大口を開けて、涎を撒き散らしながら嘶いた。まるで牛と豚を掛け合わせたような鳴き声だった。
「河馬馬っていうの。名前はピィとミィ。あんまり人には懐かないから、気をつけてね。不用意に近づくと」
表情と声色を変えて、クロゼはルォを脅かした。
「噛まれるから」
「う、うん」
クロゼはにこりと笑った。
最後に複数のテントが集まっている居住地を案内する。魔獣の骨と革を組み合わせたしっかりとした造りで、普通の家と変わらない。通気性がよいし、陽の光も通るので中が明るいし、むしろ快適だとクロゼは思っている。
「あ、一番奥にある黒いテントは倉庫だから、あまり近づかないでね」
案内が終わると、見張り番の仕事について説明する。
“荒野”に分け入った魔獣狩りは、数日間かけて魔獣を狩る。だが、魔獣を解体し有益な部位を持ち帰るためには、専門的な知識と特殊な工具類が必要である。戦闘のプロである魔獣狩りたちが手を出すことはない。彼らは狼煙を上げて、魔獣を倒したことを解体屋に知らせるのだ。
「その狼煙を見つけて、お父さ――運搬隊の隊長に、報告するの。それが君の仕事よ」
「たいちょー?」
「ほら、さっきの赤いテントにいた一番大きな男の人。お髭をはやした怖そうなおじさん」
不安そうな目で、少年はクロゼを見上げた。素直すぎる反応に、思わずクロゼは口元を綻ばせた。
「心配しなくても大丈夫よ。ああ見えて、滅多に怒らないから」
「う、うん」
クロゼの父親であるガンギは、運搬隊の隊長を務めている。ちなみに集会所にいた四人の老人、ベキオス、チャラ、ボン、トトムも運搬隊の一員だ。
老人たちは若手であるガンギに責任や判断のすべてを押しつけているのだが、口だけは出すのだからかなわない。それでもガンギは老人たちを先輩として敬っている。とても忍耐強い性格なのだ。
「見張り番の仕事場は、壁の上よ。行きましょ」
外壁に沿うように、円柱形の昇降塔が六ヶ所設けらている。二人は北門から“壁内”に入ると、一番近い昇降塔の内部にある螺旋階段を上った。
出口の先は、外壁の頂上だった。
強風に煽られて、クロゼが髪を押さえる。
「おいっ!」
不意に、不機嫌そうな声がかけられた。
出入り口のすぐ近くに脚の長い椅子があり、全身をコートに包み、ゴーグルをつけた少年が座っていた。
「“星守”が、なんでこんなところにいるんだよ!」
少年の名はタキという。年齢は十四歳。彼は“新鮮部位”という解体屋の一員で、見張り番を務めている。
昔はやんちゃ坊主という感じで可愛げもあったのだが、成長するにつれて小憎たらしくなった。最近は面と向かって“星守”の悪口をぶつけてくるので、クロゼは辟易していた。
「私たちがどこにいようと、そんなの勝手でしょ!」
「ふんっ、いつも“後追い”ばっかのくせに。ずうずうしいんだよ!」
風の音に負けないよう、互いに大声を張り上げる。
解体屋の仕事は見張り番が狼煙を発見するところから始まる。しかし“星守”のように、見張り番に人員を割けない弱小組織もある。その場合はどうするのかというと、他の解体屋の運搬隊が出発するのを待って、その後を追跡するのだ。
これが“後追い”と呼ばれる行為である。
決してルール違反というわけではない。巨大な魔獣は一台の馬車では運びきれないし“一番乗り”の運搬隊は一番よい部位を独占することができる。そして残り物を“後追い”の運搬隊が攫う。実に合理的な取り決めなのだ。
確かに“後追い”はルール違反ではない。しかし褒められた行為とも言い難かった。“星守”が“老骨隊の骨拾い”と揶揄されているのは、年老いた運搬隊が、最後に残った魔獣の骨を回収しているという意味なのである。
“新鮮部位”の見張り番であるタキに責められると、クロゼとしては返す言葉もないのだが、今回ばかりは違った。
「お生憎さま。星守だって、優秀な見張り番を雇ったんだから。あなたにとやかく言われる筋合いはないわ!」
「え?」
意表を突かれたようにタキは押し黙った。高価なガラスをはめ込んだゴーグルを頭の上にずらす。
クロゼはルォを背後に隠した。
「言っておくけど。この子を虐めたりしたら、承知しないわよ!」
ルォの背中を押すようにして、その場を離れる。
タキは無言のままだった。
「まったくもう、可愛げがないんだから」
昔はあんなに懐いていたのに。男の子は成長すると、素直さや優しさを失ってしまうのだろうか。そんなことを考えながら壁上の通路を歩く。
「このあたりでいいかしら。“星守”のテントも近いし」
久しぶりに来てみたが、相変わらずここは風が強い。じっとしていると、すぐに体温と水分を奪われてしまう。
今さらながらにクロゼは不安になった。
見るからに気弱そうな少年であるルォを、こんなところでひとりにして、大丈夫なのだろうかと。
だが、その心配は杞憂のようだった。
一瞬、少年が別人になったかのようにクロゼには思えた。細く癖のない髪を激しく靡かせながらも、少年の横顔は悠然としていた。どこか楽しげですらあった。
少年は転落防止用の縁壁に飛びついた。腰から上を曲げて外壁の下を眺める。
「赤いテント、あった。馬小屋も。ピィとミィは、見えないや」
「ちょ、ちょっと君!」
慌ててクロゼが駆け寄り、少年の身体ごと縁壁に張りついた。
少年は北の方角を指差した。
「あれが、“荒野”?」
「そうよ」
おどろおどろしい地形の先に、紫色に棚引く雲が見える。
“荒野”は、ただ不毛な大地が広がっているわけではない。むしろその逆で、特徴のある地形と天候がでたらめに配置されている領域だった。
「あの、黒くてぐねぐねしてる森は?」
「“黒森”。葉っぱのない森が広がってるの」
「とげとげの岩がいっぱいある」
「“針山”ね。岩山だらけの危ない場所」
「あそこは? 雪が降ってる」
クロゼは驚いた。魔獣狩りでさえ立ち入らない“荒野”の果てが、この子には見えているのだろうか。
ようやく少年が縁壁から降りてくれたので、クロゼは安堵した。
「煙を見つけたら、たいちょーに知らせるの?」
「そうよ。集会所か馬小屋にいるはずだから、狼煙の色と場所を報告するの」
少年は高いところが平気らしい。それに目もよいようだ。ひょっとすると見張り番に向いているのかもしれないとクロゼは思った。
ひと際強い風が吹いて、身体を震わせる。
「さ、身体が冷えるから、今日は戻り――」
「見つけた」
振り返った先に、少年はいなかった。
クロゼは目を見開いた。
強風が吹き荒れる不安定な縁壁の上。無造作に、ごく当たり前のように、少年が立っていたのである。
だめっ、危ない、早く降りて!
頭の中に警告の言葉が浮かび上がったが、口が動かない。呼吸すらできなかった。
「いってきます」
そう言い残して、少年は飛び降りた。
外壁の外側に。
「あ、あっ」
なんてことっ!
呪縛が解けたかのように、クロゼは縁壁に駆け寄った。身を乗り出して外壁の下を確認する。
風と共に虹色の光が吹き上がり、思わずクロゼは目を閉じてしまった。再び目を開けたその先に、予想した最悪の光景はなかった。
彼女が目にしたのは、地面の上を集会所の方に向かって駆けていく、少年らしき後ろ姿だった。




