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私の場合。

作者: 大正ふにに

 『寿命測定機』


 それが、新しく発明された機械の名前だ。

…なんの事はない。

読んで字のごとく。

ありがたい事に、この機械は寸分違わず被験者の寿命だけを教えてくれる。

人生を豊かで有意義なものに、の声のもとに開発されたこの機械は、まるで未来の見える預言者のごとく人の寿命を言い当てるのだ。

すでに、データは揃っている。

結果、寿命測定機の告げる寿命は100%正確。

どうあがいても、告げられた寿命が天寿。運命は変えられない。


 アナタノ寿命ハ、アト6ヶ月ト3日デス。


 機械的な音声が、唐突に私の人生に幕を引いた。



 丸一日、私は考えて、そして次の日、仕事を辞めた。

辞表を提出した帰り道、公園を散歩する。

これまでは仕事の行き帰りに目の端に止めていただけの公園だった。

 天気が良い。

季節は6月で、緑の匂いを運ぶ爽やかな風が私を掠めて吹いていった。

さほど広くはない都会の公園には、それでも人の姿がある。

ベビーカーを大事そうに押す若い母親。

駆け回る小さい子供や、ハトに餌をやるおじいちゃん。

 ビルの合間に挟まれて、公園の半分は陰になっていた。

日の当たる場所を選んで、私はスーツのまま公園を歩く。

立ち止まって見上げると、ビルに切り取られた狭い青空が見えた。

青々と枝を伸ばす桜は、風に揺らされれば木づれの音が耳にやさしい。

私は桜の下までゆっくりと歩き、その汚れた幹へと手の平をくっつけた。

ひんやりと私の手の熱を吸収する。

 残念だと思う。

あと半年では、桜の花はもう見られないだろう。

忙しくて、今年は花見もできなかった。

こんな事なら、もう少ししっかりと見ておくんだったと僅かに後悔の念がよぎる。

日本の桜は、八重桜も一重の桜も美しい。

八重桜は豪華に、一重の桜はひっそりと、それぞれに趣があって良い。

来年も頑張れよ、と私はまだ細い幹を数度強く叩いた。

近くにいたハト達が一斉に飛び立つ。

やけに大きく羽音が響いて、私は音を追って空を見上げる。

小さな青い空をぐるり、2回ほど迂回してハトの影は視界から消えていった。


 日に日に陽射しが強くなって、やがて夏がやってくる。

あれから、私は毎日のように私の周りを散策している。

何が私を包んでいたのか、しっかりと記憶に留めておこうと思った。

 夏の陽射しを直接肌に浴びたのは、一体何年ぶりだろう。

実家近くのあぜ道を歩きながら、私は眩しさに目を眇めた。

周囲に広がる田んぼには水が張られ、随分と育った稲が心地よさげに揺れている。

足もとの砂は、私が歩くたびに乾いた音を立てた。

田んぼを囲む山々からも、近くに植えられた樹木からも、ひっきりなしに蝉が鳴いて耳の奥でわんわんと反響する。

 心がはしゃいだ。

子供の頃を思い出した。

自然、足が動いてスキップを始める。

暑くて湿気を孕んだ風がどんどんと私を駆け抜けて後ろに流れていった。

 しばらく進んで、足を止める。

私は周囲を見まわした。

真昼の広い田んぼには誰の姿も見当たらない。

私はほっと胸を撫で下ろした。

楽しくなって、少し笑った。

 私は自由だった。


 周りの人の顔をしっかり見ておこうと思った。

実家の父と母。

私が帰って来たのを喜んで、夕食にはたくさんのメニューが食卓に並べられた。

じっくりと味わう。

懐かしい味が、舌を満たした。

 父と母の顔を交互に見つめる。

随分と、老けたと思う。

黒かった父の髪は、今は随分薄くなって、白いものが混じっている。

精悍だった顔にも皺が増え、瞼は少し弛んで、表情も幾分柔らかくなった。

黒髪の美しかった母も、束ねた髪には白髪が目立つ。

目の回りには皺が刻まれて、笑うとそれが深くなった。食卓に置かれた手にはやはり皺が目立ち、表面には艶がない。

 ありがとう、と私は言った。

私を生んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

父と母は、驚いた表情で私を見返し、どこか照れ臭そうに笑ってくれた。

豪華な夕食の事を言っているのだと、思ったのかもしれない。


 一人暮らしのマンションに戻ったのは、秋が忍び寄る9月だった。

1ヶ月近く空けていたワンルームマンションは、出た時のままなのにどこか他人の匂いがした。

戻って来ると、都会の夜は騒がしかった。

夜なのに、たくさんの光が窓越しに煌いていた。

薄い壁が、隣の生活音を運んでくる。

しばらく耳を澄ませて、音だけの世界を堪能した。

昼はまだ暑いのに、裸足の足の裏に触れるフローリングはひやりと冷たかった。

 次の日に、私は長年付き合っている彼の休みに合わせて散歩に出掛けた。

私のリクエストに合わせて、彼は文句も言わずに近くを一緒に散歩してくれた。

あちこち歩いて、夕方の柔らかい陽射しが斜めに影を引き伸ばす頃。

私達は一面のススキ野に辿りついた。

休もうか、と彼が言ったので、二人してススキの間、僅かな平地に腰掛ける。

まるでかくれんぼでもしているように、二人の姿はススキの間に埋もれた。

 最近どうしてるの、と彼が尋ねた。

私が突然仕事を辞めて、彼は私を心配してくれている。

寿命の事は、私以外はだれも知らない。

変な気を回されるのも、妙に気遣われるのも嫌だった。

 とても充実しているの。

そう答えると彼はどこか困ったように笑った。

3年間、ずっと隣で支えてくれたその人に、私は笑い返した。

言わなくてごめんなさい。

ほんの少し、苦い気持ちが胸を過ぎった。

代わりに私は、彼の頬にキスを寄せる。

大好きよ。

呟いた言葉に、彼は私をそっと抱き寄せた。

温もりが心地よい。

どうしてこのまま一つに溶けてしまえないのかと、不思議なくらい、その胸の鼓動は近くにあった。


 木枯らしが吹き始めれば、青い葉は夕焼けを映しとったかのように赤く染まり、風に舞いながら地面へと落ちる。

一枚の紅葉を、たくさんの枯葉の中から選びとって、私は目の前にそれを掲げた。

虫食いの穴が開いている。

そこから空を覗き込むと、冬を前に重い雲を浮かべた空が落ちてきそうだった。

 なにしてるの、と友人が笑う。

私は彼女を虫食いの穴から覗いて笑い返した。

 世界を見てるの、と答えると友人は首をかしげる。

あんたの世界はそんなに狭いの、と。

 私は紅葉を風の中に解き放って、飛ばされて行くのを眺める。

乾いた音を立てて、落ち葉の中に埋もれる紅葉を見送ってから視線を戻した。

じっと友人を見つめる。

なによ、と彼女がこちらを見返す。

10年来一緒にいる友人は、彼女くらいのものだ。

 愛してるからね、親友。

少し冗談交じりにそう言うと、彼女は変な顔をした。

 なによ、気持ち悪いわね。

そう言いながらも、彼女の顔は笑っていた。


 白い雪が舞い降りはじめて、やがて世界は銀色に染まる。

雪は視界に映る何もかもを、ひっそりと、白く染め上げて包み込む。

夜明け間際の薄闇に、白い街はぼんやりと光を放っているかのように見えた。

結露で白く曇った窓ガラスを、指先で引っ掻く。

指の温もりで溶けだした水滴は、幾つもの細かい水滴を巻きこんで静かにガラスを滑り落ちていった。

 窓を開ければ、身の縮むような寒気。

私は目一杯、早朝の生まれたての空気を肺へと吸いこんだ。

きゅっと、まだ眠りを引き摺っていた身体が引き締まる。

窓枠に薄く積もる雪に触れれば、冷たくて、だけどほのかに暖かい。

僅かに掬いとって掌に握り込む。

手を開けば、雪は跡形もなく、そこには小さな水溜りが光を映していた。

 カレンダーは12月。

あれから、半年が経った。

12月の日付に一つの赤い丸がある。

そこから先には、何の書きこみもない。

斜線で消した日々は、もう少しで赤丸まで辿りつく。

 私は、用意しておいた便箋を取り出した。

ペンを持つ手が、寒さにかじかんでいる。

一つ、深呼吸をしてから、私の手は角張った字を白い便箋に連ねていく。

それは遺書ではない。

手紙だ。


『お母さん、ありがとう。

 私を生んでくれてありがとう。

 

 お父さん、ありがとう。

 私を叱ってくれてありがとう。


 大好きなあなた、ありがとう。

 私を好きと言ってくれてありがとう。


 大切な友人たち、ありがとう。

 こんな私に付き合ってくれてありがとう。


 これまでの人生で巡り会ったあなた達。

 言葉を交わせて、挨拶できて、あなた達に出会えて、嬉しかった。

 ありがとう。


 私を取り巻いていたモノ。

 私の生きていた環境、時間、記憶。

 私の身体。地球の大地も、太陽の光も。

 全てのものに、感謝を。


 ここに生まれてきて良かった。

 悔しい事も、悲しい事も、腹の立つ事も、たくさんあったけれど。

 だけど今まで生きてきて、生きてこられて良かった。

 終着点に立って、振り返ってみて初めて、私は心から幸せだったと思う。

 いろんな人に支えられ、いろんなモノに囲まれて。

 なんとなく生きていた時には気付かなかった。

 たくさんの命が私を取り巻いていて、そうして生かされている自分。

 生きている自分。

 ありがとう、ありがとう。

 私の知り得る全ての事に、ありがとう。

 私はとても、幸せでした。』


 私は、自分の死を認識した。

そうすることで初めて、生きている自分を見つけた。

生きている私を、生かしてくれているモノ達の存在を見つけた。

それは素晴らしい事。

 手紙を書き終えると、私はそれを4つに折って机の上に置いた。

一つ伸びをすると、視界の端に赤く染まった街並が見えた。

朝焼けだ。

街を覆う白い雪は炎のように赤く輝いて、滴り落ちる雪解けの水は朝焼けを映して煌く。

目の奥を焼くような赤色に、私は睫毛を伏せた。

 残された僅かな時間。

1秒1秒が、今の私にはとても大切な時間だ。

今日は何をしようかと、私は腰を上げた。

今、私は精一杯「生きている」。


そうしてこれは、『私の場合』。


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