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英雄翁の詩  作者: ジージ
英雄になれない僕だから
8/9

-救世主翁-

 ──緑の海原が、視界いっぱいに広がっていた。幾千もの木が天を衝き、その枝葉が絡み合って空を覆う。差し込む光は柔らかく揺れ、風に乗って小鳥の声と木々のざわめきが響いてくる。


「これが……リュイア森林王国……」


 目を見張り、思わず息を呑むガンバ。その身を包むのは、つい先日仕立て上がったばかりの新しい装いであった。


「油断するなよ。木々の陰は、魔物の格好の隠れ場所だからな」


 その言葉にガンバはごくりと唾を飲み込む。鳥の羽ばたきや枝のきしみが耳に届き、そのたびにガンバは少し肩をすくめながらも、彼の操る魔動車は森に作られた道を力強く進んでいく。


「それにしても、ここまで大きな魔物には出くわしませんね」


 道中で目にしたのは、魔動車に怯えて森の奥へ逃げ込む小さな魔物ばかりだった。


「討伐隊が機能している証拠だろうな」


 シグルドは木々の連なる森の奥を見やった。木々のざわめきは穏やかで、鳥の声も絶え間なく響いている。


「まあ、歓迎すべきことだ。だが、油断だけはするな」


 シグルドの声は穏やかでありながらも、経験に裏打ちされた重みを含んでいた。その言葉にガンバは静かに頷き、再び前方へと視線を戻す。


「あっ……あれが門ですかね」


 やがて森の奥、陽光が差し込む開けた場所に──木々の根を編んで築かれた巨大な門が姿を現し始めていた。


「そうだ、あれが森の都シルヴァリエの門だ」


 絡み合う巨木の根で編み上げられた門は、石造りの城壁とはまるで異なる威容を放っている。まさしく森そのものが形を変えて立ちはだかっているかのようだった。


「……すごい。まるで生きているみたいですね」


 ガンバの言葉に、シグルドはゆるく頷いた。


「その通りだ。あれはただの建造物じゃない。森の加護と共に育った“生きる門”よ。リュイアの民はこうして森と共に国を築き上げてきた」


 近づくにつれ、門前に立つ影の輪郭が鮮明になる。長く尖った耳、陽光を弾く金の髪、しなやかな体躯。──エルフと呼ばれる種族の衛兵たちだ。


「止まれ、何者だ」


 鋭い声が門前に響き、武器を構えるエルフの衛兵たちの視線が二人に注がれる。緊張を帯びた空気が、森の静けさを一瞬にして引き締めた。


「黒冠の盟友にして、聖剣のシグルド。再び迫る闇に備えるべく、ここに参った」


 言葉と共に、シグルドは懐から古びた徽章をゆるやかに取り出し、静かに掲げる。陽の光を受けて輝いたその紋章に、衛兵の目が見開かれる。


「白金の刻印……!」


 息を呑む声が広がり、武器を構えていた手が一瞬揺らぐ。彼らにとってそれは、伝承の彼方より受け継がれし盟約の証だった。


「失礼いたしました。シルヴァリエの門は、あなた様を拒みません。どうぞ──」


 重厚な根の扉がきしみを上げながら開き始める。差し込む光の向こうには、木々で築かれた、幻想的な森の都の姿があった。


「本当に、人が森と共に暮らしているんですね」


 ガンバは思わず息を呑み、その光景に見入った。その隣でシグルドはただ静かに頷き、白金の徽章を懐へと戻す。


「さっきの門番の中に嫌な目をしてた人がいたんですが……」


 ガンバの言葉に、シグルドはしばし沈黙し、瞼を閉じる。


「……黒冠の盟友と答えたからだな」


 低く呟いた後、シグルドはゆるやかに息を吐き、言葉を継ぐ。


「黒冠は、エルフでありながら黒髪のために忌み子と扱われ名前すら持たん。そして、ただ一人生還できなかった……。それゆえ、あいつを嫌うエルフもいるのだ」


 その横顔には、遠い昔を呼び起こすような影が差していた。


「……最後まで立っていたのは、わしとあいつだけだ。そしてあいつは、自らの身で魔王を押さえつけ、わしの剣を受けた。だからこそ、魔王を討てた……。だが、その代償にあいつは戻らなかった」


 ガンバは言葉を失い、ただその横顔を見つめるしかなかった。苦悩と誇り、悔恨と感謝……それら全てを抱えてなお、シグルドは立っている。


「……あいつの名は、今もどこにもない。戦いが終わったら、わしが名を考えてやる──なんて約束したのにな」


 シグルドの声は低く、だが揺るがぬものがあった。


「それでも、わしにとっては誰よりも誇るべき戦友だ。……あいつがいなければ、魔王は討てなかった」


 その言葉に、ガンバは静かに頷いた。胸の奥に温かな痛みが広がり、指輪をはめた左手をぎゅっと握る。


「……きっと、彼も喜んでいますよ。あなたの隣で戦えたことを」


 小さな声で告げると、シグルドはわずかに目を細めて頷く。


「……そうであれば、救われる」


 沈黙が二人を包む。だがその静けさは重苦しいものではなく、亡き戦友の想いを共に抱きしめた証のようだった。


「……行こうか」


 その声には、過去を背負いつつも前へ進む意志が宿っていた。


 街の中へ進むと、思いのほか賑やかな光景が広がっていた。通りには、エルフだけでなく人間の姿も混じっている。


「もっと閉ざされた国だと思ってましたけど……ずいぶん開けてるんですね」


「昔は閉鎖的だったんだがな。だが、時代が流れれば民も変わるものだ」


 そう語るシグルドの隣を犬の頭部を持つ人間……獣人が通っていく。その姿は街の風景に溶け込み、誰も気に留める様子はなかった。


「さて、討伐隊の詰所にでも寄ってみるか」


 シグルドの言葉にガンバは小さく頷き、二人は森の都の大通りから一本外れた道へと足を向けた。やがて、街の喧騒は薄れ、代わりに鋭い掛け声や武具の音が風に乗って届いてくる。そこに見えてきたのは、重厚な木と石で築かれた詰め所──森を守る討伐隊の拠点であった。


「結構大きいですね」


 感心したように見上げるガンバに、シグルドは顎を引いて頷いた。


「森の防衛の要だからな。形ばかりでは務まらん」


 魔動車から降りて厚い扉を押し開けると、一変して張り詰めた空気が二人を包んだ。


「……思った以上に、緊張感がありますね」


 ガンバは思わず目を見開き、小声で呟く。


「当然だ。気を抜けば、すぐに街全体が脅かされるからな」


 シグルドは静かに視線を巡らせた。奥の机ではエルフの女性がペンを走らせている。シグルドとガンバに気付くと凛とした声で尋ねた。


「こんにちは。討伐隊への志願、あるいは何かご用件でお越しになられたのですか?」


 女性の声に、シグルドは一歩前に出て軽く首を横に振る。


「いや、志願ではない。魔物の動きが荒いと聞いたので、実情を伺いに来た」


 シグルドの言葉に、女性は小さく頷き、静かに言葉を紡いだ。


「その噂は事実です。魔物の数が急激に増え、討伐隊も対応に追われています」


 女性は言葉を落としつつ、机上の地図に視線を移す。赤い印が無数に散りばめられ、街を取り囲む森の各所で異変が起きているのが一目で分かる。


「特に西の街道と南の湖周辺は危険度が高まっていますね、東の街道は比較的安全です」


 女性は静かに告げ、そして小さくため息をついた。


「そして、こうした混乱に乗じて盗賊の動きも目立ってきました。街の外に出る際は、魔物だけでなく人の脅威にも備えねばなりません」


 言葉を終えると、室内に一瞬の静けさが落ちた。外から聞こえる訓練の掛け声が、逆にその沈黙を際立たせる。


「魔物に加え、盗賊まで跋扈しているか……まったく厳しい世の中だな」


 シグルドは腕を組み、深く息を吐く。


「ところで、討伐の場で活躍している少年がいると聞いたが」


 その問いに、書記官の女性はわずかに目を見開き、頷いた。


「ああ、ティルのことですね。まだ若く、無鉄砲なところもありますが剣の腕は確かです」


 女性の口調は淡々としていたが、その眼差しにはわずかな誇らしさが宿っていた。


「今は外に討伐に出ていて不在ですが、戻りましたら紹介しましょう。問題がなければそろそろ戻ってくるはずですよ」


「分かった、それでは少し待ってみるとしよう」


 そう返し、シグルドとガンバは詰め所の脇に設けられた木製の長椅子に腰を下ろした。


「……ティルさん、どんな子なんでしょうね」


 その呟きに、シグルドはふと遠くを見つめるように目を細めた。


「若くして名を挙げる者は、危うさと輝きを併せ持つ。……さて、どちらが勝つかだな」


 詰め所の外では、森を渡る風の音と、鳥の鳴き声が響いている。しかし、しばらく待っても討伐隊が戻って来る様子はなかった。


「……もしかして何かあったんじゃないですか?」


「可能性はある、な」


 二人は先程の女性に声をかける。


「討伐隊が戻らぬが、何か伝令は来ていないのか?」


 その問いかけに、女性は視線を落とす。


「……いいえ、まだ何の報告も。通常であれば、帰還が遅れる時は伝令の一人でも戻ってくるはずなのですが」


 女性の声には、わずかながら緊張がにじんでいた。ペンを持つ手が止まり、沈黙が詰所を支配する。


「ど、どうしましょう……待ってるだけでいいんですか?」


 ガンバはごくりと唾を飲み込み、落ち着かない様子でシグルドを見る。


「……場所はどこだ」


 シグルドの低い声に、室内の空気が一瞬張り詰めた。


「……っ、申し訳ありません。戦況は切迫していますが、それでも隊員以外を危険に晒すことは……」


 その声音には真摯な思いが込められていた。部外者を不用意に巻き込みたくない、守るべきは民だという誇り。それは理解できるが、今は一刻を争う事態だった。


「案ずるな──この英雄翁、まだ老いに呑まれるほど弱くはない」


 女性は息を呑み、顔を上げた。その瞳に驚愕と、敬意が宿る。


「まさか、あの伝説の……!?」


 女性は震える手で胸に手を当て、深く頭を下げる。


「どうか……討伐隊をお助けください。彼らは恐らく、南の湖周辺で任務にあたっているはずです」


「承った……行くぞ、ガンバ!」


 その声は揺るぎなく、重い大地を踏み鳴らすような響きを持っていた。


「はいっ!」


 ガンバも応じるように杖を握りしめ、力強く一歩を踏み出す。


 詰め所を後にする二人を、女性は深く頭を垂れて見送った。


「……どうか、ご無事で」


 扉を押し開けた瞬間、森の都の風が頬を撫で抜ける。鳥のさえずりが遠くで微かに響くが、その奥に潜む気配は確かに不穏で、森全体が静かに警鐘を鳴らしているようだった。


 だがシグルドとガンバは迷わず進む。魔動車へ乗り込み南の湖へと急ぎ走らせるのであった──。

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