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消されてなかったライセンス

 男は生まれ変わった。

 悪の怪人、世の中に恐怖を撒き散らす凶悪非道なる存在へと。

 秘密基地内の居住区にある四畳半の自室の中、姿見の前で男は己が新たな勇姿を眺め、赤いストライプのネクタイを締めた。これこそが男の戦闘服。男は今、ネクタイで襟を締めたのではない。ともすれば緩みかねない闘志という心を締めたのだ。

 そして今から羽織るのは身を守るための鎧ではない。保身という惰弱な誘惑から心を守る鎧だ。腕には時を制するための腕輪を装着し、髪は一切の隙も許さず撫で付けて、敵に己の硬さを誇示する。

 完璧であった。こうして見るとなるほど、二十四時間働ける気さえしてくるではないか。

 あぁ。これが、これこそが、世界を動かす戦士の装いだ。

 男は生まれ変わった。

 一介の商社マンであった頃の名残は、もはや姿形にはっきりと残すばかりとなった。鏡に映るのは、諦観を瞳に宿した哀しき企業戦士の勇姿だ。今や彼は秘密結社ブラックラーのためにその身を捧ぐ恐るべき兵器『怪人ナンバー49』以外の何者でもない。

 腕輪のアラームが鳴った。出動の時間、五分前だ。

 五分前行動は常識だ。それはどこであっても変わりない。男はたしかに己を捨てたが、常識まで捨て去った覚えはない。

 ドアを開けて廊下に出る。秘密基地という語感から想像する薄暗さを醸し出しながらも、居住区の作りは機能的だ。グレーの廊下を巡回している清掃ロボットとすれ違い、男はカツンカツンと足音を響かせて、配属された職場へと向かう。

 肩は風を切らず、足取りは重い。正直な話、憂鬱であった。

 いまだ田舎の両親には真実を告げられずにいる。大手企業から悪の秘密結社に転職したなどと、誰が認めてくれるであろうか。

 ブラックラーとて世界中に跳梁跋扈する無数の秘密結社の一つに過ぎず、そこに所属する人間などそれこそ山のようにいるのだが、市民権を獲得することは永遠に無い。それはかつて存在したマフィアのような組織と同じである。

「俺だって、どうせ改造されるならヒーローになりたかったさ」

 誰にともなく独りごちる。嘆息は空調機に取り込まれて消えた。

 ヒーローが職業として確立されて久しい。

 今や、『悪の秘密結社と戦うヒーロー』は日常と化し、マスメディアを賑わせている。相当の危険を伴うため親はやはりいい顔をしないものだが、ヒーローはいわゆるスター職であり、今や世界中に数え切れないほどのプロダクションが大小問わず活動している。

 かくいう男も高校生の頃はヒーローに憧れていた。そのときでさえ母親は猛反対したというのに、この現状は何だ。どう言い訳すればいいというのだ。

 同じ改造人間でも、悪の怪人の死亡率は『一般戦闘員』を下して全職業中1位を誇る。なお、3位はヒーローだが、彼らには名誉と保障が伴う。

 ――この扱い、雲泥の差である。

 また清掃ロボットとすれ違い、男は吸いかけた煙草を取り上げられた。

 居住区を抜ければ内装は本格的な基地となる。研究施設や武器庫、物々しいメカニックが所狭しとひしめき合っている。元商社マンの男にはどれもさっぱりだが、世界の最先端を行くのは間違いない。

 行き来する戦闘員や研究者に紛れながら、男は紫煙の代わりにため息を燻らせた。

 ……また、一日が始まるのだ。


    ★


「なんで改造されて書類仕事なんだよ……」

 昼休みも間近に迫った頃、男はぼやいた。

 顔を上げれば、見慣れたオフィスの風景が広がっている。並んだ金属質のデスク、まばらに配置された印刷機。天井の明かりはやや抑え気味だ。

 男の知るオフィスと異なる部分といえば、まるでペンのように投げ出されている武器の数々であろう。いついかなる状況で敵と戦わねばならなくなるとも知れぬこの業界、それはどの部署であろうとも、あって当然の備品なのである。

 なお、この部署の入り口には『第三経理部』と書かれたプレートがくすんで剥げ掛かりながらも燦然と輝き、己が役目を声高に主張している。男はドクター東郷の手で改造されて早々、ここへ配属されたのである。

 その理由は単純明快だ。

「君が平の怪人だからでしょ」

 隣から辛辣な言葉が浴びせかけられ、男はペンを止めた。

 振り向けばそこには、支給された制服を律儀に着込んだ女が座っている。

 同僚の早苗だ。いかにも気の強そうな顔立ちで、実際に男はよく叱られている。情けないようだが、自分は新人なのである。そして早苗は自分の研修を任された、いわば教官だ。たとえ怪人でも分相応な振る舞いができなければ、このような組織では文字通り生きられない。

 すでに勤務三年目という早苗は、驚くべきことにまだ二十歳である。若い身空でこんな組織に就職するとは、もっとマシな選択はなかったのかと思うのだが、それを口に出す度胸などありはしなかった。

「早苗さん。よく言われるんですけど、平の怪人って何なんすか」

「まだ改造途中の怪人ってこと。常識よ」

「嘘だろ……まだ続きがあるのか……」

「適性に合わない改造なんか無駄でしょ。どっかの平怪人は、こう手を休めてる間にも適性を審査されてるってわけ」

「経理の適性って、なんだよ……」

 男は言いようのない脱力感に襲われ、膝を折る代わりに椅子の高さを下げた。

 だがそこへ早苗はさらに言い募る。

「まぁ、ここに回された怪人は初めてだと思うけど。大概、土木みたいな体力仕事に回されるはずだから」

「ですよね」

 男はうなだれた。体を改造された意味はどこへ消えてしまったのであろうか。経理など、昔から改造などせずとも人間がうまくこなしてきた仕事ではないか。

 声高に叫びたくもあったが、戦わずに済みそうという浅はかな期待も若干と言わず多分にあったので、あえて口を噤んだ。沈黙は金。男には黙らなきゃいけない時があるということだ。

「ほら、わかったらさっさと手を動かす。一昨日の作戦で仕事がたまってるんだから」

「わかりましたよ、やればいいんでしょ」

 書類の束を睨み、うんざりと嘆息して、男はペンを手に取った。

 なぜいまだに媒体が紙なのかは理解に苦しむところである。いまどき書類はすべて電子媒体というのが常識であり、紙などで提出しようものならば見向きもされずに突き返されるのがオチであった。少なくとも男はそういう世界で生きていた。

 だが、ここは違う。今までの常識などかなぐり捨てなくてはならない。

 なぜならばそのような常識に守られた安穏を打ち壊すことこそ秘密結社の本分であるからだ。一昨日の作戦も、まさに社会に背を向けるがごとき所業であったに違いない。その成果を目に見える形にする。そんな仕事をするのだ、頭を切り替えなければやっていけない。

「そういえば、前の会社には挨拶してきたの?」

 不意に早苗がそう尋ねてきた。

「え……? どういうことですか」

「だから、前の会社。辞職申請とか挨拶とか、するでしょ普通」

「う……してないっす。というか! いきなり改造されて、挨拶する暇なんかありませんよ!」

「はぁぁ。なにやってんのよ。それくらい部長に言えば休み取れるから、行ってきなさい。命令よ」

「休みって……そもそも、俺って死んだことになってるんじゃないんすか?」

「まさか、今の君はただの無断欠勤してる行方不明者よ。死体が無いんだもの」

「なな、なんだってぇーッ!?」

 あまりにも常識的な、それゆえに男の発想からは抜け落ちていた真実に、男はここが職場であることも忘れて素っ頓狂な叫び声を上げた。

 何事かと同僚の視線が集まるが、男はそれどころではない。

 まさか、そんなことになっていようとは。改造された経緯から、自分の存在が消されているものと思い込んでいた。こつこつ貯めておいた預金も消えたのだろうと思えばこそ、現状にも耐えられた。だが現実はそれよりは甘く、しかしさらに非情であったのだ。

 男が気付くのがもう少し早ければ、この試練も易しいものであったかもしれない。男は己の迂闊さを恨んだ。

「後悔する暇があるなら行きなさいって」

「へいへい、わかりましたよ……俺だって、やればできるんだ、やってやりますよ」

 だから、と続けた。

「手伝ってください、早苗さん」

 それはそれは素晴らしい、己を捨てた者にのみ許された土下座であった。


※『経理部』

 企業において経営管理を行う大切な部署。

 第三は組織の成果を数値化することが主な仕事。ここで作られたデータは幹部のいる第一経理部へと回され、経営計画に役立てられる。決して窓際ではない。


※『清掃ロボ』

 秘密結社ブラックラーは基地内が清潔で女性社員からの評価が高い。

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