アダマス -1-
テラにおいて、宇宙船を有することを許されたものは教皇と七枢機卿。
特に教皇専用宇宙船、通称「アダマス」は、その大きさにおいても、機能においても群を抜いている。もちろん、枢機卿がこの「アダマス」を凌駕するような宇宙船を所有することは許されていない。
だがこのアダマスは宇宙船とはいえ、実際テラの所属する太陽系外へ出たことはただの一度もない。地上において、移動する教皇の王宮であり聖堂であり、もう一つの零シティともいわれる。また、その強大な攻撃力は零シティ、そしてテラの、守りの砦ともいえる。
ジュールがいない零シティにおいてその指揮権と零シティの警備体制の全権をゆだねられたのがエドゥアルド・ロッシ枢機卿。新王ジュールの古くからの友人でありながら、レッドスコーピオンともテラ解放軍ともつながる男である。
東洋系の母から受け継いだ黒い瞳と黒い髪の色。成人して間もなく、事故で愛する両親を失った彼は、現枢機卿の中で一番若年の枢機卿でもある。一見凡庸にも見えるその容貌は、見るものに安心感を与える。それは彼の隠れた長所であり、武器になるともいえた。今回の騒動とて、彼の力が無ければ起こりえなかったであろう。
レッドスコーピオンによって救出されたヴェルヌは、そのままアダマスへと迎え入れられた。
かねてからの打ち合わせ通りである。
レッドスコーピオンはヴェルヌをアダマスへと送り届ければ、今回の作戦からは離脱する。これから起こる混乱に乗じて、リンバルド枢機卿所有の宇宙船「フォルトゥナ」を表向きには強奪し、宇宙へと飛び立たねばならない。
アダマスへとヴェルヌを送り届け、別れ際にエヴァンジェリンは一度だけ、かつての主人であるヴェルヌをきつく抱きしめると、言った。
「これから先、テラが、テラとして生き延びていくためにはあなたの力が必要だと思う。私はどこにいてもあなたが望むなら、あなたの力になる」
エヴァンジェリンがヴェルヌのガーディアンとなった時、ヴェルヌはまだどこかあどけなさの残る少年だった。エヴァンジェリンによく懐いたその少年を、彼女はどこか姉のような気持で守り続けていた。
そんな二人の様子を見ていたアルフレッドが一言添える。
「レッドスコーピオンは宇宙のサソリになる。だが、お前の依頼なら、何をおいても受けよう。もちろん、秘密厳守だ」
そう言って笑ってみせる。
その笑顔を残してレッド・スコーピオンはヴェルヌと別れた。
こうなることをヴェルヌは自らが望んだわけではない。兄が教皇となれば、それを支えていくのが己の役割だとつい数時間前まで思っていたのだ。
だが、まるで逃れることのできないアリ地獄にはまったかのようにどんどんとテラの中枢へと落ちて行く。
そして今一歩を踏み出す。ヴェルヌはアダマスの指令室に司令官として迎え入れられようとしていた。
アダマスの巨大なイカの頭のような流線型の機体の中の指令室は意外なほど広い。
中央には細かく分割されたスクリーン。そこから、右と左には大きなスクリーン。いくつかあるデスクには備え付けのディスプレイが設置されている。
いくつかのデスクにはヘッドセットを付けた隊員が席についている。
ロッシが、あいさつもそこそこに言った。
「とりあえず、ファーストシティ郊外の着座式・神化の儀の会場へ向かいます。ジュールからも援軍の要請が来たところです」
アダマスの巨体が轟音と共に移動を始める。
「私達の最初の予定ではテラ解放軍がジュール様を確保することになっています。そしてジュール様を盾に私、そしてヴェルヌ様と取引をする。ジュール様の身の安全と引き換えにヴェルヌ様がテラの王、そして教皇となる。そういう筋書きです。ただ、テラ解放軍よりジュール様確保の連絡が入りません」
「ロッシ枢機卿。ですが、兄にはガーディアン部隊がついているのでしょう? そうやすやすとは捕まらないのでは……」
「彼は……ジュールは……それを、知っている」
そう言うと、ロッシの眉が、ぐっと引き寄せられて眉間に深いしわを作った。
「え? なんです? どういう意味です?」
だが、ヴェルヌの問いの答えが発せられるより早く、アダマスは目的地に到着した。
会場内に響いていた銃声は、アダマスの出現により、ピタリと止んだ。
すでに到着していた、テラ解放軍の装甲車部隊によって解放軍側に傾いていた戦局が一気にテラ教側へと変わる。
アダマスの機体をみとめると同時にテラ解放軍側本部は、会場内で戦闘中の兵士へ撤退命令を下した。装甲車舞台は、兵士を回収したのち後方の本部へとさらに退くよう指示を与えられる。
会場内のテラ解放軍の兵士が退いていくと、テラ教側のガーディアン部隊はアダマスへ搭乗した。息つく間もなく、ガーディアンブランは指令室へと急ぐ。
「では、ジュール様は零シティへ戻ったというのか!?」
ガーディアンブランの報告に、ロッシが珍しく声を荒げた。呆然としたように右手で額に手を当てる。その様子を見守るヴェルヌが声をかけた。
「ロッシ枢機卿。私はあなたと兄を幼いころから見てきた。兄の行動には時々わからないこともあったけれども、今回のわたしが、テラへ帰ってからの一連のあなたと兄の行動は、わからない。……いったいあなたと兄は何を考えていらっしゃるのです?」
ロッシは額に当てた手の間からヴェルヌを見た。
「わたしも、あなたの兄上も、テラのことを。テラとあなたのことをいつでも一番に考えております」
そう答えると、暫くの間うつむいたが、その後に面をあげた表情にはもう、迷いの色は無かった。
「ヴェルヌ様、私はアダマスを降りねばなりません。ジュールがまさかここで零シティの大聖堂へ向かうとは! これだけは私の予想外でした。わたしは彼を追います。アダマスに搭載されているスウィフト(最新型超小型戦闘機の通称)を一機お貸しいただきたい。アダマスの指揮権は今は私にあるが、それをあなたへ移譲する」
ロッシと驚きを載せたヴェルヌの視線がぶつかる。