聖なる一族 -4-
ジュールのもとからレオナルドが去ってしばらくした頃、彼はエドゥアルド・ロッシと出会った。
七枢機卿の子息のうち、最もジュールと年が近かったのがエドゥアルドである。
ジュールが九歳、エドゥアルドが十歳の夏のことだった。
エドゥアルドは一年後の秋からテラの中等教育機関である、全寮制のテラ神学校への入学が迫っている。短く切りそろえられた硬めの黒髪。中肉中背、特別に人目を引く容姿ではなかったが、その年としては落ち着いていたし、彼の周りにはどことなく人をほっとさせる雰囲気がその頃からあった。
エドゥアルドは今、生まれて初めて、父に伴われ、教皇=王の住まわれる王宮へと足を踏み入れた。王宮は零シティ内のもっとも中心に位置している。
初夏の日差しが燦々とふりそそぐ部屋で、教皇であり王でもあるドゥシアス三世はロッシ枢機卿親子を迎え入れた。
エドゥアルドは右手を胸に。右足を後ろに引き、腰を落とす。これは父に教えられた、目上の方へ対するときの作法である。
王は頭に王冠をかぶり、きらびやかな赤を基調にした丈の長い、上着を羽織るという、正装だった。その上着は金糸銀糸で緻密な刺繍が施され、王に威厳を与えている。
「初めましてだね? エドゥアルド……実は先ほどまで息子のジュールもここにいたのだけれども、君を待ちきれなくて庭に遊びに出てしまったのだよ。どこかにいると思うから、探して来てはくれまいか?」
王が視線を左に向けると、全面ガラス張りの壁面の一角が開け放たれて、外からの熱い空気が流れ込んでいる。その先の庭は、芝に覆われ、木々が緑の葉を揺らしていた。
零シティは最先端の科学力を持ってはいたが、表に見える顔はいたって古風な景色だ。宇宙からテラへ降り立ったテラ教の信者たちが昔ながらのクラシックな町の姿に感動するのだそうだ。だから、街並みにも厳しい建築制限が掛けられている。
中心部に堂々と立つ王宮、隣接する大聖堂も、例外ではない。
大聖堂はいくつもの尖塔が天を目指し、どことなくゴシック様式を感じさせる。
王宮はと言えば、いたるところに飾られた絵画や彫刻。ステンドグラス。モザイク画。庭園。全てが混然となりきらびやかな空間を作り上げている。また、機械的なものはあからさまに見えないようにカモフラージュされている。この、王宮と大聖堂の下にこのテラの技術の粋を集めた最先端の設備が隠されているとは到底考えられない。
エドゥアルドは王宮の中庭を、ジュールの姿を探して歩いていた。
なにしろ、庭とは言っても広大な敷地である。ゆっくり散策しながら歩く。エドゥアルドは、一回りしても王子を見つけられなければ、一度王宮へ戻ろうと考えていた。
と、その時うっそうと茂った木立が途切れて、視界が開ける。
その中央に美しい彫刻の施された噴水が涼しげなしぶきを上げている。その前に灰色がかった長い黒髪を揺らしならが少年が一人、こちらに背を向けて立っているのが見えた。
(なに?なにをしている?)
エドゥアルドに軽い緊張が走る。心拍数が上がる。
少年は両手で何かを包み込むように握っていた。その手に赤いものが見える。
エドゥアルドは自然と歩みを速めていた。
「ジュール様っ?」
ゆるくウェーブのかかった黒髪。その顔が振り向きこちらに向けられる。何の表情も見て取れないような、白い面。
「どうなされたのですか? その、手の中のものは!?」
自然と、声が大きくなっていたかもしれない。
無表情だった白い顔が少し驚いたように、唇が開く。
「これか?」
少年は何かを包み込んだ手を自分の胸のあたりに持ち上げる。
「猫にでもやられたのか、血を流していたのだ」
そういって、彼は両手をそっと開いた。
「!」
エドゥアルドの目の前でジュールの手から小鳥が飛び立っていった。
しばしの間、エドゥアルドとジュールの瞳が、飛んで行く小鳥の軌跡を共に追った。
エドゥアルドははっと我に帰った。
「血が……」
エドゥアルドが言うと。
「ああ、私の血ではない。あの小鳥の。傷は治した」
そう言いながらジュールは目の前の噴水で手を洗った。
王家の者に伝わる癒しの力だ。はじめて目の当たりにした癒しの力。エドゥアルドは目の前の少年からしばらく目が離せなかった。
「あ、失礼いたしました……僕は」
「知ってる」
話し始めたエドゥアルドをジュールが遮る。
「エドゥアルド……だろう? お父様から聞いていた」
「そうですか、ジュール様、よろしくお願いします」
エドゥアルドは一つ年下と聞いている、自分より頭一つちいさな男の子に先ほど王の前でしたのと同じお辞儀をしてみせた。
すると、目の前の少年は、すっとエドゥアルドの前に右手を手のひらを上にして差し出しす。
「?」
エドゥアルドがその手に自分の手を重ねると、ジュールはエドゥアルドの手をつかんで歩き出す。
自分の手を引きどんどんと歩いていく少年の背中を見ながら、エドゥアルドは少しばかりワクワクとした気持ちになっていた。
目的地に着くと、ジュールはエドゥアルドの手を放した。
柳やナラ、ハシバミの木々がうっそうと生い茂る中に小さな小川が流れている。川底は細かい砂利。ジュールは白いシャツとひざ下のベージュのハーフパンツをはいていた。足元は茶色の革靴と白い靴下。その靴と靴下をさっさと脱ぎ捨てると、小川の中に入っていく。それからエドゥアルドの方を振り返ると、少し笑った。
エドゥアルドは白いシャツにベスト。ピンストライプのパンツだったが、ジュールにならって、靴と靴下を脱ぎ棄てると、ズボンの裾をまくり上げた。
ぱしゃん。
と、音を立てて小川に足を浸す。
小さな小川は、少年たちのくるぶしの少し上ほどしか水かさはない。
「ああ、あまり音を立ててはダメ……」
ジュールが口元に白く細い指をあてる。静かに、と。
待ってて。と言うようにエドゥアルドの腕に広げた掌を軽くあてた。エドゥアルドは自分よりも冷たく湿った手のひらの感触に、そのまま動きを止める。
ジュールはさらりと透明な川面に目を凝らすと、手を水の中へ差し入れて、何かをつかみ上げた。
「ほら」
「貝?」
ジュールの手の中には豆粒のように小さな巻貝があった。
「うん、かわいいでしょう? 良く見てごらん、小さな小さなお魚もいるんだよ」
「ほんとうだ」
「あまり、バシャバシャすると、逃げてしまうから」
そう言ったジュールにならって、透き通る流れにじっと目を凝らすと、銀色の小さな魚が見える。
さっと、掬い上げたが逃げられてしまった。
くすくすと、ジュールが笑った。
ジュールが小川のわきに置いてあったバケツを持ってきて、二人で魚やら貝やらを捕まえてはその中に入れた。
どうやらこの場所は、ジュールの気に入りの遊び場らしかった。
二人は、魚のつかみ取りに飽きると、足で激しく水しぶきをあげてびしょびしょになって遊んだ。
さんざん遊んですっかり冷え、びしょ濡れになった姿で王宮に帰り着くと、二人の父親は最初に目を丸くした。そして、次にはうれしそうに目を細めた。ドゥシアスが侍女を呼び、二人に着替えをさせるように言いつける。こども二人が侍女に伴われて、退出する。その後ろ姿を見ながら、ドゥシアスと、エドゥアルドの父親であるフェルナンドは、何かを心得たように頷き合っていた。