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Glitch Noise  作者: ころん56
《Prolog》と《Epilog》
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《Prolog》と《Epilog》②

事前の報告では、“軽度の構造ノイズ”──A3-癸。

分類上は市民生活に一定の影響を及ぼす干渉として対応班の出動対象ではあったが、危険度は低いと判断されていた。


空間の揺らぎ、数メートル単位の座標のずれ、SAFE-LAYERの一時的な断裂。

──いずれも都市灯科では“よくある現象”であり、日々繰り返される情報層の波打ちのようなものだった。


しかも、それが発生したのは──“零区”だった。

《ノイズ・エラプション》以降、C.O.D.E.によって完全封鎖されたはずの区域。

一般市民の立ち入りは禁止されており、安全面・認識面の両面から厳重に管理されている。


ゆえに、市民が事故に巻き込まれた可能性はきわめて低いと判断された。

実際、C.O.D.E.の監視ログにも、直近72時間での人影や通信端末の接続は一切記録されていなかった。

端末ID照合もゼロ、座標追跡も異常なし──これは単なる情報層の乱れにすぎない。


よって現場には、「念のため」の確認として、最小限の編成で対応班が派遣された。


──C.O.D.E.灯科支部 実働隊員、秤屋はかりや ゆい

部下の補佐官、御影みかげ みお


任務内容は、零区の境界域で検知された「軽度の構造ノイズ」の確認作業──


本来、それだけの“形式的な対応”にすぎないはずだった。


だが、その場所には──

予定にない人物が、もうふたり。


一人は、加瀬 悠。

本来は支部待機の補助要員。

だが今回は、「支部長からの伝達事項を届ける」という名目で、偶然を装って現場に現れた。


──というのは建前で、実際には、神山に「ついでに零区でも見てみる?」と軽く誘われ、特に断る理由もなくついてきただけ。

それでも本人なりに、“任務”のつもりではいるらしい。


そして、そのもう一人。

灯科支部 支部長・神山 遥歩。


今回の“そそのかし”の張本人にして、悠を現場に連れてきた本人である。

「君もたまには現地を見ておくといい。視野が広がるよ」などと、妙に教育的なことを言いながら、どこか楽しそうに歩を進める姿は、まるで“現場”というより“散歩コース”の延長であるかのようだった。


──結果として、本来の規模よりも人数だけは妙に多い出動となった。

しかし、この“多すぎた出動”が、後に思わぬ意味を持つことになる。



SIG-Nodeに走る波形が、再定義された境界領域で急激に乱れた。

浮かび上がるレイヤー構造を見た瞬間──澪の目がわずかに見開かれる。


「……え? これ……」

声がかすれ、しばらく言葉が続かなかった。


彼女はもう一度、手元のホロウィンドウに指を滑らせ、波形の誤差値を確認する。

──間違いない。予想していた“軽度干渉”とは明らかに異なる数値。

波形の奥に、別のパターンが“隠されて”いる。


「……やっぱり。これ、偽装されてた」


震える声を押し殺すように、澪は呟いた。

少し唇を噛み、落ち着こうとする仕草。

けれどその目は、明確な危機の輪郭を捉えていた。


「報告のA3-癸──“軽度の構造ノイズ”って分類、外れてます。

解析範囲を拡張したら、内層に別のパターンが隠されてた。

“A”のラベル自体が上書きされてたんです……」


結が素早く澪の視線を追う。

「……誰かが、意図的に“低レベル”を装って報告を偽装した」


澪の手元で、ホロウィンドウが何度も瞬いた。

視線を上下に走らせ、呼吸を浅く整える。けれど──その目は確実に“異常”を捉えていた。


「……っ、はい。干渉コードは……E5-癸相当。座標誤差、グリッチ応答、境界流出率……」

彼女は言いかけて、喉を詰まらせた。


「……どれも、“軽度”じゃ済まない値です……」


指先がわずかに震える。

ありえない、という言葉を飲み込みながら、澪は端末の画面を睨みつけるように見据えた。


「──これ……待ち伏せされてた可能性すらあります」


声は震えていなかった。けれど、内側で警鐘が鳴っているのが誰の目にも明らかだった。


──その瞬間、視界が、ふっと歪む。


上下の感覚が抜け落ち、重心がどこにあるのかさえ曖昧になる。

地面が、まるで天井に張りついたように反転し、空が足元へと沈んでいく。


風も、重力も、音すらも──

すべてが、内側へ引き込まれていくような奇妙な圧力。


都市を包む“現実”の外郭が、まるで皮膜のようにひっくり返る。

認識の膜が裏返り、“現実”と“情報層”の境界が、音もなく──崩れていく。


「反応……っ! 結先輩、これ──攻撃を受けてます! 境界ごと揺さぶられてるっ!」


耳元で、澪の震える声が響いた。

彼女の警告は、すぐ隣にいる結、そして少し離れた悠と神山の耳にも、はっきり届いた。

場の空気を裂くようなその声に、誰もが一瞬、呼吸を忘れる。


彼女の手に握られたSIG-Nodeが赤く閃き、警告ログを次々に吐き出す。


【警告】境界干渉検出|現実層と非現実層の区画が崩壊中

危険レベル:E5-癸|SAFE-LAYER破損・座標反転を確認


セーフレイヤーはすでに破れ、空間座標が断続的に反転を始めていた。

風の向きが逆巻き、音が引き込まれ、視界は上下の認識すら曖昧になる。

まるで世界の“輪郭”そのものが、ぐしゃりと内側へ折り畳まれていくようだった。

そんな異常の只中で──


「……澪」


悠がふっと身をかがめ、焦燥の色を滲ませる彼女の前に手を伸ばした。

そして、彼女の頭をぐしゃぐしゃと遠慮なく撫でる。


「よくやった。お前の報告がなかったら、全員やられてた。ナイスだよ」


驚いたように澪が見上げる。その表情に、まだ強張りが残っていた。


悠はポケットを探り、小さなあめ玉をひとつ取り出す。

淡いピンクの包みに、くしゃっとシワが寄った。


「ご褒美だ。あめちゃん、どうぞ」


差し出されたそれを、澪は一瞬ぽかんと見つめ、それから小さく頷いて受け取った。


「お兄ちゃんたちに任せろ。お前はこの状況を分析しろ。落ち着いて、澪」


その声は優しく、それでいて確かだった。

情報が錯綜する中で、唯一、彼女を“現実”に繋ぎとめてくれる声。


──そして、澪の目がわずかに引き締まった。


「……座標バグ、確認。転移誤差あり。構造揺れ、発生中──」


澪の声が、先ほどまでの震えを一切含まず、澄んだ音で空間に響く。

眼差しはSIG-Nodeの情報に集中し、手元の操作は一分の隙もなかった。


彼女は“補佐官”としての顔を取り戻していた。

加瀬 悠の言葉が、迷いを振り払っていたのだ。


けれど──安堵は、一瞬だった。


地面が、また軋む。

耳の奥でノイズがひび割れ、空間の“底”が、ずるりと蠢いた。


まるで、この都市そのものが意思を持ち、

この場に立つ四人を“奈落”へ引きずり込もうとしているかのように。


視界の端では、建物の輪郭が歪み、遠くの空が裏返った。

セーフレイヤーはすでに破れ、境界はむき出しのまま揺れている。


視界の端で、都市が“裏返る”。

床が上へ、空が下へ──まるで世界そのものが、自分たちを“正しく認識していない”。


敵の姿は見えない。けれど確かに、何かがこちらを“視て”いる。


「……観測されてる」

結の声が落ち着いた響きを保ったまま、冷たく空気を断ち切った。


その直後、わずかな間を置いて──


神山 遥歩が、まるで詩を読むように口を開いた。


「……此方(ここ)の眼は、まだ届かないのに」

彼方(かなた)の瞳は、とうに此処を覗いている」


(とばり)の向こうで笑っているんですよ。まるで……幕が上がるのを、待ちわびている観客のように」


ひどく静かな声音だった。

感情の起伏は少ないはずなのに、その言葉には、どこか悔しさにも似た色が滲む。


「ずるいですね。不公平でしょう」


宙を仰ぐように視線を逸らしながら、神山は小さく笑った。

その瞳の奥には、どこか諦念めいたものと──それでも立ち向かおうとする気配が同居していた。


閉じられていた糸目が、ほんのわずかに開く。

その奥に覗いた光は、冗談や余裕とは無縁の、研ぎ澄まされた“現場の目”だった。


背筋に走るのは、微細な緊張。

それは、彼が本気を出す時の“印”だった。


神山 遥歩は、ゆっくりと懐に手を差し入れた。

そして取り出したのは、どこか懐かしさを覚える旧型のパーソナル端末。


今や主流となった薄型のタッチ式SIG-Nodeとは対照的に、

彼のそれはまるで旧世代の折りたたみ携帯電話のような形をしていた。

角ばった本体に、パチンと指で開閉するヒンジ構造。

ボタン一つ一つには刻印が施され、どこか時代を逆行するような佇まい。


けれど、どの面も丁寧に磨かれ、埃ひとつついていない。

それはまるで、長年使い続けた道具への敬意すら感じさせる、

儀式具のような“何か”だった。


「ログ照合……対象:記録No.83、“()らざる視座(しざ)”。召喚を開始します──」


──彼のグリッチアビリティは、「召喚型」。

都市に沈殿する“未解決バグ”や“記録に残らぬ怪異噺”を、情報層から一時的に呼び出すというもの。


C.O.D.E.に所属するアビリティ保持者の多くは

比較的「自己の身体能力や周囲への影響」に限定されたスキルを行使する。


しかし神山は──“外部の何か”をこの世界に引き込む。

しかもその“何か”は、都市の記録すら掠めることができなかった、原因不明のバグばかり。


それは、構造的な召喚ではない。

過去の都市災害記録、観測されなかった存在、住民たちのうわさ話──

そうした“曖昧な情報”に名前を与えることで、神山はそれを現実に顕現させるのだ。


その異能は、C.O.D.E.の中でも特異中の特異とされ、

制御の難しさから一時は「封印対象」にすら分類されていたという。


彼の指が空をなぞるように動き、指先に淡い光のコードが浮かぶ。


▶ ACCESS [RECORD_ID: K-87X-PERCH]

// 記録ID:K-87X-PERCH──視認不可能な干渉痕に関する未確定現象記録を参照


▶ VERIFY CATALOG_NAME: 《The Nameless Gaze》

// カタログ名照合:《識らざる視座》


▶ CLASS: UNVERIFIED PHENOMENON / TYPE: NON-PHYSICAL ENTITY

// 分類:未確認現象 / 種別:非物質的存在


▶ INITIATE SUMMON_PROTOCOL

// 召喚プロトコル、起動


▶ AUTHORIZATION: COMMAND_LEVEL_7 (KAMIYAMA_HARUHO)

// 認証:コマンドレベル7(神山 遥歩)


▶ PERMISSION: OVERRIDE-ALPHA / STATUS: GRANTED

// 許可:制限解除アルファ適用 / ステータス:発動承認済


▶ MODE: SUMMON_FROM_RECORD

// モード:記録からの召喚


▶ ELEVATION: NULL_POINT (PHASE_LAYER: -3.7)

// 位相層:-3.7階層/ノールポイントにて顕現


▶ OBSERVER: DISABLED

// 観測装置:無効化(外部記録による干渉を遮断)


▶ EYE: CLOSED

// 視認回路:閉鎖中(視覚干渉を遮断)


▶ RECORDING: SUPPRESSED (INVOCATION UNLOGGED)

// 記録:抑制中(この召喚はログに残されない)


▶ SOURCE: FOLKLORE_NOISE / FORMAT: ORAL + SYMBOLIC TEXT

// 出典:伝承ノイズ / 形式:口伝+象徴記述による


▶ SUMMON_CONDITION: TRUE_NAME FIXED

// 召喚条件:真名が確定していること(不完全な呼称では発動不可)


▶ BINDING_RITE: COMPLETE

// 拘束儀式:完了


▶ MANIFESTATION_TYPE: SHADOW_TRACE

// 顕現形式:影の痕跡(実体は発生せず、存在痕のみ残す)


▶ SIGNATURE: INVERTED / VANTABLACK REFLECTIVITY

// 反応特性:構造反転 / 完全吸光性(ベンタブラックレベルの黒)


▶ CAUTION: “DO NOT STARE BACK”

// 警告:「視返してはならない」


▶ INVOCATION: SUCCESSFUL / PRESENCE CONFIRMED

// 召喚成功 / 対象の存在が確認された


──《視られることなき眼差しが、あらゆる情報の上位に立つ》


一瞬、言葉に“噛み”かけたのを誰かが察した。

だが今回は、奇跡的に滑舌がもった。


世界が、一瞬だけ凍る。


次の瞬間──空中に“黒い円環”が浮かび上がった。

まるで誰かの眼窩を模したような、空洞の視座。

その中心は空虚でありながら、すべてを見通す“視えない眼”が潜んでいた。


黒環から滲むのは影──いや、未観測の記録。

現実でも幻想でもないものが、視点として定着する。


──情報層インフォレイヤーが震える。


《識らざる視座》は、“誰にも観測されていない視点”を召喚し、

その場所を“未観測地点”に変換することで、現実と非現実の干渉をぼかす。


──観測されなければ、現実は確定しない。

──確定しなければ、侵食は、成立しない。


「空間安定処理、三十秒は稼げます。今のうちに──結くん、判断を」


そう言って神山は、コードの嵐の中でなお穏やかに微笑んでいた。


時間を稼ぐための召喚。

《識らざる視座》は、“確定しない視点”によって境界を“未確定”へと戻した。

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