四粒~初めの章~
右京さんからの家族の役割発言から早一週間ほどが過ぎた。最初は戸惑っていた俺たちも、慣れるにつれて当たり前のことのように自分の役割を果たしていた。
「みなさ~ん、ご飯ですよ~」
楓さんの穏やかな声が響く。最近の朝の日課だ。その声を聞きつけて、俺たちはぞろぞろと食堂に集まるのだった。
「あ~今日もええ匂いやな~」
「ま、悪くないわ」
ニコニコ微笑む右京さんと、いつもより幾分柔らかい印象の葵さんが自室から現れた。
「美味しそうだ!」
「ええ、本当に。楓さんは料理がお上手ですね」
さわやかな笑顔の慎一さんと、穏やかに微笑む美幸さんも現れて自分の席についた。
「……」
「ほら、先輩しっかりしてください」
いまだ覚醒していない響さんと、響さんを支えながら現れたのは琥太郎さんである。響さんは生前極度の低血圧だったらしく、今でも寝起きは最悪だ。毎朝、琥太郎さんに起こされないと決して自分では起きてこない。琥太郎さんいわく、寝起きの響さんほど質の悪いものはないらしい。
「おはようございます」
一番最初に食堂に着いた俺は、集まってきたメンバーに挨拶する。すると、各々テンションに差はあれど『おはよう』と返してくれた。挨拶を済ませた俺は、いそいそと食卓にある本日の朝食と向き合った。
「今日は洋食なんですね」
「はい、いつも和食ばかりなので気分を変えてみようかと」
俺の目線の先には、こんがり焼かれた食パンが一枚とスクランブルエッグ、サラダにコーンスープに牛乳といったメニューが並んでいた。いつも思うことだが、楓さんは料理がうまい。それも並みのうまさではなく、ちょっとしたお店が開けるのではないかと言うほどの腕前だ。
「美味しそうです!」
「ふふ、ありがとうございます。今回は食パンに少し工夫してみたんです」
「工夫、ですか?」
花の咲いたように微笑みかける楓さんの言葉に、俺は視線をこんがり焼かれた食パンに移す。すると、俺より先に琥太郎さんが声をあげた。
「あ、僕の食パン、クマの絵の焼き目がついてる!」
琥太郎さんの言葉に、その場にいた全員が自分の食パンに視線を向けた。その様子を楓さんが楽しそうに見ている。
「俺のは……パンダや!」
「葵のは、ウサギみたいね」
「俺のは、ゾウだね」
「私のは……ネコですね」
「……ペンギン……」
「俺にのはイヌです!」
いまだ覚醒していない響さん以外は、皆興味深々で自分の食パンを眺めている。
「へ~こんなんあるんやな~」
「こんなのどこで手に入れたのよ」
ただただ感心している右京さんの横で、葵さんが不思議そうに質問をした。
「それは、私が持ってきたんですよ」
それに笑顔で答える美幸さんが、いったいどこからどうやって、こんな機械を持ってきたのかということはもはや問うまい。
「は~そんな事だろうと思った。もういいわ、さっさと食べましょ」
突っ込むことにも疲れたような葵さんが、いまだ食パンを眺めている他のメンバーに呼び掛けた。
「そうですね。では、冷めないうちにいただきましょう」
「「「「「「いただきます」」」」」」」
美幸さんの言葉に、俺たちは行儀よく手を合わせて食べ始めた。
「美味しい! 食パンの耳以外の部分を食べれるのいつぶりだろう」
両親が事故で死んでから、まともな食事をした記憶が俺にはない。パンと言えば、閉店後のパン屋でもらった食パンの耳だった。そのことを思い出し、思わず口に出してしまうとその場にいた全員が俺を見て固まった。
「……春輝……君はパンの耳ばかり食べていたのかい?」
「あ、はい。俺、両親死んでから金がなかったので」
おずおずと訊いてきた慎一さんに、過去においての俺の日常を語った。すると、右京さんが横から俺の肩をガシッとつかんだ。
「春ちゃん……俺のパン食べ」
「え? あの……」
右京さんのその言葉をきっかけに、食堂にいた全員が俺の皿に自分の食パンをのせはじめた。
「遠慮なさらないでください」
「あの、僕のもどうぞ」
「俺のも……やる」
「私のもどうぞ」
「全くこれだから貧乏人は!」
「俺のも食べていいぞ!」
いつの間にか俺の皿の上には大量の食パンが積み上がっていた。
「いや、皆さん、そんな」
「春輝さん、いいんですよ遠慮しなくて」
戸惑う俺に美幸さんがにっこりと笑いかける。
「そやで、春ちゃん。たんと食べや!」
そういった右京さんから視線を外し周りを見ると、みんなの視線が俺に集まっているのがわかった。
「ありがとうございます……ただ、その、こんなには」
みんなの好意はとても嬉しい。だが、こんなに大量の食パンを食べるのはきつい。そんな俺の戸惑った様子に、美幸さんがさも合点がいったという様子で手をたたいた。
「あ、そうでしたね。同じ味ではこんなに食べきれませんもんね」
そう言って、美幸さんは懐から何かを取り出した。
「……ジャム……ですか?」
「さすが幸ちゃんやな!ナイスやで!」
出てきたのはジャムであった。なぜ懐からジャムが出てくるのか、なぜ右京さんはナチュラルにそれを受け入れているのか、そもそも俺はジャムが欲しいなどと言った覚えはないのだが。
「おや? もしや、イチゴジャムはお嫌いですか? ブルーベリーもありますよ?」
「いえ、問題はそこじゃなくて……」
喜んでいる様子のない俺を見て、美幸さんが新しい味のジャムを懐から取り出した。だから、なぜ懐からジャムが出てくるのか。このままだと、美幸さんの懐からは無限にジャムが出てくる危険を察知した俺は、ひとまず今出されているジャムをつけることにした。
「じゃあ、えっと、このジャムいただきますね」
俺は美幸さんの懐から出てきたイチゴジャムを塗って、イヌ型の焼き目のついた食パンを一口かじった。
「……美味しい」
普通に美味しい。もう、ジャムが懐から出てきたことなど、どうでもいいことのように思えてくる。そうやって俺が、パンの味をかみしめていると、目の端に、ジャムに向かって伸びてくる手が見えた。その手の主を見ると、それは意外な人物であった。
「響さん?」
「!…」
手を伸ばした張本人は、いつの間にか覚醒していた響さんだった。響さんは俺が気づいたと知ってビクッと体を震わせた。
「な、なんだよ!」
「いえ」
俺は焦って首を振った。すると、それを見た慎一さんが響さんを困ったように見ながら言った。
「響、それは春輝のだからね」
「! お、俺は別に!」
慎一さんにやんわりと諭されて、響さんは顔を赤くしてサッと手をひっこめた。
「え~響ちゃん甘いの好きなん? へ~意外やわ~」
「わ、悪かったですね!」
右京さんにからかわれて、響さんは赤い顔のまま眼鏡越しに鋭く睨むような視線を向けている。
「先輩……でも、これは春輝の……」
「響さんには、私がまた作りますので」
「うるさい! 俺はいらない!」
年下組にも諭され、響さんは何やら泣きそうな顔をしている。そんな様子を、美幸さんは笑顔で眺め、葵さんは興味がないといった様子で、自分の皿のスクランブルエッグをつついている。さすがに、響さんが哀れに思えてきた俺はジャムを差し出した。
「あの、これよかったら、どうぞ」
「……いらん!」
差し出したジャムと俺を交互に見た後、響さんはそれだけを言ってそっぽを向いてしまった。
その後、へそを曲げてしまった響さんを右京さんと琥太郎さんがなんとかなだめ、にぎやかな朝食が続いたのであった。
朝食を終えた俺は、朝食の後片付けを済ませた楓さんと洗濯に取り掛かった。洗濯は洗濯機がないためすべて手洗いである。特殊な機械が多いこの邸は、なぜか必要な機械があまり揃っていない。洗濯も、洗濯板で一枚一枚洗うので、ものすごい時間を浪費するのだ。
「やっと終わりましたね~」
「ええ、本当に」
すべての洗濯を終え、後は干すだけとなったところで、俺は大きく伸びをした。その様子を楓さんは微笑みながら見ている。
「さ、じゃあ、干しちゃいましょうか!」
「はい」
俺の言葉に、楓さんが元気に返事をした。そして、二人で分担しながら山のように積まれた洗濯ものを干していく。
「あの、楓さんて、家事全般慣れてるって感じですよね」
「ええ、生前自分のことは自分でやっていたので」
「洗濯やご飯作りもですか?」
「はい」
「へえ、すごいですね」
「いいえ、たいしたことじゃありません」
「そんなことないですよ! 楓さんが作るご飯とっても美味しいですし、洗濯だって俺なんかよりずっと丁寧だし!」
「ふふふ、春輝くんだってお洗濯とってもお上手ですよ?」
そんなたわいない話をしながら、俺たちは洗濯ものを干し続けた。しばらくして、洗濯ものの山がだいぶ小さくなった時、俺はおもむろに楓さんに問いかけた。
「あの、楓さんのお母さんってどんな人なんですか? 楓さんのお母さんなら、さぞ美人で優しいんだろうな」
「母は……確かに優しい人だったと思います。私が四歳のときに他界したので、曖昧な記憶でしかありませんが」
「あ……なんか余計なことを聞いてしまったみたいですね」
「いいえ、そんなことありませんよ」
申し訳なさそうにする俺を見て、楓さんは気にしていないといったように優しく微笑みかけてくれた。
「母はイギリス人だったんです。私も、母が他界するまでイギリスで暮らしていました」
「楓さんって帰国子女だったんですか」
「はい、その後は、日本人の父に引き取られて、父と継母と兄と四人で暮らしていました」
「……そうだったんですか」
自分の家族の話をするときの楓さんが、なぜかとても悲しそうな顔をしているような気がして、俺はそれ以上話すことができなかった。一時流れた重たい空気を払うように、楓さんが俺に問いかけた。
「春輝くんのご両親は、どういった方達だったんですか?」
目元を和らげた楓さんが、洗濯ものを干しながら俺の方に視線を向けた。
「俺の両親は、父も母もとても尊敬できる人たちでした」
懐かしそうに話す俺に相槌をうちながら、楓さんは話を聞いてくれていた。
「父はとても明るい人で、なんていうか、人を引き付ける魅力を持った人でした。周りにはいつも人がいて、父を慕っていたように思います。母は穏やかな人で、ときどき突っ走りがちな父を上手くなだめていました。二人ともとても優しくて、俺の大事な家族だったんです」
「そうだったんですか。春輝くんは、お父様とお母様にとても愛されていたんでしょうね」
俺の方に向けられている笑顔が、少しさびしそうなものだと感じるのは気のせいだろうか。そう思って、楓さんに声をかけようとすると、横から別の人の声がわって入った。
「楓さんと春輝さん、いらっしゃいますか?」
美幸さんの声だ。俺たちのことを探している様子だったため、俺は急いで返事をした。
「ここにいます!」
「ああ、春輝さん、楓さんよかった。ここにいたんですね」
「どうしたんですか?」
干された洗濯ものの間から顔を覗かせた美幸さんに楓さんが問いかける。
「お二人にお仕事の依頼をと思いまして」
美幸さんの言葉に俺たちはうなずいた。
「では、よろしくお願いしますね。じゃあ、残りの洗濯物は右京さんに頼んでおいたのでお二人は門の前に」
「二人とも気いつけて~」
美幸さんの後ろから、ヒョコッと出てきた右京さんに後を任せ、俺たちは急いで門の前に集合したのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
共同制作していた友人との連絡が難しい状況が続いており、挿絵を入れることが難しい状況になりつつあります。
せっかく投稿させていただいた話ですので、今あるプロットから起こした話は書いていこうと思います。
近々完結するかもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いします。