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零シティ  作者: 観月
第一章 追憶の日々
21/39

Ready  -2-

五日前


 零シティ内のウルフ・リンバルド枢機卿の屋敷。 

 その執務室の窓からは久しぶりに昏い陰りを見せる空があった。

「そろそろ、一雨欲しいね」

 そういうと、リンバルド枢機卿はデスクの前に立って彼を見るアルフレッドを振り返った。

「何か不都合はないかい?」

 七十近い老齢でありながら、大柄な体格、背筋の通った立ち姿は、アルフレッドと並んでも遜色ないものだ。ただ確かに、その表情にはしわが刻まれ始めていたし、髪は黒い部分より白いモノの方が多いようだった。

「今のところは。何から何まで、感謝しています。俺たちにできることがあったら、言ってください。最後の一仕事になるかも知れないし」

「宇宙に行ったからといって、縁が切れるわけじゃないだろう? これからも期待してるよ」

 それを聞いてアルフレッドは小さく笑った。




 同じころ、地球から最も近い距離に建設された宇宙ステーション。

 数ある宇宙ステーションの中でも最も古い歴史を持つそれは、建設当初は第一ステーションと無機質な名前で呼ばれていたが、今現在は「ウーラノス」という名が与えられていた。ガイアの息子にして夫、天空の王の名だ。

 そのウーラノスの中の、一般の人間が立ち入ることを禁じられているこのステーションの中枢部分の応接室に、テラへの帰還を明日に控えたヴェルヌ王子は腰を掛けていた。彼の向かいに腰を掛けているのは宇宙連合議会ナンバー2であるところのイワノフ議長。小さな飾り気のない部屋だったが壁面の強化ガラスの先には漆黒の宇宙が見えた。

「兄上に、よろしくお伝えください」

「ぼくにできるだけのことはします……でも……」

 兄のジュールとよく似た面立ち。その中で濃い青い瞳がさまようように揺れた。

「ヴェルヌ王子」

 煮え切らない様子のヴェルヌにイワノフはいら立ちを見せた。

「連合は各ステーションや惑星を緩やかにまとめてはいるが、強制力のある組織ではない」

 イワノフは激した様子ではないが、有無を言わせぬ口調でもある。

「連合の総意としてはテラのテラ教による統治を認めてはいる。だが、個々の星の中にはそれを良しとしないものも多い。わたし達のふるさとをテラ教のみが我がものとしていると考える勢力もいるのだ。ジュール殿下がそれに歩み寄るような姿勢を示されなければ、その勢力がどう出るか、私にもわからないのです」

 細く矍鑠とした体をブラウンのスーツに包んだ初老の男が言い放った。

「彼らは、零シティに住む人々がその他のアウトサイドの人々を抑圧しているといっている。君だって、それがあながち嘘ではないとわかるだろう?」

「はい」

 ヴェルヌはイワノフから目を逸らし、絞り出すようにそれに答えた。

「連合からの親書を無視するような態度に出れば、アウトサイドの、零シティからの開放、そう唱えてテラへ侵攻するものがあっても、我々は手をだせません。そうなれば、我々の故郷は戦火に包まれる。どんなに戦力に差があろうとも、そう簡単に決着がつくものではない。テラが疲弊することを連合としても避けたいとは思っているのですよ」

「ですが! 議長!」

 ヴェルヌの握りしめた手がテーブルの上で震えた。

「わたしにも、兄が何を考えているのか、わからないのです。何度もそのことについては訴えています。兄だって、それをわかっているはずなのに……」

「ジュール殿下が、今回も私たちの親書を受け入れなければ、あなたも覚悟を決めることです。あなたさえ、覚悟を決めてくだされば、連合はあなたに力を貸すこともできるのですよ? 兄上を取るのか、テラの平和を取るのか……」

 ヴェルヌは、抜けて行きそうになる力をかき集め、意識してギュッと手を握る。

 時が動こうとしている。

 父によって抑えられていたものが、今、吹き出そうとしている。

(兄は、あの人はぼくのために母を殺害した)

 公にはされていない話だった。二人の母親であるエリーゼが、ある日からヴェルヌに執拗に誘いをかけるようになった。生まれてから二人きりで会ったことのない母からの誘いにヴェルヌは戸惑った。

 幼いころ、ジュールはよくヴェルヌの面倒を見てくれていた。ヴェルヌにとっては父よりも母よりも兄の方がよほど近しい存在だった。

「ヴェルヌ、母がお前を誘うようになったら、必ず私に話してくれるね?」

 物心つくころから、ジュールに何度もそう言い含まれていた。

 だから、迷うことなく母のことを兄に相談した。

 兄は、その話を聞くと、にっこりとヴェルヌに笑いかけた。

「ヴェルヌ。教えてくれてありがとう。今日は私が母上の部屋へ行くから、お前は心配しないで大丈夫」

 そして、その夜、ヴェルヌのもとに母エリーゼが事故死したとの知らせが届いたのだ。

 母と兄にまつわる怪しげな噂が自分の耳にも入っていた。

 母の死に対する小さな疑惑は、成長するにつれ確信へと変わっていった。誰にも知らされぬ真相。ただ、噂のみが靄のように漂う。どんなに確信を持っていようとも、父と兄がそれを隠そうとする限り、当のヴェルヌとてそうやすやすと確認するすべはなかった。

 そして、その日以来、あれほど優しかった兄がヴェルヌから距離を取るようになっていったのだ。

(兄さんは、優しく賢い人だった。なのに、何故こうも頑ななのか。いったい兄は何を考えているのだろう)

 兄が好きだった。幼いころ、両親から与えられなかったもの、でも、欲しかったものを与えてくれていたのは兄だった。

「わかりました」

 イワノフにそう答えながら、ヴェルヌは窓のをとに広がる星々をただ空っぽな心のままに見つめた。



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