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英雄翁の詩  作者: ジージ
英雄になれない僕だから
9/9

Nightmare Forest

 ──南の湖は、森の奥深くに静かに横たわっていた。水面は音もなく揺れ、黒々とした水の底から何かが覗き込んでいるかのような、不気味な気配が漂っていた。


「……斜め右前方だ、戦闘音がする」


 シグルドは湖畔を鋭く見渡し、小さく呟いた。森のざわめきがここでは途切れ、鳥の声すら聞こえない。


「ええ……? 私には全然聞こえないんですが……すごいですね」


 ガンバは驚きつつもシグルドの示した方向へと魔動車を走らせる。


「急ぐぞ、あまり状況は良くなさそうだ」


 魔動車は湖畔沿いを勢いよく突き進み、車輪が唸りを上げる。やがて濃い木立の中へと再び滑り込んだその瞬間──

 遠くで、鋼が打ち鳴らされる甲高い音が森を震わせた。


「ぐわぁ!」


 虎のような魔物の攻撃を若い討伐隊員が剣で受け止めようとしたが、圧倒的な力に弾き飛ばされ、地を転がった。


「っ! させない!」


 別の隊員が盾を構えて間に割って入ったが、常軌を逸した魔物の膂力により二人まとめて吹き飛ばされた。


「やめろッ──!」


 討伐隊員の一人が叫び、矢を放つ。その矢は魔物の動きを一瞬止めたが、致命傷には至らず、獣の体をかすめて森の奥へと消えた。


「だめだ、囲まれた!」


 一体でも手に余るこの魔物が、森の影から次々と姿を現し、討伐隊を円を描くように取り囲む。


「矢がもう残りわずかです!」


「前衛、右だ! 詠唱を崩されるぞ!」


 指揮官らしきエルフが必死に叫ぶ。だが声は焦りに震え、隊の動きは次第に乱れていく。

 最前線の兵が弾き飛ばされ、樹に叩きつけられた。血飛沫が舞い、空気が鉄の匂いに染まる。


「其は形無く、声無くして、命を絶つ者。虚を裂きて道を刻み、蒼の線を引け──『風刃』!」


 魔法使いの討伐隊員が詠唱を終えるやいなや、鋭い風の刃が走った。不可視の刃は魔物の肩口を斜めに切り裂く。血飛沫が草葉を染め、獣の悲鳴が森に響いた。


「うおーっ!!」


 その隙を逃さず、前衛の剣士が踏み込み、魔物へ追撃を叩き込む。ずしんと音を立てて崩れ落ちる魔物。


「やった……あっ……」


 喜んだのも束の間、後の茂みが爆ぜるように揺れ、新たに二体の魔物が飛び出した。刹那、鋭い爪が閃き、隊員の胸を切り裂いて倒れ伏す身体が土を打った。


「……う、嘘だろ……まだ、いるのか……!」


 誰かの震える声が漏れた。矢を番える手が震え、魔力を練ろうとした魔法使いの詠唱が掠れる。次の瞬間、唸り声とともに三体の魔物が突進した。叫びも防御も間に合わず、二人が瞬く間に薙ぎ倒される。


「下がれ! 陣形を組み──」


 指揮官の声は、途中で悲鳴に変わった。爪が閃き、赤が舞う。恐怖が伝染する。誰もが息を荒げ、剣を握る手から力が抜けていく。絶望が静かに広がる中、誰かが呟いた。


「……終わりだ……もう、だめだ……」


 剣を落とし無防備になった隊員へ、魔物の群れが殺到する。鋭い牙と爪が辺りを赤く染めていた。


 ──突如地面から現れた光の鎖に邪魔される事がなければ。


「疾く、自由を封じよ──『拘束』!」


 放たれた呪文による光の鎖は次々に魔物達を絡めとっていく。光の鎖に捕らえられた魔物は鎖を引きちぎろうとするもびくともしない。


「え、生きてる……?」


 予想外の出来事に唖然とする討伐隊員達。そんな彼らの前に魔動車が飛び込んでくる。


「……すみません、何匹か避けられました」


「充分だ、残りは任せろ」


 シグルドは魔動車を飛び降り、一歩、重く大地を踏みしめた。鞘から抜き放たれた剣が、夜明けのような白光を放つ。


「光輝く剣……あの老人はまさか、英雄翁!?」


 大地を蹴る音が轟き、風圧が周囲の草葉をなぎ払う。閃光が走った刹那、魔物の首が宙を舞った。


「まずは、一つ」


 静かに放たれたその言葉は、戦場の空気を震わせた。怒り狂った魔物たちが咆哮を上げ、一斉にシグルドへと殺到する。だが、その牙も爪も、届く前に終わっていた。飛びかかった瞬間、魔物の身体は静かに裂かれ、音もなく崩れ落ちる。


「終わりだ」


 静かな声と同時に、剣閃が唸りを上げ、拘束されたままの魔物たちは抵抗する間もなく次々と斬り伏せられた。白光が消えた後には、ただ静寂と、倒れ伏した魔物の残骸だけが残る。


「ガンバ、負傷者の治療を頼むぞ」


「はい、任せてください!」


 ガンバが治療の準備を始めるのを確認すると、シグルドは周囲に立つ討伐隊員数名に声をかけた。


「まずは無事で何よりだ、よく持ちこたえたな」


 その穏やかな声に、隊員たちは緊張をほぐすように肩を下ろした。だが、シグルドの眼差しはすでに戦場の先を見据えている。


「今回の状況を詳しく聞かせてくれ。──魔物の数が増えていると聞いたが、普段と比べてどの程度違う?」


 シグルドの問いかけに、一人の隊員が息を整えながら答えた。


「は、はい……! 普段は二、三体程度だったのですが……今日は十倍以上です。しかも、動きが異様に速く、連携を取っているようでした」


 シグルドは腕を組み、視線を周囲の屍へと移す。倒れている魔物は十二体。話に聞く数より、明らかに少ない。


「数が少し足りんな。残りは倒したのか?」


 その言葉に、隊員たちは互いに顔を見合わせ、やがて一人が唇を震わせながら答えた。


「……いえ、一人囮になって……。魔物の群れを引きつけて、森の奥へ……!」


「無茶だって言ったのに聞かずに飛び出して行ったんです……!」


 その声は震えていた。仲間を置いて逃れた罪悪感と、助けに行けなかった悔しさが入り混じっている。


「……行き先は分かるか」


「ここからさらに南へ行った先です。木々が密集していて見通しが悪く、身動きも取りづらい場所で……」


 シグルドの眉がわずかに動いた。耳を澄ませるように目を閉じ、わずかに頷く。


「……ふむ、やりおるな。魔物の悲鳴を聞くに──一頭、仕留めたか」


 シグルドは目を開け、鋭い光を宿した眼差しで森の奥を見据える。


「あいつ、まだ戦ってるんですか……!?」


「逃げながら、機を見て仕掛けているようだな。この様子ならまだ間に合う」


 シグルドの声に、周囲の討伐隊員たちが息を呑んだ。


「治療が終わり次第、わしらが救援に向かおう。お前達は無理をせず、一度街へ戻れ」


「……っ、はい。分かりました」


 歯を食いしばりながらも、討伐隊の若者たちは互いに頷き合い、力の及ばない悔しさを押し殺して撤退を受け入れた。


「シグルド! 終わりましたよー!」


 ガンバの声に、シグルドは振り返った。彼の背後では、負傷者たちの体を包む淡い緑の光がゆっくりと収束していく。痛みの表情を浮かべていた者達の顔に、わずかな安堵の色が戻っていた。


「早かったな、助かる」


「意外と傷は浅い人が多かったんですよ。皆さん、急所を避けて攻撃を受けていたみたいで、すぐに回復できました」


 シグルドは短く応じつつ、ふと視線を落とした。確かに地面に残る血の跡は少ない。わずかに首を振り、シグルドは顔を上げた。


「……一人、囮になって魔物を引き付けている者がいる。そいつの救援に向かうぞ」


「ええっ、大丈夫……なんですね。分かりました、急ぎましょう!」


 ガンバは杖を握り直すと、魔動車の操縦席へ駆け込んだ。その背を追うようにシグルドも続いて乗り込む。


「森の奥は木々がさらに密集しているそうだ。魔動車で行けるところまで行き、そこからは徒歩で進むぞ」


「了解です!」


 ガンバが返事をすると同時に、魔動車が低く唸りを上げて動き出した。車輪が湿った土を蹴り上げ、木々の間を縫うようにして進んでいく。

 道は次第に細くなり、やがて左右から伸びる枝葉が車体を擦るようになった。


「……ここまでだな」


 シグルドが短く告げ、二人は魔動車を降りる。森の空気はひんやりとして湿り気を帯び、獣の低い鳴き声が風に乗って響く。


「あれ、結構近くないですか?」


 戸惑いを見せるガンバに、シグルドは静かにうなずいた。


「簡単な話だ、すでにわしらの存在に気付いて合流するためにこちら側に逃げているのだ」


 ニヤリと笑うシグルドの声は確信に満ちていた。


「……シグルドもそうですけど、何で分かるんですか」


 ガンバは呆れ混じりにため息をつき、杖の先で地面を軽く突いた。


「戦闘の準備しておけ、来るぞ」


 シグルドの低い声が空気を引き締める。ガンバはその声に頷き、杖を握り直して詠唱する。杖から魔力が流れ、淡い光が身体を包む。


「いつでも大丈夫です、行けます」


 ガンバがそう答えるやいなや、木々の影がざわめいた。次の瞬間、枝葉を弾く音とともに人影が飛び出す。


「ええっ? じ、じーちゃん二人!?」


 木々の間から転がり出るように飛び出してきたのは、血と泥にまみれた若い少年だった。息は荒く、手にはもう武器すら握られていない。


「いや……戦場に立ってる爺さんなんて、だいたいバケモノが相場だよな。──二人ともやれる?」


 その言葉に、シグルドが口の端を吊り上げて笑う。


「バケモノ、か……よく聞く言葉だ」


「私は初耳ですけどね!」


 ガンバの声が森に響いた──その瞬間、木々の奥で空気が裂けた。茂みを突き破って飛び出したのは、黒と黄の毛並みに覆われた魔物の群れだった。


「疾く、遮断せよ──『防壁』」


 ガンバの詠唱が終わると同時に、木々の間に光の壁が生成される。後続の魔物達は光の壁に行く手を遮られ分断された。


「うっま……! コイツら分断すんの結構苦労すんのに一瞬でこれかよ」


 興奮まじりの声をかき消すようにすでに木々を突き抜けてきた魔物達が襲いかかってくる。


「遅い」


 シグルドが剣を抜くと同時に駆け抜けると白光が軌跡を描き、前へ飛び出していた魔物の身体が何が起きたのか理解する間もなく裂けた。返す刃で隣の魔物の首を断ち切り、さらに踏み込みながら前方の二体を薙ぎ払う。


「えっ……その剣の光と動き……嘘だろ!? まさか、英雄翁!?」


 震え混じりに漏れた声。次々と魔物を倒していく光景を前に、若き戦士の目が見開かれる。


「よし、分断した魔物は片付けた。ガンバ、回復を頼む」


 指示を出すシグルドの声はまだ力強いが、わずかに息が荒い。先ほどまでの戦いで確実に消耗していた。


「了解です、でも無理はしないでくださいね」


 ガンバは小走りに駆け寄ると、杖の先に淡い黄色の光を宿らせた。


「朽ちし肉に息を吹き、血潮の鼓動を再び鳴らせ。終わりを知らぬ無窮の命脈よ、巡りて甦れ──『体力』!」


 光が弧を描いてシグルドを包み、冷えた空気がわずかに温もりを帯びる。重く沈んでいた身体から、ゆるやかに力が戻っていくのを感じた。


「ん、良い感じだな。助かる」


 シグルドの言葉にガンバが笑みを浮かべる。彼が短期間で身につけた一つの魔法──それは敵を討つためではなく、シグルドを支えるためのものだった。


「一休みはここまでだな、残りが来るぞ!」


 シグルドの叫びが響くと同時に、森の闇が爆ぜた。枝葉を裂きながら魔物たちが左右から飛び出す。光の壁を避け、迂回してきた群れだ。


「多いな、少しそっちに行くぞ」


「わわわっ」


 魔物の一体が咆哮と共に跳びかかり、鋭い爪をガンバへ振り下ろした。丸々とした身体を裂かんと迫る一撃──しかし、その爪は空を切った。ガンバの姿が一瞬だけ掠れ、次の瞬間には数歩後ろの位置に転移していた。


「『回避』の魔法──けど、二撃目は防げない!」


 咆哮が響く。別の魔物の爪撃が、間髪を入れずガンバに迫った──。


「んっ──!」


 ガンバが咄嗟に腕を曲げ、顔を庇うように構えた瞬間、魔物の爪が再び振り下ろされる──だが、爪の軌道は何かに流されるように逸れ、ガンバの横の地面にへと叩きつけられた。


「うぅー……心臓に悪いです……」


 額には汗が滲み、震える手で胸を押さえる。だが、魔物は待っていてはくれない。体勢を整えて再び襲いかかろうとする。


「っ! 疾く、自由を封じよ──『拘束』!」


 だが魔物が飛びかかるよりも先に詠唱によって地面から無数の光の鎖が伸び上がる。螺旋の軌跡を描きながら、魔物達の身体を絡め取った。


「無理はするなよ、いざとなったら二人で『防壁』に籠ってても構わん!」


 シグルドは次々と魔物を斬り払いながら叫んだ。


「っ、いけね……! まだやれます、俺も!」


 少年がガンバの横を抜けて魔物に向かって駆け出す。その瞳には恐れはなく、闘志の光が宿っていた。そして腰に手を伸ばした瞬間──そこに掴むべき剣はなかった。


「おいっ、お前武器はどうした!?」


 その様子を見たシグルドが思わず声をあげた。だが、少年は迷いなく突き進む。


「……来い、俺の聖剣──!」


 瞬間、掌から放たれた黄金の光が形を結び、一本の剣が生まれる。眩い輝きが森の闇を切り裂き、金属ではない“何か”が唸るように震えた。


「ええっ!?」


「この輝きは……!」


 驚きの声を上げる二人をよそに少年は光の剣を振り抜いた。軌跡が閃光を描き、突進してきた魔物が一刀のもとに両断される。


「──まだだッ!」


 叫びと同時に少年は体勢を崩さず次の一歩を踏み込み、返す光刃が続く魔物を薙ぎ払った。


「……いい勢いだ、続けろ!」


 シグルドが声を飛ばすと、彼もまた動き出す。白光の剣が交差し、少年の光刃と共に閃光が奔ると瞬く間に魔物達は地に伏していった。


「これで──終わりだぁ!」


 少年の叫びと同時に、最後の魔物が絶叫を上げて崩れ落ちる。戦いの余韻が静かに森を包む。光の剣がゆっくりと揺らいで消えていった。


「やったぞ、勝った……!!」


 少年は肩で息をつく。そして次の瞬間、何かを思い出したようにシグルドの方を振り向いた。


「あのっ……! 英雄翁シグルドですよね!?」


 少年の声には、敬意と興奮が入り混じっていた。その勢いとは対照的に、シグルドは静かに目を細め、わずかに頷いた。


「やっぱり……! 俺、ティルヴィングって言います! みんなからはティルって呼ばれてて──ずっと、あなたみたいな英雄に憧れてたんです!」


 無邪気に笑みを浮かべるティルとは対照的に、シグルドの胸中には深い影が差していた。ちらりと隣のガンバを見ると、その胸中を悟ったかのように静かに悲しげな眼差しを返してくる。


 ──この少年こそ、魔王の五魔具<ティルヴィング>だと。



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