Lesson1「怠惰で無二な日々こそが、ぷりん部の活動方針だッ!」 05
事件とは唐突に起こるものである。中央通りを神田から秋葉原へ向かった先に万世橋という橋がある。そのオタクの聖地と呼ばれる出入り口に私は立っていた。いや、立ち往生していた。
女子柔道部を覗きに行った矢先にキララに返り討ちにあい、トボトボと万世橋を渡っているときだった。橋の袂にたたずむ独りの麗しき乙女がいた。可憐な彼女はどうやら困っているらしい。彼女の両肩を固めるように二人の男性がヘラヘラした顔で話しかけている。どう見ても、新作のゲームソフトや二次元のアニメーションの話をしているようには見えない。
彼女はナンパされているのだ。
逃げようにも男たちに退路を塞がれ、後ろには、お世辞にも綺麗とは呼べない神田川が流れている。
「やめてください」
これは彼女の声である。差し出される男たちの卑猥な手を懸命に払う抗議の声である。
「いいじゃん。ここであったのもなんかの縁じゃない」
過去と未来が決まっている運命論を説いているのなら、お門違いも甚だしい。そんなものは結果論にすぎない。
しかし、変だな。絡まれている可憐な乙女を、私は以前会ったことがある気がする。はて? この感じはなんだろう。既視感というものだろうか。
それに、絡んでいる二人組にも見覚えがある。八十年代を彷彿とさせるパンチパーマ。もう片方は、鶏を模したようなツンツン頭。彼らはタイムマシンでこの時代にタイムスリップしてきた過去人なのでは?
そんな使い古された設定は、秋葉の街に取って捨てるほど転がっている。そもそも過去に、そんなテクノロジーが存在するわけもない。
私が厨二病の思考回路に悶々としていると、時代錯誤の鶏頭が私に気がついた。
「あっ! お前、あの時の」
鶏頭の声を聞いた私は、全てを思い出し、
「人違いだッ!」
と、慌てて万世橋の上で踵を返した。
デジャビュなのではない。数ヶ月前に彼らと出会っているではないか。奇しくも、万世橋の袂で……
あれは、三月の上旬。三年生である師匠の卒業式を終えた私たちは、思い出の場所である万世橋を渡っているときだった。やはり、先ほどと同じ八十年代を模した髪型二人組が、先ほどの乙女を拐かしていた。
……んっ! 先ほどの?
そうだった。先ほどナンパされていた乙女。彼女もあの現場にいた女性ではないか! なんてことだ。また、同じ二人組にナンパされるとは……
ナンパされて困っている乙女を見つけた師匠は、自然と川の流れに身を任せるように男たちの後ろに立つと、
「貴君は彼女の友達か?」
師匠は、茄子のような丸みのある顎を右手でさすりながら呑気に話しかけた。
「なんだテメェ。どっか行ってろオッサン」
鶏頭が師匠を睨みつける。
物事を分析した切り口は鋭い。確かに、師匠の実年齢は十八歳だが、見てくれだけなら三十歳と言われても納得できる老け顔だ。だが、切れすぎる言葉は、師匠の堪忍袋の紐もプッツリ切った。
「はっはっはっ。確かに精神年齢は貴君より上かもしれん。公衆の面前で、貴君のようなハレンチ極まりない行為など儂にはできんからな」
「ああ? なんだとゴラァ」
鶏冠に来た鶏頭が、師匠の顔面へ目掛けて拳を突き出す。
師匠は悠然とそれを躱すと、相手の拳を逆手に掴み、捻り、あらぬ方角に男を投げ飛ばした。
バシャーンと、神田川に落ちる音が聞こえ、私が橋の下をのぞき込む。すると、プカプカ浮かぶ桜の花のように鶏頭は、静かに隅田川へ流れていった。
鶏頭は命拾いした。師匠をオッサン呼ばわりしたのだから、片側三車線の中央通りに投げ飛ばされても文句は言えまい。
その後まもなく、パンチパーマの男も隅田川に流れていったことは言うまでもない。
そんな所要時間二分のムニャムニャが、セピア色のパノラマ映画として脳裏に写し出される。
なんてことだ。今日は厄日なのか。師匠がいない今を狙うなんて。そもそも、お前たちを投げ飛ばして隅田川まで流したのは師匠であって私ではない。
私は文句の一つでも言ってやろうと、走りながら後ろを振り向くと、アホ面下げた二人が直ぐそこまで来ていた。奇しくも私が逃げることで、麗しの乙女を守ることになったみたいだ。師匠とは大違いである。
口まででかかった文句を流し込み、私は須田町の交差点を左折し、通行人の川に飛び込んだ。