(2)
実技が終了してほっとしたのも束の間、ルォは再び事務室に呼び出された。
「これを身につけてください」
手渡されたのは革製のベルトだった。細くて短い。表面が緑色で着色されており、細かな文字が焼き付けられていた。
「だ、だいよん、よんきゅう」
ノックスが説明した。
「第四級魔法使い“岩壁”のルォ。管轄、魔法局アルシェ支部。それが、君の身分証になります」
ベルトは首輪だった。
危険な力を持つ魔法使いは、無辜の住民たちにとって畏怖の対象である。そんな輩にそ知らぬ顔で街中をうろつかれてはたまらない。ゆえに、誰の目にも分かるよう区別されているのだ。
「王国に登録した魔法使いは、就寝時以外、常にこれを身につける義務があります。ルールを破ると罰則もありますので、気をつけてください」
次にルォは、仕事の説明を受けた。
よく分らなかったが、高いところから遠くを確認する仕事らしい。詳しいことは明日、直接雇い主に聞くようにとのことだった。北門の外にある大きな赤いテントが目印だという。依頼主が描いたらしい簡単な地図を渡された。
「さて」
ようやく拷問のような時間が終わる。
と思いきや、再びノックスはカウンターの上に分厚い書類をどさりと置いた。
ルォは真っ青になった。
「次に居住地を決定します。希望があれば、役所が委託契約を結んでいる賃貸物件に居住することも可能です。この物件は、通称“魔法使い長屋”と呼ばれており、居住するメリットとしては、月例の生活報告書を管理人に提出するだけで」
「い――」
慣れない土地で慣れない人と会話することだけでも大ごとだというのに、ノックスは何を言っているのか分らない。まるで異国の言葉のようだ。
「いらない!」
たまらずルォは逃げ出した。
ノックスは追いかけてはこなかった。必要な手続きが完了していたからだろうか。役所を飛び出したルォは、ほっと安堵の吐息をついた。
それから、途方に暮れた。
故郷の村からの長旅を終え、ルォがアルシェの街に着いたのは、今朝のことである。苔取り屋ギルドの荷馬車はどこかへ行ってしまった。巨大な街で、ルォはひとりきりだった。
それにしても、なんて大きな街だろう。
美しい石畳の道を立派な馬車が行き来している。石やレンガを積み上げた巨大な建物は、三階建てや四階建てが多い。ルォの村で一番大きな建物は、苔取り屋ギルドの二階建てだった。
突然、鐘の音が鳴り響いた。それは正午を知らせる鐘だった。驚いたルォは、思わず耳を塞いでしまった。役所の隣には鐘つき塔があって、はるか上方にはハンマーで鐘を打ち鳴らす人の姿が見えた。
呆然と見上げていると、華やかな衣装に身を包んだ十人くらいの女性の一団が、姦しい笑い声を上げながら近づいてきた。
ルォは気づくのが遅れた。
ぶつかる。
思わず身を固くしたが、ルォを飲み込んだ一団は、歩みを緩めることなく、楽しそうに話しながら通り過ぎていった。こちらを見てもいないのに、誰もぶつからない。
呆気に取られていると、大きな馬車がすぐ近くで止まった。馬が四頭も繋がれている。馬の嘶きに驚いて、ルォは飛び退いた。
数人の男女がぞろぞろと降りてくる。
「坊や、乗るのかい?」
御者に聞かれたルォは、慌てて首を振った。
「東門行き巡回馬車、出発しまぁ〜す!」
車体に取り付けられていたベルが鳴り、馬車は出発した。
ただただ、ルォは立ち尽くしていた。
この街は、騒がしい。人の声や物音であふれている。景色も常に動いていて目移りする。
お腹が、くうと鳴いた。
リュックの中には干し肉が入っているが、外で歩きながら食べるのは行儀の悪い行為だ。ルォは母親からそう教わっていた。とりあえず、北門に向かって歩くことにする。
サジの話では、アルシェの街は辺境でも一、二を争うほど大きな街とのことだった。数多の魔獣たちが棲息する“荒野”と隣接しているため、街の周囲は高くて分厚い外壁で囲まれている。
少し移動すると、さらに騒がしくなった。
通りに面して、多くの店が軒を連ねている。ルォの村にも朝市があったが、まるで規模が違った。店の数も人の数も尋常ではない。お祭りだろうか。
そう言えばと、ルォは別の用件を思い出した。
群衆にぶつからないよう気をつけながら、香辛料を取り扱っている店を探す。大きくて繁盛していそうな店がいい。サジはそう言っていた。
見つけた。
軒先に乾燥させた木の実や根野菜が飾られている。店内に所狭しと並べられた陶器製の壺からは、独特の香りが漂っていた。
「おい坊主。ここは、子供の来るところじゃないんだぞ」
立派な髭を生やした中年の店主は、ルォの首輪に気づいたが、子供の魔法使いなどいるはずもないと思い直したようだ。
「魔法使いの真似ごとか。まったく、近ごろのガキは」
ルォはリュックから木包を出した。中身を少し蓋にあけて、店主に差し出す。
「ふん、碧苔か? どこからくすねてきたのかは知らんが、うちにはちゃんとした仕入れ先があってだな。怪しげな商品は取り扱わんのだ。さっさと――」
店主の髭が、ぴくりと震えた。
「こ、この香り。まさか」
震える手で蓋を受け取り、匂いを嗅ぐ。
「む、紫苔、だとぉ? ば、馬鹿な。同じ量の宝石と取引されるという、あの幻のっ!」
通行人たちが驚いたように注目した。はっとしたように店主は口を噤み、ルォをカウンターの中に招き入れた。
髭が触れるくらいに、ずいと顔を近づけてくる。
「坊主、どこで手に入れた?」
「だ、大峡谷」
「これを売りにきたのか? そうなんだな?」
「うん。アニキが、生活費の足しにしろって」
「よし!」
店主は慎重な手つきで紫苔の重さを量った。それからたくさんの球のついた木製の道具を使って計算した。もの凄いスピードで指先が動き、球が上下に移動する。
最後に、店主は店の奥から革製の袋を持ってきた。中には金貨と銀貨が入っていた。サジが教えてくれた相場よりもずいぶん高い。怪訝そうなルォの顔を見て店主は勘違いしたのか、少し不機嫌そうに言った。
「言っておくが、適正価格だぞ」
お金は大切だとサジは言っていた。都会ではお金があれば何でも買うことができるらしい。だが差し当たって、ルォには欲しいものがなかった。
「髭のおじさん、ありがと」
それよりも、明日の仕事の方が心配である。
市場を離れ北門に向かって歩いていくと、いつの間にか寂れた景色になった。道幅は狭く、まるで迷路のように入り組んでいた。建物の窓はすべて閉ざされていて、周囲に人影はない。かすかに酒の匂いが漂っている。
たどり着いた先は、立派な外壁だった。
この街にあるどの建物よりも高い。巨大な岩を切り取って積み上げられているようだ。
登ってみよう。
手足のとっかかりはなかったが、今のルォには“石神さま”の加護に加えて、魔法の力がある。リュックの重さも問題にはならない。垂直に積み上げられた外壁を、ルォは苦もなく登りきった。外壁の頂上部は通路になっていた。大人が五人ほど並びながら通れるくらいの幅がある。
風が強い。
「わっ」
そこからは、アルシェの街のすべてが見渡せた。
中心部には大きな建物が多いようだ。役所や鐘つき塔も見える。道は同心円状になっていて、たくさんの人々が歩き、馬車が駆け回っていた。ところどころに開けた空間があり、草木が植えられているようだ。
壁の外にもたくさん人が住んでいた。粗末なテントばかりで、道も整っていない。役所でもらった手描きの地図と見比べてみる。北門の近くにある大きな赤いテントを、ルォは確認した。
街の中は騒がしいが、ここは落ち着く。
「うん」
この石壁が、ルォは気に入った。




