光と影
炉が、震えていた。
リーリエの足元から伝わる振動が、徐々に大きくなっている。炉の内壁が軋み、回路の光が明滅を繰り返す。足場が不安定で、立っているだけで体力を消耗する。
過渡期だった。
一点集中型の旧い回路と、分散型の新しい回路。二つのエネルギー体系が炉の中で拮抗している。旧い回路は五百年分の歴史と犠牲の重みを持ち、新しい回路はまだ生まれたばかりの脆さを孕んでいる。どちらかが圧倒するまでの間、炉は二つの仕組みを同時に抱えた不安定な状態にある。
水と油が一つの器の中でぶつかり合うように。
そしてその不安定さのすべてが——橋渡し役であるリーリエの身体に跳ね返ってきていた。
「——っ」
激しい痛みが全身を駆け抜けた。
二つのエネルギーが炉の中で衝突するたびに、その衝撃がリーリエの紋章を通じて身体に流れ込む。骨が軋む。視界が明滅する。先ほどカインの補助で和らいだはずの苦痛が、過渡期の不安定化によって再び激しさを増していた。
一度目の衝撃で膝が折れかけ、二度目で視界が白く飛び、三度目で口の中に鉄の味が広がった。
「耐えろ」
カインの声が聞こえた。
低く、鋭い声。しかし命令ではなかった。カイン自身も同じ衝撃に晒されている。生命力を補助燃料として提供しているカインの身体もまた、炉の振動に揺さぶられている。顔色は蒼白で、額に汗が浮かんでいる。
「耐えろ。——俺もいる」
共に耐える者の声だった。
あの日——カインが初めてリーリエに「死なせない」と言った日。あのときの声は、上から降りてくる力強い命令だった。強者が弱者を守るための、一方的な宣言。
今の声は違う。
共に嵐の中に立つ者の声。自分も苦しみながら、隣の人間に「一緒にいる」と伝える声。
リーリエは歯を食いしばった。
炉の中を見渡す。旧い回路が赤く脈打ち、新しい回路が白い光を放っている。赤と白が炉の中で渦を巻き、ぶつかり合い、火花を散らしている。その渦の中心にリーリエとカインがいる。
もう少しだった。
分散型の回路が、あと少しで一点集中型の回路を上回る。祈りの灯火が集まるにつれ、白い光の勢力が増している。そこを超えれば——切り替えは不可逆になる。祈りのエネルギーが旧来の回路を塗り替え、二度と元には戻らない。
しかし、あと少しが——果てしなく遠い。
炉が大きく振動した。今日一番の揺れ。リーリエの身体が揺さぶられ、膝が折れかける。カインの腕がすかさず支えた。力を失いかけている腕が、それでもリーリエを捉えて離さない。
「すみません……」
「謝るな。立ってろ」
立っている。立ち続ける。
リーリエは回路に手を伸ばした。旧い回路と新しい回路の結節点に触れ、橋渡しの力で道を繋ぐ。一つ繋ぐたびに、炉の振動が強くなる。構造が変わりかけている証だ。旧い仕組みが最後の抵抗をしている。五百年間の慣性が、変化を拒んでいる。
「もう少し……もう少しで」
あの言葉が、口をついて出た。
もう少しだけ——ここにいたい。
それはかつて、リーリエが初めて口にした願いだった。魔王城の日々の中で、カインの不器用な優しさに触れて、凍った感情にひびが入り始めた頃。温かいスープを出されて、柔らかい寝台で眠らせてもらって、名前を呼んでもらって。「もう少しだけ、ここにいたい」と。
あのときの「もう少し」は、消極的な執着だった。死を望む気持ちと、微かな生への未練の間で揺れる、弱々しい願い。
今は違う。
「もう少しで——変えられる」
能動的な意志だった。世界を変える。聖女制度を終わらせる。誰も犠牲にしない道を——自分の手で切り拓く。「もう少し」の先にあるのは、居場所ではなく——新しい世界だ。
カインの手が、リーリエの手を強く握った。
「もう少しだ」
同じ言葉を、カインが返した。
二つの声が重なる。「もう少し」——その言葉を支えに、二人は炉の中で立ち続けた。
振動が、さらに激しくなる。
旧い回路が抵抗している。五百年間、聖女の命を喰らい続けてきた仕組みが、消滅を拒んでいるかのように。赤い光が膨れ上がり、分散型の白い光を押し返そうとする。
拮抗。
リーリエの身体が限界に近づいている。カインの生命力も、底が見え始めている。二人とも——あと少ししか持たない。
もう少し。
祈りの灯火がもう少し増えれば——。
「……来て」
リーリエは祈った。
世界の片隅で手を合わせている人々に向けて。名も知らない灯火たちに向けて。
「もう少しだけ——力を」
炉が震え続けている。




