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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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老聖職者の懺悔

 老聖職者の名は、ヴィルヘルムと言った。


 マルタの「告白」が民衆の間に波紋を広げたように、ヴィルヘルムの「懺悔」は教会の内部に地震を起こすことになる。けれどこの朝、ヴィルヘルム自身はそんなことを予期していなかった。ただ——もう黙っていられなかった。それだけだった。


 七十を過ぎた白髪の老人で、中央から少し離れた都市の教会に四十年以上仕えてきた。温厚で誠実な人柄は信徒から慕われ、子供の洗礼から老人の看取りまで、すべてをこの人の手で行ってきた街だった。日曜の礼拝は常に満席。ヴィルヘルムの説教は穏やかで、わかりやすく、人の心に寄り添う言葉に満ちていた。


 その日、ヴィルヘルムは説教壇に立った。


 日曜の礼拝だった。信徒たちが席を埋めている。いつもと同じ朝。いつもと同じ祈り。いつもと同じ説教——の、はずだった。ステンドグラスから朝の光が差し込み、石の床に色とりどりの影を落としている。


 ヴィルヘルムは聖典を開いた。いつもの頁。いつもの章句。慈愛と感謝についての教え。


 けれど——声が出なかった。


 開いた口から、予定していた言葉が出てこなかった。四十年間、毎週唱えてきた章句が——喉の奥で詰まった。代わりに——別の言葉が、腹の底から上がってきた。止められなかった。


「……告白が、あります」


 信徒たちが顔を上げた。説教壇の老聖職者は、震えていた。手が。声が。全身が。聖典を持つ手が——聖典を閉じた。ゆっくりと。四十年間開き続けてきた聖典を——閉じた。


「聖女制度は——犠牲の上に成り立っています」


 ざわめきが起きた。信徒たちの表情が変わった。驚き。困惑。怒りの予兆。最前列の老婦人が口に手を当てた。後方の若い男が立ち上がりかけた。


「先日の聖女の声明を聞きました。あの言葉は——真実です」


 ヴィルヘルムの声は震えていた。けれど——止まらなかった。四十年間溜め込んできた言葉が、堰を切ったように溢れ出した。


「私は知っていました」


 教会の中が——凍った。


「四十年前。私がまだ若い聖職者だった頃、聖女の代替わりに立ち会いました。先代の聖女が——炉に命を注ぎ、息絶えるのを。この目で見ました。十六歳の少女が——光に包まれて、消えていくのを」


 信徒の一人が立ち上がりかけた。けれど隣の者が袖を引いた。聞け、と。教会の中は——異様な静けさに包まれていた。


「あのとき——私は問いました。上官に。『これは正しいのですか』と。上官は答えました。『世界のためだ。疑うな。忘れろ』と」


 ヴィルヘルムの目から涙が流れた。老人の枯れた頬を、涙が伝った。白い顎髭を濡らした。


「忘れました。いえ——忘れたふりをしました。四十年間。聖女の犠牲を知りながら、黙って説教壇に立ち続けました。慈愛を説き、感謝を説き——その裏で、少女の命が燃やされていることを知りながら。それが世界のためだと——自分に言い聞かせて」


 教会の中で、泣いている者がいた。最前列の老婦人。中程に座った母親。後方の若い男さえ——目を赤くしていた。ヴィルヘルムの涙に引きずられたのか。あるいは——自分の中にも、同じ「見て見ぬふり」があることに気づいたのか。


「聖女の問いかけを聞いて——目が覚めました。『あなたは、誰かの犠牲の上に立つ平和を望んでいますか』と。私は——望んでいなかった。望んでいないのに、黙っていた。黙ることで——加担していた。それは——」


 ヴィルヘルムは言葉を詰まらせた。そして、絞り出すように言った。


「それは——共犯です。私は、教会の共犯者です。この罪を——神と、皆さんの前で、告白します」


 教会が——静まり返った。ステンドグラスの光が、ヴィルヘルムの白髪を照らしていた。


 老聖職者の告白は、小さな教会で行われたに過ぎない。けれどその告白は——信徒たちの口を通じて、街に広がった。街から隣の街へ。隣の街からさらに遠くへ。


 「教会の聖職者が認めた」——その事実が、重かった。外部の声ではない。教会の《《内側》》から、真実を認める声が上がった。それは大司教の「魔王の策略」という説明に、最初の大きな穴を開けた。


 報告が隠れ家に届いたのは、三日後だった。


「教会の老聖職者が、公の場で聖女制度の真実を認めたそうです」


 リュカの声が——珍しく、震えていた。


「四十年間黙っていたと。懺悔したと。教会の中で泣いている信徒がいたと。各地で話題になっています」


 リーリエは報告を聞いた。


「教会の中にも——声を上げる人がいた」


 その言葉に、温かいものが込み上げた。ヴィルヘルムという老人に会ったことはない。名前も顔も知らない。けれど——彼がどれほどの勇気を振り絞ったか、想像できる。四十年間の沈黙を破ること。それは——四十年分の罪を認めることだ。


「お前の問いかけが——あの人の口を開かせたんだ」


 カインが言った。


「……あの方にお礼が言いたい」


「この戦いが終わったら、お前が直接言え」


「ええ。きっと」


 「この戦いが終わったら」——その言葉が、二人の間で共通の約束になりつつあった。終わった先に、会いたい人がいる。伝えたい言葉がある。それは——生きる理由だ。


 教会の内側に亀裂が入った。大司教の「一枚岩」が崩れ始めた。


 リーリエは報告書を大切に巻き取り、革紐で縛った。この紙に記された言葉を——忘れないように。ヴィルヘルムという老人の勇気を。四十年の沈黙を破った覚悟を。


 次は——歴代聖女たちの声を、世界に届ける時。


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