賢者が気に入る商品もあります
竜のダンジョン踏破に最も近づいた男、賢者アストリウスはチビチビと燻製肉をカジッていた。
老後の生活は退屈で、弟子たちも旅立った。
だから新しく見つけた趣味はそれなりに楽しいものだった。
書物の作成。
それが彼の見つけた老後のひそかな趣味だった。
実際の魔法理論を組み込んだ小説。ポートレイルで地味に売れている『魔法やろうよ!』の作者である。
夢も目的もないふんわり系主人公に、同級生の女の子が一緒に魔法やろうよ!と誘う今流行りのユルユル系魔法ものだ。
「うーん、ネタに詰まったのぉ」
既刊6冊も出していると、流石に大賢者の彼もネタに詰まるらしい。
詰まると逆に進む燻製肉。さっきから弱いあごの力でチビチビかじっているのだ。
「あーダメじゃの。ちょっと気晴らしにダンジョン行くか」
こんなに軽くダンジョンに行くと言い出す人間なんて、彼くらいなものだろう。
「ちょっと行ってくる」
杖を片手に、家のお手伝いさんに声をかける。
「はーい。お気をつけて」
ちょっと行ってくる、の意味が分かっているお手伝いさんも軽く声をかけるだけにする。それが本当のちょっと行ってくるとは違うことを知っていても。
間違っても彼の実力を心配する必要はないだろう。敢えて心配するなら寿命くらいか。
アストリウスにとってダンジョンは自分の庭とさほど変わりはない。
流石に60層以下だと今の彼では苦労するが、40層ほどまでは目をつむっていても探検できる。
そんな彼がダンジョンですることと言えば、清掃、遭難者の救出、ネタの仕入れ、とまさに老後の嗜み程度だった。
目の前にゾンビが現れれば、聖なる光を放ってけん制するだけ。
スライムが現れれば、自分を包む気温を低くして避けるだけ。
むやみに魔物を狩らない姿も現役を去った者の姿らしい。
「ほっほっほ、平和よのー」
ダンジョン内でそう思えるのは彼の他にはいないが。
その態度は、目の前に赤竜が現れても変わりはしない。
赤竜からアストリウスに向けて吐きかける火炎を、杖をポンとついて対処する。
そこにあったはずの姿が突如消え、赤竜の背中へと姿を現す。
「ほっほ、簡単な空間魔法じゃよ」
言葉の伝わらない相手への丁寧な説明。当然相手も通じておらず、翼を羽ばたかせて背中の人物を振り落としにかかる。
そして、すぐに消える重み。
老人が今度は宙から飛び降りて、目の前に立つ。
「ほっほ、簡単な重力魔法じゃよ」
完全に手ごまにされる赤竜。
無我夢中で、いや激情にまかせてその巨体をアストリウスめがけて突進させる。
竜が走ると地面がゆれ、大抵の人間はその場から動けなくなる。
しかし、アストリウスはあいも変わらずニコニコとして、杖をポンと突く。
その途端赤竜の足元に巨大な穴が出現する。翼はあれど、予想外な穴に抵抗できず落ちていく。
「ほっほ、簡単な土魔法じゃよ」
とうとうこの落とし穴が赤竜の逆鱗に触れた。
真っ赤な鱗を沸騰させながら、穴から飛び出す。
しかし、目の前にはすでに逆鱗に触れてきた老人はいなかった。
行き場のない怒りを咆哮に変え、赤竜は全力で吠えた。
一方、近くの通路に逃げていたアストリウスはリズムよくダンジョンの散歩を続ける。
「あー、楽しかった。やっぱり赤竜くらいになると緊張感があっていいのぉ」
30層まで行ったら帰ろうか。執筆活動もまだ残っている。
そう思いながら、ダンジョンをウロウロしていると、変わった魔力の流れを感じた。
今まで何百回と降りてきたこのダンジョンだが、まだ新しい発見があることに驚き、すぐさまそちらへと飛んでいく。
もちろん大得意の空間魔法を駆使して。
アストリウスは多くの客と同じように、その不思議な扉を見ていた。
ダンジョン内にお店が?流石の大賢者でさえこの光景は滑稽だった。
(本当はこの中に飛び込もうと思ったが、入れんかったのぉ。不思議なことばかりじゃ)
どうやらこの扉は魔物除けの効果があるだけでなく、結界の役割も果たしているようだ。
高度で、不思議な魔法回路。賢者の興味はますますそそられる。
扉を開ける魔法をかけてみるが、はじかれる。
手で開ければいいのだが、いちいち魔法で済ませないと気が済まないのが賢者の職業病だ。ていうか、悪い性癖だ。
「うーん、一体どんな結界が?触れるのが怖いのー」
あらゆる防御魔法をかけているから、それらが解かれるのではないかという不安がある。
それでも手で触れるほかに手段がなさそうだ。
恐る恐る扉の取っ手に手を駆ける。
「あー、悪い方に出たわい」
予想していた通り、全ての魔法が解除された。防御魔法から、もしもの自爆魔法まで全てを。
「いらっしゃいませ!ようこそおいで下さいました」
店の中には若い店主が一人だけ。
不思議な店だが、中身も見たことのないものばかり。
この年になってこんな新鮮な気分を味わえるとは。
それよりも取り敢えずは、魔法のことを聞いてみよう。
「不思議な結界がかかっておるようじゃ。魔物除けの赤い石も複雑な魔法回路が練りこまれておる。おぬしが作ったのか?」
「はて?なんのことでしょうか?」
全く知らないと言わんばかりに、頭を傾ける店主。
しかし、アストリウスは全く信じていなかった。
魔法で暴いたわけじゃないが、長年の経験からこの男が本当のことを言っていないことを見やぶいた。
「まぁええわい。言う気がないならな。どうせここでは、ワシの力も及ばんし」
プンプンとすねる賢者。
ポートレイルでこんなことなど一度も経験したことがない。できないことは魔法で解決!それがモットーなだけに、何もできない今は拗ねるほかなかった。
「それで、この店は何を営んでいるのかな?」
「ええと、何でも屋で通っています」
「何でも屋か。では、ペンとインクは置いておるかの?執筆用に使いたい」
「ペンですね。いいものが入っていますよ」
店の奥へと引っ込む、若い店主。
その体に魔力をまとっているのをアストリウスは見逃さなかった。
ここの中で彼は魔法を使える。相手の魔法を完全に封じて、自分には一切の影響がない。
アストリウスはその事実に驚きを隠せないでいた。
(何たることか。この私をはるかに上回る使い手かもしれんのぉ)
長く伸びた髭を撫でながら、目をつむる。
表に戻ったら、また魔術の研究でもしてみようかな。
そんなことを考えながら待った。
店主が持ってきたのは、見たこともないペンだった。
羽ペンを要求したら、よくわからない棒がきた。しかもインクも持ってきていない。
ペンには金色や、銀色の装飾が付いている。
見た目は鮮やかだが、触ってみると結構軽い。よくわからない素材でできていた。金や銀の装飾も触ってみると違う金属だとわかる。
「万年筆というものです。はじめは使いづらいですが、慣れれば良い相方になりますよ」
「マンネンヒツ?ワシはペンとインクを要求したのじゃが」
「はい、それで書けますよ。インクも今までよりはるかに長持ちすると思います」
簡単な説明を受けた。
ペン先にインクをつけずに、そのまま書けばいいらしい。
「魔法器具なのか?」
「いえ、中にインクが入っているんですよ。そのインクがペン先から出て、文字を書くことができます」
そんなことが可能なのか?こんな細い中にインクを?ズブズブに漏れ出しそうだが。
言われたとおりに、差し出された紙に書いてみた。
紙も上質でもったいないが、店主は気にも止めない。
もしや、このペンってかなり高額?だからサービスがいいのか?
ここ数年感じたことのない感情が次々と芽生えた。
紙にペン先を当て、いつもの文字を書いてみた。
滑らかで、インクが途切れることがない。
そのまま書き続けても、全くインクがなくなる気配がない。
ついインクを付け直す癖が出る。そんなこと必要ないのに。
これは便利だ。すごく便利だ!
「これを売ってくれ。あるだけ欲しいのだが、いいかの?」
「あー、あと三本しかないですが……」
「それでいい!」
「あ、インクの替えなら結構ありますよ。それもどうです?」
「インクは取り外し可能なのか?手がズブズブにならないか?」
「見てもらえばわかりますよ」
笑顔で店の奥へと商品をとりに行った。
これだけの上等品だ。一体いくら請求されるのだろうか。
孫の代まで遊んで暮らせる金はあるが、それでもちょっとだけ不安になる。
「あ、ワシ金持って来てねーわ」
いまさら気が付いてしまった。タダの散歩のつもりで来たのだ、まさかダンジョンで金が必要になるとは思っていなかった。
「はい万年筆3本と、インクの替えが30本。値段は、金貨10枚です」
「金貨10枚じゃと!?」
(安い!こんな便利なものをたったの金貨10枚!?)
「高いですか?でも仕入れ値も高くて、それに結構長持ちするんですよ?書く量にもよりますが、インク一本で一か月は持つはずです」
「一か月持つじゃと!?一か月ずっと書き続けられるというのか?」
「ええ、おおよそですが。インクがキレたらインクだけを交換して、また使用していただけますよ」
「では、ペンを3本も買う必要はないじゃないか」
「そうですね。では、ペン一本だけにしておきます?」
「いや、全部でいい」
金貨10枚でそれだけのクオリティが得られのなら、いくらでも買うつもりだ。
「ところで、金を持ち合わせていないので、今度来たときに支払いたい」
「ええ、構いませんよ」
丁寧な笑顔で、商品を包む店主。
普通はツケだと嫌がられるが、全くその様子はない。
「ワシが賢者で信用があるからか?」
「え?」
どうやらアストリウスが賢者だと呼ばれていることは全く知らないらしい。
嘘をついていないこともわかった。
流石に困り顔になるアストリウス。
「はい、商品です」
丁寧に紙袋に包み、手提げのビニール袋まで差し出す。
どこまでハイサービスで、どこまでハイ技術だ。ひたすら戸惑うしかない。
「よかったら、ご飯食べていきませんか?ソバを打ったのです、料金は結構ですので」
しかも飯まで出してくれるらしい。
いまさら毒殺されても惜しくない身だ。
「ほっほ、御馳走になろうかの」
「では、休憩室でお待ちください」
指示された左手の部屋。
落ち着いた照明に、柔らかそうなソファー。
いつもは宙に浮いて執筆しているので、尻をついて座ったのは久々だった。
「柔らかいのぉ」
近くに水の入ったボトルが設置されている。よくわからないし、喉も乾いていないので興味はそそられない。
それよりも、棚にご自由にお読みくださいと書かれている書物が気になる。
……、読んでみようか。
書物のタイトルは『チャーシュー』だった。
なにかラーメンと言う食べ物の中の具らしい。変てこなタイトルだ。
中身を開いて、早速読みだす。
内容は書物のように文字が並んでいるものではなかった。
綺麗な絵が描かれ、キャラの傍にセリフが書かれている。
新しすぎる手法だ。なんだこの書物は。
そして、このチャーシューが使う忍術と言うのは何なのだ?
(面白い、面白いぞ『チャーシュー』!)
「どうやら楽しんでいただいてるみたいですね」
気が付くと目の前に店主がいた。
近づく存在に気が付かないほど集中したのはいつ以来だろうか。
「チャーシューの使う忍術は、魔術とは違うのか?」
「えーと、同じと考えていいですよ」
「そうか。スズメオドシ先生は強いのー」
「はい、めちゃめちゃ強いですよ」
店主が持ってきたソバと言う食べ物すすりながら、マンガという書物を読み続けた。
ソバうまいな。ソバつゆにつけて、思いっきりすするとうまいのだ。
ソバは上手いし、マンガも面白い。
40歳くらい若返ったくらい、ワクワクが止まらないぞ。
「店主、このマンガという書物を金貨100枚で譲ってほしい!」
「商品じゃないんですが……」
「200枚でもいい!全巻譲ってくれ!頼む、死にゆく老人の頼みじゃ」
「200枚もいらないんですが。まぁいいですよ」
「次に来た際に必ず払う」
「ええ、それで構いませんよ。金貨200枚は多いですから、『ミニスカート』と『Avatar×Avatar』も持って行ってください」
「おおっ!?」
実はそれも読みたくて気になっていたマンガだった。
それも譲ってくれるらしい。
しかし、それでは200冊ほどになってしまう。
「ここではアイテムボックスが使えないから持ち運びできそうにもないな」
「扉の外に出ればアイテムボックスも使えますよ」
「やっぱり知っておるではないか。結界もやはりお前さんが作ったな」
「あっ……」
やってしまったと口が開くタケル。
語るに落ちる、まさか自分がそんなどんくさいことをしてしまうとは。
「まぁ深くは追求せんわい。いい買い物をしたしの。よかったら扉の外までマンガを運んでくれ。そしたらアイテムボックスに入れて、続きは家で読むとしよう」
「はい、わかりました」
店主の言う通り、外に出ると同時にすべての魔力が帰ってきた。
アイテムボックスもいつも通り使える。200冊のマンガもその空間にしまっていく。
「ほっほ、いい経験をしたわい」