二粒~初めの章~
「おはようございます」
俺がこの黄昏邸に来て、一週間がたった。最初は、慣れないことばかりで戸惑っていた俺だったが、今ではこの場所にも馴染んできたように思う。
「おはようございます」
「おはようさん」
「おはよう!」
「おはよ」
「ああ、おはよう」
「ふふ、おはようございます」
「えっと、おはよう」
俺があいさつしながら居間に入ると、ここの住人が一斉に挨拶を返してくれた。その挨拶に笑顔で返しながら、俺は自分に与えられた席につく。
「春輝さん昨夜はよく眠れましたか?」
「はい」
いつもの調子で、微笑みながら美幸さんが俺に尋ねる。
「それは良かった」
「ここにも慣れてきたみたいなんで」
「そうですか。では、そろそろお仕事に協力してもらってもいいでしょうかね」
「お、春ちゃん、とうとうデビューやな」
微笑みながら美幸さんがそう提案すると、にっこり笑いながら、右京さんが俺の肩をたたいた。
「え?仕事…ですか?」
「ええ、お仕事です。ここにいる皆さんには、お仕事をしてもらっています」
「でも、俺仕事に役立つような知識も技術もありませんよ?」
「いえいえ、特別な知識や技術は不要です。春輝さんには、そう、道がわからなくなってしまった人を、
正しい道へ案内する仕事をしてもらいたいのです」
「案内…ですか?それを俺が…」
「ええ、もちろん一人ではありません。春輝さんには、先輩であるここにいるどなたかと組んで仕事にあたってもらいます」
仕事をするなど初耳である。しかし、良く考えてみるとこの邸のメンバーは時々出かけていたような気がする。
「心配いらないさ、俺たちがしっかりサポートするよ」
「ありがとうございます」
慎一さんがいつものさわやかな笑顔で俺を励ましてくれた。ここにきてから驚きの連続であったため、いくらか耐性ができてきたようで、仕事ということに驚きはしたが最初のような戸惑いは感じなかった。
「では、さっそく今日から参加してもらいましょう。何事も慣れるなら早い方がいいですし」
「え!今日からですか?」
「おや、何か問題でも?」
「いえ…わかりました」
ここに来てからときどき思うことだが、美幸さんには独特の威圧感のようなものがある。他のメンバーもそれを感じているのか、美幸さんの言ったことに逆らう人はいない。
「では、右京さんと葵さん、春輝さんのことよろしくお願いしますね」
「よっしゃ、俺が仕事しっかり教えたるわ!」
「足引っ張らないでよね、新入り」
「はい、よろしくお願いします」
なにはともあれ、やるべきことがあるなら参加しないわけにはいかない。
「あ、春輝さん忘れるところでした。これを」
「えっと…鍵…ですか」
美幸さんから手渡されたのは、綺麗な細工の施された鉛色の鍵であった。
「はい、この鍵は迷ってしまった人を正しい道へ導く時に使う鍵です」
「どうやって使うんですか?」
「それは、まあ、その時がきてからのお楽しみということで」
「お楽しみ…ですか」
「つまり、仕事してればわかるっていうことよ。さ、時間がもったいないわ!さっさと行きましょう!」
「そうですね、では」
俺たちの会話に割って入った葵さんの言葉をきっかけに、その場にいた全員が立ち上がって邸の門にむかった。俺は渡された鍵を首にかけ、急いでそのあとを追ったのだった。
「ほなら行ってくるわ~」
「ちゃちゃっと済ませてくるわね」
「いってきます」
俺たちが黄昏邸の門の前に立つと、門は勝手に開いた。
「三人ともお気をつけて」
「春輝、頑張っておいで。いってらっしゃい」
「春輝くんの仕事が成功するよう祈ってます。いってらっしゃい」
「迷子になって迷惑かけるなよ」
「あの…いってらっしゃい。気をつけて」
残りのメンバーに見送られて俺たちは門をくぐったのだった。
門をくぐった先には光の道が続いていた。
「この道どこまで続いてるんですか?」
「う~ん、どこやろ。」
「え?右京さんにもわからないんですか?」
「まあな、道の長さはその時によって違うんや」
「へ~そうなんですか」
「ま、歩いてたらそのうち着くやろ。この間に仕事の説明をしとこか」
「あ、はい。よろしくお願いします」
先頭を黙々と歩く葵さんの後ろで、俺は右京さんに仕事の説明を受けることになった。
「まず、死んだ人間には何かしら思い残したことがあんねん。それは、人によって全く違うもんやし、その重さも違う」
「はい」
「ただ、この思いが重すぎるのは厄介なんや。あ、これシャレちゃうで。春ちゃんは重すぎる荷物を持ったときどうなる?」
「身動きが…取れなくなる…」
「そや、つまり、思いが大きすぎると死んだあと身動きが取れなくなるんや。自分の道を見失って、行き場所がわからんようになってまう」
「それを俺たちが導くんですね?」
「そういうこっちゃ。まあ、正しい道に導くのがこれまた大変なんやけどな」
「あんたたち!そろそろ着くわよ」
右京さんと話していて気付かなかったが、俺たちの前には道の終わりらしきものが見えていた。葵さんが先頭に立って歩き出す。少し進むとそこにはひときわ輝く場所があった。
「この先よ」
葵さんの言葉でそこを抜けると。
「え?ここって…」
「そや、ここは現世。つまり、生きてる人らがおるところや」
にこにこしながら右京さんが俺に答えてくれた。そう、そこには見なれた都会の喧騒が広がっていたのだ。人々が行きかう中、俺は右京さんと葵さんの後を追って進んでいく。どうやら周りの人々には、俺たちの姿は見えていないようだ。少し歩いて、公園に着くとそこには上品そうな一人の女性が立っているのが見えた。
「あ、おったおった!」
「ちょっと、そこのあんた!」
「え!えっとどなたですか?」
「はあ…葵、自分なあ」
「何よ!」
「まあ、ええわ。えっと、はじめまして俺は右京言います。こっちの男の子は春輝、こっちのちっこいのは、葵言います」
「ちっこいのとは何よ!ちっこいのとは!」
「えっと…橘あづさと申します。それで…私に何か御用ですか?」
「俺たちは…そうですね~簡潔に言うなら、あなたを成仏させに来たんですわ」
「成仏…ですか」
右京さんが成仏という言葉を出したとたん、あづささんの顔が曇った。
「あの、何か思い残してることがあるんですか?」
「ちょっと、新入り!」
「あ、あの、無神経なことを言ってすみません」
思わずしてしまった質問を、葵さんにとがめられて俺はあわてて謝る。
「いいえ、いいんです。そうですね…思い残していることが…あります」
「それは…その、どんなことなんですか?」
「…残してきた…家族のことです」
「家族…」
あづささんの言葉が、俺の心に響いた気がした。俺も最近まで、残される側の人間だった。
「家族を気にかけてはるんはよおわかります。けど…気づいてはると思いますが、あづささんはもうお亡くなりになってます」
「はい」
「そやから、これ以上ここにいることはできひんのです」
諭すように言う右京さんから、あづささんは目線を外してうなだれてしまった・
「そやけど、あづささんの思いは強すぎます。このままやと、俺たちでも正しい道に案内することができへんのです」
「そんな…じゃあ、あづささんのことどうするんですか?」
俺たちでもどうにもできないという右京さんに、俺は驚いて詰め寄った。
「ちょお、落ち着き、春ちゃん。さっきも説明したように、その思いを軽くするんも俺たちの仕事や」
「あんたは、どうしたいの?どうしたら葵たちと一緒に来れるわけ?」
俺たちのやりとりを尻目に、葵さんがあづささんに問いかけた。
「私は…最後に残してきた家族がどんな様子か知りたいです。ひと目だけでも会いたい」
「会いに行ったところで、ご家族の方にはあづささんが見えませんし触れません。それでもええんですか?」
「はい、かまいません」
「仕方ないわね~。家族に会ったら一緒に来てもらうわよ」
思いがけず葵さんが、あづささんの家族に会いに行くことを許したので、俺は葵さんに問いかけた。
「会いに行ってもいいんですか?」
「当然でしょ!いったい何のためにここまで来たと思ってるのよ!連れて帰れなかったら意味ないじゃない!」
葵さんがさも当たり前のことのように俺に言った。
「でも、俺たちのことは見えないんですよね?」
「会うだけならなんとかなるわ…まあ、見るに近いかもだけど」
「けど、見るだけじゃ意味がないんじゃ…」
「いいえ、最後に家族と過ごせるなら十分です」
俺の質問に、少しさびしそうな笑顔であづささんが答えた。
「ほなら、あづささん。家まで案内してもらえますか?」
「あ、はいわかりました」
人々が行きかう中、俺と右京さんと葵さんはあづささんの後を追いながら進んでいく。
「あの、あづささんは今まで家族には会いに行かなかったんですか?」
「ええ。…少し…怖くて」
「怖い?」
「自分がいなくなったことで、家族がどんな生活をしているのか…もしも、忘れられていたらと…」
俺は、あづささんのことが妙に気になり、家に向かう道すがら話しかけていた。右京さんと葵さんは、そのあとを黙ってついてきている。
「ここです」
あづささんが指さした先には一件の家が建っていた。表札には“TACHIBANA”と書かれており、ここがあづささんの家であることが分かった。
「じゃ、さっさと入るわよ」
「え?入るんですか?」
「当然でしょ!葵たちのことは見えてないんだから問題ないわよ」
「大丈夫や春ちゃん。お邪魔させてもらうで」
少し緊張した面持ちのあづささんをつれて俺たちは家の中に入った。進入方法は、壁をすり抜けて。
「なんか幽霊になった気分です」
「あはは、春ちゃんおもろいこと言うな。俺らその幽霊やん」
「あ~…そうでした」
「ちょっと!あんたたち!ふざけてないで行くわよ!」
葵さんに急かされて俺たちは家の中に入って行く。
するとキッチンらしき場所から子どもと男の人の声が聞こえてきた。
「お父さーん、なんかフライパンから煙が出てるよ!」
「え!ちょっと待っ!うわ、熱っ!」
どうやら朝ごはんの時間のようで、キッチンの奥では男の人が忙しく動き回っている。
「隆文さん、要…」
「あの人たちがあづささんの家族なんですか?」
「はい、夫の隆文と息子の要です。要は、まだ幼稚園に通っていて…」
俺たちが話している間に、料理が出来上がり2人がテーブルについた。
「ごめんな~要。父さん料理上手じゃなくて」
「大丈夫だよ、全部美味しいから!」
「そっか…じゃあ、ご飯食べて幼稚園行くか!」
「うん!」
二人が朝食を食べ、身支度を整える姿をあづささんは部屋の隅からじっと見守っていた。
「あの~右京さん」
「ん?なんや?」
「あづささんこのままでいいんですか?」
「ええんよ。俺たちがどうこうできる問題ちゃうし」
「そういうものですか」
「そういうもんや。俺たちは導く者ゆうても、ああいう人らになんかしてやれるわけやないからな。それぞれの人の思いを、ちょっとだけ軽くする手伝いができたらそれだけで十分なんや」
「思いを軽くする手伝い…」
あづささんを見ていると、自分が本当にそんな手伝いができるのか少し不安になった。
「あんた一人で気負うんじゃないわよ、新入り。そのために葵たちもいるんでしょうが」
目をそらしながら葵さんが俺にそう言った。
俺たちがそんな話をしている間に、隆文さんと要君は、支度を完了させて家の奥の和室にむかった。
「ほら、要。母さんに行ってきますの挨拶しよう」
「うん、お母さんいってきます!」
「いってきます」
隆文さんと要君が、あづささんの写真が飾られている仏壇に挨拶し、玄関にむかった。そのあとをあづささんがついていく。俺たちはその姿をそっと見つめていた。
「いってらっしゃい。隆文さん、要。…気をつけて」
優しい笑顔で手をふるあづささんに気付かず、二人は家を出て行ってしまった。
「さ、これで気が済んだでしょ。さっさと行きましょ」
「え!葵さんそんな急な!えっと、あづささんいいんですか?」
「ええ、約束ですし」
あづささんの無理に作った笑顔に胸が痛くなった。
「ほんまに、ええんですか?心残りがあるなら、今のうちやで?」
「ちょっと!右京!」
「そやかて、心残りがあったら、結局同じことやん」
「あの…もし…許されるのなら…今日一日ここにいていいですか?」
「はあ!?」
あづささんの申し出に、葵さんは信じられないといった顔をした。
「ちょっと、どういうことよ!」
「今日一日ここにいられたら、必ず皆さんと一緒に行きます!だから…」
「あのねー」
「まあまあ、葵さん、あづささんも今日一日いたらいいって言ってるんですから」
「そや、春ちゃんもこう言ってるんやし、一日ぐらいええやん」
「まったく!仕方ないわね!」
俺と右京さんが説得すると、葵さんはしぶしぶ了解してくれた。
「ありがとうございます」
「ただし、今日一日だけだからね!」
「はい、わかりました」
あづささんが嬉しそうにほほ笑んだ。
そのあと、隆文さんと要君が帰ってくるまで、俺たちはあづささんの話を聞いて過ごした。話していると、あづささんがいかに家族を思っているかがよくわかった。
「私、今日一日は、たとえ二人に見えなくても、いっしょに過ごそうと思います」
「それは、すごくつらくないですか?」
「そやで、見えん上に声も聞こえんからな」
「それでも、今日一日だけは、そばにいたいから」
「あづささんがそういうんやったら、納得のいくようにしたらええ」
四人で話していると、玄関から二人の声が響いた。
「ただいまー!」
「ただいま」
今まで俺たちと話していたあづささんは、二人の声を聞くと急いで玄関にむかった。
「お帰りなさい」
にっこり笑って出迎えるあづささんの横を、隆文さんと要君が通り過ぎて行った。それでも笑顔を崩さず、あづささんは二人の後をついていく。二人が着替え、隆文さんが料理を始めると、あづささんは隆文さんの横にくっついて料理にあれこれ口を出し始めた。
「ああ、隆文さん。それは焼く前に湯でないと」
「少しお醤油入れすぎですよ」
「あ!それはそのまま持ったら熱いです!」
聞こえるはずのないアドバイスを、必死にするあづささんを俺たちは見守っていた。
「あづささん、すごいですね」
「あれが家族の力ちゅうもんかね~」
「本当に大切に思っていないと、あんなことできませんよ」
「それだけ、あの人にとって家族が大事ちゅうことやろ」
「ふん、ま、今日一日なんだし、心残りがないようにしてくれれば葵はそれでいいけど」
俺たちが話していると、あづささんは、隆文さんと要君と同じテーブルについた。そこで二人の会話に耳を傾け相槌をうっている。
「楽しそうですね」
「そうやね~」
「なんか…こっちまであったかい気分になります。でも…明日には…」
「ちょっと、何暗くなってんのよ!明日にはぜーーったい、一緒に来てもらうんだからね!」
「それはわかってますけど…」
「春ちゃんは優しいんやね。確かに、あの人はあれで幸せなんやろうけど、ずっとそのままではいらへん。それが死ぬってことや」
「はい…」
右京さんが、諭すように俺の言葉に答えた。わかっていたはずなのに、残される家族とあづささんの気持ちを思うとやるせなかった。
食事を終えると、隆文さんと要君は風呂に入り就寝の準備をして寝室に入った。しばらくすると、要君を寝かした隆文さんが仏壇のある和室にむかっていくのが見えた。そのあとを、あづささんはもちろん、俺たちもついていく。和室につくと、隆文さんが仏壇にむかって話しかけはじめた。
「あづさ…君がいなくなってしばらくたつのに、君がいなくなった日のことをまだ昨日のことのように思い出すよ」
「隆文さん…」
「君は、死んだ人のいる世界で幸せにやっているかな。案外、近くにいたりしてね」
隆文さんの言葉に、俺とあづささんは顔を見合わせた。
「君がどこにいるのかはわからないけど、どこにいたって笑っていてくれることを願ってるよ。俺も要も君の笑顔が一番、大好きなんだから」
隆文さんの言葉を聞いて、あづささんの瞳から一粒の涙がこぼれた。
「俺たちのことは心配いらないよ。料理はまだまだだけど…でも、二人で頑張るって決めたから。だから…君はどうか笑顔で、見守っていてほしい。頼りないかもしれないけど、俺だってちゃんと出来るさ」
仏壇の写真にむかって話す隆文さんは、まるでそこにあづささんがいるかのように優しく語りかけている。その姿を、あづささんはとめどなく涙を流しながら見ていた。
「愛しているよ、あづさ。これまでも、これからも…ずっと…」
最後に、いっそう優しく笑いかけると、隆文さんは要君が寝ている寝室に戻って行った。
「隆文さん…うっ…っく」
「あづささん…」
「うっ…ごめん…なさい」
「もう、そんなに泣いてる暇があったら、二人の部屋に行ったらどうなの!」
「葵の言い方はちょっときついけど、ま、今日だけなんやし、二人のところいってきたったらええと俺も思うで」
「はい…」
右京さんと葵さんの言葉に、あづささんは涙をぬぐいつつ寝室にむかった。そして、隆文さんの額にキスをした後、愛しむように、要君の頭をなで続けていた。
俺たちは、その姿を見た後、寝室をあとにして居間で朝が来るまで過ごした。俺は白みはじける窓の外を見ながら、今日だけは朝日が登らなければいいのにと思っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
一応すでにできているので、二話目投稿しておきます。
あらすじに仕事しますって書いておいて一話では仕事してないので。
後三話ほど書きためていますので、今後ともお付き合いいただけると嬉しいです。
今回も、この話がどなたかに楽しい時間を提供できることを願っています。