レッドスコーピオン -1-
崩れ傾いた姿を見せながら砂に埋もれるビルの残骸。
見渡す限りの砂漠には人間の姿は見えなかいが、そのビルの残骸からは、断続的に連射される銃声が響いていた。
建物の中にも砂は入り込み、落ちた天井の上にも降り積もり、砂丘のように盛り上がる。
その建物の中は、血の匂いに満ちていた。
血にまみれた死体に囲まれ、かつてキャビネットだったと思われる過去の遺物にコードネーム、β《ベータ》とω《オメガ》は隠れていた。一瞬訪れた静寂に息をひそめる。
人数の多かったターゲットを、何とか後数名と言うところまで追い込んだ。しかし、はあはあと荒い息と上下する肩は、疲れを隠せてはいない。
二人とも、フードの付いた上着をきっちりとかぶり、口元を覆い隠すマスクも着用しているために、その表情はわからない。フードとマスクの間から、目だけが、ぎらぎらと光った。
長身のベータがキャビネットの影の中で目を閉じて、後ろの気配に神経をとがらせながら、息を整えている。ベータより幾分小柄なオメガは、そっと、キャビネットの影から後ろをうかがった。
オメガの瞳が頭上に大きく開く天井の穴へ向けれた時、きゅっとその目が細くなった。
オメガはトントン、とベータの肩を指先でたたく。
目を開いたベータとオメガの視線が交わる。
オメガはキャビネットを飛び越えると走り出した。ベータが身を起こし、キャビネットに身を乗り出して、後方からの援護に回る。
ダダダダダダダ……ダダダダダダダ……!
ターゲットの隠れていた崩れた棚の付近から、雨のような銃弾が撃ち込まれる。
そのとき、天井に大きく空いていた穴の中から、第三の人物が銃を構え飛び降りてきた。
棚陰に隠れていたターゲットはこの、第三の人物、コードネームα《アルファ》の、存在に全く気付いていなかった。
あわてて振り返り、一人の男が何とかアルファに照準を合わせる。だが、そこまでだった。男の手にしたサブマシンガンは火を噴くことなく転がる。
銃声は止み、あたりは驚くほどの静けさに包まれた。
生き残ったのは三人。
天井から降ってきた男は転がる男たちの絶命を確認しながら、キャビネットに座るベータの隣へと歩いてきた。
キャビネットから飛び出していたオメガは、転がった男たちの身体を改め、金目のものをはぎ取っていく。
「今回の仕事、男ばっか。つまんねえな。大した実入りもねえし」
オメガは面白くもなさそうに大声を出すとフードとマスクをずらしながら仲間を振り返る。
現れた男の顔は、浅黒く日に焼けて精悍だがどこか狡猾な光を目にのせていた。
その男の声にキャビネットに腰を預けていたベータが眉をひそめて銃口を向ける。
「お? なんだ、やろうってのかβ(ベータ)」
二人の視線がぶつかる。
「おまえ、おきてを忘れたわけじゃあるめえ?」
銃口に狙われたオメガは挑発するようにベータに向き直ると胸を反らせてみせた。
フードからわずかに銀色の髪をのぞかせたベータは、微動だにせず男に銃口を向け続ける。
「ベータ、やめろ」
アルファが声をかけると、ベータの指はピクリと震えた。
「ベータ、おまえがそいつを殺したら、俺がお前を殺らなくちゃあならなくなる」
アルファはベータの手から、銃をもぎ取ると言った。アルファは三人の中では最も背が高く、細身ではあるが、肩幅もある。がっしりとした大人の男を思わせる体格だ。一方ベータの方は身長はアルファに迫るが、心なしか線が細い。
「だとよ、ベータ。残念だったな」
一番小柄なオメガはけけけ、と笑った。
「なあα(アルファ)お前、ボスと直ではなしできんだろ? 言っといてくんねえか? 今度俺に回す仕事は女子どものいる仕事がいいってさ。最近女子どもヤッてねえわ」
「ω(オメガ)、お前の趣味に合わせて仕事は来ない。おまえがどんな下種野郎でも知ったこっちゃないが、俺やベータの前ではやめてもらいたいもんだな」
アルファは不機嫌さを隠さずに言った。ベータは、キャビネットに腰を預け、腕組みをして、あらぬ方へ顔を向けたまま、何の反応もしない。
「へいへい、仕事さえこなしゃ、あとはどうとでもと言うのが俺たちレッドスコーピオンの決まりだったはずだけどな。え? 絶対エースのアルファさんよ?」
アルファはオメガの声を聴きながらフードを取った。フードの下からはこぼれるような金糸の髪がふわふわと陽の光に輝いた。下がった目じり中にはサファイアの瞳が瞬く。
「絶対エースのアルファに、特別待遇のベータか。口のきけない奴なんて、めんどくさいだけじゃねえかよ?」
建物の出口へ向けて歩を進めながら、通り過ぎる一瞬オメガのぎらつく瞳がベータを見た。その瞳から逃れるようにベータは顔をそむけた。
「だからベータが絡む仕事には俺も動くわけだろ?」
アルファがオメガの視線の先に笑顔で割って入る。
「意味わかんねえな」
「俺は、ベータと話せるんだよ」
「なんだよそれ、以心伝心か? テレパシーってのか?」
オメガは面白くもなさそうにつぶやいた。
ベータの方、今度は咎めるようにアルファを睨みつけている。
建物の入り口は完全に破壊されており、扉の体をなしていない。抜けた天上からは燦々と日の光が降り注ぐ。
そこに止められた一台のライトグリーンに輝くノンカウルタイプのバイクにオメガは近づく。
「オメガ! 銃と残ったマガジンを寄越せ」
アルファの声が飛ぶ。
オメガはちっ、と舌打ちをするとまずはサブマシンガン。続いて腰に巻いたバックを取り外すとアルファへ投げてよこす。
「あばよ! ベータ、アルファ! またよろしく頼むわ!」
勢いよくエンジンをかけると、壊れ崩れた入口からオメガは外の世界へと飛び出していった。
オメガがいなくなると、一層静寂が深くなったようだった。
「アルファ」
今まで、一言も声を発しなかったベータがアルファを呼んだ。その声は高くはないものの、確実に女性を思わせる声だ。そして、その声には怒気が含まれている。
「私は二度と、あの男と組んでの仕事は引き受けないぞ! 胸糞悪くなる!」
ベータは今までの沈黙がうそのように言い放った。
「私がレッドスコーピオンと契約するとき、二つの条件を付けたはずだ、一つは気に入らない仕事は引き受けない、もう一つはお前とλ(ラムダ)以外とは口を利かない」
「知ってるよ。女と知れるのが嫌なんだろう? だが、そこまで頑なにならなくても……ε(イプシロン)のように女を前面に押し出して仕事するやつもいるぜ?」
「私は彼女のようにかわいらしい女にはなれない。筋肉質のでかい女だし。女と言う性は面倒だ。私のようなものでも女だとわかればオメガのようなものはうるさく付きまとう」
そう言いながら、ベータは何かに気付いたように足元に目を向けた。どこで負傷したものか、ズボンが擦り切れ血がにじんでいた。
「ああ、やっちまってた……」
「負傷していたのか?」
アルファがベータの隣に跪くと腰のポーチから鋏を取り出して血にぬれた彼女のパンツを切った。
「大したことないから……やめろ!」
ベータが足をひこうとする。
「確かに、そうたいした傷ではないようだ」
笑いながらベータを見上げたアルファは、彼女の足首をしっかりとホールドしていた。
「このくらいならこの場で治せそうだ」
「?」
アルファがベータの足の傷の上に手をのせ、そのまま動かなくなる。
そにょうすを見ていたベータの顔色が蒼くなっていく。
「まさか! アルファ、お前、癒しができるのか!?」
アルファはうつむいたまま返事をしない。おそらく集中しているのだろう。
「おまえ……誰?」
ゾクリと、背筋に冷たいものを感じてベータは言った。
「癒しの力がある者は初代教皇ドゥシアス一世の血をひく王家のものだろう?」
アルファはベータの足から手を離すと立ち上がり、彼女の目を見つめた。
「……癒しの力があるから王家のものとは限らない。王家の者に癒しの力を持つ者が多いというだけだ」
「でも……癒しの力を持つ者は、零シティの外に出ることを禁止されているはずだ」
アルファがクスリと笑った。
「そうだ。だから俺の力は外に漏れてはいけない力だ。零シティなんかに閉じ込められるのはごめんだからな。これのことは、誰にも言わないでもらえるか?」
「わかった……」
そう言いながら、ベータの瞳は吸い寄せられるようにアルファを向く。
アルファは、ポーチの中から、小さく折りたたまれたザックを取り出して広げると回収した武器をぶち込む。
「なに?」
作業をしながらも、執拗におってくるベータの視線に気づいてアルファが言った。だが、いつもはっきりと物事を言うベータらしくもなく、思いあぐねるように口元にてをあてる。しばらくの間逡巡したのちにようやく口を開いた。
「……昔、お前とよく似た男を見たことがあるんだ」
「ふうん。俺と?」
しばらくは、先を話すでもなく、ベータは過去を思い出すように遠い目をした。
「いや、気のせいだ、すまない」
一度軽く目を閉じると、再びアルファを見て言った。
アルファの手が伸びてベータが被ったままだったフードを外す。
「汗かいてるよ。いつまでかぶってんの」
肩までの短めのウルフカットの銀髪が、フードの下から現れた。
居心地が悪いとでもいうように、ベータの視線が下がる。
「さて、行こうか。血なまぐさいところにいつまでもいるのは趣味じゃない。ベータ、一番近いシティまで送っていくよ?」
「ありがとう」
「なんなら一緒に宿をとる?」
「やなこった! お前もオメガと同類?」
フードから現れた瞳が吊り上る。
「いやだなあ。あいつみたいに誰彼かまわずじゃあないよ」
アルファは軽く笑い声をあげる。その笑い声にベータは小さい舌打ちで返した。
二人は歩きながら、崩れ落ちた建物の前に止まったオープンタイプの小型四輪駆動車に向かった。
「耳が腐る」
ベータが眉間にしわを思い切りよせながら乗り込んだ。