三粒~次の章~
次の日、屋上に行くと琢磨くんは昨日と同じように景色を眺めていた。早朝ということもあり、朝練中の生徒以外はほとんど見当たらない。
「おい、昨日も言っただろ。行くぞ」
「俺は行かない」
「たく、なら無理やりにでもつれていくだけだ」
響さんは琢磨くんの腕を掴んで連れて行こうとする。
「響さん、でも思いが大きすぎたら門が…」
「んなことは関係ない!ここにいたって無意味だ!」
「放せ!放せよ!」
「響さん!琥太郎さん、響さんが!」
俺が焦りながら助けを求めると、琥太郎さんは俺を見た後、何も言わずに響さんと琢磨くんのやりとりを眺めていた。いつもならすぐにでも割って入りそうな琥太郎さんが動かないことに、俺は昨日の帰り際と同じ疑問を感じた。
「あの、琥太郎さ」
俺が琥太郎さんに話しかけようとした時、ゆっくりと屋上のドアが開く音がした。俺たちが開いたドアの方を見ると、そこには思いがけない人物が立っていた。
「笹原…」
琢磨くんが驚いて思わずつぶやいた。俺たち三人も、驚いて新たにここに加わった少年笹原洵を凝視していた。
「なんでお前がここに」
問いかける声は洵くんには届かない。洵くんは、屋上のフェンスに近づくと手をかけた。そして、何もない向こう側の景色に向かって話し始めた。
「ごめんな…渡瀬、ごめん」
ぎゅっと血が滲むほど唇をかみしめ、眉間にしわを寄せながら、今にも泣きそうな顔で洵くんは何もない空間に向かって謝り続けていた。
「俺のせいだ…俺の…うっ…く…」
そして、ひときわ強くフェンスを握りしめたかと思うと、洵くんは肩を震わせはじめた。その瞳からは涙がとめどなく流れている。
「はは、そうだよ…全部お前のせいだよ!」
それを見ていた琢磨くんが、掴まれていた腕を振り払い洵くんに詰め寄った。しかし、当然洵くんにはそれが見えていない。
「ご、ごめん…ひっ…うっ…」
「もっと苦しめばいいんだ、もっと、俺のことで」
なおも謝り続ける洵くんの横で、琢磨くんはさらに罵り続けた。自分も、泣きそうな顔をしていることに気づかず。
「あの、いいんでしょうか。あのままで」
「俺たちには、どうすることもできないだろ。あいつが決めることだ」
さっきまで琢磨くんと言い争っていた響さんは、いつの間に俺の横に来て静かに二人を見つめている。俺も二人を見守ることにした。
そして、洵くんがフェンスにしがみついたとき、事件がおきた。フェンスが嫌な音をたてて外れてしまったのだ。フェンスに身体を預けていた洵くんは、弾みで外に乗り出してしまった。
「あ、危ない!」
「くそ!」
「え!」
俺たちの所からは距離がありすぎる。それ以前に、俺たちは洵くんに触れられないのだ。俺はきつく目をつぶった。しかし、予想していた音とは違う、ドスンという音が自分の近くで聞こえた気がした。怖々目を開けてみると、唖然として尻餅をついている洵くんと、その横で同じように尻餅をついている琢磨くんが見えた。
「な、え、なんで…」
俺は驚いて、それを言うことがやっとだった。
「う、うわ!」
洵くんは立ちあがってフェンスの方を見ると、そのまま屋上を出ていった。そのあとには、俺たち四人だけが屋上に残された。俺の横に立っていた琥太郎さんが、ゆっくりと歩いていって琢磨くんに手を差し伸べた。
「立てるかい?」
琢磨くんは差し伸べられた手をとると、立ち上がり、じっと自分の手を見た。どうやら落ちそうになった洵くんを琢磨くんが助けたらしい。
「君が、彼のことを助けたんですよ」
琥太郎さんが琢磨くんに優しく語りかける。すると、琢磨くんははっと顔をあげ、さっきと同じように洵くんを罵り始めた。
「違う!あれは、まだあいつには生きて苦しんでもらわないと思ったからだ!」
「……」
「俺が死んだのも、生きてる間に散々惨めな思いをしたのも、全部あいつのせいだったんだから!」
「いい加減にしなさい!」
ずっと黙って聞いていた琥太郎さんが、琢磨くんの言葉にはじめて声を荒げた。驚いている俺の横では、響さんがじっと琥太郎さんのことを見つめていた。
「自分の、生きる意味や死んだ理由を他人のせいにしちゃいけない!」
今まで何も言わなかった琥太郎さんに叱られたことで、琢磨くんは目を丸くして琥太郎さんのことを見ている。
「彼の気持ちも考えず、自分勝手に他人を責めるのはやめなさい」
「あいつの気持ち?あんたにはそれがわかるのかよ!」
「わかるよ」
「なんでそんなことわかるんだよ!」
「昨日…聞いたんだ」
昨日という言葉に、俺ははっとした。確か屋上を出た後、琥太郎さんは一人でどこかに出かけて行った。あの時のことだろうか。
「昨日、君が見ていた教室に行ってきた。そしたら、彼がいて、周りの友達が彼を心配して君のことを悪者扱いしても、彼は決してそれを受け入れなかった。悪いのは、自分だって」
「それがどうしたんだよ」
「まだわからないのかい?君は、そうやって君の身勝手な理由で彼を傷つけたんだよ!君のその弱さが、彼を傷つけたんだ!」
「そんな、こと!」
「君の不幸は、彼のせいじゃない。君の弱さが招いたことだ。彼はむしろその被害者だよ」
「っ!」
静かに告げられた琥太郎さんの言葉に、琢磨くんは、はっとした顔をした後うなだれてしまった。
「そんなの…そんなのわかってたよ!」
「渡瀬くん…」
ぽつりとこぼれた言葉は、俺にはとても痛々しく感じられた。
「ずっと、羨ましかったんだ。俺とは違って、なんでもできて、優しくて、人気者のあいつが!」
「君は間違えたんだ。この間違いは取り返しがつかないよ」
「わかってるよ。もう、わかってる。ホントは、とっくにわかってたから…」
「じゃあ、一緒に来てくれるね」
「…」
目を伏せて、何も言わず琢磨くんがうなずいた。
「あ、あの!渡瀬くん!」
「?なんだよ」
その悲しそうな顔を見ていると、何か言ってあげなければと思い俺は琢磨くんに声をかけた。
「確かに、渡瀬くんは間違ってしまったかもしれないけど、最後に洵くんを助けたのは、君の優しさだと思う!」
「!なんでそんなこと…」
「なんでっていうか…えっと、君の優しさを知ってた人もきっといたと思うから…きっと笹原くんはそれを知ってたんじゃないかな」
「!」
「春輝くん…」
俺が琢磨くんと話している隣で、琥太郎さんがぽつりと俺の名を呼んだのがわかった。
「別にあんたに慰められる必要はない」
「あ、うん、そうだよね」
琢磨くんにそっぽを向かれてしまい、これではどっちが年上かわからないと内心反省していた時、つぶやくような声が聞こえた。
「…せ…ない。…まだ…」
「え?」
「だから、渡瀬じゃなくて、琢磨って呼んでいいって言ったんだよ」
「な、なんでいきなり!」
「なんでもいいだろ!」
「あ、うん」
何が何だかわからない俺に目線をあわせず、琢磨くんが俺に言った。その様子を琥太郎さんはクスクスと笑いながら見ていた。
「そろそろ、いいだろ。始めるぞ」
そんな俺たちの様子に焦れた響さんが近づきながらそう言った。
「あ、はい。お待たせしました」
「全くだ」
やれやれといった感じで響さんが俺たちを見た。
「気の短いおじさんだな」
「んだと、このクソガキ!」
「いや~こんないたいけな俺をクソガキ呼ばわりとか、その眼鏡度があってないんじゃないの?」
「は、もう一回言ってみろ!」
「先輩!ほら、早く始めないと」
また最初の言い争いが始まってしまいそうな雰囲気に、今度は琥太郎さんが割って入った。
「くそ、ったく。汝の扉の鍵守りを示せ」
半ば投げやりに響さんが言うと、琥太郎さんの胸元が光りだした。
「今回は、僕みたいですね」
「さっさと済ませてこい。俺は疲れた」
眉間を人差し指で軽く叩きながら、響さんが琥太郎さんにむかってひらひらと手をふる。
「おじさん年なんじゃないの?」
「速くそいつをつれていけ!」
「わー!は、はいーー」
響さんに怒鳴られて、琥太郎さんはあわてて琢磨くんの扉に鍵を差し込んだ。
「我、汝の鍵守り、琥太郎の名をもって、正しき旅路へ誘う者なり。」
錠前の外れる音がして、扉が開く。その中へ、琥太郎さんと琢磨くんが連れだって入って行った。
「やっと、行ったか」
「お疲れ様です」
「ああ」
心底疲れたという様子の響さんがつぶやいた言葉に、俺はねぎらいの言葉をかけた。
「俺、琥太郎さんってもっと、こう、穏やかな人だと思ってました。意外と熱い人なんですね」
「いつもはお前の思ってる通り、ヘラヘラしてる」
「あ、いえ、そんなつもりで言ったんじゃなくて」
「今日あいつがあんな風に感情を表わしたのは、それだけあいつのガキに対する思いが強かったってことだろ」
「そういうものなんですか」
「俺たちは…そうなんだよ。誰もが、過去の思いに縛られている」
俺はそれ以上、響さんに話しかけることができなかった。なぜか、聞いてはいけない気がしたのだ。俺
たちが黙ってからすぐに、扉の向こう側から琥太郎さんが帰ってきた。
「ごめんなさい。お待たせしました」
「終わったなら早く帰るぞ」
「あ、はい」
琥太郎さんが帰ってきたとたん、歩き出した響さんの後を俺と琥太郎さんが並んで輝く空間に足を踏み入れたのだった。
「あ、そうだ。春輝くん」
「はい、なんですか?」
「琢磨くんがありがとうって」
「え、俺にですか?」
「うん、恥ずかしくて言えなかったみたいだけど、最後に俺に言ってた」
「そうですか」
少し顔を赤らめながら、ぶっきらぼうにお礼を言う琢磨くんの顔を想像して、俺は思わず微笑んでしま
った。
「きっと、春輝くんの言葉で、琢磨くんは救われたんだと思う」
「そうでしょうか」
「うん、僕にはできないことだよ」
「でも、琥太郎さんは琢磨くんに間違いを気づかせてあげていたじゃないですか」
「でも、きっと僕には救うことはできなかったから」
「琥太郎さん?」
「僕にできるのは、間違いに気づかせることだけ。救う資格も方法もないんだ」
自嘲ぎみに微笑む琥太郎さんに俺は思わず答えた。
「そんなことないと思います!」
「春輝くん…」
「確かに、俺は琢磨くんを励ましたかもしれません。でも、それができたのは、琥太郎さんが琢磨くんに自分が犯した過ちを気づかせてあげていたからです」
「…ありがとう、春輝くん。そう言ってもらえると、俺も役に立てたと思えて嬉しいよ」
琥太郎さんは少し驚いたように俺を見た後、ふわりと微笑んでそう言った。
「あの、なんか偉そうなことを言ってすみません」
琥太郎さんに微笑まれて、急に恥ずかしくなった俺は急いで謝った。
「ふふ、なんで春輝くんが謝るの?君は優しいね…君なら…」
「え?なんですか?」
琥太郎さんの言葉の最後が聞き取れず尋ねたが、琥太郎さんは微笑んだままそれ以上は何も言わなかった。
初めの章に引き続き、ここまで読んでいただきありがとうございます。
一応本編の仕事だけ終わらせてしまおうと思い投稿させていただきました。
感想、コメントなどいただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。