お店の愛用者
ポートレイルでアツい話題と言えば、もちろん『リレイン』のメンバーたちだ。
先日目標としていた30階層も無事到達し、赤竜の素材を持ち帰ったことでその人気は更に広まった。
このポートレイルで今や彼らを知らない人はいないと言うほどの盛り上がりだ。
彼らの身に実際何が起きたか知っているのは、ほんの一握りくらい。
その事実を知る一人、サラリスは酒屋猫ネコで酒を飲んでいた。
偶然にもリレインのメンバーと同じ店に通っている。今日はサラリスの方しか来ていない。
サラリスと言えば、数年前に話題になった人物だ。
一人で30階層を突破した天才的双剣使いの女性。今では当時の熱は冷めているが、いまだに根強いファンは多い。
ソロ冒険者で、寡黙にダンジョンに挑み続ける。そして、手堅い成果と共に戻ってくる。
このハードボイルな生き方に、多くの若者たちが憧れたものだ。
しかし彼女の強いファンの中には、それらとは関係なく彼女に羨望の目を向ける者も多い。
サラリスは大層美しい女性だった。
身長は女性にしては高い方で、手足はすらりと長い。
長く伸びたつややかな青い髪は、冒険者とは思えないほどきれいに整えられている。
何もかもが異質なのだ。冒険者に傷と汚れは絶えないが、彼女の顔はいまだに綺麗な肌が健在だ。
特に手入れもせず、化粧もしないのに、その顔は美で生きている女性よりも美しい。
彼女に振られた男性は星の数ほどいると言われる。
そんな彼女に男の噂は一切ない。だから自然と噂が独り歩きをする。
実は女性が好きだとか、数年前に最愛の人を亡くしただとか。
どれも事実かどうか誰もわからない。
サラリスが誰とも深くかかわろうとしないし、そんな彼女に深い質問をする勇気のある男もいなかった。
だから今日も彼女は黙々と酒場で一人、酒をたしなんでいる。
朝日が昇ると同時に、サラリスの一日は始まる。
大きなバッグを背負い、腰に2本の剣を括りつける。
背中に背負ったバッグには、冷たい水を入れた愛用の水筒が入っている。
彼女が竜のダンジョンに潜り込む際の格好だ。
ダンジョンに向かう道中で朝食をとり、通いの鍛冶屋に寄っていく。
打ちなおしてもらった、スペアの短剣を受け取る。
次は一週間分の食料を市場で買っていく。これで準備は整った。
「おや、もうダンジョンへ?三日しか休んでいないじゃないか」
いつも同じ店で買い物をするので、店のおばちゃんに顔を覚えられてしまっていた。
「いえ、買い出しに行くだけです」
淡々と答えるサラリス。
「買い出しに!?そんな大荷物で?」
「はい」
「そ、そうかい」
詳しくは説明をしない。ただ事実は伝える。
それがサラリスの性格であり、周囲も知っているからこそそれ以上は聞こうとはしない。
サラリスの準備が整った。またいつものダンジョンへと向かう。
彼女は竜のダンジョン55層まで行ったことのある実力者だが、今回は29層が目当てだ。
その分の準備しかしていないし、その分だけの心意気しかない。
地図を持たずにその目的地まで行ける。
なんたって、彼女はあの場所の一番の愛用者なのだから。
サラリスはダンジョンに潜る前、路上で花を売っていた少女を見つけた。
ちょうどいいと思い、値段はいくらかと尋ねる。
「150ゴールド。10本買うと1300ゴールドだよ」
「そうか、それでは10本貰おう」
サラリスは値段の1300ゴールドプラス、100ゴールドを多く渡す。
「花の分と、あなたのお小遣い分ね」
「ありがとう!お姉さん!」
軽く頭を撫でて、花を丁寧にバッグの中へとしまう。
(さて、ここからは気を引き締めなくてはな)
気合を入れなおし、サラリスはダンジョンへと潜っていった。
50層へ行ける彼女でさえ、ダンジョン内では気を抜いたりはしない。
それがソロで生きていくということだ。
彼女はもともと人に心を開くのが苦手だった。
だからソロで冒険者になったが、ソロで活躍するということは更に気を引き締めなくてはならなかった。
そのせいか彼女はいつしか、無意識のうちに人を遠ざけるようになっていった。
彼女を表す言葉に、高値の花以上の言葉はない、そう思わせてしまう。
人間誰でも孤独には勝てない。もちろんサラリスとて同じだ。
だけどポートレイルに彼女の居場所はない。己の家にはあるが、そこは一人きりだ。
彼女はいまから大好きな場所へと行く。唯一己をさらけ出せる場所へと、大好きな地下29階へと。
サラリスの戦闘はシンプルイズベスト。向かってくる敵を切り裂くだけの簡単なお仕事だ。
岩だろうが、鉄だろうが、堅い鱗をまとった竜たちはサラリスに切り伏せられる。
サラリスに高度な魔法があるわけではない。もちろん剣を強化する魔法は使用しているが、それでは説明がつかない部分が多い。
鋼竜を倒す一般的な方法は、鋼をまとっていない部分への集中攻撃。
これがセオリーだが、サラリスは鋼ごと叩ききる。
斬れる場所、斬れるタイミング、彼女にはそれらが見えているのだ。
冒険者のなかでは非力な彼女でも斬れる。息を合わせると言うのはそれほどに大事だ。
常人に理解できる範疇ではないが……。
そして、そんなとびぬけたセンスがまた彼女を孤独にしていく。
目の前で鋼竜が切り倒される。
太い首が寸断されており、血があたりに飛び交う。
一方のサラリスは全くの無傷。
いつものごとく、採取用の剣を取り出し、解体を始める。
魔石、牙、爪、高価な鋼をはぎ取り、仕事を終える。これらは全て地上で金になる。
鋼竜一頭だと100万程度の収入だ。
しかも今日は幸運なことに、鋼竜の尻尾から珍しいものがとれた。
片手で握り被せるくらいのサイズ、進化の布石と呼ばれる銀色の石である。
たまに見つかるこの石は、竜種の成長がこの先あることを告げている。
先日見つかった赤竜の亜種のように、鋼竜もまた進化を遂げようとしていた。
サラリスは喜んでそれを手にする。これが大好きでたまらない男がいるのだ。
(やった。お土産にしよっと)
大事に大事に、そっとポケットに入れるのであった。
地下29層。
サラリスは既に剣を抜いていた。
この階では絶対に警戒を怠るな、とある人物から聞いている。
なんでも赤竜の亜種がでるとか。しかも奇襲が得意ときた。
ならば先に剣を抜くぐらいの警戒は必要だろう。
しかし、サラリスの心は既にそこにはない。
いくら奇襲だろうが、自分の神速の剣にかなうはずもない。
剣を出しているのは、あくまで例の人物への敬意。
警告してくれたことへの感謝の意だ。
足取りは軽い。
ただでさえ足の速い彼女が飛ばして、目的の場所へと向かっていた。
その道中で赤竜を三頭ほど狩る。一頭は最近出てきた亜種だった。
もちろんノーダメージで倒している。首が綺麗に飛び、背中の青い筋から濁った色の血が飛び出た。
瓶にその濁った血を流し込む。
(またお土産ゲット)
喜ぶサラリスだった。
目的の地に着いた。
サラリスの視界に入る、いつもの人工的な扉。相変わらず、魔物除けの魔石が赤く輝いている。
そして看板にはOPENの文字が。
私は客だ。何度来たっていいんだ。迷惑なんかじゃない。
荒れる息を整えて、誰へ向けられたかわからない言い訳を胸にサラリスが扉を開く。
涼しい空気と、眩しし光が注がれる。
この突然の世界変化には、サラリスも未だに慣れることはない。
「やぁ、サラリスじゃないか。また来てくれたんですね」
店主のタケルがカウンター越しから、明るく声をかける。
「はい、また来ました。ここは品ぞろえがいいですからね」
ポートレイルでは見せない明るい笑顔で、サラリスが挨拶を返す。
「今日も武器を見に来たのですか?きっとサラリスが気に入ると思って、準備していたものがあるんです。待ってて!」
店主は店の奥へと消えていった。
サラリスは先にお土産を渡そうと思っていたが、今日も予定通りにはことが進まない。
店主が店の奥から持ってきたのは、黒い剣だった。
「黒竜の鱗と、純鉄の剣を併せて作ったものです。きっといい切れ味になる。サラリスのような女性でも扱えるように軽量化しているから、きっと気に入ると思いますよ」
「黒竜の鱗……」
サラリスは戸惑った、それも無理はない。
黒竜は地下70層付近に出没する竜である。その竜の鱗を、店主が加工に使ったという。
70層と言えば、いまだ到達した冒険者は10名程度。
その10名は地上では伝説的な人物として崇められている人物ばかりだ。
そんな場所の竜の素材を使ったと、簡単に言いのけている。
ここがポートレイルのど真ん中なら、店主のタケルはすぐにでも牢につながれるだろう。
罪状は詐欺罪だ。
しかしサラリスは疑わない。彼が嘘をつかないと知っているからだ。
「それはすごいですね」
「そうなんです。語れる相手が少ないから、サラリスが来てくれて本当にうれしいですよ」
少し興奮気味なタケル。その姿がまたサラリスのほほを赤く染めるのだ。
「どうだい?振ってみる気はありませんか?」
「はい、是非」
受け取ると、サラリスはいつものようにゆったりとしたフォームから剣をふるう。
金がとれるレベルに美しい剣舞だが、タケルは見慣れているせいか特に反応しない。
「すごくいい剣だ。バランスがよく、そして何よりも切れ味がいい。一度振っただけですべてが伝わりました」
普通はそんなことできないが、剣の才能にありふれた彼女ならではの能力だ。
「そうか。サラリスがそう言ってくれるなら頼もしいですね」
かえした剣を受け取ると、それを鞘に戻すタケル。
大事なものなのだろう、さらに布に包んでいく。
「その剣、私に売ってくれないだろうか」
しまおうと思っていたタケルに、サラリスが声をかけた。
「ん?でもこの間買ったばかりじゃ……」
「いや、でも、凄くその剣がきにいったのだ。お願いだ、その剣を私に売ってくれ」
「そこまで言われたら売るほかないですね。値段は300万ゴールドです。少し高いですが、なかなか仕入れができる物じゃないので」
黒竜の鱗を使っている剣が300万で買えるのは異常だ。
転売すればポートレイルでは100倍の値段で売れるだろう。
しかし、サラリスにそんな気はない。純粋にその剣が欲しい。タケルが作ったその剣が。
「今日はお金を持って来ていない。だが、次来たときに支払うから、他の誰にも売らないでくれ」
「了解。商品は先に渡しておくよ」
「え、でも……」
「サラリスはうちの大事なお客ですから。信頼していますよ」
思わず涙が出そうになった。
大好きな場所で、大好きな人に貰った信頼の言葉。
死んでもいい、サラリスはそんな危ないことを考えていた。
「そ、そうだ。お礼と言っては何だが、いつも世話になっているからな。お土産を持って来ている」
「ん?なんだろう」
サラリスはバッグからお土産を取り出す。
まずは少女から買った紫色の花を取り出す。大事にしまっていたから折れていないし、しおれてもいない。
「ポートレイルの花です。タケルが好きだと言っていたから」
「おおっ!!ポートレイルの花ですか。これは見たことのない綺麗な花だ。すぐに花瓶に入れて飾るとしよう」
「まだあるんですよ。道中で狩った鋼竜から採取した、進化の布石です」
「おおっ!!こうも俺の好みのものばかりを」
「そして、赤竜亜種の毒入り体液も持ってきました」
「最高だよ!サラリスが来るといいことだらけだ!」
興奮気味にタケルは全てを受け取った。
欲しいものばかりが手に入った。彼女は本当に幸運の女神かもしれないと思った。
「これらをしまってくるから、サラリスは休憩室で休んでいてください。すぐに食事も持っていきますから」
「はい、いつもありがとう」
「こちらこそだ。じゃあ待ってて」
タケルは店の奥へと消えていった。
サラリスは休憩室の柔らかいソファーに腰をおろす。
側にあるウォーターサーバーから紙コップに水を注ぎ、それを飲み干した。
(初めて来たときは、使い方わからなかったなぁ)
そんな昔のことを考えながら、ゆっくりと体を休ませる。
ここに来るようになって、もうすぐ三年。
当時の自分は荒れていたな、と思い出す。
そっと目を閉じれば、夢の世界へと入れた。思っていたよりも疲れていたようだ。
_3年前
当時16歳、サラリスは当時からソロ冒険者だった。
片手剣使いとして、名をはせていたころだった。
14歳と言う若さで冒険者デビューした天才、多くの者がその存在を羨んだものだった。
そんあサラリスの冒険者生活と言えば、順調その一言。
あらゆるパーティーから勧誘を受けたが、そのどれもを断った。
必要と思わなかったし、何より人見知りだった。
己の能力でやっていけるうちは、そうしようと考えていたのだ。
しかし、サラリスは情報収集だけは怠らなかった。
金も必要な分は惜しまなかったし、人見知りな性格も我慢して乗り越えていた。
一歩間違えればダンジョンで死ぬそんな日常、しかし見返りは大きく、一言で言えば順風満帆な冒険者人生だった。
欲を言えば、だれか気を遣わなくてもいい友が欲しい。そんな小さな願望だけがあった。
そんなサラリスに転機が訪れる。
いつも情報を得ていた人物が冒険者を引退することになったのだ。よく面倒を見てくれていたし、唯一会話する仲だったので無性に寂しい思いが募った。
新しい、情報提供者を探さなくては。
これだけは手を抜いてはならないことだと常々考えている部分だ。
ソロだとどうしても知らないことに、後手を踏んでします。
情報があれば、自分の力でいくらでも乗り切れる。
そして見つけた新しい情報提供者。先輩冒険者であり、年上の女性だった。
話しやすく、経験も自分より積んでいる。
もしかしたら、仕事以外でも仲良くなれるのでは……、そんな儚い希望を持っていた。
しかし、サラリスと違い、その女性はサラリスのことを嫌っていた。
正確に言うと、嫉妬していた。
その美しさに多くの男が目を奪われることが気に入らなかったのだ。
だから、情報提供で嘘をついた。
赤竜は40層から出現する、と。
当時のサラリスに赤竜を倒せるほどの実力はなかった。だからそこまでは潜らない。その警戒の意味で情報を集めていたのに、まんまと嘘をつかれたわけだ。
人見知りのサラリスとしては、その情報が全てであり、疑う気など一切なかった。
そして、迎えた竜のダンジョン29層。
ダンジョン内をウロウロしていたゾンビを葬った直後だった。突如背中から轟音が響いた。
通路を暴れながら突進してくる、赤い鱗の竜。
間違いなく赤竜がそこにいたのだ。
サラリスは冷静さを失った。赤竜自体にではない、40層からでるはずのその竜が30層手前で出現した事実にだ。
なぜ!?
剣を抜いて戦っても、どうしても拭いきれない疑惑。
自分は騙されたのだろうか?
信じられない。あれだけ優しそうに振舞ってくれた彼女が……。
サラリスはまともに戦いに集中できないまま、剣をはじきとばされた。
ソロで、片手剣使いの彼女だ。打つ術なく逃げ惑うしかない。
そしてこの29層と言うのは、しつこいくらいに逃亡者を逃がしてはくれない。
立ちふさがる魔物に、背を追う竜たち。
血を多く流し、体力も失われ、目の前に迫る赤竜。
サラリスはそっと目を閉じたのだった。
そして目を覚ました先が、ダンジョン内とは思えない明るく涼しい部屋だった。
「目を覚ましましたか?」
「えーと、ここは?」
「竜のダンジョンBF29≪何でも屋≫です」
意味が分からなかった。
店の名前にこれほど驚いたのは初めてだ。それにこの快適な空間はなんだ!?
なぜ薄暗いダンジョン内で、晴天の真昼間の屋外よりも明るい!?
なぜじめじめしたダンジョン内で、カラッと涼しいのだ!?
そして、なぜ竜が目前に迫った自分が助かったのか?
全く説明できそうなものがなかった。
「随分とお疲れだったみたいでしたよ。もう5時間も寝ていました」
5時間も……。
長いソファーの上で、自分は寝ていたようだ。
その間にこの人が面倒を見てくれたのだろうか。
「あ、あの、礼を言ったらいいのか?」
「さぁ、ここは商店ですからいらないのでは?」
なんともおかしな男だと思った。
体が細く、黒髪黒目。どこか異郷の部族だろうか。
「お腹は空いていませんか?」
「うぅ……」
めちゃめちゃお腹が空いていた。でも、そんなこと簡単に言い出せない。
「スパゲティがありますから、持ってきますね。あ、パスタって言った方が女性はいいのかな?」
パスタもスパゲティも知らない。自分は流行りに疎い女だからな。自分を卑下しながら待った。自由に飲んでいいと言われた、水の入った透明なボトルを見つめて。
紙コップが収納されているとこから、一つ取り出す。
人の手で作ったとは思えない成功か作りだ。こんなものを紙で作り出すなど、効率が悪い気がしてならない。
こんなの数回使ったらダメになってしまうではないか。もったいない。
それにしても一体どうやって水を注げばいいのか。
透明なボトルに紙コップを数回ぶつけてみた。通り抜けられる訳ではなさそうだ。
魔法なのか?何か解除する魔法でも?
しかし、店主は自由に飲んでくれと言った。なら自由に飲めるはずだ。
そして、みつけた蛇口。
どうやって入れたらいいかわからないまま、コップをしたに置いた際に自動で水が注がれた。
そういう魔法だったのかと、感心した。
冷たく美味しい水だった。
しばらくして店主がスパゲッティ、いやパスタを持ってきた。
「今日はミートソースですよ」
ミートソース……、グロイ名前だし、麺にドロドロした赤い液体が乗っている。
食欲をそそるものではないな。
しかし厚意は受け止めなくては。
フォークで麺をすくい、一口食べる。
そこからの記憶はあまり覚えていない。気が付いたら皿が空になっていたのだ。
食べ終わると同時に幸福感が体を包む。
サラリスはようやく、助かってよかったという感情を抱いた。
「おかわりいります?」間髪入れずに近寄る店主。
「いや、一杯でお腹いっぱいだ。ありがとう、非常に満足した」
「そうですか。それはよかったです」
店主が皿を下げに店の奥へと消えた。
ここは何でも屋と言っていたな。
確かにいろいろなものがある。そのどれもが見たことのないものに思えた。
流石に、流行に疎い自分でもこれはおかしいと分かる。
戻ってきた店主に尋ねることにした。
「ここは何を扱っている場所なのだ」
「え?なんでも、ですが」
はぁ、と答えるほかない。突っ込んで質問しようにも、あまりに未知なものばかりだ。
試しに、棚に置いてある商品の一つを指さす。あれは何かと。
「ああ、あれは水筒ですよ。最近のは温度の保存に優れていますから、おススメですよ」
黒色の、おそらく鉄でできたボトル。
精巧な作りで、水を持ち運びできるらしい。しかもずっと冷たいまま、温かいお湯も大丈夫とのことだ。
水筒と言えば、動物の胃袋を加工したものが一般的だが、まさかそれを鉄で仕上げてしまうとは。発想と、その技術力に脱帽した。
不思議な場所に不思議な商品。
「……売っていただけないだろうか」
「ええ、もちろんです」
「あ、お金が……」
「また今度いらしたときで構いませんよ」
「そ、そうですか」
初めて来た自分に、商品を対価なしで渡してくれるらしい。
次いつ来られるかわからないと伝えたが、それでもいいと。
なんだか、この人に嫌われたくないと思った。
もっと強くなって、安全マージンをもってこの地下29階層に来られるような冒険者にならなくては。
そして、この人にお金を払うのだ。
そしたら対等な立場になれる。この不思議な商品でいっぱいの何でも屋に、客として来られる。
なんだか、初めて自分の居場所を見つけた気がしたのがこの時だった。
「世話になった。うまい飯と、水筒をありがとう」
「はい、またいつでもお待ちしています」
頭を下げた。純粋にこの人に感謝がしたかったのだ。
「あと、これも持って行ってください」
去り際に店主が差し出したのは、2本の剣だった。
なんでも自分の倒れていた側に、鞘が転がっていたので剣士ではないかと目星をつけていたそうだ。
それなのに、剣を持っていなかったのはどこかで落としたのだろうと。
「お金はいらないですから、持って行ってください」
「そんな、こんなに良くしてもらって、なお剣を貰うなど」
「でも手ぶらじゃ危ないダンジョン内ですから」
それもそうだ。
申し訳なく思いながらも、片方の剣を受け取る。
しかし、半ば強引につかませれる2本の剣。
「一本で構わないのだが」
「一本より、二本の方が安心です」
「うん」
サラリスはもうそれ以上何も言わずに、2本の剣を受け取った。
その日以来、彼女は双剣使いのサラリスと知られることになる。
「……ここは?」
「眠っていたようだね。サラリスはここに来るといつも気持ちよさそうにソファーで寝ますね」
店主のタケルがクスクスと笑っていた。
どうやらタケルが店の奥に消えている少しの間に、眠りに入っていたようだ。
すごく長いこと夢をみていた、3年前に初めてこの店に来た時のことを。双剣使いになったときのことを。
「よだれ、出ていますよ」
「やっ」急いで袖で、拭った。
見られてしまった。
でもいいのだ、初めてじゃないから。
それにこの場にはもう自分の居場所だと感じていた。よだれくらい、今さらだ。
「スパゲティのミートソースがけ持ってきましたよ。あ、パスタですね」
「うわぁー」
湯気をたてる、目の前の料理に目を見開いた。
お腹は当然空いていたが、それよりも、大好きな店で、大好きな料理を食べられることが何よりもうれしかった。
サラリスは、こうして地下29階で栄基を養うのだった。